その一方、憲法もまた、政治を語る上で“外部基準”としてふさわしいツールである。
もちろん、法治国家では憲法に限らずあらゆる法律、条例が名文化され、特定の人物(すなわち独裁的統治者)の思惑に左右されない政治決断をする仕組みが出来上がっている。そして憲法はその頂点に君臨する。
そのときどき、ケースバイケースで判断を下すことも大事だが、正しい判断をするためにメンターとして存在価値を持つ外部基準として、憲法は最高の地位にあると言える。すなわち、憲法とは本来、時代の流れで変えるべきものではない(その下の法律を変えれば良い話)。
だから、時代の流れに沿って憲法を変える、と言う入口の議論がすでにおかしい。たかだか数十年ごときで変わるものを拠り所に政治的判断を下すなんてあり得ない。2000年間変わらない聖書のように、長い年月の風雪に耐えた言葉こそが私たちの正しい外部基準になる。
最新の画像もっと見る
最近の「社会・政治」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- スーパー戦隊&プリキュア(更新停止)(39)
- 床屋めぐり(101)
- 町歩き(549)
- その他(36)
- ランニング(104)
- 海外事情(72)
- 朝ドラ(843)
- 朝ドラマ(更新停止)(81)
- 町歩き(更新停止)(41)
- 社会・政治(更新停止)(45)
- アイドル(更新停止)(53)
- 音楽(更新停止)(38)
- 映画・美術(更新停止)(18)
- 日記(19)
- うまいもん(更新停止)(85)
- お風呂屋さん(更新停止)(97)
- 日常(500)
- インポート(12)
- 映画・演劇・美術(303)
- アイドル(1429)
- スーパー戦隊&仮面ライダー(1379)
- 音楽(724)
- 社会・政治(973)
- 銭湯・温泉(1593)
- 旅行(144)
- グルメ(1243)
バックナンバー
人気記事