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名古屋市 名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」②重要文化財の古刀

2024年05月01日 22時10分09秒 | 愛知県

名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」。名古屋市中区栄3丁目。

2024年5月1日(水)。

名古屋刀剣博物館は、栄タワーヒルズ本館の2・3階部分と隣接する「北館」の2階から4階部分から成り、常設展示室が2階、企画展示室が3階の本館・北館をつないだ平面になっており、北館の4階が特別展示室になっている

日本刀約550振を収蔵する日本最大級の刀剣博物館であり、収蔵品には国宝1件、重要文化財10件、重要美術品46件、特別重要刀剣62件の日本刀が含まれている。

コレクションは、東建コーポレーション創業者で財団代表理事の左右田稔が40年以上にわたり収集してきた日本刀と甲冑を中心に構成され、その他、火縄銃、馬具、陣笠、弓矢、浮世絵等の美術品を収蔵する。

展示室には、国宝や重要文化財、重要美術品をはじめとした最大200振の日本刀と約50領の甲冑、浮世絵150点、火縄銃・古式西洋銃250挺が常設展示されている。

さらに、甲冑・陣羽織・弓矢などを展示する「甲冑展示ゾーン」、甲冑武者・騎馬武者の人形と写真が撮影できる「甲冑武者ゾーン」、インタラクティブ映像を導入した壁3面の「映像シアター」がある。日本刀を月替わりで展示する「和カフェ&レストラン〔有楽〕」では、甘味や軽食、ドリンクを提供。日本刀・歴史についての書籍も自由に読むことができる。

2階 - 常設展示室。「太刀 銘 豊後国行平作」などの日本刀を解説付きで展示。

3階 - 企画展示室。日本刀、浮世絵、戦国武将の書状を展示。

4階 - 特別展示室で「名古屋刀剣ワールド」の目玉部分。国宝「有楽来国光」、重要文化財の日本刀などが展示。

5階 - 資料室。

6階 - 畳敷きの学習室は120インチのスクリーン・プロジェクター・日本刀鑑賞用照明などを完備。日本刀の鑑賞会、イベント、講演に利用できる。茶室としても使える。

7階 - 7階は屋上を活用して、黒を基調とした和風の屋上庭園となっている。

重要文化財(旧国宝)太刀 銘 備州長船住景光 鎌倉時代

「太刀 銘 備州長船住景光」は、鎌倉時代末期に備前国(現在の岡山県東部)で活躍した刀工「長船景光」(おさふねかげみつ)が制作した太刀

本太刀は、徳川宗家16代当主「徳川家達」(いえさと)が所有していた太刀です。徳川家達は、「徳川御三卿」のひとつ「田安徳川家」に生まれ、13代将軍「徳川家定」や14代将軍「徳川家茂」の血筋と近かったことから、将軍職の最有力候補として期待されていました。しかし、徳川家茂が20歳で没した当時、徳川家達はわずか4歳。幼い徳川家達に代わって15代将軍に任じられたのは「徳川慶喜」でした。徳川家達は、のちに明治政府から徳川宗家を継ぐように命じられ、徳川宗家16代当主になります。

本太刀は戦後、徳川家から離れる際、但し書きに「権現様より伝わる太刀」と記載されました。「権現様」とは、一般に「徳川家康」のことを指すため、本太刀は徳川家康の愛刀であったと推測されます。なお、本太刀には「鶴足革包研出葵紋散 御召鐺鞘 打刀拵」(つるあしかわつつみとぎだしあおいもんちらし おめしこじりさや うちがたなごしらえ)という拵が附属しており、この拵の鞘(さや)や頭(かしら:柄[つか]の先端部を保護する金具)には徳川家の家紋である「三つ葉葵」(みつばあおい)が入れられている点や、徳川家の名刀「武蔵正宗」の拵と、ほとんど同一の意匠である点などから、本太刀が徳川家伝来の刀であることは確かです。

制作者である景光は、古来、刀剣の産地として名高い備前国東部の吉井川流域に居住し、鎌倉時代に栄えた刀工一派「長船派」の名匠です。景光の祖父は、長船派の実質的祖である「光忠」(みつただ)。同じく父は、初代「長光」で、景光は「左兵衛尉」(さひょうえのじょう)と称し、鎌倉時代末期に活躍しました。長船派のなかで「もっとも地鉄(じがね)が美しい」と評された刀工であり、刀の他に薙刀(なぎなた)などの作が多く現存しています。

景光の作の特徴は、小板目肌がよく詰んでいる点や、刃文(はもん)に景光が創始したと言われる「片落ち互の目」(かたおちぐのめ)が表れる点。本太刀は、鎬造り(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね)、腰反りは浅く、身幅(みはば)、長さ共に景光らしい1振です。地鉄は、景光の特色である小板目肌が細かに沸、乱映りが見られます。刃文は、小互の目乱れで、足、葉入る匂出来の作風。鍛えの良さでは先代である父・長光を凌ぐと評された景光の特徴がよく表れた1振です。

刀 無銘 貞宗(尾張徳川家伝来)南北朝時代

鎌倉時代末期から南北朝時代初期にわたって活躍した名工・貞宗、通称彦四郎は、正宗の直系であり、正宗の養子となって、佐兵衛尉に任じられました。

南北朝の典型的な体配(たいはい)で、鍛えは小板目(こいため)に地景(ちけい)入り、地沸(じにえ)厚く、刃文は湾れ(のたれ)に足(あし)繁く入り、金筋(きんすじ)・砂流し(すながし)しきりに入り、刃中明るく、匂(におい)深く小沸が良く付きます。

師である正宗の作風には、実戦的ななかにも華やかさや美しさが備わっていますが、貞宗の刀には、さらに堂々たる風情が姿に加わります。しかし、刃文は穏やかで、それ程華美というわけではありません。その内実には静かな働きを示し、奥ゆかしさすら感じさせます。

そのなかでも美しく冴える精巧な地鉄は、鍛え方に正宗をしのぐ仕上がりが見られ、その肌合いには、深淵の底を覗き見たときに感じられるような、ある種の迫力さえも漂わせています。また、沸については、うっすらと積もった雪のように、控えめな程に細かい粒子が、刃表に揃って付いています。

本刀は、尾張徳川家に伝来し、重要文化財に指定されています。

重要文化財 刀 無銘 伝国俊 鎌倉時代 中期

本刀は磨上げられているために無銘になっていますが、身幅(みはば)は広く、鋒/切先(きっさき)は猪首(いくび)ごころで豪壮な姿になっています。また、鍛えは小板目がよく詰み、地沸(じにえ)がこまかに付いた地鉄(じがね)には、映りが淡く立っています。刃文(はもん)は、焼幅が広く浅く湾れ(のたれ)て、丁子(ちょうじ)や小乱が交じり、小足・葉がしきりに入るだけでなく、小沸も付いています。

刃文から、「来国行」(らいくにゆき)、あるいは「国俊」の作品と鑑せられたものの、乱れ込んだ帽子により国俊の手による刀と考えられています

国俊は、来国行の子で、鎌倉時代中期以降に山城国(やましろのくに:現在の京都府)で栄えた「来派」を代表する名工です。直刃(すぐは)を得意とする来一門の中にあって、華やかな丁子乱(ちょうじみだれ)を焼き、豪壮な刀姿を表現したのが特徴。銘には「国俊」とした二字のものと、「来国俊」(らいくにとし)の三字があり、作風に違いが見られるため、同人説と別人説の両方があります。

