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TV 番組 カムバック Vol.05

2023-04-30 21:00:00 | 出来事/備忘録

 『心療内科医・涼子』
(しんりょうないかい・りょうこ)
 1997年10月13日から12月15日まで
毎週月曜日22:00 - 22:54。
 読売テレビ制作・日本テレビ系  「月曜10時」枠で放送されたTVドラマ。主演は室井滋。

 患者役には豪華ゲストが毎回登場した。
 心療内科が舞台であることと、現実離れした涼子特有の治療のやり方に批難が集中したため、ノベライズ単行本は5話で終了し、ドラマに至っては台詞や涼子の独特な治療は1話以降から若干変えられている。
 視聴率は前番組『失楽園』ほどの高水準ではないものの、月曜22時枠のドラマとしては堅調な推移を見せた。一方で後述するように、放映当時からその治療などの内容について、当時は精神科医など様々な方面から現実離れをしている涼子の治療行動に対して批難が多数あり、直ちに放送を中止するよう番組に対しての圧力や批判があった。

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      作品の問題点
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 放送開始直後から、心療内科の現場で働く医師による抗議が相次いでいた。主だったものとして、 取り上げる病気が不適切(心療内科ではなく、精神科が扱う病気)。
 その病気の描写があまりにもセンセーショナル。(心療内科の患者が心療内科に行きにくくなる)
 現実の医師は、涼子のような行動はとらない。 ドラマを見て、すぐに治ると期待し、結果的に病院を転々としてしまう危険性。 などといった意見が寄せられた。日本心療内科学会でも問題になり、読売新聞に抗議文を出す事態になったが、これに対し読売テレビは、「これから撮影するものに関しては、十分に配慮する」と釈明。また番組のラストに「望月涼子のキャラクター設定上、実際の心療内科医を超えた描写があります」というテロップも出されていた。
 こうした抗議について、番組アドバイザーである東邦大学医学部附属大森病院心療内科は、 心療内科の範囲を逸脱しているとテレビ局に抗議した。
 ただし、心療内科は純粋な心身症だけを見るべきだとの批判には、反論する。本来の心身症の患者は、心療内科受診者の15%にすぎない。
 ドラマはオーバーな点があるが、精神科の対象になる患者が来ているのも事実。そういうニーズに応えるのも、将来的には大事ではないか。 とのコメントを出している。 また、ある心療内科医は自分のサイト(現在は閉鎖)で、テレビ局に対する抗議として「問題が多すぎるので、即刻、放送を中止してほしい」という内容のFAXを公開していた。指摘していた問題点は主に以下の通り。

 ・患者が窓から飛び降りるシーンがあるが、医師が飛び降りるように呼びかけることは絶対にない。
 ・患者をまるで、気がふれたおかしな人間のように描いている。
 ・型破りの心療内科医という設定のもとで、病院だろうと外だろうと、ところ構わず治療をしている。
 ・涼子の治療はただの説得で、患者を理解しているとは思えず、本当の治療とは言えない。
 ・看護婦が患者の噂話をしている。現場の看護婦に失礼だ。
 
 この問題点は、この時代には患者の苦しみに寄り添うことが必要な治療が医療機関にはないこと、現実とは全く異なる作品という捉え方がない医師ほど自身の医師というプライドで患者を傷つけている理由、意味を知っていない。 この作品により、心療内科を含め、精神科への受診に躊躇する内容ではないこと。批難をした医師のプライドが傷つくために放送を辞めるよう批難をしたのみに過ぎない。
 この作品をバカにし、放送を直ちに辞めろと作品を批難した当時の医師は分かっていない。それを観ている患者の気持ちを知らない。医者のプライドで患者が傷つく理由(意味)を分かってない。
 窓から飛び降りるシーンについても、患者が抑圧しているものを飛び降りることにより抑圧からの解放として涼子は捉えており、結果飛び降りた患者は自分を取り戻すことができたのは涼子自身がその患者には必要だったと知っているからであり、全ての患者に窓から飛び降りるようには対応をしていない。 だが、涼子先生には医師という資格や威厳という被り物のプライドを捨てても人間として全力で患者、そして医師という自身の苦しみや悲しみに向き合う葛藤のある姿は現代医療では絶対にあり得ない。 ドラマという時間制限などによって、ゲストクライアントの人たちが簡単に治るよう(治ってる)に設定されているが、患者や涼子に葛藤がかなりある時点で時間的には治癒が簡単に見えても、これは実際は治癒にかかる時間は簡単にはいってない。
 ドラマのため時間の制限があるのみで、ダラダラと長々と続けられないのみであり結局は治療の継続、経過を見ており、最後はチーム内で解説もしている。

