いちご畑よ永遠に(旧アメーバブログ)

アメーバブログ「いちご畑よ永遠に(旧ヤフーブログ)」は2023年7月に全件削除されましたが一部復活

岐阜県 土岐市美濃陶磁歴史館①重文2000点 4月1日から一時休館

2024年03月31日 12時03分39秒 | 岐阜県

土岐市美濃陶磁歴史館。岐阜県土岐市泉町久尻。

2024年3月29日(金)。

土岐市美濃陶磁歴史館が、老朽化に伴う建て替えのため4月1日から一時休館となるので、「開館44年収集の軌跡Ⅲ『挑戦!重要文化財2,000点並べてみる』」が開催されている、2028年年1月開館を目指し、「美濃焼」と「土岐市の歴史・文化」をテーマとした新しい博物館へと生まれ変わる、というニュースを2~3週間前に知って、28日に思い出したので10時頃から雨も止むという予報と最後の混雑を避けるために、29日に見学することにした。

1館だけではコスパが悪いので、4年前に時間切れで入館できなかった可児市の荒川豊蔵資料館と3年前に知った多治見市モザイクタイルミュージアムを見学することにした。

2021年12月に京都市考古資料館を見学したときに、京都三条通で出土した美濃焼を見ている。陶磁歴史館の北西数百ⅿにある元屋敷窯という名前は数十年前から知っているが、近すぎて今まで見学する気にはならなかった。

10時40分頃自宅を出て、12時前に土岐市美濃陶磁歴史館に着いた。

「開館44年収集の軌跡Ⅲ『挑戦!重要文化財2,000点並べてみる』」

およそ400年前、茶の湯の流行を受けて当地で生産された「美濃桃山陶」。2,000点もの重要文化財は、この美濃桃山陶を中心とした一群です。現在、国史跡となっている「元屋敷陶器窯跡」で出土し、平成25年に重要文化財に指定されました。

以来、特別公開の展覧会をたびたび開催してきましたが、あまりの量に、その全貌を公開する機会はありませんでした。新しい博物館では、この重要文化財の一群を全て公開する展示室を設けて、その圧倒的なボリュームを来館者に体感してもらいたいと計画しています。本展は、新博物館の収蔵展示に向けた試みの一つとして、空間が許す限り、できるだけたくさんの陶片を展示します。

重文・岐阜県元屋敷陶器窯跡出土品。

本件は、元屋敷陶器窯跡から出土した安土桃山時代から江戸時代の出土品のうち、昭和24年の美濃陶祖奉賛会と、平成5~13年(1993~2001年)にかけて、土岐市教育委員会が行った発掘調査の出土品、2041点で構成される。

当窯跡は、元屋敷東一、二、三号窯跡と、美濃窯最古の連房式登窯(れんぼうしきのぼりがま)である元屋敷窯跡の合計四基の窯跡で構成され、昭和42年(1967年)、「元屋敷陶器窯跡」として国史跡に指定されている。

本件は、これらの遺構や物原(ものばら)から出土した、安土桃山時代から江戸時代にかけての陶器の焼成不良品を主体とし、これに匣鉢(さや)や円錐ピン、焼台(やきだい)などの窯道具や窯材が加わる。

元屋敷陶器窯跡での陶器生産は、16世紀後半の築窯当初は、従来からの天目茶碗・皿などを主体とした組成であった。そして、16世紀末に茶陶や食器のなかで黄瀬戸(きせと)・瀬戸黒(せとぐろ)といった新しい意匠をもつ陶器生産が始まる。

さらに志野が生産されるようになると、17世紀初頭には茶陶や高級食器の量産がはじまり、連房式登窯(れんぼうしきのぼりがま)の導入後には器形・文様・色彩など、多彩な意匠を見せる織部(おりべ)が本格的かつ多量に生産された。

ここで生産された志野・織部は、京・大坂・堺といった畿内の都市遺跡を中心に、全国の城館跡や城下町からも出土していて、美濃窯製品の広域流通とともに、畿内で確立された茶の湯における道具の流行や嗜好の一端もよく示す。

本件は、安土桃山時代から江戸時代にかけての美濃窯における陶器生産、とりわけ当時流行した茶陶や高級食器の生産のあり方を示す良好な資料であり、その学術的価値は極めて高い。

新潟県糸魚川市 糸魚川静岡構造線断層見学公園 フォッサマグナパーク