新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
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国民にとって「不要不急」の安倍晋三は永遠に巣ごもりしていろ!

2020年07月24日 11時35分45秒 | 安倍晋三

今日24日は本来なら東京五輪の開幕日だった。
 
今朝の情報番組では来年の「五輪開催の賛否」を問うコーナーで、8人の医療関係者を中心として、バランスをとって4人の開催賛成派と反対派のコメントを紹介していた。
 
開催の可否はCOVID-19に対する新しいワクチンの開発が間に合うかどうかという観点からのコメントが多かった。
 
数か月前には新ワクチンの開発と使用までには2~3年ほどかかることが常識といわれていたが、最近では米国、英国、中国らの国のワクチン開発競争の結果、年内には治験が済み実用化に踏み切るという情報が飛び交っている。
 

第2波到来か?感染者数最多更新!ワクチンは、治療薬は、これからどうなるのか?上医師に伺います。
 
一抹の朗報かもしれないが、世界中から観客がやってくる五輪の開催には決定打とはなりえない。
 
東京2020オリンピックオフィシャルパートナーになっている在京大手メディアとパートナーになっていない東京の地元ローカル紙の社説を読み比べてみた。
 
■朝日新聞「延期五輪 開催の姿を問い直せ
 

・混迷の根底には巨大化・複雑化して身動きがとれない五輪の現状がある。運営のマニュアル化が進み、口では節約を唱えつつ、「最高・最大の大会に」との呪縛から逃れられない。関わる組織の利害が優先され、問題が起きても選択肢は限られて、柔軟な対応ができない。・前例のない「延期」を、こうした体質を見直し、五輪のあり方を原点から考える機会とするべきだ。残された期間でやれることには限界があるだろう。だが、五輪の持続可能性につながる改革に踏み出した大会として記憶されれば、それが「2020東京五輪」のまさにレガシー(遺産)となる。

   
 
■毎日新聞「東京五輪まで1年 コロナ下の大会像提示を
 

・IOCは無観客での開催を望んでいないという。開会式もテレビ放映権や放送時間の関係から、規模を縮小できないことを組織委の森喜朗会長が明らかにしている。
・昨年末に発表された総支出1兆3500億円に加え、延期による追加経費は3000億円を超えると想定されている。競技会場や選手村での感染防止対策も不可欠で、さらに費用がかさみそうだ。
・東京都も政府もコロナ対策に巨額の予算をつぎ込んでおり、財政的に余裕はない。徹底して経費を圧縮しなければ、結局は国民がツケを払うことになる。
・競技や選手数にも手を付けない。史上最多の33競技339種目が実施される。オンラインの双方向性やバーチャル映像を活用して、五輪の価値を伝えることもできるはずだ。感染の収束が見通せない困難な時だからこそ、コロナ下の新たな大会像を提示してほしい。


 
■讀賣新聞「東京五輪 感染防ぎ安全な大会を目指せ

・完全な収束が見通せないにしても、一定程度に感染を抑止して五輪開催が可能になるよう、対策を講じることが重要である。
・観客の安全を最優先に考え、判断する必要がある。流行の状況や検査体制を見極めたい。
・延期に伴う追加費用は、数千億円にのぼる見通しだという。政府、組織委、都が協力して分担することが求められる。IOCにも一定の負担を要請すべきだ。


 
各紙とも開催に向けてさまざまな問題点を挙げているが、正面から「五輪開催は中止すべき」とは言えない立場であろう。
 
◆東京新聞「五輪まで1年 開催への道筋は確かか
  

・IOCのバッハ会長は15日の記者会見で、コロナ禍を踏まえて「さまざまなシナリオを検討している」と述べた。しかし、シナリオの具体的な中身には乏しい。
・選手、観客、ボランティアらの安全・安心を確保した上で、円滑な運営ができるのか。ハードルは相当高い。
ボランティアには感染リスクの高い高齢者、入国可否が不透明な外国人も含まれる。必要な人数を確保できるのだろうか。
・感染症の深刻なリスクが現実となり、今後は開催に手を挙げる都市は先細りするだろう。
 莫大(ばくだい)な放映権料やスポンサー料に頼るIOC自身が変わり、運営しやすい大会へスリム化する。その第一歩を東京で示すことが五輪の未来につながるのではないか。

 
うがった見方をすれば、大きな問題点をクリアして「その第一歩を東京で示すことが五輪の未来につながるのではないか。」ということは、東京五輪が開催できなければ、五輪の未来はない、ということであろう。
 
