DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

ブラタモリ 2/25

 神戸の街編。珍しく好天。えっ、京都?(笑、あちこち行ってたら分からなくなりますよね)異人館、私は行ったことないです。「神戸はなぜ“ハイカラ”なのか」。ハイカラの語源、襟が高い衣服から来てるのか。洋館の屋根に瓦屋根にシャチホコ、和洋折衷の館。
 おっ、実際に異人館に潜入!表札は森田!一字違いキタ!(^O^)
 わー、オシャレだなー!洋館に和室があるとかめっちゃエキゾチック!
 異人館になる前(=開港前)の神戸を探しに。異人館街に突然神社、平清盛建立。ある異人館の地下室。地下ではなく半地下。昔は池だった!なるほど、かつては段々畑だったのか。農村に外国人が入って住むようになった、本来、外国人居留地ではないのですね。雑居地、横浜長崎にはないのか。そこから“ハイカラ”が始まったと。
 旧居留地に今も残る街の番号。最初は連続してましたが、突然番号が飛ぶ。なぜでしょう?もともとバラバラみたいです。なるほど、朝廷から勅許が出なくて居留地の許可が降りず居留地をちゃんと作れなかった。その結果雑居地が増えたのですね。
 現れたのは高層ホテル、上から神戸を一望することに。タモリさん名言来ました、「高いところに上りたがるヤツはアホ」!雑居地は四方を山と川に囲まれていたので雑居地に開放しやすかった。日本人が栄えた兵庫の街とは分けた様子。その境界とは?
 段差がありますね、タモリさんは河岸段丘と予想していますが、果たして?どうも自然な段差ではないらしい。天井川?なるほど、洪水による土砂と人間が作る防水堤で次第に高くなったのですね。
 その湊川を先ずは埋め立て。新開地商店街、どんどん下って反対側へ。この商店街、昭和初期は浅草の匹敵する繁華街に。あの淀川長治さんもここで育ったそう。
 おっ、ついにべっぴんさんの舞台になった場所へ!と言ってもキアリスじゃなくスイーツのお店。
 お菓子工場へ。瓦せんべいが作られています。見た目和風で材料は洋風。神戸の異人文化と兵庫の工場が組み合わさって洋菓子文化が日本中に広がったと。さらにトンネル。なるほど、和洋折衷自体の発祥地と言うことですね。
#おっ、瓦せんべい工場で「ブラタモリ」せんべい完成!
#次回は奄美大島。
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