テゲ日記

思いつくままに更新します。目標は1週間で1つ以上

晩御飯

2006年07月30日 22時16分22秒 | 食事
今日は昼に鞄を取りに小倉北区に出かけた。ちょうどお昼だったので食事に

しようという事になり、飲食店を探した。さすがに商店街だけあって色々な店が

あったが今の2人の胃袋にピッタリの店が無かった。そこで目に入ったのが焼肉定食

1050円の張り紙をつけた焼肉屋さんだった。そこに入ることにした。

時間は13:00を過ぎていたのに店内はほぼ満席。もちろん焼肉定食では足りない

ので追加でロース、ご飯(中)、キムチを注文した。それでお腹が一杯になったが

昨日食べたロールケーキがおいしかったので、同じケーキ屋さんでケーキを買う事にした。

自宅に着きケーキを食べてさらにお腹がパンパンになって、そのまま夜に。今日の

晩御飯は何にしよう?という事になり近所のトライアルで考えよう!ということに。

帰ってから米を炊くのもどうかという事でその日は寿司とカップラーメン

にしようという事に決まりお目当ての寿司とカップラーメンを買った。

家に帰りお湯を注ぎ、ちびカベに「4分たったら教えて!」と伝えた。そうすると

ちびカベが「わかった!」と冷蔵庫の横のタイマーに目をやった。寿司の用意も

終わり「あっと40びょ~!」と言われたので「じゃ、しょうゆかけよう!」と全ての

寿司にしょうゆをかけ終わって今からラーメンと液体スープに手をかけた時に

ちびカベから問題発言が飛び出しました。「あれっ?」とタイマーを見たちびカベ

が「・・・もう1分あった!」と爆弾発言。しょうゆはどんどん魚達にすわれていき

今から食べれると思ったラーメンもそこからの1分は1年間に感じる発言だ!

「なっ何!」と本当にショックだった!時間はコクコクと経たない!おい!

と心が叫ぶ!写真が見えますか手前の卵焼きにかかった貴重なしょうゆが・・・


大好きな所

2006年07月29日 15時26分19秒 | 食事
 小学生の低学年までは、肉という食べ物が食べられなかった。でも肉が嫌いと

言ってもハンバーグやミートボールは大好きだった。そのままの肉が食べきれない

というものだった。では魚はどうか?

焼き魚は食べられた。でも寿司屋さんへ行って生の魚は食べられなかった。

てっちりもだめだった。(大阪では“ふぐちり”の事を“てっちり”という。)

