新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

三権分立どころか三権癒着して東電幹部を放免した今の日本

2019年09月20日 11時06分11秒 | 原発関連

おそらく江戸時代であったならば今頃、こんな3悪人の晒し首が、小塚原の刑場の獄門台で晒されていたかもしれない。

    

残念ながら今の司法は政権の政策に影響を与えるような判決は下せないらしい。

昨日の「首相動静(9月19日)」を見る限り、こんな会話がされたのかもしれない。

●大谷直人最高裁長官 「総理のご意向を汲みまして、本日の判決は被告3人とも無罪にいたしました
■安倍晋三総理大臣  「ごくろうさん、これで原発はどんどん再稼動できるわけだ

<「大津波 予見できず」 東電旧経営陣3人無罪 東京地裁判決>
 2019年9月20日 朝刊 東京新聞
 東京電力福島第一原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の勝俣恒久元会長(79)ら旧経営陣三被告の判決で、東京地裁(永渕健一裁判長)は19日、「大津波の予見可能性は認められない」として、3人に無罪(いずれも求刑禁錮5年)を言い渡した。未曽有の被害をもたらした原発事故で、経営トップらの刑事責任は認められなかった。検察官役の指定弁護士は控訴について「今後検討する」と述べるにとどめた。
  
        

 ほかに強制起訴されたのは、原発の安全対策の実質的な責任者だった武藤栄元副社長(69)と、その直属の上司だった武黒(たけくろ)一郎元副社長(73)。公判の争点は、大津波を予見し、事故を防げたか否かだった。
 国は2002年、福島沖でM8.2前後の津波地震が発生する可能性を予測した「長期評価」を公表した。東電の地震・津波対策の担当者は08年3月、長期評価に基づくと「最大15.7メートルの津波が原発を襲う」という試算を得ており、指定弁護士は「大津波は予見でき、対策を取れた」と主張。3人は「大津波は予見できなかった」と無罪を訴えていた。
 永渕裁判長は、海抜10メートルの原発敷地を超える高さの津波の可能性について、3人が情報として接したのは、早くて08年6月~09年2月だったと指摘。指定弁護士が指摘する防潮堤設置などの対策をとっても間に合ったか立証されていないとし、「事故を回避するためには(事故直前の)11年3月初旬までに原発の運転を止めるしかなかった」と認定した。
 その上で長期評価について「信頼性や具体性があったと認めるには合理的な疑いが残る」と指摘。武黒、武藤両元副社長は長期評価の信頼性が低いと部下から報告を受け、勝俣元会長は大津波の認識の程度が低かったとして、3人には「原発の運転を止めなければならないほどの予見可能性は認められない」と結論づけた。
 3人は、大津波を予見できたのに対策を怠り、原発事故で避難を余儀なくされた双葉病院(福島県大熊町)の入院患者ら44人を死亡させるなどしたとして強制起訴された。
  
        

初めから「無罪」という結論ありきの判決内容である。

強制起訴された東京電力の旧経営陣3人に無罪を言い渡した東京地裁判決は、大津波の襲来をうかがわせる試算の根拠の信用性を否定し、「大津波は予見できなかった」と結論づけて、原発の運転を止めなければ事故は防げなかったと認定したが、本当に3人が取るべき対策はなかったのか。

市民からなる検察審査会が「起訴すべきだ」と判断したことで実現した公判であったが、不起訴のままなら闇に埋もれていた事実が次々と判明し、津波試算を得た現場社員が上層部に対策を迫っていたことが明るみに出ていた。

結局、ほぼ試算通りの高さの津波が原発を襲ったのだが、旧経営陣が現場社員の警告に真摯に耳を傾けていれば、原子炉を冷やすための電源を高台に移すなど次善の策は取れたはずであり、そうすれば原発の運転を止めなくても被害は軽減できたに違いない。

日本の企業社会の規模が大きくなるほど、トップら個人の過失責任は認められにくく、トップが事故の危険情報に敏感に反応し、より危機感を持って対応に当たるためには、組織自体を罰する制度の創設も検討すべきなのだが、現状の東電は半国営会社となり国に守られているのが現状である。

判決は東日本大震災以前は社会通念上、原発事故のリスクについて「絶対的安全性の確保までを前提としてはいなかった」と言及したことは、無罪判決の背景に、安全神話の追認があるということであろう。


ところで、原発事故関連(原発震災)報道に関しては、東京新聞ほど熱心ではなかった朝日新聞記事のタイトルが気になった。

問うべきは原発事故の不可解な巨大さ 柳田邦男さん寄稿」  

まあ、朝日新聞の現場の記者またはデスクのレベルの話だが、記事中のこの部分だけは、まさに核心をついていると言える。

これが一般的な凶悪事件であるなら、被害者の心情に寄り添った論述が縷々記されるのが通例だ。裁判官は歴史的な巨大な複合災害である事故現場や『死の町』や避難者たちの生活の現場に立ち、そこで考えようとしなかったのか」(柳田邦男)

それにしても、つくづく「原子力ムラ」は今でも確固たる癒着ぶりを維持しているということを明らかにしてくれた判決だった、とオジサンは思う。


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