どうやら、安倍晋三にとって唯一の「レガシー」としたい「東京五輪開催」が困難になって、安倍晋三のこんな恨み節が聞こえてきそうである。
 
澤藤統一郎の憲法日記では「首相の巣ごもりは、政権の末期症状」と題して、安倍晋三の心情吐露を見事に再現していた。
 

あ~あ、残念。無念でならない。この無遠慮なコロナ禍さえなければ、今ごろは「東京オリパラ2020」で国中が湧いていたはずじゃないか。明日は開会式で日本中が祝賀ムード。野党だって、メディアだって、政権の悪口は言いにくい雰囲気だったはず。私も、主催国の首相として、歴史に晴れがましい足跡を残すことになったはず。
その晴れがましさ獲得のために、ブエノスアイレスでは、事情の分からないIOC委員に、「フクシマはアンダーコントロール」なんて大嘘ついて手にした東京オリンピック。だって、ほかに、私の功績なんてまったく何にもないんだもの。せめて東京オリンピックと思ったんだが、これがダメ。罰が当たったのかねえ。気が重い。
オリンピック前夜の晴れやかさに代わって、目の前にある現実は、急速なコロナ感染の再拡大。そして、国民世論の反対を敢えて押し切っての「Go Toトラベル」キャンペーン強行の不安。さらに、それ故の野党とメディアの遠慮のない政権批判。天国から地獄に突き落とされた思いだ。ああ、気が滅入る。確かに、政権末期の雰囲気だ。だから、記者会見なんかしたくない。巣ごもりで、不貞腐れているしかないんだ。
何をやってもうまくいかない。やることなすこと、みんな裏目だ。私が口を開けば、言葉のつぶてが飛んでくる。チグハグだ、朝令暮改だ、業界寄りだ、オトモダチ優遇、嘘とゴマカシ、公文書改ざん、政治の私物化、一強の驕り、政権の末期症状だって、批判されまくり。そう言われれば、みんなそのとおりだから、余計にヤになっちゃう。
だから、国会なんて開かないし、開けない。閉会中の委員会審査もあるけれど、出席しない。記者会見もしないんだ。とにかく、しゃべればボロが出るだけ。
私は、人の作った作文をいかにも自分の見解のように読み上げることなら少々得意だ。難しい漢字には、必ずルビを振ってもらっているから大丈夫。でも、それ以上のことは無理。とりわけ、事前通告のない質問は困る。トンチンカンなことを口にしたり、うっかり本音をしゃべったり、碌なことにならない。だから、巣ごもりが一番。もう、1か月以上も記者会見はしていない。
これまでは、「まさに」と「しっかり」「丁寧に」の3語で切り抜けてこられたから、まあ楽な仕事だった。「国民の皆様には、今後ですね、まさに、まさにですよ、この問題については、しっかりと、丁寧に、説明をさせていただきたい」なんて、ごまかしてきたけど、我ながら、もう限界だよね。
この頃は、新しく「専門家の皆様のご賛同をえて」でやってみたけど、ずいぶん早く鮮度が落ちて、使えなくなっちゃった。忖度専門家の化けの皮の剥がれるのが、こんなに早いとは思わなかったんだ。
ところで、今日のコロナ感染者数発表が、東京だけで366人だっていうじゃない。しかも、東京一極から拡散しすでに全国的に感染再爆発が広まりつつあるとも言われているようだ。どうして、コロナって奴は、遠慮がないんだろう。もう少し、政権に忖度したってよかろうに。忖度しない相手は恐い。悪評サクサクの「Go Toトラベル」始まった途端に、この感染拡大だ。非難囂々だろうな。このあとどうなるかが恐い。「私の責任です」と軽く言って済む問題ではなさそうだから、なお恐い。
私にコロナ対策の指揮能力はないし、やる気もない。正直、外へは出たくない。だって、だんだんコロナが身近に迫っている感じがあるし、外に出るには、あのアベノマスクを付けて出なければならないが、実は、あれ、本当にコロナを除ける効果があるのか自信がないんだ。だから、巣ごもり。
だけど、身内の会合は別。私を批判しないヨイショの安心メディアが相手ならどこへでも出て行く。「権力批判こそが、ジャーナリズムの神髄」なんて格好付けている不届き記者が紛れているところでの会見なんてヤなこった。櫻井よしことか、岩田朋子とか、田﨑史郎や月刊花田、あるいはDHCテレビジョンなど、志を同じくし気心の知れた記者だけなら会見も結構なんだけど。
通常国会が終わってホッとしているところに、記者会見は嫌なんだ。こっちが返答に困る質問をぶつけようというのは、人権問題じゃないのかね。「嫌な質問には答弁を拒否して体面を保つ首相の権利」は、法のどこかに書いていないのかな。書いてなければ、閣議決定で決められないだろうか。これまで、ずいぶんいろんなことを閣議決定で決めてきたからね。
最後の首相記者会見は6月18日だった。あのときに、まさに、まさにですよ、はっきり分かったね。政権に好意的な記者と、敵対的な記者とのくっきりした色分け。忖度派と攻撃派だ。私に忖度しないで、困らせてやろうという無頼な記者たちにサービスする必要なんてあり得ない。「時間がない」「次の日程が詰まっている」を口実に質問なんかさせたくない。少なくとも、重ねての質問で突っ込ませるようなことはさせない。そんなことをさせたら、聞いている国民に、私の無能がさらけ出されてたいへんなことになる。できるなら、会見そのものをやらないに越したことはない。だから、巣ごもり。
それにしても、コロナ感染再拡大の勢いは凄まじい。その中での「Go Toトラベル」強行は、私の所為じゃない。二階と菅の二人が、それぞれの理由で頑張っているんで、私が頑張っていると誤解されたくないんだ。でも、そうも言いにくいから、これも記者会見はやりたくない理由のひとつ。
ものごとがうまく行っているときの記者会見なら、私は好きなんだ。第一波の緊急事態宣言解除のときは、晴れがましく私の手柄みたいに記者会見をやった。まさしく、まさしくですね、あのように、私の支持拡大につながる記者会見ならやりますよ。でも、今は、まったくプラスの材料がない。結局、記者たちの攻撃の矢面に立つだけ。そんな政権の末期症状をさらけ出すような記者会見などできようはずもない。だから巣ごもり。あ~あ。


 
もはや国民にとっては安倍晋三は「不要不急」の存在となりつつある。
 
政府内の混乱ぶりや、感染拡大が続く東京都の小池百合子とのつまらぬ、都民にとっても迷惑な確執を解決できない国のリーダーはもはや役立たずであろう。
 
このまま永遠に巣ごもり続けるのではないだろうか、とオジサンは思う。   
 

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