新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

安倍晋三は「悲劇の政治家」でも「民主主義の犠牲者」でもない

2022年08月09日 10時46分33秒 | 安倍晋三国葬

たまたまあるサイトを見ていたら興味深い記事があった。
 
安倍元首相の死から1カ月、山上容疑者から手紙送られたジャーナリスト「『無期』推奨したい
 
山上徹也容疑者(41=鑑定留置中)が犯行直前に手紙を送った島根県在住のフリージャーナリストの米本和広氏(71)が日今月2日に「山上徹也を救え」のタイトルで新しいブログを立ち上げたという。
 
山上徹也を救え
  

山上容疑者へ。猛省を求む
2022.08.02 Tue
安倍元総理を銃殺したのは、犯罪以外の何ものでもない。
人の命を絶つということは、その人の未来を閉じてしまうことである。野蛮な行為である。
安倍元総理だって、生きていれば、アベノミスクを反省して心を入れ替えたかもしれないではないか。
死刑制度を廃止している国は年々増えている。
小生は、死刑の代わりに、仮釈放のない「無期」を推奨したい。
刑務所からだって人の役にたつことはできるのだ。小説を書く、作曲する、工芸品をつくる…。
この意味で、山上徹也氏には猛省を促したい。

「安倍元総理だって、生きていれば、アベノミスクを反省して心を入れ替えたかもしれないではないか。」という下りにはオジサンは賛同しかねないが、このジャーナリストが立ち上げたブログには、以前から米本和広氏の活動を知っている人や、元信者らしき人や、協会の内部事情に詳しい人など様々な境遇の人からのコメントが溢れていた。
 
その中から一部を紹介する。
 

家庭連合は生まれ変わらざるを得ない
今回の事件の件で図らずも米本氏の名前が全国民に知れ渡る事になりましたね。
米本氏はルポライターとして信仰に染まる親(カルトと言われてしまうのでしょうが)の子供達のネグレクト問題を徹底的に糾弾していましたね。
それが山上容疑者の心に響いたんだと思います。
米本ブログはあくまで信仰宗教思想に関しては是々非々の立場でありました。
特に違法な拉致監禁問題を公平な立場で糾弾しておりました。
そこが、教団を潰す事しか考えていない有田氏や紀藤氏、鈴木エイト氏とは一線を画していましたね。
今回の事件は日本の歴史に残る大事件であり、間違いなく今後は教科書にも書き加わる事になるでしょう。
そして犯人の動機が新興宗教(カルト)の異常な献金(お布施)が根底にあり、ネグレクトが根底にあったと言う事も先生が生徒に教える様になるはずです。
家庭連合(旧統一教会)は生まれ変わらざるを得ないのです。
もしかしたら本当に宗教法人をはく奪されるかも知れません。
今回の大事件は神様が打ったのか?
否、神様はその様な事はなさらないはずだ。
しかし、止める事も出来なかったのだろう。
本当に信じられない位に偶然が重なった様に安倍元首相が殺害されてしまった。
手製の銃だし、殺傷能力は未知数、本当に打ち所が極めて悪く心臓に当たってしまった。
本当に偶然だったのだろうか?
霊界を信じる者として、やはり怨念の霊の協助があったとしか考えられない。
内部では過去に清平で焼身自殺がありました。
追い込まれて追い込まれての事でした。
献金による借金故の自殺者もいます。
代理店で活動していた方も逮捕されて心が病んで自殺された方もいます。
皆、最初の動機はどうだったか?
神様の為、世界の為、日本の為に献身をして来た者達だ。
そういった末端の者達の心情を神様は全てご存じなのだ。
だから、今回の銃撃事件では奇跡は起こらなかった。
逆の奇跡が起こってしまったのだ。
家庭連合を生まれ変わらせる為に。

 
 
