1913年7月 島村抱月、松井須磨子と芸術座を創立。
行くいざ始末芸術座。
1913年 島村抱月、松井須磨子 芸術座
大正2年、劇団「芸術座 (劇団)」を旗揚げした島村抱月と松井須磨子の、数年後の病死~後追い自殺(同7~8年)にいたる関係においては、劇団や演目への好評が大きいだけに政治的圧力や短い期間での破綻が大衆の好奇を刺激した。
In 1913 Hougetsu SHIMAMURA and Sumako MATSUI set up together a theatrical company 'Geijutsuza,' but
their relationship, which led to the death of Hogetsu from disease after several years (in 1918)and the follow-up suicide of Sumako in the end (in 1919), stirred the masses to be inquisitive about the political oppression against them and the fact that the relationship was ruinedin a short period of time, especially because the theatrical
company and their performances were highly praised.
[point]
1.文芸協会は坪内逍遙・島村抱月が結成、芸術座は島村抱月・松井須磨子が結成。
[解説]
1.日露戦争後には、坪内逍遙の文芸協会や小山内薫の自由劇場などが、西洋の近代劇を翻訳・上演し、歌舞伎や新派劇に対して新劇といわれた。
文芸協会は、シェークスピア『ハムレット』、イプセン『人形の家』など近代演劇を上演。
2.坪内逍遙は、『小説神髄』などの小説家として活躍する一方、雑誌『早稲田文学』を創刊し、シェイクスピア全集を全訳、新歌舞伎『桐一葉(きりひとは)』を発表。
3.島村抱月(1871~1918)は、島根県出身。東京専門学校(早稲田大学)卒業後、新聞記者、母校講師などを経て英・独へ留学。帰国後、早大教授、文芸評論家、および文芸協会の演劇指導者として活躍。恩師坪内逍遙と訣別し、松井須磨子と芸術座を結成。上演劇の翻訳、創作劇の執筆をおこなう。演出家としては有能だが劇団経営者としての才がなく、奮闘中にスペイン風邪で急死。
4.松井須磨子(1886~1919)は、長野県出身。結婚に破れたのちの文芸協会の研究生時代、『人形の家』のノラ役を演じて脚光を浴びる。島村抱月と芸術座を組織し、『復活』などを上演。抱月との恋愛で知られ、その急逝(きゅうせい)に生きる支柱を失い後追(あとお)い自殺した。
〈2013早大・法
Ⅲ 次の史料は、ある人物の日記から抜粋したものである。これを読み、後の問に答えなさい。
【史料】
1)1918年8月16日
夜、[ A ]で脚本の相談会があった。長田、楠山、河村の諸君に島村先生と松井須磨子がきた。脚本会を月はじめにやる約束をした。東京の町は凄惨な感じをあたえる。長田君と夜おそくまで歩いてみた。a.軍隊、在郷軍人会、警官隊が警衛していた。
2)1925年2月4日
夜、[ B ]の「桜の園」をみた。かなりな出来だ。ある部分は新劇協会のときよりもよく、ある部分は悪い。
問1 空欄Aに該当する劇団名を漢字で記述解答欄紙に記入しなさい。
問2 下線aは何のためか。その理由となる出来事を漢字で記述しなさい。
問3 空欄Bは小山内薫らが創設した劇団である。その名称を漢字で記述しなさい。」
(答:問1芸術座、問2米騒動、問3築地小劇場)〉