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銭の花《商魂》 ♯008

2023-08-17 21:00:00 | 日記

 ■カルピス

 カルピスは、アサヒ飲料の機能子会社となる日本の乳製品メーカーのカルピス株式会社(英称:Calpis Co., Ltd.)及び、同社が製造してアサヒ飲料が販売する乳酸菌飲料の名称である。
 ローマ字表記はCALPIS、日本以外ではCalpicoとも。


 カルピス本社は、東京都渋谷区恵比寿に所在していた。
 2012年(平成24年)10月にそれまでは味の素が保有していた全株式がアサヒ飲料などを傘下に持つアサヒグループホールディングスに譲渡されて同社の機能子会社となった後、2016年(平成28年)1月のアサヒグループにおける飲料事業の再編に伴ってアサヒ飲料の機能子会社である2代目法人となり、本社が東京都墨田区吾妻橋のアサヒビール本社ビルへ移転した。
 これに併せ、「カルピス」の登録商標についてもカルピスから親会社のアサヒ飲料に商標権が移管された。
 2020年(令和2年)12月現在のコーポレート・スローガンは「カラダにピース。CALPIS」。ブランド・スローガンは「ピースはここにある。」。

 《企業》

 企業としてのカルピスの創業者は、僧侶出身の三島海雲である。20世紀の初頭の創業初期より、後に日本初の乳酸菌飲料となる「カルピス」を生産していた。
 これと共に、脱脂乳(英語版)の生産の際に副産品として製造を開始したとされるカルピスバターが主力商品である。
 1990年の味の素との提携後は、カルピスを製造時に水で希釈調合しすぐに飲めるようにした清涼飲料水「カルピスウォーター」の生産、ミネラルウォーターの「エビアン」やワインの輸入、カクテル「カルピスサワー」などのアルコール飲料にも進出している。
 Calpisが牛の尿の意味の英語: cow piss「カウ ピス」と聞こえることから、アメリカ合衆国ではCALPICO(カルピコ)という名称で販売される。
 なお、製造情報の欄には輸出会社として「CALPIS CO.,LTD.」と書かれている。
 味の素は2007年(平成19年)6月11日に同年10月1日付で、カルピス株式会社を完全子会社化することで合意したと発表した。
 カルピス経営陣は他社との提携も考慮したが、今後の少子高齢化で懸念される日本市場の規模縮小と、それを補うための海外市場展開、さらには、いわゆる三角合併の解禁による海外企業の買収攻勢への対応を見据え、この統合案しかないと表明。苦渋の決断だったとしている。

 2012年5月8日、味の素がアサヒグループホールディングスにカルピスの全株式を2012年10月1日付、約1200億円で売却する内容の株式譲渡契約締結が発表された。
 同年10月に株式譲渡が行われ、アサヒグループホールディングスの子会社となった。
 同時に「業務提携:味の素株式会社」の記載も削除されている。
 統合後はアサヒ傘下の会社とマレーシアにてカルピス飲料を共同開発し、東南アジア向けに現地の趣向に対応させ、ハラル認証も取得している。
 2016年1月1日にアサヒグループの飲料事業の再編が行われ、事業ごとにグループ会社へ継承・移管した後、アサヒ飲料と合併。
 カルピスで行われていた国内飲料製造事業と乳製品事業はカルピスフーズサービスへ継承され、(2代目)カルピスとしてアサヒ飲料の機能子会社となった。

 《沿革》

 ★初代会社

 ・1916年(大正5年)4月
  前身となる醍醐味合資会社を設立。

 ・1917年(大正6年)
  ラクトー株式会社設立。

 ・1919年(大正8年)7月7日
  カルピス発売。

 ・1923年(大正12年) - カルピス製造株式会社に商号変更。

 ・1948年(昭和23年)
  カルピス食品工業株式会社に商号変更。

 ・1951年(昭和26年)
  乳及び乳製品の成分規格等に関する省令(昭和26年厚生省令第52号)によりカルピスが日本で初めての乳酸菌飲料となる。

 ・1987年(昭和62年)
  フランスBSNグループ(現:グループ・ダノン)と業務提携。

 ・1990年(平成2年)
 1月
  いわゆる「黒人マーク」の使用を、人種差別問題に配慮して中止。
 8月
  第三者割当増資を実施。
 味の素株式会社が増資を引き受け筆頭株主に。

