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碁石海岸。岩手県大船渡市末崎町字大浜。
2023年6月13日(火)。
国史跡・大洞貝塚の見学を終え、碁石海岸・大船渡市立博物館へ向かった。三陸復興国立公園・碁石海岸インフォメーションセンター駐車場に8時45分ごろ着いた。博物館は9時開館なので、先に碁石海岸を散策することにした。インフォメーションセンターを5分余り見学したのち、碁石岬の駐車場へ移動して、展望台からの風景と碁石埼灯台などを見て回った。
碁石海岸は岩手県大船渡市の末崎(まっさき)半島東南端約6kmの海岸線で国の「名勝及び天然記念物」や国立公園に指定されている。また三陸ジオパークのジオサイト、みちのく潮風トレイルのコースの一部にもなっている。
三陸復興国立公園は、東日本大震災で被災した三陸地域の復興と被災の伝承を目的として、陸中海岸国立公園を中核として、2013(平成25)年、環境省により創設された。南三陸金華山国定公園を編入し、青森県八戸市から宮城県石巻市までのエリアが指定された。
「三陸ジオパーク」は、北上山地東部に位置し、青森・岩手・宮城の3県の市町村からなる日本一広大なジオパークで、約4億年前に海底でできた岩石がプレート運動によってこそぎとられてできた北側とで構成されている。
碁石岬。千代島。
碁石岬に抱かれるように岸壁に卓立し、よじ登ることもできないような岩島。現在はウミネコの繁殖地になっている。波が打ち寄せると、波の圧力に押されて海水が吹きあがる潮吹き現象が見られることもある。
碁石埼灯台。
昭和33年に碁石岬に設置された白い小さな灯台は高さ10.5m、平均海面から灯りまでの高さ36.3m。2016年8月には恋人の聖地として『恋する灯台』に認定された。
展望台からの風景。
末崎半島の先端にある展望台からは、隣の陸前高田市広田半島を望める。晴れていると、宮城県の金華山も見る事が出来る。
溺死者供養塔。大正7年3月。
200mほど道を戻り、大船渡市立博物館を見学した。
大船渡市立博物館。岩手県大船渡市末崎町字大浜。
下船渡貝塚(しもふなとかいづか)は縄文時代後・晩期の代表的な貝塚である。1934年国の史跡に指定された。大船渡湾西側の標高20~30mの丘陵上に位置している。1924年(大正13年)と1925年(大正14年)に発掘調査が行われて広く知られるようになった。1961年(昭和36年)の調査で丘陵の海の面した緩やかな斜面やその下位から貝層が確認され、多量の遺物が出土した。
貝層は、厚い部分で0.6~1.2mあり、上層からは縄文時代終末期の土器が、中層からは貝層を伴う後期末様から晩期初頭にかけての遺物が、下層からは貝層を伴わない後期中葉の土器が出土した。さらに遺跡の西南部地区から弥生時代の土器がまとまって検出された。
これら出土遺物のなかでは縄文時代後期末から晩期の土器が一番多い。発掘ではその他に、石器、釣り針・ヤス・離頭モリ・貝輪などの骨角器のほか、埋葬された人骨の近くに現在の柴犬ぐらいの大きさのイヌの埋葬骨格が発見された。当時からイヌも大切な仲間として暮らしていたと考えられる。
ユネスコ無形文化遺産「吉浜のスネカ」。
岩手県では沿岸部を中心に来訪神行事が分布していて、県北部には「ナモミ」「ナゴミ」と呼ばれる行事が、大船渡市には「吉浜のスネカ」「崎浜のタラジガネ」が伝わっている。「吉浜のスネカ」は、それらを代表する行事として、平成16年に国の重要無形民俗文化財指定を受けた。
三陸町吉浜では、小正月(1月15日)の晩になると鬼とも獣ともつかない面をつけ、みのに身を包んだ「スネカ」が家々を訪れる。「スネカ」という呼び名は「スネカワタグリ」を縮めたもので、冬の間、長いこと囲炉裏にあたって火斑(ひがた)ができた怠け者の「脛皮(すねかわ)」を「たくる(剥ぎ取る)」ことから来ている。
アワビの殻を腰にぶら下げ、俵を背負い、身を屈めて鼻を鳴らしながら歩くのがスネカの特徴的な姿である。
スネカが始まった時期は不明だが、およそ200年前の江戸時代後期には行われていたと考えられる。
2018年「吉浜のスネカ」を含む「来訪神:仮面・仮装の神々」10件の行事がユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に登録された。
このあと、陸前高田市の道の駅へ向かった。