そんな大嫌いばかりの自分が大好きな食べ物がある店があった。それはレストランだ。

もちろん店の名前は別にあったと思う。でも看板に大きくレストランと書かれていた

ので店の名前はレストランと思っていた。

その店は、今で記憶しているのは店内に入ると蝶ネクタイをした店員さんが

ウエイターをしていて店の中は薄暗く、机は全て丸テーブルというのを覚えている。

いつも両親に、「今日は何たべるの?」と決まり文句を言っていた。その時に

「今日はレストランに行こか(^^)」と言われたときの嬉しさは今考えても何で

それだけ興奮したのかわからないぐらい喜んでいた。


 車に乗って一駅分ぐらい走った所にお目当てのレストランが見えてくる。まず

その店を最初に見つけるのは助手席に座る母親の上に座った自分の役目!到着する

と蝶ネクタイのウエイターさんが出迎えてくれる。ではその店で何でも嫌いな自分

が何を頼んだか?というと記憶がまったく無い。というのがいつも頼む物が違った

からだと思う。その理由が頼んだ物を食べないからだ!何をおかしな事を書いてい

るんだと思う人は多いと思う。実はそのレストランで料理を頼むと必ず湯気を出した

そそぎたての白いご飯が真っ白いお皿の上にのって出てくる。それは毎日お茶碗で

ご飯を食べていた自分には衝撃的なご馳走に見えた。さらに大きなお皿の上に

何か一品料理がでてくる。多分ヒレカツ等の料理だったと思うがそれを食べるのは

両親と姉だ!でも決して虐待されていたわけではない。自分はその横に付け合せで

着いてくるサラダが大好きだった。長~くほそ~くとがったキュウリが2本。

今でも自分では絶対作る事はムリである極細のキャベツ。上にかかったサラダドレ

ッシング。さらに塩を振る。もちろんライスにも振る。父親がそうしていたから自分

もそうした。それがご馳走だった。父親は絶対にそのキュウリはくれないが母親は

1本くれた。だから自分は必ず3本はキュウリを食べれる。多分年齢が9つ上の姉

には悔しい時だったと思う。そうやって甘やかされて育った。今で言うとその店は

洋食屋さんという分類に入るのではないでしょうか。自分の記憶の中で小学校4年

生の時に焼肉が食べれるようになってご馳走が焼肉へと変わった時、その店に足を

運ぶ事がなくなった。


 もうすぐ中学に入学する少し前に自宅から遠くの塾へ自転車で通うようになった。

その塾はレストランの近所だ!ある時レストランの店の名前が気になり記憶をたど

って走ってみた。遠くからもブルーの背景にカタカナでレストランと書かれた看板

が見えてきた。なぜか興奮している自分が居た。

でも店まで着たが看板はあるがあのレストランはもう無くなっていた・・・。

懐かしい

2006年07月23日 00時53分54秒 | Weblog
先日新潟に仕事で行くことがあり、その日は初の福岡空港からANAに

乗った。今まではパック旅行など無いものと決め付けていたので

新潟行きのパック旅行は本当に魅力的である。そのANAの中で読んだ

本を始めて持って帰ってきた。すごくおもしろい永久保存版だと思う。

それは以下の記事が掲載されていました。

その中でも、自分が小学生の時によく食べたうどん屋さんで以下の

サイダーを販売していました。



うどんとサイダーという事でよく母親に「あんたようやるわ。」といわれました。

それだけこのサイダーはうまかったのです。まだ販売しているのは本当にうれしい

ですね。みなさんのお気に入りはなんでしょうか?