  
山上容疑者の是と非

米本さんが新しく立ち上げた「山上徹也を救え」という名前のブログの最初の記事のタイトルが、「山上容疑者へ。猛省を求む」ということで、今回のブログでも米本さんが是々非々の姿勢を貫くという所信表明のように感じました。
今回の事件以降、旧統一教会の問題を取り上げるニュース番組が増える中、様々なコメンテーターの方々が意見を言う際に「山上容疑者の行為・犯行はまったく許されるものではありませんが・・。」という前置きを繰り返し述べていましたが、当然のことながら山上容疑者の犯行はとても容認できるものではありません。
いかなる理由でも、私怨を理由にして他者の命を奪うという行為は、まったくの自己中心的な行為でしかなく、近年繰り返し発生している無差別的な殺傷事件同様、今回の事件・犯行もとても擁護できるものではないでしょう。
しかし一方で、事件から時間が経つにつれて山上容疑者の動機や、旧統一教会が絡んだ容疑者のその背景が報道を通して伝えられていく中で、ニュースの視聴者の間では山上容疑者に対するある種の同情の思いが共有されていったようでした。
そんな中で山上容疑者に対して述べられる意見の中で常套句となったのは、「山上容疑者がしたことは許すことはできないけど、同情はする」といったものや、「山上容疑者が今回の事件を起こしていなかったら、旧統一教会の様々な問題がニュースで取りあげられていなかったと思うと恐ろしい」といった意見でした。
山上容疑者が米本さんに送った手紙の中に「安倍は本来の敵ではない」と記されていたように、山上容疑者はとても冷静に自分が行おうとしていることについて事前に考えていたようです。
一方でその文末は「安倍の死がもたらす政治的意味、結果、最早それを考える余裕は私にはありません」という言葉で締めくくられていたように、自身の犯行が社会にどのように受け止めるかということは、当然ながら山上容疑者にとって見当のつかないことだったでしょう。
結果的に、事件から一か月弱が経とうとしている現在、テレビや雑誌などでの連日の報道と、さらには国会と政治家をも巻き込んで、旧統一教会にまつわる問題が次々と取り上げられています。
多くの識者がすでに指摘している事ですが、山上容疑者の犯行の目的が、今回の事件を通して旧統一教会の問題を社会に広く認識させて、教会に対する非難を集めることで自身の復讐を果たすというものだったとしたら、現時点で、山上容疑者はその目的の一部を果たしているといえるでしょう。
いまだ事件から一か月が経っていない中で、今回の事件の報道がどのような経過を辿っていくのかはまだはっきりと分からないですが、米本さんの視点からの今後の発信を楽しみにしております。


 
 
私は原理研究会に10年ほどいて27年前に辞めた統一教会によって人生を台無しにされたと思っている人間です。それから必死の思いで這い上がって今は幸せに生きています。その私から見ても山上容疑者は厳罰に処されるべきだと思っています。一切の同情の余地はありません。百歩譲って、彼が統一教会の関係者を襲ったのならまだ彼の動機や生い立ちについて考えてやる余地はあったかもしれません。しかし、安倍首相は統一教会とほとんど無関係。「あの政治家は食口」だと昔から何度も聞いていましたが、話半分というか100分の一くらいで聞いていました。彼が統一教会に恨みを持ったとしても、安倍さんを殺す理由には全くならない。そうなったのは、ひょっとしたらあなたのブログを読んだからではないかとも思います。アベノミクスに否定的なようですが、あなたのような「逃げ切り世代」が反安倍で、若い世代が安倍さんを支持している意味を考えてください。反「反カルト」はいいですが、むしろ彼が反カルトとつながっていたら、別の形で怒りを昇華させることができたかもしれませんよ。

