Invalid Life

「演歌・オブ・ザ・デッド」公式ブログ
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あらへん、何処いってんやろ

2004年12月18日 07時46分33秒 | お・ん・が・く
ちょっとDEREK & THE DNOMINOSの「LAYLA and other assorted love songs」を久々に聴きたいと思ってCDラックを探すもありません。

どこいって~~~~ん。

こうなると聴きたいという欲望ばかりが増幅されます。

このアルバムはあの『Layla』がクローズアップされまくりですが、外にも『Bell Bottom Blues』をはじめ素晴らしい曲が目白押しです。

何気(じゃないやろうけど)に呼んだデュイエン・オールマンのギターも素晴らしく、クラプトンの負担(彼のギタープレイに対する期待へのプレッシャー等)を軽減するばかりでなく、良い意味で煽ってくれているのも、このアルバムに力を与えてくれています。

個人的に、包容力を感じると同時に切なさも感じる、そんなアルバムです。録音自体には時代を感じさせるし、古いと感じてしまうのは仕方がないかもしれませんが、楽曲や演奏は年代を超越しているような気がします。今風で言えば、癒し効果もあるんじゃないかなぁ。

クラプトンのソロアルバムみたいに扱われることもありますが、きっかけはそうであってもれっきとしたバンドのアルバムに仕上がっているのが良かったのかなと思います。当時のライブでも完全にバンドであって、クラプトンはあくまでもギターとボーカル担当に過ぎないのがわかります。

『Layla』は有名な前半部分と情熱的なピアノから始まる後半部分とがありますが、シングルで発売された時は前半部分だけだったり、後半部分の作曲とピアノを弾いているのがドラムのジム・ゴードン(彼との不仲が原因でバンドが解散したと言われる)というのもあって、1970年代から80年代半ばまでのライブでは後半部分は殆ど演奏されたことがなかったようです。

思うにクラプトンとしてはこの後Laylaであるパティと紆余曲折があったけども結ばれたし、もうこの曲を演奏する意味はなかったと思います(目的を果たしちゃったんだしね。ラリった後の1974年USカムバックツアーでは彼女を連れまわしているんですから)。

しかしファンは勝手なもので、クラプトンの意図を理解しようとはしませんからね(する必要もないというのは正論ですけど)。パティとの生活が続いている時はまだ無理矢理にでも演奏していたんでしょうが、パティとの生活がなくなった後、この曲って辛い曲になっちゃったと思うんですよね。曲は使用前なのに、演奏する側は使用後みたいな。

でもファンの要求度は一番。それをなんとか処理する為に後半部分も演奏することにして紛らわしてみようと思ったのかもしれません。パティと別れた時期的にも結構的を射ているかも。

この後レゲエバージョンやったかな?やったりしたし。あ、アンプラグドバージョンか。アンプラグド後のクラプトンの活動はよく知らないですいません。

そうそう最初に『Layla』を収録する時もあまりにもストレート過ぎるので、偶々スタジオのピアノでジム・ゴードンが弾いていた曲を後半に付け足したみたいな記述を見たことがあります。

クラプトンにとっては特別な曲であることは間違いはないでしょう。自分の作り上げた音楽で最愛の人の心に変化が訪れたんですからね。そしてその人の人生の一部を共有したんですからね。結果は最悪であっても。う~ん、一寸ロマンチックになっちゃってます。

こんなん書いてたら、更に聴きたくなってきた。ほんまにどこいってんやろ~~~~。

追記:発見しました~。2004/12/18/9:19