Invalid Life

「演歌・オブ・ザ・デッド」公式ブログ
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対カタール戦

2007年07月10日 23時51分50秒 | 人生適当語録
書こうかどうしようかと思っている間に、ものごっつタイミングを外してしまっているわけですが、やっぱ書いちゃいます。

昨日のサッカー日本代表対カタール代表の試合。地力で日本代表が上だったとは思います。恐らく、両国の代表選手の状態が全く同じと過程して、場所だけ日本国内に変更して試合をすれば、日本代表が勝っていただろうと思います。

それだけに、昨日の試合の引き分けは負けに等しいものなんじゃないのかなと、不吉な予感が頭から離れません。

勝てなかった原因というのは、カタール代表の頑張りというのは当然あったのですが、それ以上に日本代表の方に多くあったと思います。

悪条件(芝が悪いとか蒸し暑いとか)下での戦い方に馴染もうとしない。

ボールを受けにいこうとする意識が低く、ボールが来るのを待つだけというプレイが多い。

中心選手に知らず知らずのうちに頼ってしまう。

何手か先を読んで(想像して)のプレイが出来ずに、その場その場で焦りながらプレイしてしまう。

悪い意味で型にはまろうとしてしまう。

上に挙げたことは以前からも言われていることだと思うけど、国民性なのか、一向に改善される気配はないですよね。

それから、オシム監督の言う、多様性に関して。

オシム監督の真意はわからないけど、複数のポジションをこなせるっていうだけではなくて、『試合中にもポジションを適宜に変更して馴染める能力』、『別のポジションに変更しても、得意なポジションでのプレイを、変更されたポジションでもアレンジ出来る能力』という部分も求めてるんではないでしょうか。

今、ポジション変更って言っても、右サイドの選手が左サイドでずっとやるとか、一時的なポジションのカバーリング程度だけでしか機能させようとしてないと思います。

後はですね、オシム監督が試合後激昂して通訳が泣いたっていう話も出ているくらいですが、なんか、余裕が感じられなくなってきてませんか?オシム監督に。

日本のマスコミやサッカー協会への対処が嫌になってきてるっていうのもあるのかもしれませんが、今は只の偏屈じじいになっちゃってるような気がします。

僕は、トルシエ監督とジーコ監督のやり方は両極端過ぎたのかなぁと思っているので、オシム監督はバランスが絶妙で日本のサッカーには合う指導者、監督だと思っていたのですが、最近はトルシエ監督のような、良く言えばシステマチックに頭ごなしに決めてしまうようなサッカーの方が、日本の国民性にあっているのかなっていう考え方に変わりつつあります。

まぁ、日本国内では、良い状態の芝でばっかり練習するんじゃなくて、でこぼこの芝を作ってみたり、小さなゴールマウスを作って、その枠内に無理な体勢からでもシュートを打てるような練習とかをするっていうのが大事なような気がします。


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