goo blog サービス終了のお知らせ 

ベック式!難単語暗記法ブログ

質の高い暗記法、芸術的なゴロ合わせ、感動の記憶法をあなたに!抜群に効果的な実例満載!

国策の基準(帝国国防方針の改定)(1936

2018-02-23 | Weblog

疾く見ろ広田こう基準。

国策の基準)(1936年・広田弘毅内閣)


[point]

1.広田内閣は、1936年国策の基準を定めた。

[解説]

1.二・二六事件(1936)直後、岡田啓介内閣にかわった広田弘毅内閣は、閣僚の人選や軍備拡張・財政改革などについて軍の要求を入れてかろうじて成立し、以後の諸内閣に対する軍の介入の端緒となった。

2.1936(昭和11)年、ワシントン・ロンドン両海軍軍縮条約が失効。これを機に、陸海軍は帝国国防方針を改定。これに従い広田内閣は「国策の基準」を策定した。すなわち大陸における日本の地歩を確保する一方で、陸軍は北進論(対ソ戦)、海軍は南方へ斬新的に進出する南進論を決定しており、「国策の基準」にはこれらを併記した。外交ではドイツと提携を強めてソ連に対抗し、国内では大規模な軍備拡張計画が推進された。海軍は、戦艦大和・武蔵をふくむ大建艦計画を進めることになった。


3.また広田内閣は、1936年に陸軍の要求に従って軍部大臣現役武官制を復活させた。

2017関西大・全学部

問J【(ア)林銑十郎(イ)近衛文麿(ウ)広田弘毅】内閣は、帝国国防方針の改定に伴い、「国策の基準」によって、大陸における日本の地歩を確保する一方で、南方へ漸進的に進出する方針を決定した。」

(答:問Jウ)〉


2016明大・商

 1936年、広田弘毅内閣ではさらなる大陸や南方進出を促進するために、帝国国防方針を改定し、いわゆる「[ オ ]」を策定した。「[ オ ]」には南方資源の獲得のための「南進論」と満州国領上を拡張するため対ソ戦をも視野に入れた「北進論」の両拡張政策が併記されていた。共産主義の影響力増大は日本の「国体」を揺るがすものとして大きな脅威ととらえられた。軍事拡張主義を保持しながらソ連による共産主義勢力の拡大から守るという利害が日独間で一致し、日独防共協定が締結された。さらに「ベルリン=ローマ枢軸」のドイツ・イタリアのつながりから、防共協定にイタリアも加入することにより、1937年、日独伊防共協定が成立した。」

(答:オ国策の基準)〉


2015関西大・全学部

(J)1936年の(11)【ア.帝国国防方針 イ.帝国国策要綱 ウ.帝国国策遂行要領】の改定にもとづいて、広田弘毅内閣は「国策の基準」で従来の対ソ戦略に加え、南方へ漸進的に進出する方針を決定し、軍備増強を推進した。」

(答:ア)〉

2012学習院大・法

問6 下線部(6)戦前、日本をして周辺諸国に対する侵略を行わさせ、アジア太平洋戦争の破局に導いたのは日本の軍国主義体制であったに関して、広田弘毅内閣のときの五相会議で決定された対外方針で、陸軍の主張する北進論に加えて、海軍の主張する南進論を盛り込んだものを何というか記しなさい。」

(答:国策の基準)〉


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 二個師団増設問題(1912) | トップ | 新劇団史① »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事