大工風の道

仮設住宅ってわけでもないけれど、
ま、しばらくここで様子みようっと。

本能……の変 / アスベスト と グラスウール と 放射能と……

2011年07月02日 | 屁理屈と愚痴
「犬と猫と人間と」という映画を観て感銘を受けたけれど、まあそれだからといって、このタイトルはないだろう、と思いつつも、あえて……。


私は、基本的には、大手メーカーハウスの仕事はしない。
たまたま、仕事のハザマで時間の余裕があって、大手メーカーのリフォームを手がけている友人から「ヘルプコール」があり、3週間ほど応援ということで四日市市に通う毎日。
メーカー名は仮に「Mリモデリング」としておこう。

それにしても、家中、一階部分のほとんどを改装する、ということでそれなりに気合をいれて掛かったのだけど、出てくるは出てくるは、過去の遺産、新建材の廃材。
もっとも、木造軸組み工法で30年ほど前に建てられていた家で、同系列の「M井ホーム」のものではなく、地方の零細工務店か大工かの手がけたものらしい。
庭中、あっというまに、瓦礫の山となる。例えが不適切だが、大規模な災害があったのかと思うほど、毎日毎日積み重ねられ、数日ごとに回収業者さんが塀越しにトラックに積み込んでは運んでいく。

廃材の多くは、前記したとおり「新建材」と呼ばれる化学製品。
30年ほど前はまさに「新建材信仰」の熱かったころ。
猫も杓子もベニア板にグラスウールの時代。
私も中学生のころ、大工だった父親の仕事を手伝いにいくと「このチクチクする『ワタ』、いややなあ」と思いつつも、そういうもんかなあ、と壁の中に貼りつめたりしていた。
結構、天井裏にいれるの、得意になった。

で、今。
もちろん自分が施工したわけではないが、そのころの職人たちが「よかれ」と思って敷き詰めたグラスウールが、剥がした天井板と一緒に自分の頭の上に降ってくる。
雪のように舞い落ちるグラスウールの粉塵は、手足にチクチクささり、おそらく器官を傷つけ、なんらかの症状を起こさせることだろう。せめてもの防御に頭巾をかぶり、マスクをして、真夏なみの猛暑の中、熱中症と戦いながら作業を続ける。
「ああ、なんてことを私らはしてきたのだろう」。
そのときの経済事情だけで、未来に「ツケ」を回してきたことに間違いない。



話がちょいとかわる。
17年前の阪神淡路大震災のあと、友人らもふくめ、多くの職人らが、兵庫県へ仕事にむかった。
そのころ急激に指摘されはじめていたのが「石綿=アスベスト」。
夢の建材ともてはやされた、「安価」で「丈夫」な素材として、アスベストは、屋根材、壁材、鉄骨の皮膜材などに多用されていたので、当時の神戸界隈は相当な量の粉塵が飛び交っていたと聞く。

必死で作業に関わった多くの職人が、今では「静かな時限爆弾」などとまでいわれるアスベストの粉を吸い、肺の病気の恐怖に怯えている。
発症は数年後から十数年後ともいわれる。



このときに、まだ職人経験も少ない私は、「人間ってやつはなんて馬鹿なんだろう」と思い、せめてこれから造る建物は、解体時も負担もしっかり考えないといかんのだと確信。
いろいろ勉強すると、皮肉なことに、少し前の時代にはごく普通にあった自然素材でほとんど賄えることに気付いた。

木、竹、藁、土、石、……。
日本って、なんて資源に囲まれた国なんだろう、と。

もちろん、いきなり「設備」を否定もできない時代ではある。
水道、電気、ガス類をどう扱うかが課題ではあるものの、すこし謙虚になるだけで、随分と、化学建材は減らせる。


今日の現場では、元請大手メーカーの監督さんと詳細の打ち合わせをした。
普段、木を扱ってきた私には、「新建材の規格寸法、品名の
オンパレード」にはあいた口がふさがらない。
「この見切りの寸法は特注なので3週間くらいかかるのだ」と監督は言うが、私らだったら、夜のうちに作業場で在庫の材料を一削りすればいいだけのようなものなのに、なぜに3週間もかかる???

