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網走市 北海道立北方民族博物館①エスキモー・イヌイット アメリカ・インディアン

2024年08月06日 13時02分40秒 | 北海道

北海道立北方民族博物館。網走市字潮見。天都山・道立オホーツク公園内。

2022年6月16日(木)。

北見市のピアソン記念館を見学して、10時過ぎに網走市方面へ向かい、北海道立北方民族博物館に11時過ぎに着いた。

北方民族専門博物館はアイヌをはじめ、ロシアやアメリカ、カナダ、北欧諸国、中国など北方地域に暮らす諸民族の文化が分かる国内唯一の博物館で、常設展示室には900点を越える資料を衣食住などのテーマ別に展示。アザラシの腸で作られた衣服や白樺樹皮の船など北方民族の知恵や技術がわかる実物資料もある。

オホ-ツク文化とアイヌ文化・古代日本の文化の関係を考えさせられる。

モンゴロイドの区分

北方系古モンゴロイド

アイノイド:縄文人アイヌは典型的なアイノイドだが、オホーツク文化経由で旧アジア人種の影響もある。大和民族はアイノイドと新モンゴロイド(北部モンゴロイド、中部モンゴロイド、南部モンゴロイド)との混血。南西諸島の琉球民族はアイノイドと新モンゴロイド(南部モンゴロイド)との混血。

南方系古モンゴロイド

インドシナ人種中国南部 - 東南アジア北部のインドシナ半島(タイ人(シャム人)、クメール人、モン人(Mon)、チャム人含む)など。

インドネシア・マレー人種:インドシナ人種とオーストラロイドとの混血人種で、東南アジア中部 - 南部、台湾(高砂族など台湾原住民)、南太平洋諸島、モルディブ、ハワイ諸島、モーリシャス、マダガスカル、ニュージーランド北部、マレー人、ポリネシア人、ミクロネシア人、マオリ人など。

新モンゴロイド(弥生人・古墳人含む)

北部モンゴロイド:北アジア(シベリア、北東アジア)、中央アジア(カザフステップ)、モンゴル、朝鮮半島、ネネツ、モンゴル民族、ツングース系民族など。

中部モンゴロイド:北部モンゴロイド(騎馬遊牧民族)と漢民族との混血人種で漢民族(華北)、アイノイドと新モンゴロイドとの混血人種でチベット系民族など。

南部モンゴロイド:新モンゴロイドとインドシナ人種との混血人種で漢民族(華南、台湾人)、ベトナム人(キン族)、ヤオ族、モン人(Hmong)、ミャンマー人(ビルマ族)、カレン族、ラオス人(ラーオ族)、タイ族(シャン族)など。

旧アジア人種:シベリア東部など。旧アジア諸族の総称。ユカギール人、チュクチ人、ギリヤーク人(ニヴフ)など。

エスキモー人種(イヌイット、アレウト):旧アジア人種とほぼ同様である。シベリア東端部、北アメリカ北端部(グリーンランド含む)など。

アメリンドアメリカ先住民(ケット人含む)

 

イヌイトの竪穴住居。原寸大復元。

この竪穴住居は、アラスカ最北端のポイント・バロー~ポイント・ホープにかけての海岸地域で、主に海獣狩猟によって生活してきたイヌイトの伝統的な冬の住居をほぼ原寸大で復元したもの。向かって左側が地下通路(トンネル)で、4.7m、右側が地上にある主室(生活するところ)で、面積8.6㎡(約5畳)とし、5名ほどが暮らせる住居として造った。実際の住居では、通路が5m~9m、主室面積が4㎡~13㎡と様々で、大きな住居では、10名程度が暮らすことができたという。

屋根には流木やクジラの骨を用い、保温や防風のため、その上に土をかぶせてある。

エスキモーEskimoとイヌイットInnuit

極北の狩猟民。約9万人の人口が、西はシベリアのチュコト半島から東はグリーンランドにかけての、高緯度地帯に分布している。この分布帯はほとんどが森林限界以北のツンドラで、エスキモーの先史遺跡の分布もほぼこれと重なる。国籍別にその内訳をみると、ロシア領に約1200人、アメリカ領に約3万4000人、カナダ領に約1万8000人、デンマーク領に約4万1000人である。