 ・1991年(平成3年)
  味の素株式会社から飲料事業を譲受、両社の缶入り飲料事業を統合。

 ・1997年(平成9年)
  カルピス株式会社に商号変更。

 ・2007年(平成19年)
 9月25日
  上場廃止。
 10月1日
  株式交換により味の素株式会社の完全子会社になる。
 10月15日
  アサヒ飲料と自動販売機事業の統合を公表。
 12月10日
  アサヒ飲料との共同出資で、自動販売機事業の持株会社「アサヒカルピスビバレッジ株式会社」を設立。
 出資比率はアサヒ80%・カルピス20%である。

 ・2008年(平成20年)
 1月4日
  自動販売機事業子会社6社をアサヒカルピスビバレッジに譲渡。

 ・2009年(平成21年)
 10月1日
  物流子会社のカルピス物流サービスを、相模物流センター及び群馬物流センターは関東エース物流、岡山物流センターは関西エース物流(共に味の素物流の子会社)に譲渡。

 ・2012年(平成24年)
 10月1日
  株式譲渡によりアサヒグループホールディングス株式会社の完全子会社になる。

 ・2013年(平成25年)
 1月21日
  2012年(平成24年)10月31日に締結した業務提携契約に基づき、自社開発のチルド飲料の製造・販売をグループ会社のエルビーへ移管。
 8月31日
  酒類事業を終了(「カルピスサワー」はグループ会社のアサヒビールに移管され、同年12月10日に新仕様で発売される)。
 9月1日
  国内飲料事業(「カルピスサワー」を除く)及び営業部門をアサヒ飲料へ移管統合。
 これにより、「カルピスサワー」、エルビーが担当するチルド製品を除く日本国内における「カルピス」ブランドの飲料製品のマーケティングと販売をアサヒ飲料が手掛けるようになる。

 ・2016年(平成28年)
 1月1日
  国内飲料製造事業と乳購買を含む乳製品事業を子会社のカルピスフーズサービスへ、機能性食品(通信販売、素材)事業をアサヒグループホールディングス子会社のアサヒカルピスウェルネスへそれぞれ継承、海外飲料事業および発酵応用研究に関する組織と間接機能の一部をアサヒグループホールディングスへ機能移管した後、アサヒ飲料へ吸収合併され解散。

 ★2代目会社

 ・2016年(平成28年)
 1月1日
  乳製品の販売を行っていた(初代)カルピス子会社のカルピスフーズサービスが(初代)カルピスから国内飲料製造事業と乳購買を含む乳製品事業を承継して(2代目)カルピス株式会社に商号変更し、アサヒ飲料の子会社に移行。

 ・2020年(令和2年)
 12月末
  この月の製造・出荷分を以って同社が製造する製品(乳製品全般)における「CALPIS」ロゴのCIの商標使用を終了。

 ★事業所

 本社:東京都墨田区吾妻橋1-23-1
 工場:岡山(工場記号BC)
 群馬(工場記号KC)がある。
 国内工場の屋根は暖色系のオレンジ色に統一されている。

 ★由来

 1908年(明治41年)、30歳の三島海雲は内モンゴル(現在の中華人民共和国・内モンゴル自治区)を訪れ、そこで口にした酸乳を参考にして、1919年(大正8年)にカルピスを開発・発売し、この飲料と同名の企業の創業者となったと伝えられている。
 脱脂乳を乳酸菌で発酵(酸乳)しこれに加糖、さらに酵母(馬乳酒中の酵母と近似)による発酵がカルピス独特の風味に不可欠であることは、長く企業秘密とされていたが、1990年代半ばに公開された。
 社名は、「カルシウム」とサンスクリットの「サルピス」(सर्पिस्, sarpis, 漢訳:熟酥=じゅくそ)を合わせたものである。
 社名を決める際、サンスクリット「サルピルマンダ」(sarpir-maṇḍa, 漢訳:醍醐)を使用し、「サルピス」・「カルピル」とする案も存在した。
 同社では重要なことを決める際には、その道の第一人者を訪ねる「日本一主義」があった。
 これにより、当時音楽の第一人者だった山田耕筰に社名について相談したところ、「カルピス」が最も響きが良いということで現行社名・商品名になったという。

