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in the name of ending the war Chord : 02 『日本のいちばん長い日』

2023-08-05 21:00:00 | 日記

 『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』(にほんのいちばんながいひ うんめいのはちがつじゅうごにち)

 半藤一利による日本のノンフィクション書籍。



 1965年(昭和40年)の初版刊行時は文藝春秋新社から大宅壮一編のクレジットで発売され、1995年(平成7年)6月に文藝春秋から半藤名義で『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 決定版』として再版された。

 昭和天皇や鈴木貫太郎内閣の閣僚たちが御前会議において日本の降伏を決定した1945年(昭和20年)8月14日の正午から宮城事件、そして国民に対してラジオ(日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を描いている。

 これまで製作公開された劇場用映画が、岡本喜八監督による1967年版(製作・配給東宝)と原田眞人監督による2015年版(製作・配給松竹)の2つがある。



 刊行の背景 編集 著者の半藤一利は、1965年(昭和40年)当時は文藝春秋新社の社員であり、営業上の理由から「大宅壮一 編」として出版された。
 序文のみを大宅が書いている。半藤によると、大宅は本文を一行も読んでおらず、序文も半藤の口述筆記によるものだという。
 角川文庫からも再刊され、講談社インターナショナルから英訳版も出版された。タイトルはノルマンディー上陸作戦を描いた映画『史上最大の作戦』の原題The Longest Day から採用されている。 発行部数は単行本が約20万部、角川文庫版が約25万部。
 半藤は「映画化された際に映画化権(原作使用料)を受け取る」という条件で本作の印税を受け取っておらず、大宅にも5万円が支払われただけだという。
 半藤が宮城事件立案者側の事情を知る上で大きな役割を果たしたのが、首謀者の一人で阿南惟幾の自決にも立ち会った竹下正彦が執筆した1945年8月9日から15日までの『大本営機密日誌』である。 
 半藤は竹下からこの手記の閲覧を許され、それをベースに事件を起こした青年将校の動きを執筆した。
 竹下は1967年版映画のパンフレットに寄稿した「阿南陸相と三船」という文章の中で、過去の終戦秘話を描いた映画における青年将校の描写に不満を抱いていたことを記している。

 半藤を著者とする「決定版」と付した改訂版は、戦後50年にあたる1995年(平成7年)6月に文藝春秋から刊行された。

 関連項目 ー 終戦日記 ー

 終戦日記(しゅうせんにっき)
 又は敗戦日記 (はいせんにっき)は、1945年(昭和20年)8月15日のポツダム宣言受諾による終戦決定を境に、いかに社会情勢・人心・風俗が変転を余儀なくされていったかを、日記体で記した記録・文芸作品の総称である。
 ただし、諸家が各自で書いたものを、後世の人がそう呼ぶ、あるいは特別に分類する人がいる、というだけであり、もともと共通の執筆目的があったわけではない。
 文学者では永井荷風の『断腸亭日乗』が著名で生前刊行され、荷風自身の代表作で度々版元を変え今日まで重版されており、私的な日記という体裁ではあるが、読者を意識した記述が多いことは複数の論者に指摘されている。
 政治家など(特に『木戸幸一日記』)は、「昭和史」の記述で引用参照が多くなされている。

 《主な刊行一覧》

 ★『芦田均日記』 岩波書店(全7巻)
 戦前の部は柏書房(全5巻)で刊行。    
 主に記述はGHQ下での占領期である(当事者として史書を著すため、詳細な記録を残した)。

 ★『有馬頼寧日記 5
 昭和十七年~昭和二十年』山川出版社(全5巻)
 1997〜2003年 尚友倶楽部・伊藤隆編

 ★『石橋湛山日記 昭和20年~31年』(2巻組)
 みすず書房 伊藤隆ほか編

 ★伊藤整 『太平洋戦争日記』 新潮社(全3巻)、1983年 戦後編は平凡社

 ★入江相政 『入江相政日記』 朝日新聞社(全6巻)
 朝日文庫(全12巻)没時まで書き続けた。

 ★内田百閒 『東京焼尽』
 ※ 中公文庫(改版2004年)
 『百鬼園戦後日記』 小澤書店(上下) / 中公文庫(新版 全3巻)

