「苦を楽しむ」などというと何か宗教臭くなってしまうのかもしれませんが、オリンピックを観ていると選手たちは厳しい練習や試合も楽しんでいるように見えてしまうのです。結果、試合に負けて悔し涙を流す人もいれば、勝って喜びを爆発させる人もいました。
試合後のインタビューで「苦しかった」という選手もいましたが「楽しかった」という選手がいたのも事実です。ただ、ここまで来ている選手のほとんどは常人では想像できないような苦しいトレーニングをして来ているはずなのです。柔道やレスリングのような階級別の競技では減量という試練もあるのです。
試合後のインタビューで「苦しかった」という選手もいましたが「楽しかった」という選手がいたのも事実です。ただ、ここまで来ている選手のほとんどは常人では想像できないような苦しいトレーニングをして来ているはずなのです。柔道やレスリングのような階級別の競技では減量という試練もあるのです。
試合に勝つためにトレーニングに加えて減量での食事制限、普通は苦しみでしかないように思います。ただ、選手たちは勝つ喜びを知っているので、勝つためにひたすら頑張っているのです。勝ちを知らない人には苦痛でしかないことも、勝つという喜びを知っている人には出来てしまう。これは勝つことがその人の達成感やモチベーションになっているからでしょう。勝利至上主義を称賛するつもりはありませんが、勝つ喜びがエネルギーになることは間違いないはずです。
それでは敗者には達成感は全く無いのかというと、それは違うと思います。勿論、負けて良かったと思う人はいないでしょう。ただ、ここまでやれたのだから満足だと思う人もいるはずです。ここは個人差がある部分だと思いますが、むしろ、そういう人の方が大勢だと思います。
銀メダルと手にして悔し涙を流す選手もいれば、銅メダルを手に大喜びする選手もいたのです。また、メダルを逃した瞬間に一目も憚らず大泣きした選手もいれば、ただ、悔しそうに壁面を見上げる選手もいました。先は柔道の阿部詩選手、後はスポーツクライミングの森秋彩選手です。
競技の伝統や期待度もあるのでしょう。ただ、阿部詩選手は油断負け、森秋彩選手はボルダーの第1課題をこなせなかったことが敗因でしたから、悔しさが違っていたことも大きな要因でしょう。負けても、それが力負けならある程度の達成感は残るので諦めも付き易いのかもしれませんが、自分のミスで負けた場合は達成感が無い分ダメジーが大きくなってしまうのでしょう。私は楽しいと感じられるかどうかは勝ち負けより達成感だと思っています。