昨日はインカムの調子を見ることもあって,二度目の美術トークに参加させていただいた.15名の定員に対し10名強と出だしはまずまずのようだ.
展示室に向かいながら「松方コレクションにはあまり知られていませんが,膨大な浮世絵も含まれていて国博の方で保管されている」というお話は新鮮だった.
まず,15世紀後半のフィレンツェ派であるヤコポ・デル・セライオの奉納祭壇画「聖三位一体、聖母マリア、聖ヨハネと寄進者」
セライオはフィリッポ・リッピの工房でボッティチェッリと相弟子だったらしいが,ボッティや同時代のフィリッピーノ・リッピやギルランダイオの様式を真似てそれなりの成功を収めた画家だがボッティほどの輪郭線描の美しさはない.専門外でこの作品は一瞥以上したことがなかったことに今回初めて気づいた次第.西美の作品解説によるとボッティへの傾倒が強くあらわれる前の中期の作品とのことである.
トークでは,中景に15世紀のフィレンツェの町並みと橋(3つ目がポンテ・ヴェッキオ)が描かれており,奉納者であるこの時代の人はどの人でしょう(左から二人目の男性 聖人には光輪があり金で描かれるのは契約料が高い)という質問の後,当時流行したペストで亡くなった妻と娘は白布にくるまれており,息子は右の福音書記者ヨハネにすがっていること,右端は聖母マリア,このほか,背景に描かれている小画面主題の一部について触れられた.ついで三位一体の話,周囲に橙色で智天使ケルビムがいて,十字架の下にある人骨はアダムのものをあらわしていることが説明された.
実際,左の山に「イサクの犠牲」「善きサマリア人(これも描かれ方には差があるが)」「キリストと洗礼者ヨハネの出会い(このイエスだけはよくわからなかった)」
中ほどの路上に「聖アウグスティヌスの幻想」(貝殻で水をすくう子供)と「トビアスと天使(これもややわかりにくいが天使といる子供はトビアスのことが多い)」
右に「聖痕を受ける聖フランチェスコ(これも聖痕を受けるポーズというのがあって手の向きが違うようだが他の主題は考えにくい)」「聖ヒエロニムス」「十戒を受けるモーゼ(石板が異様に小さい)」が小画面で描かれており,これらの主題を直感的に理解できるかどうかは古典絵画を数多く見ているとわかるであろう.
ヤーコプ・ヨルダーンス(に帰属)「ソドムを去るロトとその家族」(ルーベンスの構図に基づく)
この作品は1978年に西美がルーベンスの作品として購入したが,デュルストらが疑義を唱えたこともあって,美術史に暗い当時の某新聞の記者が「西美は輸出超過の国策でドル減らしにニセモノを買って展示している云々」の批判的記事を書き,当時の館長が「今後は二度と贋作を展示したりしない」と述べた,とかいう記事を呼んだ覚えがある曰く付き作品.現在の海外の一流美術館においてさえも帰属(アトリビューション=誰が描いたのか)の不明確な作品や残念ながら見解の相違で異なった画家の作品とされているケースもあるのにである.
西美はその帰属を巡り,1993年に寸法と構図が微妙に異なるリングリング美術館(部分的には弟子の手が入っているにせよ質的には圧倒的に高く必ずしもルーベンスによるプライムバージョンと認められているわけではないが最もそれに近い)とバース美術館(ルーベンス工房作)の作品と併せて小企画展を開き,「西洋美術館の作品は、巨匠の腕が発揮されるべき頭髪や天使の翼が類型的に表現されていることから、それまではルーベンスの監督下に制作された工房作と見なされてきた。しかし、多くの点でリングリング美術館の作品と異なることから、おそらくバース美術館の作品にもとづく自由な模写と推定される。作者については、確証こそないが、逞しい肉体表現と冷たい薄紫色を根拠に、ルーベンスの若き協力者であったヤーコプ・ヨルダーンス(1593-1678)の最初期の作と見なすデュルストの説が現時点では有力視されている」としている.
リングリングringling美術館作品 220x244cm
バース美術館作品
トークでは,主題の説明に始まり,炎上するソドムの町は描かれず群像のみであること,ロトの横の妻は後に禁を破って振り返り塩の柱になる(背後の柱はその暗示か),後ろの娘が腹に手を置くのは,妊娠を暗示しており,後の近親相姦を連想させる(町を去ることと二重の意味で泣いているのかもしれない)ことなどを説明してくださった.
華やかな色遣いの故に家族の悲しみが浮き彫りにされ,裕福な生活から一転して流浪の身となるという人生の不確定性が描かれている.老人ロトが先導する天使に促されながらも後ろからもう一人の天使に呼びかけられた瞬間を描いているが,天使の指し示しているのが娘(のお腹)だとすると,この後の話に結びつくのではないかと指摘させていただいた.
