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ベック式!難単語暗記法ブログ

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北里柴三郎

2018-02-04 | 入試問題+ゴロ合わせ

日は暮れ来たさ 破傷風。
1890年 北里柴三郎 破傷風血清療法


[point] 

1.細菌学の北里柴三郎は、破傷風の血清療法とペスト菌の発見で知られる。

[解説]

 北里柴三郎(1853~1931)は、肥後国北里村の出身で、実家は庄屋。熊本医学校に入り医学を目指す。東京医学校(現・東京大学医学部)に進学。1885年にドイツ・ベルリン大学に留学し、コッホに学ぶ。1889年(明治22年)には世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功。1892年に帰国、同年、福沢諭吉の援助により、私立伝染病研究所を設立(所長)し、伝染病予防と細菌学に取り組み、1894年、ペスト菌の血清療法を発明した。後年、同研究所が東京大学医学部の管轄下に置かれ、母校教授陣との対立から職を辞し、私費を投じて私立北里研究所(現・北里大学)を設立。赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組んだ。

2016明大・経営

問5 大逆事件が起きた後の出来事をA~Dの中から一つ選べ。

 A 北里柴三郎が伝染病研究所を設立した。

 B 小林多喜二が『蟹工船』を発表した。
 C 木村栄がZ項を発見した。
 D 『中央公論』が創刊された。」

(答:B1929年 ※大逆事件は1910年でA1892年、C1902年、D1887年)〉

1929年5月 小林多喜二、『蟹工船』を発表。

特に食いたき プロの蟹。

1929年 小林多喜二 プロレタリア文学 『蟹工船』 



2013早大・文化構想

 近代になって押し寄せてきた文明開化の波は、学問にも大きな影響を与えた。いわゆる御雇外国人が各分野で指導的な活躍を見せ、g西欧に留学した人びともその成果を生かして帰国後活躍した。こうしたなか、しだいに日本人研究者も独自の活動を行うようになり、その後新たな学問が台頭していった。ただ、このように続く新たな学問の展開はしば政治・思想上の困難な問題に突き当たることもあった。

問9 下線gに関連して、ドイツに留学して破傷風菌の純粋培養に成功し、帰国後、伝染病研究所の所長となったのは誰か。記述せよ。」

(答:北里柴三郎)

2011センター試験・日本史B

 下線部aスペイン風邪が世界的に流行しはじめ、日本にも波及するという事態が生じた、について  近代日本の医学者について述べた次の文X・Yと、それに該当する人物a~dとの組み合わせとして正しいものを、下の1~4の中から1つ選べ。

 X この人物は、破傷風の血清療法を確立し、伝染病研究所を設立した。
 Y  この人物は、黄熱病の研究などに尽力したことで知られる。

 a鈴木梅太郎 b北里柴三郎
 c志賀潔   d野口英世

 1X-a、Y-c
 2X-a、Y-d
 3X-b、Y-c
 4X-b、Y-d」

(答:4X-b北里、Y-d野口)〉


医学・北里柴三郎

2018-02-04 | 生物暗記法

1890年北里柴三郎 破傷風血清療法

日は暮れ来たさ 破傷風。
1890年 北里柴三郎 破傷風血清療法

[point]
1.細菌学の北里柴三郎は、破傷風の血清療法とペスト菌の発見で知られる。

[解説]

 北里柴三郎(1853~1931)は、肥後国北里村の出身で、実家は庄屋。熊本医学校に入り医学を目指す。東京医学校(現・東京大学医学部)に進学。1885年にドイツ・ベルリン大学に留学し、コッホに学ぶ。1889年(明治22年)には世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功。1892年に帰国、同年、福沢諭吉の援助により、私立伝染病研究所を設立(所長)し、伝染病予防と細菌学に取り組み、1894年、ペスト菌の血清療法を発明した。後年、同研究所が東京大学医学部の管轄下に置かれ、母校教授陣との対立から職を辞し、私費を投じて私立北里研究所(現・北里大学)を設立。赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組んだ。

2016明大・経営

問5 大逆事件が起きた後の出来事をA~Dの中から一つ選べ。

 A 北里柴三郎が伝染病研究所を設立した。

 B 小林多喜二が『蟹工船』を発表した。
 C 木村栄がZ項を発見した。
 D 『中央公論』が創刊された。

(答:B1929年 ※大逆事件は1910年でA1892年、C1902年、D1887年)〉

1929年5月 小林多喜二、『蟹工船』を発表。

特に食いたき プロの蟹。

1929年 小林多喜二 プロレタリア文学 『蟹工船』 

1902(明治35)年 木村栄(ひさし)、地球の緯度変化公式のZ項を発見した。

引く鬼ひさし 緯度Z。

1902年 木村栄 緯度変化公式 z項

1887(明治20)年『中央公論』が創刊される。

嫌やなチュウを 口論し。

1887年 『中央公論』



2013早大・文化構想

 近代になって押し寄せてきた文明開化の波は、学問にも大きな影響を与えた。いわゆる御雇外国人が各分野で指導的な活躍を見せ、g西欧に留学した人びともその成果を生かして帰国後活躍した。こうしたなか、しだいに日本人研究者も独自の活動を行うようになり、その後新たな学問が台頭していった。ただ、このように続く新たな学問の展開はしば政治・思想上の困難な問題に突き当たることもあった。

問9 下線gに関連して、ドイツに留学して破傷風菌の純粋培養に成功し、帰国後、伝染病研究所の所長となったのは誰か。記述せよ。」

(答:北里柴三郎)〉

2011センター試験・日本史B:「
 下線部aスペイン風邪が世界的に流行しはじめ、日本にも波及するという事態が生じた、について  近代日本の医学者について述べた次の文X・Yと、それに該当する人物a~dとの組み合わせとして正しいものを、下の1~4の中から1つ選べ。