本刀は二字銘を切った「二字国俊」(にじくにとし)の極めと伝わっており、地刃の出来栄えや健全さにおいて、在銘の二字国俊と比しても特に優れ、右に出るものはほとんどありません。

重要文化財 太刀 銘 備州長船住成家 南北朝時代 中期

「成家」は、南北朝時代に備前国長船(現在の岡山県瀬戸内市)で活動した刀工です。「伊達政宗」の愛刀「くろんぼ切」を鍛えた「初代 景秀」(かげひで)の孫と伝えられています。

「成家」を名乗る刀工は室町時代にわたり複数存在しますが、本太刀を手掛けた成家はその初代にあたる刀工です。

南北朝時代、「長船兼光」(おさふねかねみつ)系統以外の刀工を備前国では「小反り派」と呼び、成家は小反り派を代表する刀工のひとりでした。

本太刀は南北朝時代の長船物の中では少ない、逆がかった丁子乱れ(ちょうじみだれ)を焼いています。小板目肌が詰み、乱映りよく立つ鍛えに、刃文は丁子に互の目(ぐのめ)交じり、足・葉(よう)が頻り(しきり)に入り、総体に逆がかり匂口(においぐち)は締まりごころ。中反り(なかぞり)で身幅の広い、堂々たる刀姿が目を惹きます。

成家の作品では、最も出来栄えが優れているとされ、地刃共に健全です。

重要文化財 刀 無銘 吉岡一文字 鎌倉時代

本刀に銘はありませんが、作者は「吉岡一文字派」を代表する刀工「助光」(すけみつ)とされています。

「吉岡一文字」は、吉井川左岸の赤磐郡吉岡(現在の岡山県久米郡)で活動した刀工一派で、開祖は「助吉」(すけよし)。一族は刀工名の頭に「助」の字を用いており、助光は開祖である助吉の孫、または曽孫と伝えられる名工です。

助光の作風としては、匂出来(においでき:匂が刃文全体を 覆うような様)で焼き幅の広い丁子乱(ちょうじみだれ)や大丁子乱の刃文が印象的。地鉄(じがね)は細かい杢目肌(もくめはだ)に、地沸(じにえ)が付き、乱映り(みだれうつり)が立ちます。

本刀で一番に目を惹くのは、鋒/切先(きっさき)の伸びた堂々たる姿。刃文は大丁子乱に互の目乱(ぐのめみだれ)、逆心のある乱れが交じり、刃中の働きも豊かで、乱映りが現われています。

吉岡一文字派の中でも群を抜くという助光の面目躍如たる傑作刀です。

重要刀剣 刀 無銘 伝安綱 平安時代

本刀は、公家の名門「西園寺家」伝来の名刀です。

西園寺本家は、清華家(せいがけ:太政大臣にまで昇格できる公家の家格)のひとつ。「藤原北家閑院流」)に発する「藤原通季」(みちすえ)を祖とし、通季の曾孫・公経(きんつね)が、京都北山に西園寺を営んだことから、これを家名としました。また、西園寺家は琵琶の家としても有名です。

さらに、公経は源頼朝の姪一条全子(まさこ)を妻としていたため、鎌倉幕府と密接な関係を持っていました。

しかし、「後醍醐天皇」による「建武の新政」)によって、鎌倉幕府は倒され、幕府の後ろ盾を失った西園寺一族は、伊予国南西部の宇和郡一帯に逃れます。その後、西園寺家庶流の「西園寺公良」(きんよし)が勢力を持ち、8代にわたって同地を支配しました。

1584年(天正12年)、「長曾我部元親」の侵攻により、「西園寺公広」(きんひろ)は降伏。豊臣家の家臣「戸田勝隆」(かつたか)が宇和領主となり、行き場を失った公広は、1587年(天正15年)に勝隆によって殺害され、伊予西園寺家は滅亡しました。その後、本刀は「豊臣秀吉」に献上され、秀吉からもとの西園寺本家に戻されています。

「安綱」は、在銘日本刀の初期の実在者として、刀剣研究には忘れてはならない重要な存在であり、「童子切安綱」(どうじぎりやすつな)をはじめ、比較的多くの作品を残しているのです。

本刀は、大磨上無銘でありますが、その鍛えは板目に大板目が交じって肌立ち、刃文は小乱れに小丁子(ちょうじ)が交じり、刃縁はほつれ、総体に沸(にえ)は厚く付き、砂流し・金筋がかかり、湯走りが入るなど、古風で優雅さが感じられる地刃に、同工の特色がよく現れています。

 

名古屋市 名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」①国宝「短刀 銘 来国光(名物 有楽来国光)」


名古屋市 名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」①国宝「短刀 銘 来国光(名物 有楽来国光)」

2024年05月01日 18時18分56秒 | 愛知県

名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」。名古屋市中区栄3丁目。

2024年5月1日(水)。

名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」が本日10時に開館した。開館前に着きたいとは思っていたが、自宅を出るのが遅くなり、地下鉄矢場町駅から10分余り歩いて10時15分ごろに北館入口前に着いたときには50人ほどが並んでいた。

前日HPを見ていたので入館券自販機の列だと気付き、係員に障害者だと申告すると自販機横のカウンターに案内され、すぐ無料の入館券を渡されたので、横のエレベーターに乗り込み、2階の常設展示室で降りようしたが、考え直して4階の特別展示室から先に見ることにした。

特別展「三英傑の名刀 ~徳川家の刀剣~」が、2024年7月28日 (日)まで開催されている。開館を記念し、所蔵する500振以上の刀剣のなかから国宝・重要文化財など95振を一挙公開。織田信長や豊臣秀吉、徳川家康などの戦国武将や、「短刀 銘 備州長船住長義」や「短刀 銘 来国光(名物塩川来国光)」などと言った大名家に伝わってきた貴重な名刀の数々が展示されている。

博物館所有の国宝は「短刀 銘 来国光(名物 有楽来国光)」1点しかない。織田有楽に縁がある私にとっては、見ておかねばならない国宝である。予想どおり、まだ3人ほどしか特別展示室にはいなかったので、時間をとって撮影することができた。その後、時間がたつごとに、来場者が多くなっていった。

国宝 短刀 銘 来国光(名物 有楽来国光)。長さ27.7cm。山城伝(山城国/京都府)。

本短刀は、「織田信長」の末弟で、武将の「織田有楽斎(織田長益)」(うらくさい[ながます])が、「豊臣秀頼」から拝領した「名物 有楽来国光」と呼ばれる国宝の1振です。

長益/有楽斎は、信長と違って、病弱で大人しい性格。戦に出るよりも和解交渉など、参謀(さんぼう:幕僚として、作戦に参与し補佐すること)を得意としました。

信長亡きあとは、「豊臣秀吉」に仕え、御伽衆(おとぎしゅう:話し相手)に抜擢。同年、43歳で剃髪します。信長の弟として生まれ、楽な人生ではなかったからと、当初は「無楽斎」(むらくさい)と名乗ろうとしましたが、秀吉に「あなたの人生は無楽ではないよ、有楽にせよ」と言われて、「有楽斎」にしたと言われています。

