道の駅「親不知ピアパーク」。西の親不知子不知方向。新潟県糸魚川市外波。
東の上越市方向。投げ岩。
2023年10月5日(木)。
10月4日17時前に道の駅に着いたころから、暴風雨になった。閉店直前の売店を覗いたが、狭くて情報も乏しかった。夜になって高架下に移動。5日朝に起きると雨は止んでいた。
国名勝「おくのほそ道の風景地 親しらず」。親不知記念広場(愛の母子像)から望む。
国道8号線のカーブ地点に案内板と駐車場があった。断崖絶壁が日本海へ落ち込んでいる。明治16(1983)年まで芭蕉一行が通った北国街道は断崖下の海岸沿いを伝っていた。
崖上の建物が、小野健顕彰碑・ウェストン像のある展望台の東屋、その左が駐車場のある親不知観光ホテルで、そこから断崖上を歩く親不知コミュニティロードが周遊路になっている。
親不知記念広場は、国道の改修を記念して造られた広場で、親不知はここからの眺望が一番だといわれている。
断崖上に望む東屋からは、たしかに親不知断崖は直下すぎて見えないので、ここからしか景観の把握はできない。糸魚川が生んだ文豪・相馬御風の「かくり岩に 寄せてくだくる 沖つ浪の ほのかに白き ほしあかりかも」の歌が刻まれた石碑がある。
国名勝「おくのほそ道の風景地 親しらず」は、天下の険として有名な親不知・子不知海岸の一部で、親不知駅を中心とする青海駅、市振駅間約15kmの総称で、親不知駅・市振駅の間が親不知、親不知駅・青海駅の間が子不知と呼ばれている。
地名の由来はいくつかあるが、北陸道最大の難所で、断崖絶壁と荒波が旅人の行く手を阻み、波打ち際を駆け抜ける際に親は子を忘れ、子は親を顧みる暇がなかったことから親知らず・子知らずと呼ばれるようになった、といわれる。
天下の険といわれた親不知にも、明治16年、断崖を削った街道が開かれた。その後、いくつかの改良を経て、昭和41年に国道8号天険トンネルが完成した。
現在はえちごトキめき鉄道、国道8号、北陸自動車道が通り、通行に支障は無くなったが、親不知記念広場の展望台から海岸線を眺めれば、当時の苦難さが想像できる。
栂海新道(つがみしんどう)登山口。
周遊路である親不知コミュニティロードの起点・親不知観光ホテルの向かい側にある。入り口付近に10台程度の駐車スペースがある。
栂海新道は、日本海の親不知海岸(0メートル)から朝日岳(2418メートル)までの約27kmを結ぶ。一人の若者・小野健顕が北アルプスの稜線をつなぐことに夢を抱き、さわがに山岳会を立ち上げ、構想から苦節11年の歳月を得て1971年夏に登山道を開通させ現在に至っている。
登山をやっているとき、日本海から北アルプスへ登る道があることを知っていたが、日本百名山とは直接関係がないので来たことはなかった。
海岸での起点は、親不知コミュニティロードからレンガトンネルを経て下った地点にあるようだが、知らなかったので行かなかった。
「青海八景 四世代道暮色」
親不知観光ホテルの前に親不知コミュニティロードの駐車場がある。
親不知コミュニティロードを歩けば、交通の難所・天下の険と人との闘いの歴史を表す四世代にわたる道を一望できる。眼下の波打ち際が、親不知・子不知の由来となった一世代目の北国街道、続いて当初国道としてできたコミュニティロードは二世代目。三世代目は現在の国道8号、そして四世代目が北陸自動車道である。
親不知コミュニティロードは、土木学会から推奨土木遺産に認定されている。
東屋の展望台からは眼下70mの日本海を一望でき、晴れた日には能登半島も眺望できる。
ウォルター・ウェストン像と東屋展望台。
日本近代登山の父として名高いイギリス人のウォルター・ウェストンが明治27(1894)年7月19日当地を訪れた33歳の風貌と登山の勇姿を、ブロンズ製全身像として設置している。W.ウェストンの著書の中に日本アルプスの起点、親不知に下り立った時の様子が記されている。
毎年5月下旬に「海のウェストン祭 白鳥山山開き」が開催されている。
絶壁の波除け観音、大懐(おおふところ)、小懐などを再現した模型も設置されており、名勝の絶壁を一目で知ることができる。
ブラタモリ記念板。大懐(おおふところ)。
レンガトンネル以降は時間がかかりそうだったので、ブラタモリ記念板から糸魚川市街地方向へ引き返し、青海神社と寺地遺跡へ向かった。