 ★『海野十三敗戦日記』 橋本哲男編
 (中公文庫 - 元版・講談社)1971年

 ★大木操『大木日記-終戦時の帝国議会』 朝日新聞社1969年

 ★大佛次郎 『終戦日記』 草思社 / 文春文庫(改訂版)
 執筆当時の書簡・エッセイを増補

 ★『河井弥八日記 戦後篇1
 昭和二十年~昭和二十二年』 信山社出版(全5巻)2015-2020年。
 尚友倶楽部ほか編

 ★木佐木勝『木佐木日記 4
 昭和十九年-昭和二十三年』 現代史出版(全4巻)1975年

 ★木下道雄『側近日誌』 文藝春秋 / 中公文庫(改訂版)。高橋紘編

 ★『木下杢太郎日記 第5巻
 昭和16年~昭和20年』 岩波書店(全5巻)1979~80年

 ★『木戸幸一日記』
 ※ 東京大学出版会(全2巻)
 続編『木戸幸一日記 「東京裁判期」』

 ★清沢洌 『暗黒日記』 評論社(新版刊)/ ちくま学芸文庫(改訂版 全3巻)。
 橋川文三編・解説

 ★楠山正雄 『楠山正雄の戦中・戦後日記』 冨山房(全2冊)。楠山三香男

 ★『最後の貴族院書記官長 小林次郎日記』尚友倶楽部史料調査室・今津敏晃編、芙蓉書房出版。
 昭和20年分のみ収録

 ★小松真一『虜人日記』 筑摩書房、1975年 / ちくま学芸文庫、2004年

 ★澁澤秀雄『側面史百年』 時事通信社、1967年 。
 1942年1月1日〜1945年8月16日の戦中日記も収録

 ★『重光葵手記』(正・続)、伊藤隆ほか編、中央公論社
 (日記ではなく、終戦前後の覚書)


 ★『島尾敏雄日記』 新潮社、2010年 - 「加計呂麻島敗戦日記」、「終戦後日記」 『芹沢光治良 戦中戦後日記』 勉誠出版、2015年 『高見順日記』、「全日記」は没後に勁草書房(全17巻)

 ★高見順 『敗戦日記』 文春文庫 / 中公文庫、新版2005年
 高見順 『終戦日記』文春文庫。続編
『高見順日記』、「全日記」は没後に勁草書房(全17巻) 高見順 『敗戦日記』
 文春文庫 / 中公文庫、新版2005年
 高見順 『終戦日記』文春文庫。続編 

 ★『田島道治日記 昭和天皇拝謁記6』岩波書店、2022年 高松宮宣仁親王 『高松宮日記』(全8巻)中央公論社 大正10年から昭和22年まで記述。

 ★谷崎潤一郎『月と狂言師』中公文庫、改版2005年 「疎開日記」初出は「婦人公論」昭和24年9月号 新訂版『疎開日記-谷崎潤一郎終戦日記』中公文庫、2022年

 ★徳川夢声 『夢声戦争日記 昭和16-20年』中央公論社(全5巻)中公文庫(全7巻)
 ★『夢声戦争日記 抄 敗戦の記』 中公文庫、新版2001年

 ★『夢声戦中日記』 中公文庫、新版2015年 各・新編抜粋版

 ★『徳川義寛終戦日記』 朝日新聞社。御厨貴・岩井克己監修

 ★徳富蘇峰 『終戦後日記 頑蘇夢物語』 講談社(全4巻)近年発見された。講談社学術文庫で再刊(第1巻のみ)

 ★永井荷風 『断腸亭日乗』岩波書店。「全集」全6巻・単行版で再刊

『摘録 断腸亭日乗』 岩波文庫(上下)- 磯田光一編。解説本が多く刊行

 ★中野重治 『敗戦前日記』 中央公論社 - 松下裕編・解説

 ★野口富士男 『海軍日記 最下級兵の記録』文藝春秋 / 中公文庫、2021年。各・新版

 ★穂積重遠 『終戦戦後日記 1945~50年』 大村敦志校訂、有斐閣

 ★『福永武彦戦後日記』 新潮社 - 池澤夏樹解説。続編「新生日記」

 ★福原麟太郎『かの年月』吾妻書房

 ★藤田信勝 『敗戦以後』リーダーズノート新書(新版)2011年

 ★古川ロッパ『古川ロッパ昭和日記』 晶文社(全4巻)滝大作監修 没時まで書き続けた

 ★細川護貞 『細川日記』中央公論社 / 中公文庫(改版・上下)

 ★『松本学日記 昭和十四年~二十二年』尚友倶楽部・原口大輔・西山直志編、芙蓉書房出版、2021年

 ★宮武外骨 『外骨 戦中日記』 河出書房新社 2016年。吉野孝雄編・解説

武藤章『比島から巣鴨へ』 中公文庫 - 巣鴨日記も含む

 ★森正蔵 『あるジャーナリストの敗戦日記 1945〜1946』(有山輝雄編)ゆまに書房 2005年

 ★『矢部貞治日記』(全4巻)同刊行会編(読売新聞社、1974-75年)没時まで書き続けた

 ★山田風太郎 『戦中派不戦日記』講談社文庫、改版2002年 / 角川文庫 2010年 没後に戦後編(全4巻)小学館 のち小学館文庫 『戦中派虫けら日記』未知谷1994年 / ちくま文庫 1998年 大戦前半の日記

 ★『山本周五郎 戦中日記』 角川春樹事務所、2011年、のちハルキ文庫

 ★『湯川秀樹日記1945 京都で記した戦中戦後』 京都新聞出版センター 2020年 小沼通二編

 ★『渡辺一夫敗戦日記』 博文館新社 - 二宮敬編・解説、前半部は『著作集(14)』筑摩書房

 関連項目 ー 高見順 ー

 高見 順(たかみ じゅん)
 (本名・高間芳雄)
 (1907年1月30日〜1965年8月17日)

