DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

相互承認としての保守

 僕の場合、仕事の辛さは個人的なプライベートへ逃げてしまう。つまり、「どうか僕を評価してくれるな」と言う場所へ引きこもる。職場では常に自身の評価と周囲の評価のギャップに苦しんでいるので、そもそも評価されること自体に拒否反応を示してしまう。
 そういう引きこもりも例はたくさんあると思うが、世の中的には評価を拒絶するより、プライベートでも評価を求める人の方が圧倒的に多い。と言うか、僕だってSNSでの書込みにイイネがたくさんもらえれば正直嬉しい。
 将来に行き詰まりを感じた場合、自暴自棄になって反社会的な行動に走るものも中にはいるが、今の時代、80年代のような“不良”はいなく、前述の“引きこもり”か、これから議論する“極右”になる。
 個人的には極右=ネット右翼は基本的に相互承認願望から生まれたものだと思っている。反抗期に反社会的な行動と言う方程式(ニセながら愛国者を自称する)はくずれつつも、その過激さで不良性は担保されている。80年代の不良も、暴走族とか竹の子族とか、一定の閉鎖的コミュニティを作って相互承認の場を築いていたことを考えれば、確かにあの時代の不良少年少女も相互承認の場を求めていた。今はモバイルがありネットがあるから、バイクに乗らなくても相互承認の場がバーチャル空間に容易に現れる。
 その意味で、イスラム国もまた、ネット時代の相互承認の場なのだと思う。彼らの戦闘員の集め方はYouTubeを多用してると言うし、過激なイスラム保守思想は先進国での極右思想と同様の過激な相互承認の場となっている。
 ある意味、在特会のような過激保守団体は、イスラム国のような本当に暴力的な団体に進む前の緩衝地帯として、ガス抜きになっているとも言えるし、1回トリガーが引かれれば実際に暴力団体(ヤクザではなくオウム的な)に昇格する危険性もある。
 怖いのは暴力性自体より、ネットの特性である“中心を持たない緩いつながり方”をしていることだろう。つまり、親玉は誰なのか、どこにいるのかが分からない状態。米軍のような戦闘能力が役に立たない集団は暴力では倒せない。
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