エスキモーは形質的には比較的均質で、アジア・モンゴロイドの特徴を多く備えている。エスキモーは寒冷適応した新モンゴロイドに属す。これは他の多くのアメリカ先住民とは異なる。エスキモーに高頻度にみられる遺伝子はハプログループQ (Y染色体)であり、これはアメリカ先住民で広く高頻度な系統である。

カナダでは「エスキモー」を差別語として、「人間」を意味する自称「イヌイット」を公称としている。

また「イヌイット」はグリーンランドからカナダ、北アラスカにかけて分布する集団に限られており、他の集団では「ユッピック」「イヌピアック」などの自称を用いている。

さらにグリーンランドやアラスカの先住民は「エスキモー」とよばれることを嫌わず、一部ではむしろ「イヌイット」とよばれることを嫌う。

エスキモー文化の起源は、現在でも定説をみるに至っていない。考古学的には、概略して以下のことがいえるようである。

エスキモーとアリュート(アレウト)人の共通祖先は紀元前8000年以降の数千年の間、パレオ極北伝統とよばれるシベリア起源の石器文化の担い手であった。

前4000年ごろになって二つの方向の変化がみられ、アラスカとカナダでは北方アルカイック伝統とよばれる先史文化が生まれて、アリューシャン列島の文化としだいに分岐する。この分岐は言語年代学の推定するエスキモー語とアリュート(アレウト)語の分岐にほぼ対応している。

前1000年ごろからドーセット伝統とよばれる氷結した海岸での狩猟に適応した文化が、アラスカ北部からグリーンランドまで急速に展開した。

同じころアラスカ西方ではノートン伝統とよばれる海獣狩猟に依存した文化が生まれた。

紀元後ベーリング海峡地域にクジラ猟を伴うテューレ伝統の文化が生まれ東西に展開した。

トゥーレ人は、原始イヌイットとよばれ、現代のイヌイット系民族の祖先である。BC200年にはベーリング海峡に存在し、AD1000年までにアラスカ沿岸に分布を展開し、カナダ北部を東に向かって拡大、13世紀までにグリーンランドに到達した。その過程で、先住の初期ドーセット文化人に取って代わった。

エスキモーは大別して三つの生態型に分けられる。(1)海岸でアザラシ、クジラ、セイウチなどの海獣を主として狩猟するグループ、(2)内陸でカリブー狩猟やサケ漁を行うグループ、(3)内陸―海岸の狩猟の双方を行うグループである。

社会は高度に組織化されることはない。分業はおもに性の原理に基づき、男が狩猟によって妻子や労働能力のない親族を養い、女は縫い物や料理を分担する。階層的分化も一部の地域を除いてはみられず、判断力に優れた者が政治的リーダーとなる程度である。

人々の日常生活は、複数の核家族の集団であるバンドを単位としている。子供は父方、母方の双方に等しく帰属(双系出自)し、クランやリネージのような単系血縁集団は形成しない

エスキモーは、人間や動物だけでなく鉱物のような無生物、あるいは睡眠や食事といった行為にも、イヌアとよばれる本質の存在を認めていた。エスキモーは狩猟において動物のイヌアと関係することになり、これを傷つけないようデリケートな配慮が要求されるのである。さまざまな狩猟儀礼や入念なタブー・システムの存在理由もそこにある。

木製雪眼鏡 エスキモー 米国/アラスカ 1890-1930年 8.5㎝

Snow Goggles Eskimo U.S.A./ Alaska

極北の長い冬が終わり、陽射しが高くなるにつれて、雪原の照り返しが強くなる。このような季節には、紫外線から目を保護する必要がある。狩猟や旅行では長い時間、雪原や氷上で行動するため、エスキモーは木や骨などを利用してこのようなスリット状の穴を開けた雪眼鏡を作り目を守ってきた。

日本の遮光器土偶の名称に使われた遮光器がこの雪眼鏡のことである。

トーテムポールはもともとは、北アメリカの北西海岸インディアンがつくる彫刻柱のことで、そこには家の所属する集団が所有する紋章としての動物や、神話に登場する人物が刻まれている。

