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国史跡・モヨロ貝塚。モヨロ貝塚館。網走市北1条東。
2022年6月16日(木)。
オホーツク人の生活。
この地域での稲作は当時は技術的に不可能であり、北海道北部と樺太では漁業に、北海道東部では海獣を対象とした狩猟におくなど海に依存して暮らしていた。流氷の影響を受ける道東が冬の漁業に適していなかったためと考えられている。
オホーツク人は、秋から春までは中心集落に住んで共同で大規模な漁を営み、漁が低調になる夏には各地の海岸に分散したと考えられている。
道具としては、オホーツク式土器、石器、骨角器、木器がみられる。製鉄技術が無かったため金属製品は少なく、本州との交易で入手した蕨手刀が副葬品として少数見つかった程度である。船の土製の模型から、オホーツク人が丸木舟ではなく構造船を建造していたことが分かっている。
オホーツク式土器。
オホーツク式土器は口の広い壷形で、細長い粘土紐を使った文様がみられる。細長い粘土紐は形状が素麺に似ていることから「ソーメン文」や「貼付文」とよばれている。
擦文土器と違って土器のデザインに動物のモチーフが現れる場合があるのも特徴的で、ソーメン文に加えて海鳥など動物形の模様が付けられている土器のあることが知られている。
漁労具。
秋にはホッケ、冬にはタラ、春にはニシンなどの海水魚類を対象とした網漁が行われた。アザラシ、オットセイ、トド、アシカなどの海獣も冬に得られた。夏にはカサゴ・ソイなど様々な魚を獲ったが、その量は冬より少なかった。遺物に描かれた絵から捕鯨を行っていたこともわかっている。
熊(ヒグマ)をはじめとして様々な狩猟獣を狩った。そこでは毛皮獣の比重が高く、交易用の毛皮を入手するための狩りと考えられている。