泰西古典絵画紀行

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かたちは、うつる-国立西洋美術館所蔵版画展

2009-07-12 21:52:41 | 古典絵画関連の美術展メモ
2009年7月7日~8月16日

 開館当時フランスの古典24点から始まった同館の版画コレクションは3,747点に達し,デューラーから17世紀のカロやレンブラント,18世紀のピラネージやゴヤ,19世紀のドーミエやクリンガーなど,西洋版画史における重要な芸術家たちの優品を所蔵しており,今回,若干の素描作例(実際ターナーのシンプルな素描の小品もありました)と書籍を併せて約130点を初めてまとまった形で紹介する機会とのこと.西美の研究員である新藤 淳先生のギャラリートークを伺いました.講演会やスライドトークはよく見かけましたが,今回は本当に展示室内での解説で約30人ほどが参加されていたようです.作品群は企画展のB1Fフロアを使って展示されています.


企画展示室入り口

左手に「序 うつろ-憂鬱・思惟・夢」として8点の作品を工夫を凝らして展示
 解説によると「うつる」という言葉を「映る(投影)」「写る(転写)」「移る(伝播・憑依)」と読ませて,それによる意味の変化を目に見える「かたち(イメージ)」で展示し表現してゆくというコンセプトらしく,この語源は空・虚(うつ)からの派生であるということで,メランコリーをモチーフにした作品を導入に展示してあります.
 以下,作品の写真撮影は同館の所蔵品であるため許可されていますが(当然フラッシュ禁止),額装にアクリル板が入っていて周りが映り込み,照明は当然暗くてしかるべきなので撮影は困難を極めます.


まずデューラー版画の最高傑作のひとつ「メレンコリアⅠ」1514年

 この主題や個々の図像学的な解釈には諸説がありますが,このころから憂鬱質という体液に基づく気質はマイナス面だけではなく芸術的才能というプラスの面とも関連するという説が広まり,メランコリーという主題が芸術作品にも取り上げられるようになったとのこと.当時はまだ幾何学図形を正確に表現することは容易ではなくデューラーの腕の確かさが示されています.

・参考:四体液説[人体は四種の体液(血液・黄胆汁・粘液・黒胆汁)で構成される]はヒポクラテスによるが,彼の着想でガレノスによって発展した四大気質とは,各体液成分の優位によって,多血質[社交的で飽きっぽい]・胆汁質[決断力に富むが激しやすい]・粘液質[沈着で鈍重]・黒胆汁質(憂鬱質)[独創性があるが非社交的で憂鬱・怠惰]のいずれかの気質が決まるという概念で,エンペドクレスの四大元素(空気・火・水・土),四季(春・夏・秋・冬),成長(幼年・青年・壮年・老年)と対応すると考えられた.


その隣りはレンブラントの「蝋燭のあかりのもとで机に向かう書生」B148.1642年頃<解説無し>

 レンブラントの銅版画作品にはこのようにほとんど真っ黒な闇に支配された画面のなかにおぼろげに浮かび上がる作品が数点ありますが,極めつけは「書斎の聖ヒエロニムス」B105と本作でしょう.ともに手を頭において瞑想~苦悩しているかのようです.

続いて,ゴヤの「理性の眠りは怪物を生む」1799年
 解説では机にもたれるポーズは憂鬱質を示し,夢には怪物が出てくる,これが続くクリンガーの「夢」のモチーフに引き継がれます.このほか,ピカソの「貧しき食事」も展示されています.

 解説では触れられませんでしたが,西美にはレンブラントの銅版画は11点所蔵されているはずで,今回は計4点が展示されています.展示の流れからは外れますが,それらを先に提示すると

レンブラント「柔らかい帽子と刺繍付きの外套をまとった自画像」B7.1631年



レンブラント「東洋風を装った自画像」B23.1634年

 これはフジカワ画廊でレンブラント版画展が開催されたときの表紙の作品で非常にインプレッションもよく,何回か購入のお誘いをいただいたことがありましたが2003年に西美に収まった次第です.自画像とありますが,その説は大方の見解では否定されているものの,通称としてそのように呼ばれています.


レンブラント「三本の木」B212.1643年

 おそらくレンブラントの銅版画の最高傑作はと問われると多くの方がこの作品か「病人たちを癒すキリスト(百グルデン版画)」をあげられるでしょうが,西美は両方とも所蔵されていてうらやましい限りです.妻サスキアの死の1年後の作品.三本の木に象徴されるのは,あるいは墓標かもしれませんが,そのモニュメンタリティは圧倒的です.

非常に繊細に仕上げられていて,拡大すると土手の上を馬車が行き交い,随所に風車が描かれています.
 ところで拡大画面の左端の空の中全体に天使が手を上げて横向きに立っているように見えるのですが....