種類としては、家のそばに独立して高くそびえる「独立柱」、死者の墓地に立てる「墓柱」、家の正面の壁にはめ込んである「入口柱」と「家柱(ハウスポスト)」の4つがある。

ヌートカ族 Nootka

北アメリカ北西部,カナダのバンクーバー島南西岸,ケープフラテリー,ワシントン州北端に住むアメリカインディアンの一民族。言語はワカシュ語族に属する。文化的にはクワキウトル族と関係をもつ。北部の人々は比較的大きな集団を形成し,冬は本拠地の村に住み,狩猟や漁労のための季節的移動を行う。捕鯨民で,大きな丸木舟,長い紐のついた銛 (もり) ,アザラシ皮の浮きなどを用い,銛撃ちを行う者の地位は高い。またクジラに関する儀礼の特徴はアレウト族やエスキモー文化との関連を示す。シャーマンダンスやポトラッチは彼らの重要な儀礼である。

北アメリカの語族には,エスキモー=アレウト語族,オジブワ語,ヌートカ語などのアルゴンキン=ワカシュ語族,ナバホ語などのアサバスカン語族,チェロキー語などのイロコイ語族,チヌック語などのペヌティ語族,さらにホカ語族などがある。

彩色彫刻付木製ゆりかご(板)Cradle Board

イロクォイインディアン/モホークIroquoi/Mohawk

1888年 l.68.0xw.27.5xh.32.0 木 爪[アザラシ]

額にかけたひも等で、子どもを背中あわせに背負える板状の揺籠である。頭を保護するためのひさしが取り付けられており、子どもは専用の皮(あるいは布)袋に入れてくくりつけられる。

普段はテント等に立てかけて置かれる。板にしばりつけるこの形は、インディアンに広く用いられている。

イロコイ。Iroquois。

アメリカ合衆国北東部ニューヨーク州にもとは住んでいた先住民集団(アメリカ・インディアン)。現在は合衆国とカナダに分かれて住む。「イロクォイ」とするのがより正確な表記である。人口は合衆国だけで6万人以上。言語はマクロ・スー大語族に含まれるイロコイ語。

イロコイという名称は、16世紀に成立した歴史上名高いイロコイ同盟(イロコイ連邦)に参加したセネカSeneca、ケユーガCayuga、オナンダーガOnondaga、オナイダOneida、モホークMohawkの5部族(のちにタスカローラTascaroraを加えて6部族)の総称である。イロコイ語を話す部族ではあっても、同盟と敵対したヒューロンHuronやチェロキーCherokeeはこれと区別される。この連邦の成立は、14世紀ごろと民族学者の間では推測されている。

18世紀にイロコイ同盟が解体したため、カナダと合衆国の先住民居留地に分かれて住むことになった。

物質文化は、北に境界を接するアルゴンキン系の狩猟民族との共通点が多いが、主生業はトウモロコシ、豆、カボチャを中心とする定着農業で、南東部及び中央部先住民文化との強い類似性を示している。農耕はもっぱら女性の仕事であり、男性は狩猟や戦争に従事していた

伝統的な住居は長屋(ロングハウス)であり、一つの世帯をなす母系拡大家族が住んでいた。一つの村の中には複数の母系拡大家族が集まった母系出自集団、リネージがあり、いくつもの村に分散した母系リネージが集まって、母系クラン(氏族)が形成されていた。結婚制度はクラン外婚であり、結婚した男は村を出て妻のほうに行って住んだ。

イロコイ同盟には各部族から選ばれたセイチェムとよばれる代表者50人からなる大協議会があった。いくつかの特定のクランまたはリネージにセイチェムを選出する権利があり、女性たちが指名に際して大きな発言権をもっていた。そのほか、戦争で勲功をあげた戦士に与えられる「松の木首長」という称号があり、松の木首長たちは戦争における戦士団のリーダーであった。

モホーク族(Mohawk、別名カニエンケハカ、Kanienkehaka(火打石の人々))

狩猟をし、トウモロコシやカボチャや豆を耕す農耕民族で 樹皮張りの長屋に住居していたため、「ロングハウスの人々」を意味したホーデノショーニー(Haudenosaunee)とも言われた。モホーク刈り(モヒカン刈りとも呼ばれる)と呼ばれる独特の髪型をしていることでも知られている。

 



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