参謀のひとつとして、幼少の頃から「茶道」を身に付け、さらに「千利休」(せんのりきゅう)に学んで極め、晩年は独自の流派、武家茶道「有楽流」(うらくりゅう)を興したことでも有名です。なお、諸説ありますが、東京の「有楽町」という地名は、有楽斎の屋敷があったことに由来しています。秀吉亡きあとも、得意の交渉能力を発揮し、「関ヶ原の戦い」では「徳川家康」に付き、「大坂冬の陣」では淀君の叔父として豊臣家に付くなど、激しい乱世を生き抜きました。

本短刀を制作したのは、「来国光」。鎌倉時代末期に、山城国(現在の京都市)で活躍した名工です。

刃文は互の目(ぐのめ)交じりの大丁子乱れで、とても華やか。地鉄(じがね)は流麗精細な小板目肌。身幅が広く、重ねも厚く覇気があり、豪壮な体配ながら、荘厳な高みに到達した凛とした品格を伴っています。差表(さしおもて)に素剣(そけん/すけん:不動明王の化身である剣の図)が彫られているのも特徴です。

1930年(昭和5年)には国宝に指定され、「享保名物帳」には、五千貫(現在の価格で約3.7億円)と記載された逸品。長益/有楽斎所持後は、刀剣鑑定の名家「本阿弥光甫」の取次で「前田利常」が求め、長く加賀百万石の前田家に伝来した、由緒正しい名刀です。

ネットの「刀剣ワールド」は歴史の記事が詳しいので重宝していた。その運営主体である名古屋刀剣博物館は、当初は2020年6月に開館する予定であり、その半年ほど前から告知されていたので、開館したら行くつもりにしていた。しかし、新型コロナの感染拡大に伴い延期され、さらに2023年に開館する予定も展示室が満足できなかったのか増設工事のため延期されていたので、いつ開館するのか分からなくなっていた。しかし、5月1日からの開館が、1週間ほど前から大量のテレビCMにより告知されたので、ようやくと思った。

名古屋刀剣博物館は、東建コーポレーションヘラルドシネプラザの跡地に建設したホテル型高級賃貸マンションの「栄タワーヒルズ」の敷地内に併設した博物館ということで、中学・高校時代にヘラルドシネマで映画を見た記憶がよみがえってきた。

博物館は栄タワーヒルズ本館の2・3階部分と隣接する「北館」の2階から4階部分から成り、常設展示室が2階、企画展示室が3階の本館・北館をつないだ平面になっており、北館の4階が特別展示室になっている。各室は階段により繋がっているが、増築された旅館のようで分かりにくい。

日本刀約550振を収蔵する日本最大級の刀剣博物館であり、2023年11月時点で、収蔵品には国宝1件、重要文化財10件、重要美術品46件、特別重要刀剣62件の日本刀が含まれている。

コレクションは、東建コーポレーション創業者で財団代表理事の左右田稔が40年以上にわたり収集してきた日本刀と甲冑を中心に構成され、その他、火縄銃、馬具、陣笠、弓矢、浮世絵等の美術品を収蔵する。展示室には、国宝や重要文化財、重要美術品をはじめとした最大200振の日本刀と約50領の甲冑、浮世絵150点、火縄銃・古式西洋銃250挺を常設展示する。

甲冑・陣羽織・弓矢などを展示する「甲冑展示ゾーン」、甲冑武者・騎馬武者の人形と写真が撮影できる「甲冑武者ゾーン」、インタラクティブ映像を導入した壁3面の「映像シアター」がある。日本刀を月替わりで展示する「和カフェ&レストラン〔有楽〕」では、甘味や軽食、ドリンクを提供。日本刀・歴史についての書籍も自由に読むことができる。

2階 - 常設展示室。「太刀 銘 豊後国行平作」などの日本刀を解説付きで展示。

3階 - 企画展示室。日本刀、浮世絵、戦国武将の書状を展示。

4階 - 特別展示室で「名古屋刀剣ワールド」の目玉部分。国宝「有楽来国光」、重要文化財の日本刀などを展示。

5階 - 資料室。

6階 - 畳敷きの学習室は120インチのスクリーン・プロジェクター・日本刀鑑賞用照明などを完備。日本刀の鑑賞会、イベント、講演に利用できる。茶室としても使える。

7階 - 7階は屋上を活用して、黒を基調とした和風の屋上庭園となっている。

刀 無銘 景光 織田弾正忠信秀摺上之。

「刀 無銘 景光 織田弾正忠信秀摺上之」を所持していたのは、天下人・「織田信長」の父であり、「尾張の虎」と称された武将「織田信秀」。室町時代末期、尾張国の下級武士だったにもかかわらず、着々と領地を拡大し、織田信長が天下を取る基盤を築きました。織田信秀没後、本刀は織田信長に引き継がれたと考えられます

本刀を作刀した長船景光(おさふねかげみつ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した刀工です。祖父は長船派の祖である光忠(みつただ)、父は長光(ながみつ)。景光の作風は、父・長光よりも穏やかな刃文(はもん)ですが、品格があり長船派で地鉄(じがね)が一番美しいと称されています。焼き刃にも工夫し、片落互の目(かたおちぐのめ)の刃文を創始しました。また、刀身彫刻(とうしんちょうこく)の名手で、梵字(ぼんじ)などの宗教的な彫物を施した作品が見られます。

姿は、浅く腰反り、中鋒/中切先。地鉄は、小板目肌(こいためはだ)がよく詰んでいて、地沸(じにえ)が細かく付き、乱映り(みだれうつり)鮮明に立ちます。刃文は、直刃調(すぐはちょう)に小丁子(こちょうじ)、小互の目(ぐのめ)を交じえ、逆足(さかあし)、葉(よう)がよく入り、匂口(においぐち)は締り、帽子(ぼうし)は「三作帽子」(さんさくぼうし)。三作帽子は、横手から浅く湾れ込んで先が小丸に返る帽子で、鎌倉時代の中後期の長船派を代表する刀工「長船三作」(おさふねさんさく:長光、景光、真長の3人)に共通した特徴です。彫物は表裏に棒樋(ぼうひ)の搔流しがあります。

茎(なかご)は大磨上げ、栗尻(くりじり)、鑢目(やすりめ)は切り、目釘穴はひとつ。大磨上げにより無銘ですが、景光の特徴が随所に見られる名刀です。差表に刻まれている「織田弾正忠信秀摺上之」の切付銘は、織田信秀の時代ではなくあとに切られたものと見られます。

短刀 銘 来国光(名物塩川来国光)

「享保名物帳」に、「代金百枚 信長公の御時、江州塩川殿所持。後本多美濃守所持」とあり、本短刀は、織田信長が尾州名古屋を統治していた時代、塩川伯耆守国満(しおかわほうきのかみくにみつ)が所持していたことから「塩川来国光」と名付けられています。

のちに本多美濃守忠政(ほんだみののかみただまさ)が入手し、播州姫路藩・本多家に伝来しました。本多忠政は、本多忠勝(ほんだただかつ:徳川四天王のひとり)の長男です。家督を継いで桑名藩2代藩主となり、次いで播磨姫路藩初代藩主になりました。

来国光は、来国俊の嫡子と言うのが通説ですが諸説あり、来派の中で最も作刀していた期間が長いのが特徴。鎌倉時代末期から南北朝時代初期に、京都で活躍した名工です。

短刀 銘 備州長船住長義

「名物」と評される本短刀は、別名「大坂長義」とも呼ばれ、長義を代表する1振です。「大坂長義」の名前の由来については諸説ありますが、「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)の愛刀であった本短刀を、秀吉の家臣であり古くからの親しい間柄にもあった大名「前田利家」(まえだとしいえ)が、大坂城内にて拝領したからという説があります。