 画面右下の端の闇の中には愛し合うカップルが描かれているのですが,お分かりになりますか?じつはこの拡大像の左外にヤギも描かれていて,レンブラントはこの作品に性的意味合いも潜ませているのです.

 展示は二部構成で第一部は「現出するイメージ」と題し,第一室の左手に「うつしの誘惑 顔・投影・転写」として,泉に映る自分の顔に恋をしたナルキッソス,イエスの顔が写った聖ヴェロニカの聖骸布などをモチーフとした作品を挙げ,右手に「同 横顔・影・他者」として,カロの作品2点を含めた展示があり,絵画芸術の起源は人の影をなぞることであったというプリニウスの説を引用し,横顔こそがその輪郭による表現にふさわしく,それは他者のものであって自画像とはなりえないが,続いて「うつしだす顔 肖像と性格」において,レンブラントらの自画像などが展示されている次第です.
 第二室の右手では「うつる世界 原色の景色」として風景画が取り上げられフォロ・ロマーノを描いた作品について解説があり,続く「うつる世界 視線と光景」において光の効果に関心を示しつつ「三本の木」などが展示されています.


第二室の入り口にて 右の後姿が新藤先生


同じフォロ・ロマーノを描いた作例だが,正面壁の17世紀のクロード(ロラン)の作品では陰画として反転している建物が,手前の書物の18世紀のピラネージの作品になると,それを考慮して版のほうで反転させて彫ってあるとのこと.

 第二室の左手では「うつせみ 虚と実のあいだの身体」として古代の偉大な彫刻家によるベルベデーレのアポロン像が16世紀の多くの芸術家を魅了し,デューラーもこのようなアポロン像の理想的な身体表現~プロポーションをキリストやアダム像に取り入れて行きました.しかしながら,その後も人体像は理想と現実の間で揺れ動くことになります.続いて「同 身体の内と外」と題して,身体の内部への関心を描いた作品が展示されています.


左 ホルチィウスによる銅版画「ベルベデーレのアポロン」1592年頃
右 デューラーの木版(キリストの)「復活」1510年 ポーズが同じとはいえないが,人体のプロポーションは類似しています.
 ヘンドリック・ホルツィウスはオランダのマニエリズムの第一人者で版画家・画家.主にハールレムで活躍したが,1610年にイタリアへ旅行してからは古典主義に傾倒.

 ここで,アダムとエヴァの原罪の図像が4点ほど展示されていて,個人的な研究テーマであるので提示しておきます.蛇がどのように描かれているかを比較してみるのも面白いでしょう.また,禁断の果実を食べる前か後か...?

デューラー 銅版画「アダムとエヴァ」1504年


ホルバイン(子) 木版「原罪(『死の舞踏』より)」16世紀前半

アルデグレーファー 銅版画「堕罪(『死の力』より)」1541年

J・サーンレダム 銅版画「知識の木の前のアダムとエヴァ(A・ブルーマールトの原画に基づく)」

 第三室からの第二部は「回帰するイメージ」と題し,「落ちる肉体」「受苦の肢体」「暴力の身振り」「人間≒動物の情念」「踊る身体」「輪舞」で構成されています.
 「落ちる肉体」の図像は,神に対する罪や傲慢などを表すものでしたが,ゴヤの「戦争の惨禍」では,罪も無い民衆の死体が投げ落とされる図像で表現され,その他のセクションでも,ゴヤの作品が一つの鍵となっているようです.


ホルツィウスの銅版画「イクシオン(ファン・ハールレムの原画に基づく連作より)」 1588年

「暴力の身振り」で展示されている作品群は,今回のパンフレットの表を飾っています.

ホルツィウスのキアロスクーロ木版画「ヘラクレスとカクス」1545年
 キアロスクーロとは光と闇を形容するものだが,版画の白地に黒インクに重ねて,おもに黄褐色で影付けし,光と闇を強調する技法も指します.


ドーミエのリトグラフ「・・・このウソツキ男!・・・」1840年
 女房のポーズと上記ヘラクレスの暴力ポーズが酷似.これを最後に提示したのは面白かったからです.

 ギャラリートークは40分ほどの予定でしたが,後半はやや急ぎ足でした.

 この展覧会の全体の印象としてはなかなかでしたが,一つ言わせていただければタイトルや解説ボードのキャプションがやや言葉遊び的で,直感的には難解な印象をぬぐえず,細分されたセクション分けももう少しシンプルにして,わかりやすさを選んでいただければよかったかなという気がしました.
 ただし,これだけの数のモノクロームのメディアを明確なテーマを持って展示するご苦労は大変なものであっただろうと強く感じました.

 とくに知的好奇心の強い方にはお勧めです.


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