 元々は、パナマ帽を被った黒人男性が、ストローでグラス入りのカルピスを飲んでいる図案化イラストが商標だった。
 これは第一次世界大戦終戦後のドイツ帝国で苦しむ画家を救うために、社長の三島が開催した「国際懸賞ポスター展」で、3位を受賞したドイツ人デザイナーのオットー・デュンケルスビューラーによる作品を使用したものである。
 1989年(平成元年)に一部から「差別思想につながる」との指摘を受け、パッケージリニューアル時にこのマークは使用されなくなったが、マーク中の「渦巻き状のストローが入ったグラス」の意匠はややデザインを変えつつ、現在も一部のパッケージに受け継がれている。
 なお、カルピスはかつてのロゴの図案を白黒反転させたマークも商標登録している。

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 関連項目 ー 世界名作劇場 ー
        (カルピス劇場)

 世界名作劇場(せかいめいさくげきじょう)は、主に日本アニメーション(以下、日アニ)が制作して『カルピスこども名作劇場』や『ハウス食品・世界名作劇場』といった名称で放送されているテレビアニメシリーズである。

 世界名作アニメ、世界名作アニメ劇場とも呼ばれる。 作数は解釈によって異なり、最広義には1969年の『ムーミン』を、日本アニメーションの公式では同社制作の1975年の『フランダースの犬』を第1作と数える。

 《概要》

 これまで約26作(数え方によって異なる)が製作・放送され、日本を代表するテレビアニメシリーズの一つとされている。中でも『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』『あらいぐまラスカル』の3作は、放送終了後もCMキャラクターとしての使用や公認のスピンオフ・パロディ作品が製作されるなど、シリーズの中でも圧倒的な知名度を誇っている。
 音楽面でも渡辺岳夫などの著名な作曲家が多数参加しており、主題歌群も家族向けのアニメソングコンサートなどでしばしば歌われている。
 すべての作品はフジテレビ系列で毎週日曜日の夜19時30分より本放送されていたため、かつてはフジテレビを代表するアニメ番組と認識されていた時期もある。
 また、フジテレビ系列局のない県を中心に、他系列局やクロスネット局で時差ネットされていた県も多い。
 どの作品以後を『世界名作劇場』シリーズに含めるのかは、諸説ある。

 ・シリーズ定着後に原作を持たずに作られた『七つの海のティコ』を例外とし「原作が日本国外の文学作品」という基準で、1969年の『ムーミン』以後の作品を指す。

 ・厳密には例外もあるが「日常を舞台にした作品」という基準で、1974年の『アルプスの少女ハイジ』以後の作品を指す。

 ・日本アニメーションの制作」という基準で、1975年の『フランダースの犬』以後の作品を指す。

 『世界名作劇場』という名前がついたのは1979年放送の『赤毛のアン』からであり、それまでは『カルピスこども劇場』や『カルピスファミリー劇場』という名前がついていた。
 『赤毛のアン』以降は提供がカルピスの一社だけで無くなったためシリーズ名を何度か変更している。
 その後ハウス食品工業が単独スポンサーとなって「ハウス世界名作劇場」と称した時期もあった。
 後にBSフジで新作を放送される際、冒頭にも「ハウス食品世界名作劇場」と冠された映像が付いている。
 なお本項では、日アニが公式にシリーズの総称としており一般的にも認知されている『世界名作劇場』を項目名とした。

 オリジナル作品である『七つの海のティコ』を除けば、本放送時に原作者が既に故人であることが多く、放送期間中に原作者が存命だった作品では『南の虹のルーシー』、『アルプス物語 わたしのアンネット』、『大草原の小さな天使 ブッシュベイビー』、『こんにちは アン 〜Before Green Gables』の4作のみである。

     〔ウィキペディアより引用〕