 
お久しぶりです。
米本さん、最近は統一教会の軛から逃れて「あと10年をポジティブに生きる」を実践されているようで何よりでしたが、予想だにしていない安部元総理の事件。その渦中の当事者の一人になってしまい、平穏な日常が破られたようなお気持ちではないでしょうか。
私も事件の第一報を聞き只々ショックでしたが、その動機が統一教会への恨みから起こされた事件と聞き暗澹たる気持ちです。
山上容疑者のやったことは、決して許される事ではないことは言うまでもありませんし、母親の献金によって家庭が破壊された恨みをこのような形で晴らすなど、全く理解の範疇を超えています。それでも、休眠食口の私とはいえ責任の一端を感じ、日々の報道に居心地の悪さを感じざるを得ません。
教団関係者のブログを見ると、率直に反省している人もあれば、陰謀論を展開する人など様々。
おとなりさんブログは、お休みしたのにランキング1位はなんでなの、本当に不思議。
それにしても、自身の言葉を一言も発することなくお休みとは・・・。おとなりさんの良心がそうさせたかもしれませんが、もはやブロブ再開の資格はないでしょう。
キチガイキさんは、相変わらずあちこちに噛みつき、更にはゾンビの様に米本さんとの一件も掘り返し、遺憾なく粘着体質を発揮されていますね。くわばらくわばら。
振り返ってみれば、教団内部でも改革を熱望する食口は相当数いたのに、教団は批判的意見を聞く耳を持つことはありませんでした。
それは、韓国教団への送金は何よりの絶対条件であり、それを妨害する事は決して許されなかったという事でした。
それ故にコンプライアンス宣言をしても、現場へは相も変わらずの献金要請、山上容疑者の母親のような人は全国にたくさんいます。
現在の報道の背後には隠された意図もあるでしょうが、それでも津波のような批判報道。教団は反社会的勢力とまで言われる始末。今までのような献金体制はもう無理。
それでも、日本からの献金が無ければ韓国教団は維持できない。私にとっては他人事ですが、この無理ゲー どうなるんでしょうね。
言いたいことがたくさんありすぎて、まとまりのないコメントになってしまいましたが、米本さん暑い日々くれぐれもご自愛ください。

