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福島県西会津町 鳥追観音 柳津町 柳津虚空蔵

2024年07月17日 13時28分58秒 | 福島県

鳥追観音。如法寺。福島県西会津町野沢字如法寺。

2024年5月31日(金)。

道の駅「湯川」で起床。ここは、どこに行くにも好位置。WIFI休憩室もある。会津ころり三観音だけは参拝する予定だったので、そのひとつの西会津町の鳥追観音へ向かった。午前8時30分開門の前に到着。

如法寺(にょほうじ)は、真言宗室生寺派の寺院。山号は金剛山。本尊は聖観世音菩薩。この寺には境内に観音堂があり、「鳥追観音」の名で知られる。大同2年(807)、仏都会津の祖となった法相宗の僧・徳一が「会津西方浄土」として開創したと伝わる。

仁王門。

正面にある仁王門は観音堂同様に慶長18年(1613)に再建されたもので、入母屋、鉄板葺き、三間一戸、単層門で中世からの工法も随所に見られる貴重なもので、県重要文化財。

観音堂は、慶長16年(1611)の大地震で倒壊後、慶長18年(1613)会津藩家老・岡重政により再建された。東西向拝口・三方開きの特殊な構造。左甚五郎作、『隠れ三猿』『昇り龍、降り龍』『梅に鶯』の彫刻が有名。県重文県重要文化財。

「西方浄土」へ安楽往生が叶うという道理を示す為に、観音堂は、東西向拝口・三方開きという独特な構造になっており、東口から入り、鳥追観音に祈願したら、戻らずに西口から出ると、その彼方が「西方浄土」の世界となる参拝順路となっている。そのため、全国でも珍しい「東西向拝口」になっている。

観音堂内の「善男柱」「善女柱」両柱に抱きつき祈願すると観音様のお導きで良縁が頂けると言われている。

また、身代りなで仏(金剛力士像)をなでで祈願すれば、ころりと大往生が叶うというので「ころり観音」とも尊称され、会津ころり三観音の一に数えられている。

堂内は撮影禁止。

観音堂と一休三小僧。

樹齢1200年の高野槙。

鳥追観音如法寺開創の時に記念植樹されたと伝えられる樹齢1200年の高野槙(コウヤマキ)。東北最大の大きさで県天然記念物。

住職の子供と思われる女の子と男の子が境内の準備をしている若い住職めがけて走っていく風景はほのぼのとしていた。

 

柳津虚空蔵。円蔵寺。福島県柳津町柳津字寺家町。

「柳津虚空蔵の裸まいり」は1980年代からニュース映像や旅行雑誌で知っているので、どんな寺か関心があったので訪れた。駐車場から撮影禁止の参道を歩くと広い境内に着き、右の石段を下ると虚空蔵堂が見えてきた。

円蔵寺(えんぞうじ)は、臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は霊巌山。本尊は虚空蔵菩薩。この寺にある虚空蔵堂は「柳津虚空蔵」(やないづこくぞう)として知られ、能満虚空藏菩薩(清澄寺、千葉県鴨川市清澄)、大満虚空藏菩薩(日髙寺、茨城県那珂郡東海村)、福満虚空藏菩薩(圓藏寺、福島県河沼郡柳津町)が、日本三所の虚空藏菩薩といわれる。

この寺の創建年代等については諸説あって不詳であるが、縁起などによれば807年(大同2年)空海作とされる虚空蔵菩薩を安置するため、徳一が虚空蔵堂を建立したのが始めとされる。円蔵寺は虚空蔵堂(柳津虚空蔵堂)の別当寺として建立されたと伝えられる。南北朝時代の至徳年間(1384年~1387年)臨済宗に改められた。

毎年1月7日に七日堂裸まいりが行われる。

「柳津虚空蔵の裸まいり」。

正月七日の夜に行われる福満虚空藏菩薩圓藏寺の寺行事。こうこうと燃えるかがり火の中、大鐘を合図に雪の中下帯一つの男たちが菊光堂の大鰐口を目指す。これは民衆の力で只見川に棲む竜神を追い払ったという伝説にちなんだ伝統行事で、1年の幸せと無病息災を祈る行事である。

虚空蔵堂から眺める只見川。

 

このあと、近くにある「やないづ縄文館」へ向かった。

 



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