それ以来、本短刀は加賀(かが:現在の石川県南部)前田家の家宝として、同家に長く伝来しました。

長義は、日本刀中興の祖と称され、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて活躍した名工「正宗」の10人の高弟、いわゆる「正宗十哲」(まさむねじってつ)のひとりに数えられています。

しかし、長義の現存作の中では、本短刀が作られた正平15年(1360年)、すなわち南北朝時代中期の刀が最も古いため、正宗との直接的な関係があったかどうかは、定かにはなっていません。

長義の作風は、覇気に満ちた豪壮な姿に、相州備前の名にふさわしい地刃の沸(にえ)の強さが最大の特徴。本短刀においても、鍛えは板目肌立ちごころに地沸(じにえ)が付き、刃文も大乱れで足・葉が入り、沸がよく付き、砂流し・金筋がかかるなど、長義らしい華やかさが溢れる1振です。


金子勝 日本衰退の本質 ここまで産業衰退した日本に未来はあるか 分散型システムを徹底し、「不安」を取り除け

2024年05月01日 09時16分32秒 | 社会

ここまで産業衰退した日本に未来はあるか 分散型システムを徹底し、「不安」を取り除け

立教大学大学院特任教授 金子勝さんに聞く 

現代の理論[第21号] 2019秋号(2019.11.5発行)「特集」混迷の時代が問うもの

聞き手 本誌編集部

日本衰退は70年代のアメリカ支配に始まる

バブル崩壊で産業衰退が明白に

中国の台頭と世界経済

惨憺たる産業衰退と原子力ムラ

この国はもう持たないかもしれない

世界経済も危機的だ

電力会社解体、分散型ネットワーク社会へ

 

―――「今だけ 自分だけ カネだけ」はおかしい。金子さんの著書『平成経済 衰退の本質』(岩波新書)の表紙にあるこの言葉こそ、世の中の普通の人たちの実感だと考えます。政治の劣化、社会的なモラルの低下、関電にみられるような経営者の腐敗、さらに経験のないような災害が多発していることからも、一体この世の中はどうなっているんだと、怒りを感じます。その一方で、その怒りが反撃のエネルギーにはなかなかつながらず、閉塞感が漂っています。金子さんはその著書で問題を抉り出し、処方箋を出しておいでです。今の世の中、トータルで何が問題かというのをズバリお話しいただきたいと考えています。

 

日本衰退は70年代のアメリカ支配に始まる

金子  今起きている大きな変化をどう捉えるか、です。

戦後秩序が最初に大きく揺らいだのが、1971年のニクソンショックから73年の石油ショックでした。それまでは、アメリカ一国が覇権を握っていて、為替は固定相場制で、ドイツや日本の援助も含めて世界中にお金をばらまいて、金の準備を少しずつ消耗しながらも、極端にいうとアメリカ一国支配と言ってよかった。

それが、石油が枯渇し、さらにベトナム戦争を契機にして、国際収支が大きく赤字化、財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」が恒常化し始めるわけです。そこで突然に、アメリカはドルと金の交換を停止して、金の縛りをなくしてしまうということをやった。アメリカだけが実体経済に縛られて物価安定のアンカーを務めていくということは不可能になったので、事実上、金との縛りをなくした「紙幣本位制」になったわけです。

それまで、マルクスや古典派経済学は、金属主義的な貨幣論に立っていたわけですが、実態としてはケインズが言ったように、信用貨幣というか、裏書きのない信用証書、裏書きのない手形のようなものだと考えればいいのですが、そういう貨幣観に沿った経済体制ができた。こうなると、実体経済には縛られないので、アメリカは「双子の赤字」の制約をほとんど受けないで済む。ドルを発行していれば何とかなるという体制になったわけです。

同時に、アメリカ一国ではやれなくなったので、G7体制という先進国の協調体制をつくった。この「双子の赤字」をどう解消していくかというときに、ドイツと日本は救済して復興させる対象だったのが、70年代を経てから、両者に犠牲を払わせてアメリカの体制を維持するというふうに、転換を始めるわけです。

ドイツも日本も基本的に協力的だったわけですが、ドイツは日本ほど奴隷的ではなかったということがだんだん後を引いていくわけです。

1970年代の終わりくらいから「変動相場制」になって、ドル本位制という「紙幣本位制」のような仕組みをつくったときに、究極、お金をお金で取引きするという、為替自由化の仕組みができた。しかし、そこでは自動的な市場の調整能力は実際にはないと分かってしまったので、G7体制の中でドイツや日本に強制して、政治的に調整していくということをやらざるをえなくなった。

そこで、貿易赤字を為替レートだけで自由に調整できないときに使われるようになったもうひとつの道具立てが、オイルショックのときにできたアメリカ通商法の通商代表部(USTR)。その役割が、1980年代に大きく台頭してくる。

決定的に重要だったのが、日米構造協議のプロセスの中で、1986年の日米半導体協定と、同じく91年の日米半導体協議。個別の産業まで日本はアメリカにほとんど譲ってしまうということが起きてしまった。

日本は、「日本アズナンバー1」とかとおだてられて、自動車さえ守れればあとは何でもいいというように、極端にいうと、中曽根政権期のほとんど売国的な方向をたどり出した。中曽根民活で、内需喚起と称して国内はバブル体制になっていくことにつながり、経済的に破綻を始めていくのがこの1980年代だったわけです。

86年、91年の半導体協定は、ダンピングを規制して、同時に外国製の半導体の「輸入割当2割」ということをやった。USTRが政治的な貿易交渉によって貿易収支の調整をおこなうということになったわけ。実態としては為替レートの自動調整能力がないことがはっきりして、その結果、USTRが表舞台に立つことになった。

日米半導体協定の裏側でそれを支えてきたのは、アメリカ軍の産業戦略です。DARPA(国防高等研究計画局)のもとで、半導体コンソーシアムとかコンピュータ関連の、いわば投資のプログラムみたいなものを立ててきた。それは単なる産業政策ではない。たとえば軍隊の兵器で半導体が日本製であるのが問題だとか、日本製のスーパーコンビュータに負けてしまっているのは、国防上・安全保障上まずいと、膨大な研究費を、教育研究費以外から軍事の方が猛烈に注ぎ込むようになって、それ以降情報通信産業が、今の米中貿易戦争につながるような、いわば戦略的な産業として位置づけられていく。

そして、バブルに入ってそれが破綻した瞬間に、日本は「失われた30年」のプロセスに入ってしまった。

それに対して安倍政権は「日本の優れた技術」などと言い続けていますが、急速な産業の衰退プロセスが、今や進行中です。茹でガエル状態で、ひたすら麻薬漬けのような金融緩和をやっていますが、実態としての日本の産業競争力がもうほとんど壊滅に近いくらいに衰退していることをごまかしているクラウドコンピューティング5G半導体ディスプレイデジタル通信機器バイオ医薬、東芝や三菱重工のようなエネルギー重電機などでも世界シェアを失い、リチウム電池でさえそうです。

