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網走市 国史跡・モヨロ貝塚・モヨロ貝塚館①オホーツク人の住居と墓

2024年08月10日 09時00分18秒 | 北海道

国史跡・モヨロ貝塚。網走市北1条東。

2022年6月16日(木)。

網走市立郷土博物館を見学したのち、網走市立郷土博物館分館のオホーツク文化遺跡・モヨロ貝塚へ向かい、12時45分頃エレベーターのある駐車場に着いた。エレベーターで昇り、道路をまたぐ橋を渡ると崖上台地に着き、正面にある「モヨロ貝塚館」と左側にある史跡・モヨロ貝塚を見学した。

オホーツク文化は、3世紀から13世紀までオホーツク海沿岸を中心とする北海道北海岸、樺太、南千島の沿海部に栄えた海洋漁猟民族の文化である。この文化の遺跡が主としてオホーツク海の沿岸に分布していることから名付けられた。このうち、北海道に分布している遺跡の年代は5世紀から9世紀までと推定されている。同時期の日本の北海道にあった続縄文文化や擦文文化とは異質の文化である。

「モヨロ貝塚」は、網走川河口左岸の海岸に近い標高5mの砂丘台地にあり、7世紀~8世紀頃の代表的な古代オホーツク文化の集落遺跡で、「オホーツク文化」の存在が日本で初めて明らかになった遺跡である。

1913年(大正2)、在野の考古学研究者米村喜男衛(よねむらきおえ)によって研究調査された。最寄貝塚の名称で国史跡に指定されている。

史跡は、現状では十数個の竪穴群と,墓地と重複した貝塚がみられる。竪穴は明治時代から知られていたが,貝塚は大正時代以降米村喜男衛らの調査研究するところとなり,1936年には,それまでの成果に基づき史跡に指定された。

住居は竪穴建物で、死者は貝塚に埋葬された。出土した土器から北海道先史時代の続縄文文化、擦文文化、その後のアイヌ文化とも異なる独自のオホーツク文化の存在を世に知らしめた。

当時,竪穴は27個残存し,南東部のオホーツク文化に属する1~14号と,北西部の続縄文時代のものとみなされる15~27号との2群をなしていた。41-42年に軍事施設の工事に伴う緊急調査,47,48年に東大,北大等の研究者の合同調査,さらに51年には補足的な調査がなされている。調査の結果,オホーツク文化の竪穴住居跡,墓地,貝塚などの遺構と,それに伴う土器,石器,骨角器,金属器,装身具などが出土し,続縄文,擦文両文化の資料もわずかに認められている。

オホーツク文化の集落は海岸のそばに置かれた。住居は竪穴建物であるが、木材や土で補強し床には粘土を敷くなどの工夫が見られた。

オホーツク文化の竪穴住居は、平面形が五角形ないし六角形で、コの字形の粘土貼り床をもち、石組み炉を有するのが基本である。

中心集落では複数の家族が生活できる大型の住居と、一つの核家族で暮らしたと思われる小型の住居があった。大型のものの大きさは長軸が10〜15mに及び、数家族が同居して海獣狩猟や漁労をおもな生業としていたと考えられている。

オホーツク文化の墓。

オホーツク文化では、墓の作り方にも独特の習慣があった。死者の顔に土器をかぶせて埋葬する風習が広く行われており、オホーツク人の墓を発掘すると上下ひっくり返った状態の土器が見つかる

貝塚からは屈葬された人骨、骨角器、土器、石器などが発掘され、海獣の骨や牙を彫った動物像や

細い優雅な線文様の土器、海獣の油の光沢をもつ土器などが発見されている。また、本州で製作されたとみられる鉄の刀や鉾大陸から持ち込まれたとみられる青銅の鈴や帯飾りなどがあることから、広範な交易があったことも想像されている。

オホーツク文化人は、5世紀にサハリン(樺太)から北海道のオホーツク海沿岸にやってきた。このオホーツク文化は日本海沿岸にも広がり、もっとも南では道南の奥尻島にも遺跡が知られている。オホーツク文化の遺跡は、オホーツク海の沿岸部にあり、この文化の人たちは「海洋の民」ともよばれている。オホーツク文化の遺跡からは、帯飾り、軟玉、小鐸、鉾などが見つかっている。これらは、アムール川(黒龍江)中下流域の靺鞨文化(4~9世紀)、同仁文化(5~10世紀)の遺跡から見つかるものと同じもので、。オホーツク文化が、サハリン(樺太)や大陸などと交易や交流をもっていたことがわかる。

モヨロ貝塚の担い手のオホーツク人は、オホーツクから千島列島、サハリン、アムール川流域を結ぶ地域で活動したニブフ民族(ギリヤーク族)ではないかといわれている。

モヨロ貝塚を中心とする北海道のオホーツク文化遺跡で発見された人骨が、現在では樺太北部やシベリアのアムール川河口一帯に住むニブフ族に最も近く、またアムール川下流域に住むウリチ、さらに現在カムチャツカ半島に暮らすイテリメン族、コリヤーク族とも祖先を共有することがDNA調査で2009年にわかった。

近年の研究で、オホーツク人がアイヌ民族と共通性があるとの研究結果も出ている。オホーツク人のなかには縄文人には無いがアイヌが持つ遺伝子のタイプであるmtDNAハプログループY遺伝子が確認され、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性も判明した。アイヌ民族は縄文人や和人にはないハプログループY遺伝子を20%の比率で持っていることが過去の調査で判明していたが、これまで関連が不明だった。

網走市立郷土博物館 フランク・ロイド・ライトの下で働いた建築家・田上義也の設計



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