今から20年近く前…。
大工職に就く前に、実に短期間だったが、とある仕事で志摩地方に通っていた。
コンビニエンスストアも少なかった。
携帯電話もなかった。
そんな時代…。
で、時は流れて2009年、いつまで続くかわからない梅雨にうんざりの毎日。
ひょんなことから、志摩地方へ出向くことになった。
愛知の設計士N氏が、志摩市に建築予定の現場の下見に行くのに、同行させてもらう話だ。
別に、自分が施工させてもらう予定もないのだが、いろいろ諸事情でそうなった。
その、志摩の現場の施主さんは和歌山県在住のかた。
津市内で待ち合わせた私たちは、まず、すぐ近くの8年前にN氏の設計した市内のAさん家を訪問した。
今でこそ、「木の家」というものが見直されつつあるけれど、このころはまだまだ「木の家」=「ログハウス」ってのがもっぱらのイメージだったのではないかな?
自分らも、まだまだ、外壁は「防火サイディング」なんかを張ってて、それでもそのころから、廃棄物とかのことで疑問を持ち始めて試行錯誤始めたのではなかったかな?
しかしそのころすでに、かなり完成度の高い「木と土の家」を造っていたN氏は、かなりサキガケ的だったのだろう。
お茶とお菓子を頂いて、いよいよ志摩へ出発。
高速道路が出来たので、速い速い!
志摩市阿児町の現場を確認したあとは、南伊勢町で大工をやってるN井さんを訪ねる。
そういや合併して「南伊勢町」になってからは初めてかもしれないな…この町。
N井さんの現場を見学し、いろいろお話。
すっかり仕事の邪魔をしてしまいました。
N井さんすみませんでした~。
そして、今回のツアー最後は、南伊勢町の南東端にある漁村、宿田曽地区で漁師をしているHさんの小屋。
「宿浦」、「田曽浦」という二つの隣り合わせた集落をあわせて「宿田曽」と呼ぶ。
神津佐(こんさ)、下津浦、木谷(きだに)…などと、懐かしい地名を見ながら、260号線を南下。
見えてきた、宿田曽(しゅくたそ)。
Hさんの小屋は、セルフビルド。
プレハブ小屋を3つ継ぎ足して、内装をしたもの。
もちろん構造計算上は成り立ってないだろうけど、そんなこと誰も気にしない。
愛知に自宅を持ちながら、この地に漁師として第2の人生を送るHさんを見て、なにかこみ上げるものを感じた。
「これ、タコの網…。ここからタコが入って出てこれんようになってて…。で、ここが蓋でここから餌をいれるんや…」。
もう風格は完全に地元人。
260号線のバイパスが出来て(一部だけど)多少「五ヶ所」へ行くのも近くなったけれど、昔は陸の孤島で、むしろ湾内を舟で向かったほうが早いような地域。
N氏もしきりに「気候風土が違う」という。
私も昔、陸路困難そうな場所へ行くため、地元の人に道のりを尋ねたら、「乗ってけ~」と舟を出してくれたこともあった。
それか、潮の干いたときに海岸を歩くか…。
そういや、潮の満ち干き、ちゃんとチェックしてたなあ、などと記憶を蘇らせる。
さて、自分は、20年近くぶりに田曽の漁港に立ち、変わらないもの、変わってしまったものを、いろいろ目や肌で感じ、格別の思いで対岸に傾く夕日を雲の間に見送っていた。
近いところなんだよな。
また、遊びにこようっと。
大工職に就く前に、実に短期間だったが、とある仕事で志摩地方に通っていた。
コンビニエンスストアも少なかった。
携帯電話もなかった。
そんな時代…。
で、時は流れて2009年、いつまで続くかわからない梅雨にうんざりの毎日。
ひょんなことから、志摩地方へ出向くことになった。
愛知の設計士N氏が、志摩市に建築予定の現場の下見に行くのに、同行させてもらう話だ。
別に、自分が施工させてもらう予定もないのだが、いろいろ諸事情でそうなった。
その、志摩の現場の施主さんは和歌山県在住のかた。
津市内で待ち合わせた私たちは、まず、すぐ近くの8年前にN氏の設計した市内のAさん家を訪問した。
今でこそ、「木の家」というものが見直されつつあるけれど、このころはまだまだ「木の家」=「ログハウス」ってのがもっぱらのイメージだったのではないかな?
自分らも、まだまだ、外壁は「防火サイディング」なんかを張ってて、それでもそのころから、廃棄物とかのことで疑問を持ち始めて試行錯誤始めたのではなかったかな?
しかしそのころすでに、かなり完成度の高い「木と土の家」を造っていたN氏は、かなりサキガケ的だったのだろう。
お茶とお菓子を頂いて、いよいよ志摩へ出発。
高速道路が出来たので、速い速い!
志摩市阿児町の現場を確認したあとは、南伊勢町で大工をやってるN井さんを訪ねる。
そういや合併して「南伊勢町」になってからは初めてかもしれないな…この町。
N井さんの現場を見学し、いろいろお話。
すっかり仕事の邪魔をしてしまいました。
N井さんすみませんでした~。
そして、今回のツアー最後は、南伊勢町の南東端にある漁村、宿田曽地区で漁師をしているHさんの小屋。
「宿浦」、「田曽浦」という二つの隣り合わせた集落をあわせて「宿田曽」と呼ぶ。
神津佐(こんさ)、下津浦、木谷(きだに)…などと、懐かしい地名を見ながら、260号線を南下。
見えてきた、宿田曽(しゅくたそ)。
Hさんの小屋は、セルフビルド。
プレハブ小屋を3つ継ぎ足して、内装をしたもの。
もちろん構造計算上は成り立ってないだろうけど、そんなこと誰も気にしない。
愛知に自宅を持ちながら、この地に漁師として第2の人生を送るHさんを見て、なにかこみ上げるものを感じた。
「これ、タコの網…。ここからタコが入って出てこれんようになってて…。で、ここが蓋でここから餌をいれるんや…」。
もう風格は完全に地元人。
260号線のバイパスが出来て(一部だけど)多少「五ヶ所」へ行くのも近くなったけれど、昔は陸の孤島で、むしろ湾内を舟で向かったほうが早いような地域。
N氏もしきりに「気候風土が違う」という。
私も昔、陸路困難そうな場所へ行くため、地元の人に道のりを尋ねたら、「乗ってけ~」と舟を出してくれたこともあった。
それか、潮の干いたときに海岸を歩くか…。
そういや、潮の満ち干き、ちゃんとチェックしてたなあ、などと記憶を蘇らせる。
さて、自分は、20年近くぶりに田曽の漁港に立ち、変わらないもの、変わってしまったものを、いろいろ目や肌で感じ、格別の思いで対岸に傾く夕日を雲の間に見送っていた。
近いところなんだよな。
また、遊びにこようっと。
肉、魚、ダメでしたっけ?
さておき、田舎はええですねえ、ホントに。
その島でキャンプしたいなあ。
電話番号しらべるなら、(いちれい四)
なんのこっちゃ。
■お さん
南張海岸、いいですよえ。
でも、その横の「田曽白浜」がまた穴場で良いのですよね…。
ちょいと遠回りして、夕方浜島の銭湯でヒリヒリと熱い湯に浸かるのが最高でした。
(一例)魚船が帰ってきて、獲ってきた魚やイカで宴会が始まり、こちらはもう夕食も終わりぼうっと見てたら、お皿に山盛りの刺身を持って来てくれました。m(_ _)m(一礼)
僕は、肉や魚は苦手なのに・・・。(ーー;)たら