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物語なのかキャラなのか綺麗なお姉さんなのか

2006年12月17日 18時06分17秒 | 人生適当語録
いつも楽しく、しかも勉強になるなぁと思って拝見しているブログ、松永英明氏の「絵文録ことのは」(http://www.kotono8.com/ h抜いてます)で、興味深いタイトルがありました。『「物語派」と「キャラ萌え」と「属性萌え」の対立』(ttp://www.universal-music.co.jp/oda_yuji/tv.html h抜いてます)というタイトルのものですが、これを読ませて頂いて、自分が映画とか見ている時って、一体どういう立場で見たりしているのだろうかと考えてしまいました。

先ず、本題に入る前に松永氏がこのタイトルで書かれていることについて、自分なりの見解を書いてみます。

松永氏が書かれておられるように、物語派、キャラ萌え派、大別するとこの二つにわけることが出来ると僕も思います。ただ、属性に関しては、物語派にもあるのではないかと思います。

物語派の属性として、破滅型、カオス型、ハッピーエンド型、有耶無耶型、放りっ放し型とか色々。それから物語派を細別すると、ストーリー派と世界観派という形で分けることも出来るのではないでしょうか。

キャラ萌え派の属性としては、ツンデレとか癒し系とかがあると思いますが、そこにオプションという形で付属されるものがあるのではと考えます。バニー属、帽子属、眼鏡属とか。物体が付属するというものです。特殊なのは、通常オプションは後で付けるものだと思うのですが、キャラ萌え派はオプションを元に、このオプション(装備みたいなものかな)を何の属性キャラに付けようかという考え方をする人も多いのではないでしょうか。

そして本題。

僕は物語派なのかなと最初は思いました。映画とか見る時に一番最初に目がいくのはストーリーだったからです。今はそれプラス世界観かな。どっちにしても自分なりの分類では物語派なわけです。

で、実際のものを例として自分の脳内でシュミレートしてみました。

平成仮面ライダーシリーズの「仮面ライダー555」。あれれ、早速違うぞ。555はキャラ萌えだ。草加雅人というキャラにどんだけ感情移入して見ていたか。確かに物語の根底である、人間対オルフェノク、人間が人間として生きること、オルフェノク(異形のもの)が人間として生きること、そういうテーマも気に入っていたし、楽しんでいた。でも、やっぱり草加雅人なんだよね。草加雅人というキャラがいたからこそ、テレビシリーズは最後まで見ただろうし。映画も見に行ったし。DVDも全巻買ってしまったんだろうし。イケメン新選組も買ったし(これは違うだろ)。もし、草加雅人というキャラがいなかったら、恐らく555は最後まで見ることがなかっただろうと思う。

うみゅ。早速最初に出した例から躓いたけど、気にせずに次は「仮面ライダー響鬼(ヒビキ)」。これはどのキャラにも感情移入はしていないかな。強いて言えばザンキさんくらいか(って、感情移入じゃないよなぁ)。最初のまったりした世界観。非日常の中に飛び込んでくる日常、日常の中の非日常な接点、それらが大好きだった。主人公である明日夢とヒビキ・響鬼さんとの関係性も楽しみだった。だから、途中で世界観が変わったのが許せなかったんだろうなぁ。

ちょっと脱線しますが、前半は物語派、後半はキャラ萌え派という区分が一番しっくりくるのかなと、書いていて思いました。

映画ではどうだろう。「StarWars」シリーズはどのキャラにも萌えてはいないなぁ。物語が好きなのかなぁ。まぁ、アナキン(EP3仕様)とかルーク(EP6仕様)は好きだけど。「ブレイド」シリーズにしたって、「アンダーワールド」シリーズとか、最近お気に入りの映画も、特段好きなキャラとか感情移入しているキャラはいないなぁ。ストーリーや世界観が気に入ればって感じです。

あ、「妖刀斬首剣」はキャラ萌えだった。宮本一郎、最高。

「魔界転生」はどうだろう。世界観、物語も好きだし、柳生十兵衛というキャラも大好きだ。

テレビドラマでは、所謂織田ドラマが好きなんですが、役者としての織田裕二の大ファンであると思ってますが、実際のドラマの中の織田裕二の演じるキャラに萌えた、いやこの場合は燃えたかな、はないんですよね。「あの日の僕をさがして」くらいかな、キャラに感情移入してしまったのは。でも「あの日の僕をさがして」は織田ドラマではないしね。

「振り返れば奴がいる」とか「ロケット・ボーイ」とか、織田ドラマの物語が好きなんだよなぁ。決して織田裕二演じるキャラに、萌えじゃなくて感情移入はしてないんよねぇ。

音楽ではどうだろう。ソロでやっている人はキャラ萌えの対象なので除外するとして、バンドとかユニットとして活動しているのを例にしてみます。

ヴァン・ヘイレンは、最初はエディのギターが好きで聞き始めたけど、じゃぁ、エディ萌えなのかというと、バンドとしてのヴァン・ヘイレンがいいよなぁと思うんで、どっちってわけでもないのかなぁ。

リンチモブは、ジョージ・リンチのギターはドッケン時代は大嫌いだったけど(これは未だに嫌い)、この時代のは大好きだったりするけど、まぁ、バンド萌えなんだろうなぁ。途中でメンバー交代があったりしけど、初期はあのメンバーでこそって感じで、特別このメンバーってことはなかったし。

で、次はゲーム。僕が好きなのはRPGだけど、これって物語派とキャラ萌え派の両方の要求を同時に満たさないとあかんのんとちゃうのかって思ってしまう。ただ、ドラクエとかテーブル系は物語(世界観)が重視されていると思うけど、MMORPGは物語(世界観)も当然大事なんだけど、キャラ萌え度の方が大きいと思う。テーブル系の発展っていうか大規模な形となったのがMMORPGだと思うけど、それで派が変わってしまうっていうのは面白い現象ですね。

なんか纏まってないけど、いつものことだからいいのら。

強引に纏めてみると、僕は見るものとかによって気分で分けているのかなぁということかな。一般的にもそういう人の方が多いのかなぁという気がしますがどうでしょうか。

どうやって分けているのかっていうのを考えると、最初に書いたように、とっかかりは物語派として入るけど、そこで気になるキャラが出来て泥沼に嵌れば、キャラ萌え派としてその対象を見ることになる。そういうプロセスを辿っているのかなと。

物語派を細別すると、ストーリー派と世界観派に分けることが出来るって書いたけど、世界観派っていうのはキャラ萌え派とかぶっているような気がしてきました。対象がキャラなのか世界なのかっていう違いだけで。う~ん、深いなぁ。

ちょっとこれを書いていて感じたことなんですが、自分はどういうキャラが好きなのかっていうのが、なんとな~く見えてきたような気がするので、次回は(いつになるか不明ですが)それを書いてみようと思います。って、いつになるかわからへんねんやったら次回じゃないじゃんか。

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