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ゲノム解析による東南アジアと日本列島における人類集団の起源 2018年  金沢大学

2024年05月27日 09時31分35秒 | 歴史

最先端技術を用いた古人骨全ゲノム解析から東南アジアと日本列島における人類集団の起源の詳細を解明

2018年(平成30年)7月9日  金沢大学 

 

金沢大学の覺張隆史特任助教(人間社会研究域附属国際文化資源学研究センター),佐藤丈寛助教および田嶋敦教授(医薬保健研究域医学系・革新ゲノム情報学分野)は,コペンハーゲン大学が中心となって進めている古代ゲノム研究の国際研究チームと共に,日本列島の縄文時代遺跡や東南アジアから出土した古人骨 26 個体のゲノム解析(※1)を実施し,今日の東南アジアで生活する人々の起源と過去の拡散過程を解明しました。

今回,ゲノム解読がなされた縄文人骨は,愛知県田原市の伊川津(いかわづ)貝塚遺跡(※2)から出土した約 2 千 500 年前の縄文晩期の女性人骨(※3)で,縄文人の全ゲノム配列(※4)を解読した例としては世界で初めての公表となります。

この縄文人骨 1 個体の全ゲノム配列をもとに,現代の東アジア人,東南アジア人,8〜2千年前の東南アジア人など 80を超える人類集団や世界各地の人類集団のゲノムの比較解析を実施した結果,現在のラオスに約 8 千年前にいた狩猟採集民の古人骨と日本列島にいた約 2 千 500 年前の一人の女性のゲノムがよく似ていることが分かりました。

 

本論文で国際共同研究チームは,DNA の保存環境として最も悪い東南アジアの遺跡出土人骨 25 個体と日本の縄文人骨 1 個体の計 26 個体の古人骨から DNA 抽出を実施し,ゲノム配列決定に成功しました。得られた古人骨ゲノムデータと世界各地の現代人集団のゲノムデータを比較した結果,東南アジアに居住していた先史時代の人々は,6 つのグループに分類できることが分かりました(図 3)。

図 古人骨ゲノムデータから復元された人の拡散ルート

グループ 1現代のアンダマン諸島のオンゲ族やジャラワ族,マレー半島のジャハイ族と遺伝的に近い集団で,ラオスの Pha Faen 遺跡(約 8 千年前)から出土したホアビン文化という狩猟採集民の文化を持つ古人骨と,マレーシアの Gua Cha 遺跡(約 4 千年前)の古人骨がそのグループに分類されました。また,このグループ 1 に分類された古人骨のゲノム配列の一部は,驚くことに日本の愛知県田原市にある伊川津貝塚から出土した縄文人(成人女性)のゲノム配列に類似していたことが分かりました。さらに,伊川津縄文人ゲノムは,現代日本人ゲノムに一部受け継がれていることも判明しました。

 

一方,他のグループ 2〜6 は農耕文化が始まる新石器時代から約 500 年前までの古人骨で,ホアビン文化の古人骨とは遺伝的に大きく異なっており,それぞれ異なる拡散と遺伝的交流(すなわち混血)の歴史を持っていることが分かってきました。グループ 2はムラブリ族などの現代オーストロアジア語族と遺伝的に近く,現代東アジア集団とは遺伝的な構成要素をあまり共有していないことが分かりました。さらにグループ 1 と東アジア集団が分かれた後に,グループ 1 からグループ 2 への混血の痕跡が見つかりました。また,グループ 3現代東南アジア集団のタイ・カダイ語族やオーストロネシア語族と遺伝的に近く,グループ 4現代の中国南部地域の人々と遺伝的に近いことも分かりました。さらに,グループ 5 は,現代のインドネシア西部の人々と遺伝的に近く,グループ 6 は,いわゆる旧人に分類される古代型人類であるデニソワ人からの部分的な混血の痕跡なども見られました。

 

このように,部分的には中国南部の少数民族からの遺伝的な影響があったり,台湾などの地域へも遺伝的なつながりがあったりと,新石器時代の東南アジアの人々は単純に元々住んでいた狩猟採集民がそのまま農耕を取り入れたという静的な状態ではなく,大陸内と島嶼部で複数の大きな移住の過程で徐々に農耕を取り入れて行ったことが分かってきました。

 

従来の考古学的な視点からは,これらの時期には稲作・雑穀などの農耕文化を持つ人類集団が東南アジアに多数入植して原住民と置き換わったというシンプルな「2 層構造仮説」が提唱されてきました。本研究成果では,すでに稲作文化を持っていた中国南部からの遺伝的な影響は部分的で,人々が完全に置き換わったということではないことが判明しました。その大きな移住の波が少なくとも 4 回以上はあったことが解析の結果分かってきたことから,このような東南アジアの人々の移動を「複合モデル」という新しい枠組みで捉え直すことになりました。

本研究は,考古遺物でしか人類の拡散の議論ができないと従来考えられてきた東南アジア地域において,古人骨のゲノム分析により人類の拡散を解明した初の成功例になりました。今後,同様の分析を様々な地域に応用することで,各地域の詳細な人類の移動史を科学的に評価することが可能になったことが,本研究の最も大きな成果といえます

 

※2 伊川津(いかわづ)貝塚遺跡

愛知県田原市に位置する縄文時代後晩期の貝塚遺跡。明治期から現代までに200体以上の人骨が検出されている日本で最も代表的な縄文時代遺跡。小金井良精や鈴木尚など著名な人類学者が人骨の形態学的な研究を進めてきた。同市は,他にも,吉胡貝塚,保美貝塚などの縄文時代を代表する貝塚が古くから調査されており,各遺跡から非常に多くの人骨が検出されている。

※3 約2千500年前の縄文晩期の女性人骨

2010年度に伊川津貝塚から出土した縄文人骨。近年の研究では,日本列島における弥生時代の開始は3000年前とされているが,弥生文化の到来時期は地域ごとに異なる。今回の伊川津貝塚出土の成人女性人骨は共伴した土器などから,五貫森式土器の時期のものと判明しており,渥美半島においてこの時期はまだ縄文時代の文化を残している。また,分析対象となった女性人骨は形態学的に典型的な縄文人の特徴を有していた。



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