すいか

2006年07月21日 19時02分15秒 | お買い物
今日は仕事で大分県に行く用事があった。途中福岡県と大分県の県境にある

大平楽(旧大平村)で会社のみんなに頼まれたパンを購入。そこには野菜コーナー

があり、大好きなスイカが懐かしい紐に巻かれて仲良く並んでいた。いつもはスーパー

でカットスイカを購入するのだが、久しぶりに丸ごと買ってみようかと思いスイカ

のコーナーに移動した。あまり高いと買えないのでまずは値段をチェック。安い。

大が1300円、小が1100円だった。2人だから小でいいかと思い小さい方を持ち上げた。

いつもだったらスイカを指の爪部分でコンコン叩いてみるのだがもしそれで中身が

足らないとショックだと思い、ここは大平村を信じてそのままレジに向かった。

 昔はスイカをよく食べたな~。と思い出していた。夏になるといつもスイカが

一人分にカットされてラップに包まれているのが懐かしくなり、あの時の事を

考えていた。初めてスイカを食べたのはいつだろう。多分赤ちゃんの時には食べて

たんだろうな~。物心がつく頃にはスイカが大好きになっていたと思う。

自分には9歳上の姉がいるので姉が食べる時には自分の口にもはこばれてきただろう

なと思いながら子供の頃のスイカの思い出をたどってみた。思い出したのが

今とスイカの切り方が違うことだった。子供の頃はスプーンやフォークなどを使う

事が無くそのままかぶりつく事が多かったので小さくスライスしていた。でもある時

そうだな、高校生ぐらいの時から1/8にカットした大きさのスイカを先割れスプーンを

使って食べていた。その境目がわからない。

今、ちびカベと結婚して2人で生活するようになってよく考える。

自分が結婚した年齢は母親が自分を生んでくれた年より1つだけ若いだけ。

今で言うと自分が1才の時の母親と同じ年齢になった。

でも母親はこのときには10歳の姉をもう育てていた。もちろん自称買い物のプロに

なっていただろう。家族4人が食べていく事は本当に大変な事だと今になってよく

わかる。スイカ以外にもおもちゃなどのおねだりがあってそれをこなしながら

スイカも買う、もちろん他の果物も生活費も賄う。

本当にすごい。今自分は2人で生活しているが色々な人の支援を受けている。

当時の事を考えるとスイカを丸ごと1つ買うのは今のスイカを3つ買うぐらい

の換算になるんじゃないかな。生活的に楽になるはずの高校生ぐらいの時は自分は

最低1日5食は食べていた。それに1食の量が普通ではない。朝、目覚めてから

どんぶりサイズの茶碗で3杯は食べないと力がでない。

そう考えると自分の子供にはしたくないのが自分である。

最初は娘が欲しいなと考えてしまう。これって軽い少子化問題なのかな。

簡単そうでなかなか難しい一般生活、食べたい時にいつでもスイカが冷えている。

今の自分の目標かな。

第3回スイーツバトル 夏の陣

2006年07月17日 18時12分53秒 | お買い物
今日は我が家で好例のスイーツバトルを開催しました。

前回は4月の開催で春だったので今回は夏の陣です。今回の予算は一人1100円まで

テゲは1050円 ちびカベは1097円でした。

まずはテゲ購入分からテーマは「夏クール!」
 

に以上です。左上から夏はやはり柏餅。でもこの柏餅はもちというより白玉に近いので

冷えていると本当に夏を感じるおいしさです。次が抹茶ぜんざいですが、白玉が入って

本当においしいのですが、初回はテゲとちびカベ、2回目はちびカベ、今回はテゲと順番に

購入している商品です。最後がメロンとマンゴのゼリー入りプリンです。これが

一押し商品ですかね。

ちびカベ購入分はテーマは「お抹茶 涼」
 

 
ちびカベの商品は左上からレアチーズソース、抹茶ソースの寒天、抹茶クリームどら焼き

最後がピノ風のアイスクリームです。テーマにあってるのが半分だけでコンセプト

からやり直した方がいいですね。商品的には問題が無いのですが、味・コンセプト

などを総合的に考えて初めてスイーツバトルが成立します。

みなさんはどちらの購入物を選択しますか?

小倉祇園祭

2006年07月16日 23時45分52秒 | お出かけ
昨日は午前中から山口県の土居が浜に行ってきました。実は金曜日の夜にちびカベが

実家から帰宅してまずは私の生活臭がただよう部屋に入ってドッキリを楽しみました。

早速掃除から始まったちびカベに「明日は何時に出かけよう!9:00ぐらいかな。うーん

やっぱり8:00にしよう」という事でテゲはちびカベが実家へ帰る前に戻す作業を横

目に睡魔の誘惑に簡単にのってしまいました。

朝起きるとちびカベが掃除機とクイックルワイパーと洗濯の続きでせっせと働いて

いて気が付くと8:00をまわっていました。「もうでかけるで!」

と言うと「9:00って言ったじゃん!」となぜか怒られてしまう自分が居た。

なんやかんやで8:45に自宅を出ることになりました。実際の土居が浜は写真がまだ

出来上がっていないので後日お伝えします。


実はこの日はもう一つイベントが!そうです。きちさんとトモさんに会う日です。

小倉で18:30に待ち合わせだったので小倉へ移動。時間通りきちさんと合流。

でもまだともさんはいませんでした。ちびカベは生きちさんと会うのは今日が初めて。

そこで10分ほどまつと仕事が終わってこっちへ向かっているともさんが合流。

小倉に2年以上住んでいるちびカベとテゲはまったく小倉祇園祭に参加も見学も

したことがなかったのできちさんに案内してもらいました。

八坂神社で一通り満喫したテゲとちびカベはそこからきちさんの予約してくれている

行きつけのお店で食事をすることに。土井が浜のおかげで体中が真っ赤になった

ちびカベとテゲは体が火照ってまずはビールを!やはり最初の一杯は最高においしい。

テゲはもともとアルコールの味がだめなので次からはウーロン茶。それからはきち

さんに色々な話を聞きました。何について話たかは皆様の想像にお任せします。

あとちびカベとともさんが同じ学年と言うこともわかりました。

それではという事で店を後にしてちびカベとテゲはきちさんとともさんにお別れし

て自宅へ。そこで思い出しました。そうです。きちさんとともさんの写真を撮るの

を忘れていました。デジカメは2つもあったのにテゲとちびカベは2人供すっかり

忘れていたのです。という事できちさんとともさん次回はみんなで写真を撮りましょう。

そしてどこかへお出かけしましょう。ちびカベのブログから新たな仲間に出会える

という今の世界は本当に最高です。また新たな出会いがあることを楽しみにしています。

豊後竹田へ仕事(リョコウ)?