ところが茹でガエルなので、今のままでも何とかなっているじゃないかという、危機感のまったくない現状です。

たとえば、化学産業。今では日本の半導体産業やディスプレイ(液晶や有機EL)などが衰退しているうえに、その素材産業も対韓輸出規制で大きな打撃を受けた。実は、4大公害裁判をくぐる中で、自動車産業が排気ガスの規制で非常にいい技術をつくったのと同様に、日本の化学産業も過去の反省にもとづいて、非常に高純度で、不純物や有害物を出さないような仕組みをつくってきた。それが、本体の崩れてしまった電機産業の半導体産業が潰れている中で、素材中心の化学産業が韓国企業と協調して共同で開発してやってきたのに、全て排除される事態がもたらされた。

バブル崩壊で産業衰退が明白に

金子 その後、バブルの崩壊で、より鮮明な形で日本の経済産業がはっきりと衰弱過程をたどるようになってきた。その大きな転機が97年の金融危機です。この金融危機以降、あらゆる指標が全て停滞してしまうか減少してしまうようになる。だからずっと財政赤字はどんどん累積しても、GDPはほぼ横ばいになっている。

実質賃金も、それから生産年齢人口つまり働き手の人口も減少し、家族の形態も含めて変化して、実質家計消費もずっと下落を続けるような形になった。その中で、基本的な経済としてはひたすら金融緩和で円安を誘導して、労働法制を解体して、賃金を抑制し続けた技術革新が充分にないまま、リストラを繰り返しているだけなので、企業としては円安と賃下げの中、古くさい製品の価格競争力で何とか持たせているということが繰り返されてきたわけです。

しかも産業の戦略性のないのは政府だけじゃない経営者も非常にバカで、アメリカ的なファンドなど金融利害の人たちのインチキ議論に乗って、「選択と集中」などと、日本の半導体にせよ、電機産業にせよ、全部アジアの台湾、中国、韓国に外注に出す。それでコストを下げると言うものの、結局簡単に技術を真似されて、あっという間にキャッチアップされてしまうということを繰り返してきたわけです。

インテルを含めたアメリカの半導体企業は、絶対に枢要な部品は海外生産をさせません。自国内で開発して自国内で生産する。つまり日本には戦略産業に対する緊張感がまったくない。アメリカの場合にはそれが軍事と非常に強く関わっているので、緊張感を持ってずっとそういうことをやり続けている。差がつくのは当たり前です。

話を元に戻すと、極端にいえばG7の枠組みで、しかも敗戦国の日本とドイツが主な相手だったため、容易にそれを叩けたので、アメリカの競争力は情報通信と金融バブルで、90年代の半ばくらいから回復するようになってくるわけです。

それはレーガン政権の問題じゃなくて、実はクリントン政権です。クリントン政権が、議会で負けるようになってからねじれ現象が生じ、たとえばゴアが「情報スーパーハイウェイ構想」と言って、IT産業を取り込む。あるいはゴールドマンサックスの共同会長だったルービンを財務長官にして金融自由化を進める。形のうえでは所得税の累進性を強めたりして、何とかリベラルのような顔をして、「第三の道」といいながら、実態としては、昔の民主党の製造業を軸にしたニューディール連合の支持基盤からまったく違う方へ展開していったのです。

だからサンダースとヒラリーが競うと、サンダース側が「こいつらはウォール街から大量の献金をもらった金持ちたちだ」という批判をする。それは、そういう90年代の変化の中で築かれてきたものです。オバマは、クリントン系列を含めた主流派からはずれたので、期待を込められたのでしょうが、結局政権維持のために妥協した結果、ほとんど骨抜きになっていくというプロセスが続いていきました。

中国の台頭と世界経済

金子 G7の枠組みで、金融と情報通信を軸にしてアメリカの経済力を維持しながら国際秩序を確保する、そういう装置が機能していたのですが、リーマンショック以降その枠組みが壊れた。それに加えて、G7の枠組みに入らない中国の台頭というのが一番大きな要因として浮上しています。中国は戦勝国であり、かつG7ではないのでアメリカの言うことを聞くわけがない。しかも、胡錦涛体制はまだ覇権を志向していなかったわけですが、習近平体制は独裁志向なので、米中の摩擦が必然的に拡大します。

こういう状況を俯瞰しつつ世界経済の動向を見ると、2007年が景気のピークでした。先述のように経済が「紙幣本位制」になっていくと、バブルとその崩壊を繰り返す10年周期の中期の景気循環を繰り返すので、その後2017年末がピークでした。そこに50年周期の産業大転換が、ちょうどリーマンショックその他で起きたために、世界経済はずっと底の状態にあるわけです。昔だったら戦争になるような状態でしょうが、それはできないのでズルズル長引きながら停滞局面が続く。そのときに中国が台頭したのが現在です。

しかも中国はファーウェイなどが、5G、つまり第5世代の通信で特許を4割くらい持ってしまっているアメリカは1割程度しか持っていない。一方スウェーデンのエリクソンフィンランドのノキアもかなりの特許を持っているので、アメリカは、先端の企業サーバーレベルでも情報通信の中身でも勝てなくなってくるということになります。

軍事的にいえば、アメリカは中国に対して圧倒的に優位を保持している。たとえば人工衛星で暗号通信の中身を全部読んでいる。でも中国がやがてそれにキャッチアップしてくるのではないかと恐怖を抱いている。

一方、かつてG7の中の協調で、「日本やドイツがもっと景気対策しろ」と、マクロの調整もやっていたし、ミクロの貿易の調整はUSTRがギリギリ政治的に交渉していた。そのやり方で中国に対処するかと言ったら、できないわけです。脅かしても中国はアメリカと同じような志向で戦うでしょうから。

気がついてみると、関税をかけあったり、固定相場ではないので「通貨戦争」にして、金融緩和をしながら金利をどんどん下げ合って、通貨安を誘導する。変型してはいますが、戦前とそっくりの状況になっています。しかもグローバリゼーションの結果、大きな格差が是正できる状況ではないので、不満を吸収する武器として、政治的にはナショナリズム、ポピュリズムが猛烈に台頭してしまう。プーチンにせよ、習近平にせよ、イタリアの五つ星運動も、明らかにポピュリズムです。イギリスのボリス・ジョンソンも同様だし、ブラジルの政権やポーランドもハンガリーも同じです。

その中で、一番能力的に低いのが安倍でしょう。安倍のポピュリズムは、強権的な性格である公安警察や検察を強く意識して、なおかつ諦めさせるというか、脱力化、無力化するような、そういうポピュリズムです。つまり普通のポピュリズムというのは、人々を動員して煽動しますが、逆です。投票に行かせない。それで勝っていこうとするという不思議な負のポピュリズムが蔓延しています。

世界的には、そう状況が転換してきている。

惨憺たる産業衰退と原子力ムラ

金子 日本の産業が次第に衰退し、貿易赤字が恒常化し、とくにリーマンショックのときには経常収支も円高になったために、赤字になった。1ドル100円だったのが80円台になれば、1ドル100円で投資したのが80円しか戻ってこないことですから、経常収支も悪化する。

その回復プロセスの中で、福島第一原発事故を引き起こしたのに、また以前と同じく根本的な不良債権の処理と産業構造の転換をしない財政と金融政策をひたすらやって、猛烈に超低金利にして、金融円滑化法をつくり、東電や東芝などゾンビ企業をずっと生き残らせて、産業構造を厳しく転換させる政策をしなかった。茹でガエルの状態にして政権を維持するという路線を選択したわけでしょう。