なお,いつの時代の,どこで,誰が制作した作品であるかを初めに語っていただいたほうが,作品の位置づけがはっきりしてよいような気もした.
アトリビューションについてはさらっとヨルダーンスの作品として触れられて,ルーベンスとその工房作品(上記)との比較で,ロトの娘の衣の青の顔料がリングリング作品にはラピスラズリが使用されていたが,ほかの作品ではもっと安い顔料だったことなどから,ルーベンスの作品とはみなされなくなったというような表現だったと思う.そして,右隣にかけられている「聖家族」を含めて比較的初期のヨルダーンス作品として説明されていた.
上記のような紆余曲折があるので西美は婉曲的かつ極めて控えめにわざわざキャプションに(に帰属)といれているわけなので,正確に表現されることを期待したいが,美術館の判断として(に帰属)を取ってしまっても良い作品であろうとも思う.
帰属の判定は描写技法と科学調査によるが,私見でも,とくに初期のルーベンスに基づくヨルダーンス作品の特徴と思われる影付けの灰(青紫)色が印象的である.
ここで,よく考えないで質問して墓穴を掘ったのだが,ヨルダーンスは1618年にルーベンス工房にいたのではと質したところ,担当された方は「ヨルダーンスがルーベンス工房にいたという記載はない」とのこと,そして,この作品の下地がルーベンス工房のものと異なるということも指摘された.流石である.
確かにヨルダーンスはアダム・ファン・ノールトに師事しルーベンスの弟弟子であり,昔の一般向け美術解説書にはヨルダーンスもヴァン・ダイクのようにルーベンス工房にいたような記述があったと思う.しかしながら,調べなおすと1615年にアントワープの親方画家となっているので,1618年ごろにルーベンス工房に所属していたはずはない.残る可能性は流しの大工のひとり親方のように招かれて共同制作したのか,サイズが近いならルーベンスの許諾下でコピーを製作したのか,ルーベンスから下絵を借りたのか(完成作への製作過程での三作の間のバリエーションが乏しく版権からも考えにくい)・・・・"Concept, Design & Execution in Flemish Painting, 1550-1700", H.Vliegheを注文して読もうと思っていたところ,たまたまT先生からお話を聞く機会を得た.要約すると以下のようになる.
「ヨルダーンスとルーベンスは知り合いであっただろうが,1615年以後,ともに工房を構えた親方であるとすれば,絵画制作は分業であったろうから弟子を少なくとも二人は雇わねばならず,工房の運営も考えれば,二つの工房に製作を依頼することは,宮殿の装飾などでないかぎり,一つの作品についてだけはありえなかっただろう.ヨルダーンスはルーベンスの完成作をうまく模写したというのが真相ではないか.この場合,ルーベンスの同意があったかどうかは定かではない.」
三点目はやはりモネ.「舟遊び」は彼の47歳ごろの作品.
はじめに「この絵はどこの場所を描いているのか,海か川か池か」という質問は回答困難.正解はないのかもしれない.
次に「この絵の天気はどうでしょう」花でないとしたら水面に雲が反射しているので,晴れ時々曇りか?
じつは手前の影のように見えるのは,私は水面の単なる反射にしか見えず,もし直射日光が当たっているならば人物の影が出来るはずであるにもかかわらず,影はどこにも明瞭に描かれていないと思ったのである.厚い雲に隠れた日の光ならこのままでいいのだが,西美にあるほかのモネの作品にも明瞭な影は書き込まれていないようだ.ルノワールなら木漏れ日の木の葉の影が人物に落ちていたりする絵画作品をよく見ているので,モネはこのような影付けをあえてしなかったのではないかと思い質問したのだが,残念ながら,通じなかったようだ.
途中,ロダンの「説教する洗礼者ヨハネ」のブロンズ像について,この人は何をしているのでしょうと問われた.美術作品の鑑賞にはこのような問いかけがあると新鮮な目で見直すことかできる. 両足を前後しながら両かかとを着く姿勢はありえず後ろの足が長くなっており,また腕も長すぎるなど人体の現実のプロポーションを無視して,理想のプロポーションを追求していることの説明があった.
最後はポロックの作品.アクションペインティングの話.
お疲れ様でした.トークを聞く人には嗜好や知識の差があるので短時間で要領よく説明されるのは大変であろうと思います.ひとつ言えるのは古典絵画ほど知識を要求するし,知っていればいるほど楽しめるということ.このあたりに聞き手の関心があるかどうかで時間配分に変化をもたせると良いかもしれませんね.
館の学芸の方と打ち合わせた上でのトークだと思い込んでいたので,失礼も省みず突っ込んだ質問をしてしまいましたが,しばらくご遠慮することにいたします.