2006年07月13日 22時05分52秒 | 仕事
今日はとても暑い中、仕事で大分県の竹田市に訪問した。

小倉駅を出てまずは大分へ

              〈小倉駅〉

大分まではソニック号で向かいそこからはディーゼル車で業界用語でも電車ではなく

車という乗り物に乗っていざ豊後竹田市へ
 
指定席などは無いワンマンカーですが、人が少ないのですごく乗りここちは

よかったです。

駅に着くと滝廉太郎の荒城の月が流れてきてまたすごい曲が流れるな~と思い

駅を出た。これが駅前の写真と駅前に流れる川の写真だ。
 

至る所に岡城跡と看板などがあり気になって調べてみた。するとおもしろい歴史に

いきついた。滝廉太郎の先祖は代々日出藩の家老を務めてきた家柄で日出といえば

別府市の隣に位置し、焼酎二街道のふるさとでもある。

滝廉太郎の父は幕末時、岡藩の家老を務めていて大久保利通・伊藤博文の右腕とし

て中央で活躍した人だったそうだ。それで滝廉太郎記念館が豊後竹田の駅から歩い

て5分ほどの所にあるらしい。つまりあの名作「荒城の月」の荒城とは岡城の事だ

という事を会社に帰ってから社長に聞いて、「しまった。」岡城に行ったらよかった!

と後悔してしまいました。仕事柄色々な場所に行くことがあるのですが、知らなければ

ただの田舎の駅。知ってたら歴史の香りがする駅。やはり何でも知識はつけておかない

と損をしますよね。

儲かる話?

2006年07月12日 23時29分02秒 | Weblog
今日はどこにも出かけていないので普段私がよく考えている事を少しだけ書いてみます。

そうです。どうやったらお金持ちになるか?

こんな難しい事を考えている暇があったら・・・などとご指摘をいただくかもしれません。

でも真剣に考えてみると面白いものです。合法的な博打という手もあります。

では「宝くじ」どうでしょう。皆さんは研究した事ってありますか?

海外でよく20億が当たったとか億のお金が人生で2回も当たった!(実話)など

夢のような話は本当にあるのです。その当選者の大半は当選するまで10年でも20年

でも同じ番号を買い続けるということでした。


では日本のロト以外の毎年4回盛り上がるジャンボ宝くじはどうしたものか?

これも所詮は統計学で当たるのではないでしょうか?そうです究極の統計学です。

たとえばスーパーや大手量販店などでは子供連れのお父さんが来た時はビールを

購入する確立がかなり高いそうです。という事はビールを売りたかったらお父さん

に子供をつれて来店してもらう事ですよね。でも逆の発想で実は、本来売れていた

物が売れなくなるという事もありえるかもしれません。それは店にとって

どっちが良かったんでしょうね・・・。

結果はさておき統計学というのは真実に向かって確実に答えに向かうという究極の

計算方法なのです。ではその単純に3桁の組と6桁の数字を見事ぴったり当てる事に

よって2億円も手に入る方法があるのでしょうか?この議題はもしかしたら

大学の理系の問題になってるかもしれませんね。では宝くじを考えてみましょう。


通常組数は3桁と言いますが、実際に過去(近い過去しかデータがありませんが)には

3桁の組数で1等が当たっている確立はありません。ですのでこれだけで1桁削れました。

あとは組数を当てるには2桁つまり01組~99組までに絞れました。

次に当選番号です。実はこれが一番当てやすいかもしれません。実は最初の数字は

いつも必ず1なのです。つまり123231や182342など必ず1で始まっています。

これでわかりますよね。すでに5桁に絞られました。では皆さんは何枚購入しますか?

例えば10枚買えば下一桁は必ず当たっていますよね。そうです。これで4桁に

絞られました。という消去法で購入するのは一般人はここまでです。1等の組み違い

でよこれば1/9999の確立で1等と同じ番号が転がり込んできます。

必ず続きの番号で買う必要がでてきますが、何だか当たるようになってきたでしょう。

でも元金が要ります。そこで私は先日西日本宝くじなるものを購入しました。

金額で言うと1万円。つまり100枚購入したことになります。西日本は1枚100円です。

この時点で先ほどの確立で言う1/999で1等が転がり込んでくる確立に入りました。

さらになんとなく当たる気がしてきません。でもここに実は落とし穴があります。

本当に宝くじとは人の気持ちをうまく誘惑してくれます。

今回の1等当選金額は1千万円です。つまりあと999万円だせば必ず1等と同じ番号に

出会えるのです。さらに当然1等とは1枚だけではありません。大体2本違う番号で

発表されます。ってことは1千万円買えば2千万円当たるという事?となりそうです

がその先に組というもう2桁の敵がまっています。ここまでくると後は神様しか

居ません。この方法でも同じ売り場で1千万円分同組で続きの番号を買えるわけが

ありません。そうです。皆さん宝くじに頼ってはだめですよ。

といいながら7月14日の発表を楽しみにしているテゲでした。

天使と悪魔

2006年07月11日 21時33分06秒 | 仕事
今までに見たテレビドラマでは沖正也出演の「俺たちは天使だが最高だ!