 X この人物は、破傷風の血清療法を確立し、伝染病研究所を設立した。
 Y  この人物は、黄熱病の研究などに尽力したことで知られる。

 a鈴木梅太郎 b北里柴三郎
 c志賀潔   d野口英世

 1X-a、Y-c
 2X-a、Y-d
 3X-b、Y-c
 4X-b、Y-d」

(答:4X-b北里、Y-d野口)〉


自然主義小説

2018-02-04 | Weblog

田山買ったら倒産し。

田山花袋 正宗白鳥 島崎藤村 徳田秋声自然主義



[point]

1.自然主義の主な文学者に、島崎藤村田山花袋がいる。          

[解説]

1.島崎藤村(1872~1943)は、詩人、小説家。信州木曽の中山道馬籠(まごめ)宿の生まれ。北村透谷の『文学界』に参加し、『若菜集』を出し、ロマン主義の詩人としてスタート。やがて解放問題を扱った小説『破戒』によって作家としての地位を確立、自然主義文学の先駆となる。ほかに歴史小説『夜明け前』など問題作を多数発表した

2.田山花袋(1872~1930)は、小説家、群馬県館林藩の下級武士の家に生まれる。尾崎紅葉の指導を受け、詩や評論を発表。やがてフランス自然主義の影響を受け、『布団』を書き文壇での地位を確立。代表作はほかに『田舎教師』など。


3.自然主義の文学者には、他に国木田独歩(くにきだどっぽ)・徳田秋声(とくだしゅうせい)・正宗白鳥(まさむねはくちょう)がいる。


2017早大・社会

問2 下線部(2)有島武郎が属していた白樺派の作家とその作品の組み合わせとして、適切なものはどれか1つ選べ。

 イ 島崎藤村-『夜明け前』

 ロ 武者小路実篤-『友情』
 ハ 志賀直哉-『カインの末裔』
 ニ 田山花袋-『田舎教師』
 ホ 倉田百三-『和解』」

(答:ロ。※白樺派は武者小路と志賀だが『カインの末裔』は有島武郎作、なおホの『和解』は志賀直哉作)〉


2016明大・農

問10 下線部(ク)日露戦争に関連して、ポーツマス条約が調印された1905(明治38)年に発表された文学作品と作者の組み合わせとしてもっとも適切なものを下記から一つ選べ。

 A小林多喜二『蟹工船』

 B島崎藤村『夜明け前』
 C火野葦平『麦と兵隊』
 D上田敏『海潮音』
 E太宰治『斜陽』」

(答:D、※『蟹工船』(1929年)、『夜明け前』(1932年)、『麦と兵隊』(1938年)、『斜陽』(1947年))

 

 1905年10月 上田敏『海潮音』

 

日暮れ豪快 上タービン。

 

1905年 『海潮音』上田敏


1929年5月 小林多喜二、『蟹工船』を発表。

特に食いたき プロの蟹。

1929年 小林多喜二 プロレタリア文学 『蟹工船』

2013関西学院大学・済総合国際:「

問 次の文章の正誤を判定せよ。
 b.日中戦争期になるとプロレタリア文学運動は弾圧によって壊滅し、文学者らの戦争協力団体である日本文学報国会が結成された。島崎藤村の『夜明け前』は当時の戦争文学の代表作である。」

(答:×、※『夜明け前』は幕末から明治の激動期を描いている)〉


2012立教大・現代心理社会コミュ福:「

問9.小作農民を題材とした小説「土」を著した人物は誰か。次のa~dから1つ選べ。

 a.尾崎紅葉 b.田山花袋

 c.長塚節  d.森鴎外」

(答:c)〉


天文学・木村栄

2018-02-04 | 入試問題+ゴロ合わせ

1902(明治35)年 木村栄(ひさし)、地球の緯度変化公式のZ項を発見した。

引く鬼ひさし 緯度Z。

1902年 木村栄 緯度変化公式 z項


[point]

1.天文学の木村栄は、緯度変化のZ項の発見で知られる。

[解説]

1.木村栄(1870~1943)は、金沢市生まれ。東大卒。岩手県水沢の緯度観測所初代所長。1902年、従来の地球の緯度変化の計算式による結果が、実際の観測データとずれが生じることから、それを補正する第3項(Z項)を加える発見をした。

2017早大・人間

問6 下線部e日本人の学者による独創的な研究に関連して、正しいものはどれか、1つ選べ。

 ア 大森房吉は、原子摸型理論を発表した。

 イ 木村栄は、地球の緯度変化公式のZ項を発見した。
 ウ 志賀潔は、ペスト菌を発見した。
 エ 鈴木梅太郎は、アドレナリンを抽出した。
 オ 長岡半太郎は、地震計を考案した。」

(答:イ〇 ※ア×大森房吉は大森式地震計の発明、ウ×志賀潔は赤痢菌の発見、エ×鈴木梅太郎はオリザニン(ビタミンB1)の抽出、オ×長岡半太郎は原子構造の研究)〉


2016明大・経営

問5 大逆事件が起きた後の出来事をA~Dの中から一つ選べ。

 A 北里柴三郎が伝染病研究所を設立した。

 B 小林多喜二が『蟹工船』を発表した。
 C 木村栄がZ項を発見した。
 D 『中央公論』が創刊された。」

(答:B1929年 ※大逆事件は1910年でA1892年、C1902年、D1887年)

 

1929年5月 小林多喜二、『蟹工船』を発表。

特に食いたき プロの蟹。

1929年 小林多喜二 プロレタリア文学 『蟹工船』

 

1887(明治20)年『中央公論』が創刊される。

 

嫌やなチュウを 口論し。

 

1887『中央公論』