Invalid Life

「演歌・オブ・ザ・デッド」公式ブログ
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イチロー選手

2004年10月22日 11時25分45秒 | 人生適当語録
先日NHKの特番でのMLBのイチロー選手の特集を見た。
それまで私はイチロー選手のことは、どちらかと言えば嫌いだった。
優等生過ぎるというか、完璧過ぎるというか、生理的に受け付けないタイプと言ったほうが的確かもしれない。

彼の打ち立ててきた記録は素晴らしいし、凄い野球選手だとは思っていた。ただ、生理的に受け付けなかっただけだ。

今も好きかと言われれば、そうではない。生理的に受け付けないタイプというのはそう簡単に変わるものではない。好き嫌いとは別の次元での選別なのである。

番組内でイチロー選手が「どんなヒットでもどこに打てばヒットになるかわかっていて打っている。詰まらせた方がヒットになるのなら詰まらせる」(という主旨だった)との発言には驚いた。そこまで計算していたとは。彼は自身の持てる能力全てを計算に入れて野球をしているのだと感じた。そしてその計算が見事に当たっていることも立証している。

ここまでは私の今までの認識を変えるものではなく更に強化するようなものであったが、その後の発言の中でイチロー選手は実は結構ネガティブに物事を考える人なのかと感じた部分があり、それは私の今までの無意識化への決め付けである<彼は絶対の自信の中でやっているだろう>というものを揺らがせるものとなった。

イチロー選手は強い。が、それは自信からくる強さではなく、自分の心の弱さを受け入れて、それにどう対処していこうかとする気持ちが、彼にとっての強さを作っているのだと知らされた。彼にも迷う部分があったということや絶えずプレッシャーを感じているようにはとても思えなかった。

どうしても人は自分の弱さという部分を隠したがる傾向にあると思う。意識するしないにかかわらずに。本当に強い人というのは、全てを先ずは受け入れることから始めるのだろう。弱点や得意なもの、やりたいことややりたくないこと等。人によっては簡単に出来るだろうが、大抵の人にとっては難しい行為だろう。自分を客観的に見るのは苦痛を伴う場合もある。しかし、やろうという意識を持つのが大事だと思えた。

私はイチロー選手は天才だが努力もするタイプだと見ていたが、完全な努力するタイプだという認識に変わった。どちらにしても彼が素晴らしく、且つ凄い野球選手だという事実は疑う余地は当然ない。



と書いてきたんやけど、なんかごっつ偉そうなこと書いてまんなぁ。でもさ、イチロー選手は野球を理論で語ることが出来ると思うけど、新庄選手は感覚でしか訴えることが出来ないと思う。二人は恐らく野球が好きという共通点だけで話はあまり合わないかもしれないけど、どっちが偉いとか優れているとかではなくて、どちらも内包出来るというのは野球の売りにしていい魅力だと思う。

そして野球を知らない層にそういう部分をもっと訴求していくべきではないかとも思う。もう誰もが野球を知っているという前提は捨てたほうがいいし、誰もが野球を好きなわけではないという認識も持つべきだ。

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