あのロングブーメランが一定方向に曲がるのではなく360度悪役がいてる方に

飛んで行くすばらしいウエポン

この当時で小学生だった自分の現在の年齢がわかってしまうのだが、妻

は「俺たちは天使だ」を知らないらしい。だってウッドペッカーですら知らないのだ。

天使と悪魔というタイトルで話が俺たちは天使だに脱線してしまったが実際知りた

かったのは、天使と悪魔ではどちらが強いのか?だ。どんな物語でも

やはり最後に勝つのは天使だ!今までの天使の中で一番弱いのはリボンの騎士に

登場するチンクだがそれでも最後はサファイアの幸せをつかむことができたのだ。

でも今日、テゲが出会った天使は弱かった。仕事も一段落して会社に戻ろうと行橋

方面から会社に向かっている途中ローソンなるものを発見した。別にどこにでも

あるローソンに見えた。でもオーラが違った。何かテゲを引き込もうとする物を

感じ取った。アリ地獄に吸い込まれるように駐車場に車を止めた。

自動ドアでは無いドアを持てる力を最大限に発揮して引っ張った。まっすぐ行くと

おにぎり達がこっちだよと手を振っているように見えた。「うんっ

錯覚か。と思い、本が並んでいる方へ歩いていった。そこには今まで見たことが無い

飲み物たちが寂しいつぶらな瞳でこちらを見ていた

ここで天使と悪魔に出会った。まさしくその見事な陳列は悪魔が陳列したに

間違いない!でも天使が耳元でささやいた。「どこでも売ってる物が並んでるだけ

だよ」と教えてくれた。テゲもその場で本当だ。と思って立ち去ろうとした時、ふと

足元を見ると今まで見たことの無い色でASAHI MITUYAと書いてある。一番下の段

で普段目に留まらないデッドゾーンにだ。お前はゴールデンスペース(一番目に着く場所)

にいても良いんだよと言いたくなる品物だった。これは助けてあげなければ!と

心のそこから正義感がみなぎって来た。早速彼を救出したテゲは次なる難関へ。

それはパン売り場だレジまで素通りする予定だったがまたまた懐かしい物が

こっちだよと手を振っていた。それは日本全国にテゲに罠を仕掛けて

いる山崎パンの商品だった。そのパン達の中をまるで火の海を泳ぐがごとく進んで

行ったが、「俺だよ!」と声をかけてきた。そこで思い出した。30年前にひろってきた

ネコを母親の強い反対にあい、野にはなった時に生き別れになったあの時のネコ、

まさしくあの時の心境だった。テゲは考えました。「もうお前を放したりしない

よ」と。すごく良い事をしたテゲはレジで見受け金247円を支払って店を出た。

そこで見たのです。振り返って店を見ると悪魔がケタケタ笑っているのを。

でも俺は良い事をしたぞ!と助けた子達と供に車に乗り込んだ。これがその時

撮ったスナップ写真だ。

やはり悪魔は強かった。

みなとみらい21

2006年07月10日 21時14分49秒 | 出張
先日みなとみらい21内のホテルに泊まった。

長年神奈川県にも住み、横浜にも約4年生活した。どこに行ってもおもしろい。

ディズニーランドも横浜から湾岸線を走れば40分で到着する。

でも今では横浜に来るのは旅行か出張だけ。

実際に会社の人などには「ここに何何があって・・・」などと自慢する。

実は有名な所しかしらないけどね。

写真の帆船の帆の形をしたホテルがインターコンチネンタルホテル。そう、

私テゲがちびカベと挙式を挙げた場所です。


写真は今回宿泊したワシントンホテル桜木町からの眺めです。

離れてみてわかるすごい町。横浜に居た時は自転車で「みなとみらい」まで

来て、開港祭の打ち上げ花火を見たりと本当に楽しい思い出が残っています。

今住んでいる北九州も、これから妻と2人で色々な思い出を作っていこうと

思います。

横浜の象徴、日本の象徴でもある「みなとみらい21」で挙式を挙げたという

思い出は本当にすばらしい事です。強くこの地で挙式を挙げる事を希望した

妻に感謝しています。