ですが、結果的には円安と賃金引き下げだけで持たせているので、どんどん産業が衰退していく。その中でナショナリズムが台頭して、米中貿易戦争と日韓経済戦争が始まったために、貿易赤字が再び恒常化する状態に入ってきているというのが今の状況だと思います。

戦前と似てきている日本の状況は、「歴史は繰り返す」面が色濃く出ています。一番ひどいのが、やはり原発依存。原子力ムラは過去でいうと陸軍、関東軍とほぼイコールのような存在だと考えると分かりやすいと思います。

民主党政権のときに村木厚子事件があり、証拠捏造を大阪地検特捜部がやって、特捜部長や前田という検事が起訴されてしまうという失態になった。当時の検察関係者が今またぞろ出てきていて、3.2億円受け取りの関電社内調査委員会の委員長は、そのときの大阪地検検事正の小林敬という、麻生政権当時の最高検の公安部長だった人間です。この問題で懲戒処分を受け、辞職しています。

福島県知事・佐藤栄佐久の問題に関わっていたのも、この前田という検事であり、今、森本という人物が東京地検特捜部長です。2002年ごろに福島原発で、GEの技術者が告発して事故トラブル隠しが表に出た。ずっと止まってしまった。佐藤栄佐久は非常に厳格に安全基準を運用しろと主張し、それから、MOX燃料、いわゆるプルサーマルに対して「これをやめてほしい」と要求していたので、これを潰しに入ったのが、当時の東京地検特捜部にいた彼らでした。結局、佐藤元知事の弟が水谷建設関連からスーツなどを送られたというだけで、本人が収賄ゼロなのに有罪判決ということになり、福島県知事を追い落としてしまった。

そしてこの裁判の結果のあと、2006年12月22日に安倍晋三が第1期の政権のときに、「福島原発が電源喪失したらどうなるか」と問われて、「そんなことあり得ない」ということを答弁書で出したわけです。その結果2011年に、実は安倍が原因になって福島原発が事故を起こした。

この答弁書をもとにしてテレビ東京の番組が、当時の経産大臣の甘利明に聞き取りをし、番組に出演させようとした。ところが「日本なんかどうなってもいいんだ」という類の甘利発言があって、それで甘利はこの番組から逃げた。そしてその取材に対して、スラップ訴訟をテレビ東京に仕掛けた。その訴訟の結果、都築という裁判官が甘利勝訴の判決を出して、この都築は新潟地裁の所長に栄転、柏崎刈羽の原発訴訟に対応した。要するに、検察も裁判所も、原子力ムラで同じ穴のムジナ……。

もともと2002年の東電の福島原発の事故トラブル隠しのようなことは頻発していたのでしょうが、要するに情報隠蔽とデータ改ざんというのが、この原子力ムラの体質だと分かります。安全性をごまかしながらやってきた。

だから福島原発事故が起きたときの統計データも信用できない。津波の時間よりも非常用電源装置の配管が先に壊れた形跡がデータ上あるようだという疑惑が出ていますが、最近『文藝春秋』の9月号でも類似の指摘が出ています。

たとえば森友のときは、影が見えるのは今井尚哉でしょう。実はりそなの高槻支店で融資を協力した冬柴幹事長の息子の中華料理店で会食をしていて、冬柴は国交省だから、関わっている可能性が指摘されています。気がついてみると、この私設秘書と政府職員の谷査恵子が、安倍夫人にくっついていた。あれは経産省のノンキャリの形で、実は今井の子分でしょう。

加計学園のとき秘書官で対応していたのが、柳瀬唯夫。これは原発ルネッサンス、つまり原発輸出計画を立てた、資源エネルギー庁の課長だった人です。山口敬之っていう元TBSの記者が安倍の御用聞きみたいな提灯記事を出していたわけで、伊藤詩織さんの準レイプ疑惑のとき、もみ消しの影に北村滋(現国家安全保障局長)との関係が指摘されています。

福島原発事故では、東電の経営者の3人も検察段階では不起訴でした。検察審査会による強制起訴でも全員無罪。気がついてみたら関電の経営者20名余りの金品3.2億円受取りが、税務調査で露呈してきた。森山元助役の自宅を捜査したら金額と名前が出てきてしまった。慌てて関電の経営者たちは、社内調査委員会なるものをつくったけれど、そのときの委員長が、先に言った村木事件のときの大阪地検検事正で、懲戒処分が出て自分で退職した、小林敬弁護士だった。

このように、隠蔽や改ざんや権力犯罪のコアが地検の特捜だったり、内閣人事局を牛耳っている杉田官房副長官のように公安警察系だったりします。それから裁判所と検察がどんどん人事交流している。たとえば辺野古では、判決を出す2週間前に「右寄り」の判決を出している裁判官を送り込んで、敗訴させる司法と行政が完全に一体化し、検察行政とも一体化して、それに公安警察が加わっている。『官邸ポリス』という本が出ていますが、部長以上の600名の中央官庁のトップと、候補者としての課長を含めれば2000人くらいを、つねに監視しているわけです。前川喜平さんの出会い系バー問題は明らかに杉田官房副長官が呼び出しをしていて、おそらく尾行・盗聴をしている可能性がある。そして忖度させながらメディアにも同じようなことを繰り返して、今の体制を続けている。

昔だったら政権が何十回も飛んでしまうような、倫理的にも法律的にもおかしいデタラメが次々行われていると、普通の人は麻痺をして、みんなが諦めたり無力感に襲われたりすることになります。そういう中でポピュリスト的な動きが活発化し、右派的なポピュリストに対して、また左派的なポピュリズムのようなものが台頭したりするということが、起きかけているというのが今の状態だと思います。

この国はもう持たないかもしれない

金子 これまで述べてきたように、実体経済としては産業がどんどん衰退しているのに、ひたすら金融緩和で支え続けているやり方がすでにもう限界にきている。麻酔薬でどんどん産業が衰退しているけれど、原発推進の立場をとっているから、東芝がもう経営破綻に近いような状況に陥って、日立や三菱重工もかなりひどい状況にもかかわらず、原発をやめないわけです。これが大問題です。

気がついてみるとすごい勢いで再生可能エネルギーの価格が低下してしまう。太陽光電池は、90年代はトップ5のうち4位までが日本メーカーだった。シャープ、京セラ、三菱電機、サンヨー(パナソニック)ですが、今やもう見る影もない。風力発電も撤退状態です。国際的にいうと猛烈な価格低下の中、今中国メーカーが圧倒的です。

しかも、ドイツなど、再生エネルギーの買い取り制度は20年経っているから、もう設備などの減価償却が終わっています。コストを回収し終わり、タダになっている。タダのエネルギーが出始める状況で、価格が猛烈に低下しているのに、日本ではなお原発を動かすために基幹送配電網では原発のための容量を確保して、再生エネルギーを妨害する。系統接続を拒否したり、系統接続のための負担を請求したりというようなことが起きて、どんどんどんどん遅れてしまっている。

デジタル通信も見る影もない。アップル、サムスン、ファーウェイの時代で、日本のメーカーはごくわずかしかない。5Gも同様。それから、スパコンがダメで、今はクラウドコンピューティング、これも決定的に遅れている。アマゾン、グーグル、マイクロソフト、オラクルなどがクラウドをほとんど支配している。対抗しているのは中国のアリババくらいしかないわけです。そうすると日本のデータはみんなアメリカに筒抜け状態です。実際の話、日本の大学のメールはどんどんグーグルを使い始めています。ほとんど全部アメリカなどへ筒抜けでしょう。本当にさびしい状況が今の日本です。