 
安倍晋三が銃殺されてから1か月の節目で、澤藤統一郎弁護士は的確なコメントを自ブログで展開していた。
 
批判に臆してはならない。安倍晋三が遺した巨大な負のレガシーを清算しなければならない。
 
 
安倍晋三銃撃という衝撃から1か月である。この事件、当初は政権政党に有利な風を起こすかに見えた。安倍晋三が、「テロの犠牲者となった悲劇の政治家」「遊説中に凶弾に倒れた民主主義の犠牲者」などの虚像・虚名を冠せられ、その死が政治的に利用されるだろう、そうだれもが考えた。
 国民が悲劇の安倍晋三を悼み、その死の政治的利用を可能とする風が一瞬だが確かに吹いた。その一瞬の間に参院選の投票が行われ、自民党が勝ち、野党が大敗した。さらに政権はこの風を頼みに安倍国葬を決めた。この風を大きく煽ろうという魂胆が見え見えであった。この風を利しての改憲さえ可能と思ったのではないか。
 しかし、その風は一瞬にして止んだ。本件の犯行は典型的な政治的テロではなく、安倍を撃った銃弾は、特定の政治思想を狙ったものでも、民主主義を撃ち抜くものでもなかった。銃撃犯と安倍晋三との関係は、政治的な確執でも思想的な対立でもなかった。
 そもそも、犯人と安倍とを直接に結ぶものはない。銃撃犯と安倍晋三との間には、統一教会という反社会性顕著な反共団体が介在していた。これまで明らかにされている限りでのことだが、犯人は統一教会を徹底して怨み、統一教会と関連密接な存在としての安倍を銃撃したのだ。常識的にはわかりにくい構図だが、やや時を経て、世論はこの構図を理解した。そのことによって、保守勢力への順風が止んだのだ。世論のこの構図の理解の深まりは、風向きを変えつつある。国葬反対の世論の高揚が、岸田内閣支持率の低迷を招いている。
 犯人と統一教会と安倍。この3者の構図のうち、まず犯人と統一教会との関係が、分かりやすいものとして世論の理解を得た。統一教会とは、人をマインドコントロールして精神を支配し徹底した経済的収奪に躊躇しない憎むべき組織。犯人は、統一教会によって家庭を破壊され不幸に陥らしめられた哀れな被害者。世論が理解するに難しいところはない。
 問題は、統一教会と安倍との関係である。岸信介以来の自民党右派が反共という共通項で、統一教会と深い癒着関係を築いてきたことが、明らかにされつつある。そして、今参院選の候補者調整においてなも、安倍は統一教会の組織票と動員力を自分の手駒にして、党内政治における支配力を行使している。
 統一教会と安倍との関係というピースがピタリと嵌まらないと、安倍銃撃の必然性は見えてこない。その全容はまだ十分に明らかとは言えない。しかし、安倍と安倍派が、永年にわたって、あの反社会的な教団と、こんなにもズブズブに癒着していたのかという衝撃は世論を大きく動かしている。「勝共連合」と自民、改憲草案に多くの一致点との指摘もある。
 安倍は既に「悲劇の政治家」ではなく、山上も「憎むべき民主主義の敵」ではなくなっている。国葬は却って現政権の安倍政治美化の思惑を炙り出し、安倍の数々の悪行を思い起こさせる動機ともなっている。「安倍晋三とは、本当に国葬に値する政治家だったのか。安倍政治とは、国葬に値するものなのか」と、立ち止まって考えざるを得ないからだ。
 反論できない死者を批判することは、死者を鞭打つに等しく社会常識を弁えた大人のすべきことではないとされる。だからこそ、安倍の死は現政権にとって政治的利用が可能だと思われた。しかし、生死の如何にかかわらず、批判すべきはきちんと批判しなければならない。今は、そのような真っ当な雰囲気が世に戻っている。
 たとえば、一昨日(8月6日)の毎日朝刊政治面の大型コラム「時の在りか」。 論説委員伊藤智永の「家業としての安倍政治批判」などはその典型であろう。
安倍政治を「家業」として捉える視点からのまことに辛口の批判である。さすがに筆を抑えての書きぶりではあるが、読みようによっては、安倍晋三とはこんなに軽薄で政治的には無能で嫌な人物と言わんばかり。事件の直後では、とてもこうは書けなかったのではないか。
 その最後は、こう結ばれている。
 「晋三氏の死は理不尽な遭難に違いない。だが、父祖伝来の縁ある宗教組織に自分の元秘書官の選挙応援を頼み、就職氷河期世代に逆恨みされた因果は、理解不能な不合理というだけでは済まされないわだかまりを私たちに残した。」
 もちろん論者の本意ではないが、この結論はこうも読めるのだ。「晋三氏の死は本当に理不尽な遭難なのだろうか。父祖伝来の縁ある宗教組織に自分の元秘書官の選挙応援を頼んで、就職氷河期世代に逆恨みされたという因果は、十分に理解可能というべきではないか」
 あらためておもう。安倍晋三が遺した巨大な負のレガシーを徹底して見つめ直し、その清算をするところから、民主主義の再生をはからなければならない。今、それを可能とする風が吹き始めている。

 
電波芸人の中には、安倍晋三としばしば会食したりテレビ番組で一緒になった「アベシンパ」がやたら統一教会寄りの発言を垂れ流している。
 
太田光、古市憲寿「このままでは山上容疑者の目論みどおり」…“旧統一教会叩き" やりすぎ論に疑問の声」   
 
  
 
最後に、今更自民党議員と旧統一教会との癒着に関していちいちあげつらうことは時間の無駄なのだが、特に福田家の4代目の生粋の世襲議員の福田達夫に対しては「つけるクスリ」がないらしい。
 
つけるクスリがない。福田達夫氏ら自民“ボンボン"議員の劣化ぶり
 
特に自民党の世襲議員たちは「経年劣化」が際立っており、いままで「先代」を超えた議員は皆無であろう。
 
唯一、親父が外務大臣で亡くなった安倍晋三は見事総理大臣にまで登り詰めたのだが、残念ながら父親と同じ67歳でlこの世を去ったということはヒョットすると「親の因果が子に報い」だったにかもしれない、オジサンは思う。

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