 日本の小説家、詩人。
 出生に関わる暗い過去や、左翼からの転向体験を描き、第1回芥川賞候補となった『故旧忘れ得べき』で一躍注目を浴びた。
 その後も『如何なる星の下に』『いやな感じ』などで高い評価を受けた。
 詩人としても著名。
 日本近代文学館設立にも尽力し、初代理事長に就任。文化功労者(追贈)。

 《経歴》

 1907年、福井県知事阪本釤之助[注釈 1]の非嫡出子として福井県坂井郡三国町(現坂井市三国町)平木に生まれる。
 母・高間古代(コヨ)は阪本が視察で三国を訪れた際に夜伽を務めた女性である。
 1908年、母と共に上京する。実父と一度も会うことなく、東京市麻布飯倉にあった父の邸宅付近の陋屋に育つ。
 私生児としてしばしばいじめを受けた。
 阪本家からは毎月10円の手当てを受けていたが、それでは足りず、母が針仕事で生計を立てた。
 1924年、東京府立第一中学校卒業、第一高等学校文科甲類入学。
 一高社会思想研究会に入会する。
 1925年、ダダイスムの雑誌『廻転時代』を創刊する。
 1926年、校友会文芸部委員に就任する。
 1927年に一高を卒業、東京帝国大学文学部英文学科に入学する。
 同人雑誌『文芸交錯』創刊に参加、また1928年に左翼芸術同盟に参加し、機関紙『左翼芸術』に小説『秋から秋まで』を発表する。
 東大内の左翼系同人雑誌7誌が合同した『大学左派』創刊にも参加する。
 劇団制作座の仕事に従事し、劇団員だった石田愛子と知り合った。
 1929年、『大学左派』の後身『十月』や『時代文化』の創刊に参加し、プロレタリア文学への道を進んだ。
 1930年に東大を卒業、研究社英和辞典臨時雇として勤務する。
 その後、コロムビア・レコード会社教育部に勤務する。
 雑誌『集団』創刊に参加、この頃、日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)に参加したと推定される。
 石田愛子と結婚する。

 1933年、治安維持法違反の疑いで大森署に検挙されるが、「転向」を表明し、半年後に釈放された。
 妻・愛子は他の男性と失踪し、離婚した。
 雑誌『日暦』創刊に参加した。
 1935年、饒舌体と呼ばれる手法で『故旧忘れ得べき』を『日暦』2月号〜7月号に発表、第1回芥川賞候補となり、作家としての地位を確立した。
 水谷秋子と結婚する。
 1936年、『人民文庫』の創刊に『日暦』同人とともに参加する。
 また、コロムビア・レコード会社を退社、文筆生活に入る。
 思想犯保護観察法が施行され、擬似転向者として再調査される。
 1938年、浅草五一郎アパート(曽我廼家五一郎が経営)に部屋を借りて浅草生活を始める。
 1939年、『如何なる星の下に』[注釈 5]を『文芸』1月号から1940年3月号にかけて発表、高い評価を受ける。
 1941年、陸軍報道班員として徴用されビルマに派遣される。
 戦場にも出たが、鉄兜も帽子もなくしてしまい、心細さの挙句に鉢巻をしたが、「多少は心強くなった、鉄砲玉には何の効果もないだろうが、いくらかは安心感がある。
 戦場の心理とはおかしなものだ」と、戦後になって海音寺潮五郎に語っている。
 その後、1944年には中国大陸にも派遣され、南京における第3回大東亜文学者大会に出席している。
 1945年6月に日本文学報国会参加。 1950年、『胸より胸に』を『婦人公論』に発表する。

 戦後は、『わが胸の底のここには』『あるリベラリスト』などの作品で私小説風に傷つきやすい精神を掘り下げた作品を次々と発表する。
 また晩年は、昭和という時代を描く『激流』『いやな感じ』『大いなる手の影』の連作を発表する。
 長編などでは他に『都に夜のある如く』『生命の樹』『今ひとたびの』などがある。
 詩人としても活動し、『樹木派』『わが埋葬』、最晩年に『死の淵より』(度々再刊)などを発表する。
 永井荷風と並ぶ日記作家としても知られ、昭和史の資料ともなった『高見順日記』を著す(『敗戦日記』が度々再刊)。
 回想記に『昭和文学盛衰史』がある。 晩年に、近代文学の資料の散逸を防ぐため、日本近代文学館の建設に尽力したが、落成間近の1965年8月17日、食道がんのため放射線医学総合研究所病院で死去した。
 連作小説を構想中でもあった。
 58歳没。戒名は素雲院文憲全生居士。  
 文化功労者が追贈された。
 勁草書房で「全集」「全日記」が刊行された。

   〔ウィキペディアより引用〕