ただ、産業政策でいえば、原発問題だけではなく、「官民ファンド」も大問題です。ルネサスの半導体もダメだし、それからディスプレイ。液晶のシャープを台湾に買い取られて、今ジャパンディスプレイが、3500億円も税金をぶち込んでもほとんど儲からない。

ある段階で技術を流出させて、そのあと自分たちの日本企業だけで「官民ファンド」でやろうとしてもうまくいかないわけです。要するに韓国のサムスンなりと共同でやっていかないともう追いつけません。そういう自己認識もないから、ますますひどいことになっている。

今、先端的なR&D(研究開発)の中心は、情報通信とバイオ医薬、エネルギー転換と自動車の自動運転・電気自動車化です。日本はもう自動車も危ない。電気自動車化は遅れているし、自動運転も遅れている。今はハイブリッドで何となくいい状態に見えますが、もう風前の灯火かもしれない。

そんな中、バイオ医薬でいうとトップのタケダがシャイアーという会社を買収して、もう傾いて本社ビルを売り飛ばす。2位のアステラスももうリストラ状態です。日本の医薬メーカーの自己開発力、技術開発力が落ちてしまっている。せっかく開発しても、今度は厚生労働省が新薬を認めない。健康保険の財政を健全化するとして、「ジェネリックにしよう」ばかりになっているわけです。開発しても意味がない。そのくせ役人は外資系に天下っていくから、ノバルティスファーマのディオバンのように、無惨な不正が起こっているのに高い価格で健康保険で買い取ってきた。

リチウム電池も、自動車関連以外の再エネの蓄電用にもどんどん量産するので、すごい勢いで価格が落ちて、もうダメです。そういうように、あらゆる産業が次々と衰退してしまって、何も稼ぐ産業がなくり、おそらく自動車がダメになれば、完全に貿易赤字が拡大していくばかりになってしまう。

そうすると、この400兆円も国債を買っているような異様な金融緩和はもう持たない。そもそも2%の物価上昇率の達成ができなかった。なのに、もう6年半もやっている。もう国債市場の半分を日銀が持っているから、限界です。一昨年が49兆円、18年が33兆円、今年は30兆円いかないでしょう。札割れもよく起きるわけです。代わりに株を猛烈に買って、30兆円近くなっています。しかも最近は自社株買いですから、要するに出口のないネズミ講です。それでもいいんだ、国債発行で消費税減税とか言っていますが、この状態でそれを言うなんて、もはや誰も未来の世代を考えていないと言われざるをえない。

福島原発事故と同じようで、確かにハイパーインフレはめったに起きない。でも、戦争のようなことが起きて、供給上のネックが発生したら、日銀の当座預金が400兆円も積み上がっているから、一気にハイパーインフレーションになってしまいます。今起きてないから大丈夫だというのは、福島原発事故と同じことでしょう。

そのうえ、この政府信用による紙幣の増発は、結果的に民間のバブルを引き起こすということです。今や超低金利で地方銀行は厳しすぎる状況です。当たり前のことですが、金融機関は長短の金利差で儲けているわけで、一時的ですが、20年国債がマイナス金利という状態になる。これでは、やっていけるわけがない。

大きな地銀は横浜銀と千葉銀、足利と常陽のように、リストラしながら合併で逃げきろうとしています。でも、金融庁推奨のスルガ銀行はご覧のありさまだし、下位17行は引受手がありません。これは戦前型の事態です。そして、中小金融機関が潰れて地方経済がダメになるというプロセスです。

このように、産業衰退、民間の貯蓄率低下、貿易黒字が赤字に向かうという深刻な事態です。今、日本の国債の13%が外国人による所有だと言われています。この比率が20~30%になったら、アメリカの言いなりで、国債の格付けを下げられたら、一気に売られて長期金利が大きく跳ね上がるという破滅的事態も起こりえます。もはやこの国は先進国とは言えません。

世界経済も危機的だ

金子 しかも、世界経済を見ると、中国の経済拡大に依存してきたので、その影響が非常に大きい。ドイツも日本もそうだし、韓国も台湾も、シンガポールも、東南アジアもそういう状態になっています。

アメリカも実はそうです。2019年の4~6月のデータは、GDPの成長率が1%くらい落ちているし、この7・8・9の3ヵ月分、製造業景況指数もずっとマイナスを続けて、ついに2ヵ月連続で50%を割っている状態です。米中貿易摩擦は、ほとんど中長期的な我慢比べの状態になっています。

アメリカはかつて、ドイツや日本のような敗戦国だった同盟国を支配して有無を言わせず競争力の台頭を押さえ込んできたけれど、今はEUという固まりになったので、EUをとにかくぶっ壊したいと考えている。それから中国というG7に入らない体制をどうやって押さえるかいう強引な手法に頼り、ブロック経済化のような戦前と似た方向に入ってきています。その結果、米中貿易自体が縮小し、それによってアジア諸国などに影響を与えていると同時に、EUの中心であるドイツが猛烈に落ち込み始めています。

特に問題になるのは、IT関係でいえば、ドイツでは中国のものをかなり受け入れていることです。たとえば、電気自動車への転換などは、フォルクスワーゲンでも日本に比べるとずっと早いのですが、中国市場依存の問題は大きいでしょう。

IT産業の中で一番対応が早かったのはドイツでいうとシーメンス。シーメンスは原発を打ち切っただけではなくて、火力も捨てた。GEは火力を捨てきれなかった。だから火力の需要が落ちてきて、今は苦しいわけです。

シーメンスは基本的に再生エネルギー中心にしているので、グリッドシステムのところでICTでかなりやっています。ヨーロッパの交通システムのコントロールなどもシーメンスがほとんど入っている。それから無人の工場をたくさんつくっているのは実はシーメンスです。重化学工場としては、日本の東芝、日立、三菱重工もボロボロなのに比べて、あるいは必死に脱原発を進めたGEも今一つという状態の中では、際立っています。

ただ、EUの中の金融が悪くて、中でもドイツ銀行のデリバティブの猛烈な集積は、ほとんどもう潰れたと同じような状態になっているようです。ドラギECB総裁が、ゼロ金利なのにマイナス金利を拡大せざる得ない背景のひとつです。ドラギは、金融緩和しても長期停滞していく「日本化」を懸念しています。つまり日本のように、これだけ金融緩和をしても、結果的に実質賃金も落ちるし、GDPの成長も停滞する。そしてそのうえで、米中貿易戦争で輸出依存もできなくなって、出口ナシになっていく

電力会社解体、分散型ネットワーク社会へ

―――ここまでダメな日本になってしまった、歴史的な経過とその理由というところはよく分かりました。それでは、どのような処方箋が必要なのでしょうか

金子 ここまでくると、全ての産業を回復させるのは無理でしょう。まず、先に言った「原子力ムラ+公安警察+検察」を解体しなくてはならないし、それによってエネルギー転換や情報通信技術の遅れも回復していかなければなりません。

これまで、保守は成長を主張し、左派・リベラルは再分配を求めて対立していて、学者もこの古色蒼然とした対立図式のいずれかをとっていたので、このような技術的大転換に対応できなくなっています。