展示室に向かいながら「松方コレクションにはあまり知られていませんが,膨大な浮世絵も含まれていて国博の方で保管されている」というお話は新鮮だった.
まず,15世紀後半のフィレンツェ派であるヤコポ・デル・セライオの奉納祭壇画「聖三位一体、聖母マリア、聖ヨハネと寄進者」
セライオはフィリッポ・リッピの工房でボッティチェッリと相弟子だったらしいが,ボッティや同時代のフィリッピーノ・リッピやギルランダイオの様式を真似てそれなりの成功を収めた画家だがボッティほどの輪郭線描の美しさはない.専門外でこの作品は一瞥以上したことがなかったことに今回初めて気づいた次第.西美の作品解説によるとボッティへの傾倒が強くあらわれる前の中期の作品とのことである.
トークでは,中景に15世紀のフィレンツェの町並みと橋(3つ目がポンテ・ヴェッキオ)が描かれており,奉納者であるこの時代の人はどの人でしょう(左から二人目の男性 聖人には光輪があり金で描かれるのは契約料が高い)という質問の後,当時流行したペストで亡くなった妻と娘は白布にくるまれており,息子は右の福音書記者ヨハネにすがっていること,右端は聖母マリア,このほか,背景に描かれている小画面主題の一部について触れられた.ついで三位一体の話,周囲に橙色で智天使ケルビムがいて,十字架の下にある人骨はアダムのものをあらわしていることが説明された.
実際,左の山に「イサクの犠牲」「善きサマリア人(これも描かれ方には差があるが)」「キリストと洗礼者ヨハネの出会い(このイエスだけはよくわからなかった)」
中ほどの路上に「聖アウグスティヌスの幻想」(貝殻で水をすくう子供)と「トビアスと天使(これもややわかりにくいが天使といる子供はトビアスのことが多い)」
右に「聖痕を受ける聖フランチェスコ(これも聖痕を受けるポーズというのがあって手の向きが違うようだが他の主題は考えにくい)」「聖ヒエロニムス」「十戒を受けるモーゼ(石板が異様に小さい)」が小画面で描かれており,これらの主題を直感的に理解できるかどうかは古典絵画を数多く見ているとわかるであろう.
ヤーコプ・ヨルダーンス(に帰属)「ソドムを去るロトとその家族」(ルーベンスの構図に基づく)
この作品は1978年に西美がルーベンスの作品として購入したが,デュルストらが疑義を唱えたこともあって,美術史に暗い当時の某新聞の記者が「西美は輸出超過の国策でドル減らしにニセモノを買って展示している云々」の批判的記事を書き,当時の館長が「今後は二度と贋作を展示したりしない」と述べた,とかいう記事を呼んだ覚えがある曰く付き作品.現在の海外の一流美術館においてさえも帰属(アトリビューション=誰が描いたのか)の不明確な作品や残念ながら見解の相違で異なった画家の作品とされているケースもあるのにである.
西美はその帰属を巡り,1993年に寸法と構図が微妙に異なるリングリング美術館(部分的には弟子の手が入っているにせよ質的には圧倒的に高く必ずしもルーベンスによるプライムバージョンと認められているわけではないが最もそれに近い)とバース美術館(ルーベンス工房作)の作品と併せて小企画展を開き,「西洋美術館の作品は、巨匠の腕が発揮されるべき頭髪や天使の翼が類型的に表現されていることから、それまではルーベンスの監督下に制作された工房作と見なされてきた。しかし、多くの点でリングリング美術館の作品と異なることから、おそらくバース美術館の作品にもとづく自由な模写と推定される。作者については、確証こそないが、逞しい肉体表現と冷たい薄紫色を根拠に、ルーベンスの若き協力者であったヤーコプ・ヨルダーンス(1593-1678)の最初期の作と見なすデュルストの説が現時点では有力視されている」としている.
リングリングringling美術館作品 220x244cm
バース美術館作品
トークでは,主題の説明に始まり,炎上するソドムの町は描かれず群像のみであること,ロトの横の妻は後に禁を破って振り返り塩の柱になる(背後の柱はその暗示か),後ろの娘が腹に手を置くのは,妊娠を暗示しており,後の近親相姦を連想させる(町を去ることと二重の意味で泣いているのかもしれない)ことなどを説明してくださった.
華やかな色遣いの故に家族の悲しみが浮き彫りにされ,裕福な生活から一転して流浪の身となるという人生の不確定性が描かれている.老人ロトが先導する天使に促されながらも後ろからもう一人の天使に呼びかけられた瞬間を描いているが,天使の指し示しているのが娘(のお腹)だとすると,この後の話に結びつくのではないかと指摘させていただいた.
