毎年2月17日、横手では「ぼんでん奉納」が行われる。
東京で、各町会のお神輿を担いで神社に向かうのと一緒。
前夜には禰宜(ねぎ)さんが来て「魂入れ(たましいいれ)」をしたそうだ。
東京でもお神輿に「魂入れ(たまいれ)」をする。基本は同じだね。
昔は、各ぼんでんがスタート位置につき、出発時刻になると同時に何十機ものぼんでんが先を争って、4キロ先の山の上の神社を目指した。ケンカ、流血は当たり前。
ぼんでんは、太さ10数cm長さ5mの棒の先に頭飾りをつけて華やかさも競うのもあるが、本当は女の神様が祭られている神社を目指し、棒で周りを蹴散らして、一番に本殿に突っ込むのが名誉な勇壮な祭り。男連中だけで突進する女人禁制のお祭りだった。(はい、精子の気持ちですね)
最近は「子どもぼんでん」もあり、子どもの付き添いの女性もOKとなり、実にオープンなお祭りとなったようだ。
でも、先に「子どもぼんでん」の奉納が終わると、やはり大人の「ぼんでん」はドドドっと行くようだ。
「ぼんでん」初参加の団長は、今年は裏方。帰ってきた子どもたちやお手伝いの親のために、会場を暖めたり、食事の準備をするのが裏方のお仕事。
でも、差し入れを届けにいくついでに、参道を楽しそうに進む子どもの「ぼんでん」と大人の「ぼんでん」を見送った。
これが、その様子↓
全国的には「ぼんでん」は有名ではないが、東京の神輿の担ぎ手と「ぼんでん」の持ち手、どちらも気持ちは一緒だ。
このお祭りが大好きで、熱い熱い男たちがいる。
大人のぼんでんは30キロもある。1人でこれを持つのはたいへんだ。チームワークも重要。
重さだけでなく、バランスも勢いも必要。このバランスが上手に取れるように、頭飾りをつくったり、軸がぶれないようにする。
正中をそろえると同時に全体からみたバランスや、雪に映える色かどうか、など、ただ派手にすれば良いというものでもないそうだ。
そして、遊びではなく、神事であることの重要性もしっかり理解しないといけない、などと、何十年も祭りに燃えてきた親父さんが「ぼんでん」のウンチクをたくさん語ってくれた。
昔から変わらない、雪の山道の参道を上がる時の必需品はこちら↓
藁で編んだ大きさの調整が可能な「わらじ」だ。
たくさんの持ち手が、これを履いて神社を目指していた。
神社への奉納の様子はこちらでどうぞ。
小6の娘も町内のこども会で参加。息子(高1)も山道のこどもぼんでんの持ち手として急遽参加。
(息子は昨年、東京の地元で大人神輿を担がせてもらった。それが、団長には最高にうれしい出来事だった。神輿担ぎには簡単には参加できないのだよ)
今年は、子どもぼんでんだから、そんなに重くなかったようだ(山道の参道を片手で持って上がったと自慢してた)が、来年は30キロ以上ある大人ぼんでんに参加させてもらおうかな。
奉納の後のお楽しみは、明日に続く。
祭りは見るものではなく、参加するもの。子どもたちがいるお陰で、スムーズに参加できてよかった、と思う団長であった。
ランキング参加中。よかったら、クリックをお願いします。
↓
東京で、各町会のお神輿を担いで神社に向かうのと一緒。
前夜には禰宜(ねぎ)さんが来て「魂入れ(たましいいれ)」をしたそうだ。
東京でもお神輿に「魂入れ(たまいれ)」をする。基本は同じだね。
昔は、各ぼんでんがスタート位置につき、出発時刻になると同時に何十機ものぼんでんが先を争って、4キロ先の山の上の神社を目指した。ケンカ、流血は当たり前。
ぼんでんは、太さ10数cm長さ5mの棒の先に頭飾りをつけて華やかさも競うのもあるが、本当は女の神様が祭られている神社を目指し、棒で周りを蹴散らして、一番に本殿に突っ込むのが名誉な勇壮な祭り。男連中だけで突進する女人禁制のお祭りだった。(はい、精子の気持ちですね)
最近は「子どもぼんでん」もあり、子どもの付き添いの女性もOKとなり、実にオープンなお祭りとなったようだ。
でも、先に「子どもぼんでん」の奉納が終わると、やはり大人の「ぼんでん」はドドドっと行くようだ。
「ぼんでん」初参加の団長は、今年は裏方。帰ってきた子どもたちやお手伝いの親のために、会場を暖めたり、食事の準備をするのが裏方のお仕事。
でも、差し入れを届けにいくついでに、参道を楽しそうに進む子どもの「ぼんでん」と大人の「ぼんでん」を見送った。
これが、その様子↓
全国的には「ぼんでん」は有名ではないが、東京の神輿の担ぎ手と「ぼんでん」の持ち手、どちらも気持ちは一緒だ。
このお祭りが大好きで、熱い熱い男たちがいる。
大人のぼんでんは30キロもある。1人でこれを持つのはたいへんだ。チームワークも重要。
重さだけでなく、バランスも勢いも必要。このバランスが上手に取れるように、頭飾りをつくったり、軸がぶれないようにする。
正中をそろえると同時に全体からみたバランスや、雪に映える色かどうか、など、ただ派手にすれば良いというものでもないそうだ。
そして、遊びではなく、神事であることの重要性もしっかり理解しないといけない、などと、何十年も祭りに燃えてきた親父さんが「ぼんでん」のウンチクをたくさん語ってくれた。
昔から変わらない、雪の山道の参道を上がる時の必需品はこちら↓
藁で編んだ大きさの調整が可能な「わらじ」だ。
たくさんの持ち手が、これを履いて神社を目指していた。
神社への奉納の様子はこちらでどうぞ。
小6の娘も町内のこども会で参加。息子(高1)も山道のこどもぼんでんの持ち手として急遽参加。
(息子は昨年、東京の地元で大人神輿を担がせてもらった。それが、団長には最高にうれしい出来事だった。神輿担ぎには簡単には参加できないのだよ)
今年は、子どもぼんでんだから、そんなに重くなかったようだ(山道の参道を片手で持って上がったと自慢してた)が、来年は30キロ以上ある大人ぼんでんに参加させてもらおうかな。
奉納の後のお楽しみは、明日に続く。
祭りは見るものではなく、参加するもの。子どもたちがいるお陰で、スムーズに参加できてよかった、と思う団長であった。
ランキング参加中。よかったら、クリックをお願いします。
↓