〔電力会社解体〕

具体的には、まず電力会社を完全解体することから始めます。国がルールを変えて、電力会社に、原発=不良債権処理のための公的資金を入れなくてはならない。電力会社に原発の減価償却不足部分に対応して新株を発行させて、それを国が引き受け、原発を切り離させる。たとえば原発は日本原子力発電に集約させる。

そのプロセスで政府が株主になるわけだから、所有権を問題にせずに発電と送配電を完全に分離できるでしょう。送電会社は、ドイツのように地域の中小電力会社の再生エネルギーを優先的に接続するように義務づけます。要するに、公的資金⇒電力会社解体⇒原発切離し⇒発電会社と送配電会社の分離、です。再生可能エネルギーはずいぶん安くタダ同然なのに、原発は高くつくという馬鹿げた現象は止められます。

一時的に国有化することになりますが、電力会社はパフォーマンスは悪くなくなるから、政府もコストを回収できるし、株を売ってもよい。もし、政権が変わらないなら、市民が投資して、そのプロセスに参加してもらう。

皆で投資し、再生可能エネルギーを使う。その際、各自が自ら投資者としてコミットすることが重要になります。そして、100億円とか200億円をファンディングして、相対的に小さな大手電力会社の筆頭株主になる。情報を徹底的に開示して、送配電網を接続させると同時に、スマートグリッドシステム化をオールジャパンで進めるのです。ルールを透明化して、オープンプラットフォームでやる。

〔分散型ネットワークシステムの社会〕

これは、地域分散型のネットワークシステムにつながります。コンピュータの技術が分散型へと転換していったのに対応した形で、社会システムを創り変えていくのです。

電力はグリッドシステムを整備して再生可能エネルギーの地域分散型に再編されます。社会福祉もそういう形をとって、効率化する。分権化・分散化して、地元の人材や資源を効率的に使って、みんなの「不安」を取り除いていく。今少しずつ広がっているかかりつけ医や地域のケースワーカーが力を発揮する仕組みに変えていけるでしょう。そのとき、個人の情報は生体認証で守るとともに、誰がアクセスしたか、本人に分かるシステムにすべきで、そういう仕組みを、繰り返して言えば、オープンプラットフォームでつくっていくのです。分権化して、現物給付をするということに向かった北欧諸国の変化も参考にできるでしょう。

〔平等な教育〕

もう一つ、教育に投資することを重視すべきです。この国の若者や子どもたちにお金をかけるべきことは言うまでもありませんが、少し違った角度でこの問題を考えます。

たとえば、今外国人労働者は主として低賃金労働で入ってきています。ところが、考えてみると、お金を稼ぐ優秀な人たちは差別されることはありません。今の日本では、外国人の場合どころか、普通の人に普通の教育機会が開かれていません。それを改めて、外国人にもその教育機会を等しく与えて、育てていけばダイバーシティーは実現できます。今度のラグビーワールドカップの日本チームは、それぞれが能力が高く、だからこそ国籍に関係なくお互いに認め合うことができたのでしょう。教育の役割はここにこそあると思います。

それは、外国人技能実習生の現状とは対極だと思います。実習生は実質的には強制労働です。もっと教育を受けられればその境遇から脱出できるでしょう。教育費の問題を根本的に考えるべきです。カナダは移民に対してそうした教育が充実していると言われています。教育を受けた優秀な人材を奪い合うようになることをめざせると思います。

特別な能力を持った優秀な人材を高い金を払って一人確保するのだったら、みんなに教育を広げて、育てる方がよほどよいということにもなる。下から育てる仕組みが大切です。

所得格差との関連で言うと、日本国内で外国人との格差を是正しても、国外との格差は結局開いていくので、外国への援助を進めて、その国で働く機会をつくっていく方がよいという考え方もあり得ると思います。

 

その他、紙幅の関係で語り尽くせませんが、透明で公正なルールや財政・金融のあり方などについては『平成経済 衰退の本質』(岩波新書)で確認していただければありがたいと思います。

政治経済 「平成経済 衰退の本質」 金子勝 2019年4月刊


青森市 世界遺産・小牧野遺跡 縄文時代後期のストーンサークル

2024年05月01日 07時20分24秒 | 青森県

世界遺産・国史跡・小牧野遺跡。青森市大字野沢字小牧野。

2022年9月29日(木)。

青森県立美術館の見学を終え、南へ15分ほど進むと、旧青森市立野沢小学校を改修した小牧野遺跡のガイダンス施設である青森市小牧野遺跡保護センター(縄文の学び舎・小牧野館、青森市野沢字沢部)に着く。ここで見学ののち、南約1.5㎞にある青森市小牧野遺跡観察施設(小牧野の森・どんぐりの家)の駐車場へ向かい、駐車場から200mほど歩くと世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つである小牧野遺跡の環状列石に出会うことができる。

小牧野遺跡全景(南から北方向)。青森市街地・陸奥湾を望む。遺跡は標高80~160mの舌状台地上に立地している。

小牧野遺跡全景(北から南方向)。晴れた日には八甲田山を望むことができる。

小牧野遺跡は、縄文時代後期前半の環状列石(ストーン・サークル)を中心とする遺跡で、八甲田山西麓に広がる荒川と入内川に挟まれた、青森平野を一望できる標高80〜160メートルの舌状台地上に立地する。後背地には落葉広葉樹の森が広がっていた。

小牧野遺跡は、定住成熟期前半の環状列石を主体とする祭祀遺跡であり、丘陵地域における生業と祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡である。

中央帯。

環状列石の中央に立ってみると列石の内側に広い空間がある。この広場は、多くの人々が集うことのできる面積(約500㎡)が確保されており、彼らの精神文化と関わる「祭祀場」としての性格が考えられる。

また、広場の周縁が石垣状の列石に囲まれているため、さながら円形劇場のような空間効果を演出している。

環状列石は、遺構の中で最も高いところに斜面を平らに造成して作られた中央帯が直径2.5m、内帯が直径29m、外帯が直径35mの三重の環を描くように配置され、その周りを囲むように直径約4mの環状配石や一部四重となる列石などが配置されており、全体では直径55mになる。配石の中には大型壺形土器(甕棺;かめかん)もみられる。

荒川から運んだと推測される石を、縦に置き、さらにその両脇に平らな石を横に数段積み重ね、さらにその脇に縦に石を置いて環状に並べて、そうして出来た環をさらに三重(一部四重)にしている。この並べ方は石垣の積み方に類似する煩雑な並べ方からも全国的にも非常に珍しく、「小牧野式」と呼ばれている。

見晴台から北方向に青森市街地・陸奥湾。

環状列石のほか、捨て場や湧水遺構、土坑墓群や土器棺墓なども発見されている。

環状列石に隣接する墓域や捨て場を中心に、土器や石器のほか、土偶やミニチュア土器、動物形土製品、鐸形土製品、三角形岩版、円形岩版など、祭祀的要素の強い遺物が出土している。特に三角形岩版は400点以上も出土しており、環状列石を中心に祭祀・儀礼が行われたものと考えられている。

縄文時代後期の大型壷形土器(土器棺)・赤色切断壷形土器をはじめとする十腰内1式土器・石器・石製品(三角形岩版等)・土製品(土偶・鐸形土製品等)のほか、列石内の覆土から続縄文時代の土器が出土している。

展望所から北に陸奥湾・浅虫温泉方面。

青森市 青森県立美術館②棟方志功 今純三 ミナ・ペルホネン