なお,いつの時代の,どこで,誰が制作した作品であるかを初めに語っていただいたほうが,作品の位置づけがはっきりしてよいような気もした.
アトリビューションについてはさらっとヨルダーンスの作品として触れられて,ルーベンスとその工房作品(上記)との比較で,ロトの娘の衣の青の顔料がリングリング作品にはラピスラズリが使用されていたが,ほかの作品ではもっと安い顔料だったことなどから,ルーベンスの作品とはみなされなくなったというような表現だったと思う.そして,右隣にかけられている「聖家族」を含めて比較的初期のヨルダーンス作品として説明されていた.
上記のような紆余曲折があるので西美は婉曲的かつ極めて控えめにわざわざキャプションに(に帰属)といれているわけなので,正確に表現されることを期待したいが,美術館の判断として(に帰属)を取ってしまっても良い作品であろうとも思う.
帰属の判定は描写技法と科学調査によるが,私見でも,とくに初期のルーベンスに基づくヨルダーンス作品の特徴と思われる影付けの灰(青紫)色が印象的である.
ここで,よく考えないで質問して墓穴を掘ったのだが,ヨルダーンスは1618年にルーベンス工房にいたのではと質したところ,担当された方は「ヨルダーンスがルーベンス工房にいたという記載はない」とのこと,そして,この作品の下地がルーベンス工房のものと異なるということも指摘された.流石である.
確かにヨルダーンスはアダム・ファン・ノールトに師事しルーベンスの弟弟子であり,昔の一般向け美術解説書にはヨルダーンスもヴァン・ダイクのようにルーベンス工房にいたような記述があったと思う.しかしながら,調べなおすと1615年にアントワープの親方画家となっているので,1618年ごろにルーベンス工房に所属していたはずはない.残る可能性は流しの大工のひとり親方のように招かれて共同制作したのか,サイズが近いならルーベンスの許諾下でコピーを製作したのか,ルーベンスから下絵を借りたのか(完成作への製作過程での三作の間のバリエーションが乏しく版権からも考えにくい)・・・・"Concept, Design & Execution in Flemish Painting, 1550-1700", H.Vliegheを注文して読もうと思っていたところ,たまたまT先生からお話を聞く機会を得た.要約すると以下のようになる.
「ヨルダーンスとルーベンスは知り合いであっただろうが,1615年以後,ともに工房を構えた親方であるとすれば,絵画制作は分業であったろうから弟子を少なくとも二人は雇わねばならず,工房の運営も考えれば,二つの工房に製作を依頼することは,宮殿の装飾などでないかぎり,一つの作品についてだけはありえなかっただろう.ヨルダーンスはルーベンスの完成作をうまく模写したというのが真相ではないか.この場合,ルーベンスの同意があったかどうかは定かではない.」
三点目はやはりモネ.「舟遊び」は彼の47歳ごろの作品.
はじめに「この絵はどこの場所を描いているのか,海か川か池か」という質問は回答困難.正解はないのかもしれない.
次に「この絵の天気はどうでしょう」花でないとしたら水面に雲が反射しているので,晴れ時々曇りか?
じつは手前の影のように見えるのは,私は水面の単なる反射にしか見えず,もし直射日光が当たっているならば人物の影が出来るはずであるにもかかわらず,影はどこにも明瞭に描かれていないと思ったのである.厚い雲に隠れた日の光ならこのままでいいのだが,西美にあるほかのモネの作品にも明瞭な影は書き込まれていないようだ.ルノワールなら木漏れ日の木の葉の影が人物に落ちていたりする絵画作品をよく見ているので,モネはこのような影付けをあえてしなかったのではないかと思い質問したのだが,残念ながら,通じなかったようだ.
途中,ロダンの「説教する洗礼者ヨハネ」のブロンズ像について,この人は何をしているのでしょうと問われた.美術作品の鑑賞にはこのような問いかけがあると新鮮な目で見直すことかできる. 両足を前後しながら両かかとを着く姿勢はありえず後ろの足が長くなっており,また腕も長すぎるなど人体の現実のプロポーションを無視して,理想のプロポーションを追求していることの説明があった.
最後はポロックの作品.アクションペインティングの話.
お疲れ様でした.トークを聞く人には嗜好や知識の差があるので短時間で要領よく説明されるのは大変であろうと思います.ひとつ言えるのは古典絵画ほど知識を要求するし,知っていればいるほど楽しめるということ.このあたりに聞き手の関心があるかどうかで時間配分に変化をもたせると良いかもしれませんね.
館の学芸の方と打ち合わせた上でのトークだと思い込んでいたので,失礼も省みず突っ込んだ質問をしてしまいましたが,しばらくご遠慮することにいたします.