と思ったりもしたけど、そこは大人なので、あんまし強くは言わなかった。
下手に口出しして、裏目にでても困るもの。


ま、なんだかんだとて、まだまだ、新建材、新素材信仰は、収まっていないようで、未来の職人たちに「大きな負の遺産」を残してしまうような施工に関わったことを恥つつも、たまにこうして世の中の動向を仕入れてきて、それ以上に、自分らの本来の仕事に反面教師として生かせられればせめてもの罪滅ぼしかな? と勝手ないい訳をしてみたりもする。


それにしても、あの原発ってのは、本当にひどいもので、未来の住人に、なんといい訳をするつもりなんだろうな。
私らが生きているほんの数十年のために、以後何万年もの間、徹底管理をし続けないといけない廃棄物。
そんなんに比べれば、アスベストやらグラスウールなんて、かわいいものなんだろうが、構図としては、まったく同じ方向なのだとも思う。

「本能」を捨ててしまった現代人。
いや、ほんの一部の権力者が、「種族を未来へ繋ぐ」という本能をわすれてしまっただけなのかもしれない。
彼らにあるのは「名誉欲」だけか?
今の暦では今年は7月2日にあたる旧暦の6月2日は「本能寺の変」と言われる、織田信長が追い詰められ自害したとされる日。
時の権力者、信長さんよ、もしあんたが今に生きていたら、原発をどう考える?

浜岡原発の停止決定

2011年05月12日 | 不思議
 私が原子力発電に反対するのは、今回のように単に事故が起こったときの危険性だけを考えてではない。

 通常に運転されてるときにも日々作られる、どうしようもない廃棄物のことや、作業員の(医学的に立証されにくい)被曝などによる致命的な後遺症の疑い。その建設に絡んで動く大きな見えない力。明らかにされない本当の原子力発電にかかるコスト……。その他もろもろを含めて、そもそも根底から見直したほうがいいのじゃないのかな? と思うところ。

 さておき、世間では浜岡原発の停止についてなにやら騒がしい。
 個人的レベルでは「ああ、よかったよかった」と喜んでいたのだけど、まんざら手放しで喜んでいられないようだ。
 まず、「自動車産業を抱える中部圏内での経済への影響が……」。
 ううん、そりゃそうだろう。たしかに影響はあるだろう。でもそれは実は大手企業は前から予測しているに違いない。私ら零細工務店でさえ、節電対策やら工業製品に頼らずに家を建てる方法を模索し続けてきたのだから。世界をまたにかける企業家が、この震災の現実を受けてそこまで読まないはずはないとも思う。



 そのことについては、またあらためて書くとして、昨日、ふと気づいたこと。

 この停止決定までのプロセスで、なにやら違和感があったのだが、その違和感がなにかわかった。

 (3月11日までのことはどうしようもないのでとりあえず棚にあげるとして)もし、健全な社会であったら、本来中電側が「浜岡原発は一度安全に停止させて、対策を講じたい。再開するかどうかはそれからの話」とまず言うべきで、それを受けて「電気が足りるのか、節電を訴えるのか、値上げするのか、計画停電するのか」の見通しを発表し、消費者が「それを受け入れるのか、受け入れないのか」の判断をし、受け入れられるのならそれでよし、受け入れられないなら、国に直訴する……。
 という流れではなかろうか?
 それが企業としての責任感だろうと思う。
 原発推進、反対論議は別として。
(あえて小学生レベルの「道徳」の感覚です)

 しかし現実は、順番が違うのだ。
 それが、私の感じた違和感だったのだ。

 なんで首相が「停止要請」するまで、だれも止めようとしなかったのだろう。(一部の自治体の首長や一部の団体や個人は口をすっぱくしていたけれど)

 そしてでてきた言葉が「首相の言葉は重い」なのである。


やばい確定申告の締め切りが近いんだなあ

2011年03月08日 | 文化
ああ、ふと気づけば

2月も終わってしまって、

正味今週しかないじゃん!

そろそろ、ブログ、復活しようかなあ・・・

というか、こういうスタイルのブログのようだ。

旧暦の正月なんだなあ

2011年02月07日 | 文化
ああ、ふと気づけば

旧暦でも年もかわってしまって・・・

コメントももらったことだし、

そろそろ、ブログ、復活しようかなあ・・・

うん、きっと近いうち。

新年なんだなあ

2011年01月04日 | 見聞録
ああ、ふと気づけば

年もかわってしまって・・・


今年の正月はいつもにも増してバタバタ。

といったところで、そろそろ、ブログ、復活しようかなあ・・・