   〔ウィキペディアより引用〕

 番組内容が残念な話。私的には興味のあるテーマだけに悲しいし、俳優さんたちも辛いと思います。

落語読本 らくごの一文 基本②

2023-04-29 21:00:00 | 出来事/備忘録

 ■落語の祖、安楽庵策伝
 
 おもしろみのある話の源流は『竹取物語』、または『今昔物語』や『宇治拾遺物語』に収められた説話にまでさかのぼる。 滑稽な話を集めた本の元祖としては、京都誓願寺の安楽庵策伝が京都所司代の板倉重宗に語った話をもとに作られたという元和9年(1623年)の『醒睡笑』が挙げられる。浄土宗の説教師であった策伝は御伽衆として大名の話し相手となり、「落とし噺」の名手であるばかりではなく、文人であり茶人でもあった。策伝の著した『醒睡笑』は、幼少時から聞き覚えた話を集めた全8冊から成る笑話集で、収載された話は約1,000話におよんでいる。収載された話は最後に落ち(サゲ)がついており、策伝はこの形式で説教をしていたと考えられている[4]。『醒睡笑』には現在の小咄(短い笑い話)もみられ、また、この本に収載された話を元にして『子ほめ』『牛ほめ』『唐茄子屋政談』『たらちね』など現在でも演じられるはなしが生まれているところから、策伝は「落語の祖」といわれる。なお、豊臣秀吉の茶話相手として近侍した御伽衆の一人、曽呂利新左衛門も噺家の祖といわれることもあるが、この人物の実在性については疑いがもたれている。
 
 ■噺家のはじまり

 落語はもともと「落とし噺」といい、落ちのある滑稽なものを指した。 元禄期、京都では露の五郎兵衛が四条河原や北野などの大道(だいどう)で活躍した。これを「辻噺」といい、これを行った人々を「噺家」といい、落語家の始まりとされる。五郎兵衛が机のような台に座って滑稽な話をし、ござに座った聴衆から銭貨を得るというものであった。五郎兵衛は、後水尾天皇の皇女の御前で演じたこともあった。 少し遅れて大坂に米沢彦八が現れて人気を博した。彦八は生玉神社の境内で小屋掛けの辻噺をおこない、名古屋でも公演した。『寿限無』の元になる話を作ったのが、この初代彦八であるといわれており、彼の出身地の大阪市では毎年9月に「彦八まつり」がおこなわれるほど上方演芸史において重要人物であるとされる。 同じころ、江戸の町では大坂出身の鹿野武左衛門が芝居小屋や風呂屋に呼ばれ、あるいは酒宴など、さまざまな屋敷に招かれて演じる「座敷噺」(「座敷仕方咄」)を始め、これが講談と並び評判となった。 時期をほぼ同じくして三都で活躍した上記3名は、いずれも不特定多数の観客から収入を得ていることから後世では噺家の祖とされる。ただし、江戸の武左衛門が些細なことから流罪に処せられたことから、江戸の「座敷噺」人気は下火となった。 なお、上方落語では今日「見台(けんだい)」という小型の机を用い、小拍子で打ち鳴らして音をたてる演出がある。これは京・大坂での大道芸として発展した「辻噺」の名残りといわれている。噺を聞く事が目的でない通行人の客足をとめるため、喧騒に負けず目立つ必要があったためと考えられている。さらには上方言葉で聞き手に語りかけ、旺盛なサービス精神で愛嬌を振るまうなどの親近感を出すための多彩な工夫も特徴とされる。 対して江戸落語(その後の東京落語)は、屋内でもともとは少人数を相手にした噺であり、噺家も聞き手に遠慮せず簡潔とすることが粋(いき)とされた、背景が特徴とされる。
    〔ウィキペディアより引用〕

落語読本 らくごの一文 基本①

2023-04-28 21:00:00 | 出来事/備忘録

 “笑い”は福となす。
 人は、少なからず“縁起”というものを担ぎます。
 そこで人は縁起担ぎに寄席へ足を運ぶのでしょう。

 落語は、江戸時代の日本で成立し、現在まで伝承されている伝統的な話芸の一種である。最後に「落ち(サゲ)」がつくことをひとつの特徴としてきた経緯があり、「落としばなし」略して「はなし」ともいう。「はなし」は「話」または「噺」とも表記する。
 都市に人口が集積することによって市民・大衆のための芸能として成立した。成立当時はさまざまな人が演じたが、現在はそれを職業とする落語家によって演じられることが多い。 能楽や歌舞伎など他の伝統芸能と異なり、衣装や道具、音曲に頼ることは比較的少なく、ひとりで何役も演じ、語りのほかは身振り・手振りのみで物語を進め、また扇子や手拭を使ってあらゆるものを表現する。
 本来「落語」とは落語家が行う演目(ネタ)のなかでも滑稽を中心とし、落ち(サゲ)を持つ「落とし噺」(おとしばなし)のことを指したが、現在では人情噺・芝居噺・怪談噺をも含めた総称として用いられる。なお、「落語」という呼称の定着は明治に入ってからのことである。 落語は、凝った衣装や大がかりな舞台装置をなるべく使用せず、演じ手の技巧と聴衆の想像力で物語の世界が広がっていくという、きわめてシンプルで、また庶民にとっては身近な芸能として発展してきた。 落語の演じられる場所は、「寄席」と呼ばれる常設館や一般のホールで演じられることが多いが、近年は若手による小さなライブもある。落語家の舞台のことを「高座」と呼ぶ。
 近郊都市を中心に発展してきた落語には、大きく江戸落語と上方落語の流れがあり、両者には、演目の内容や落ち(サゲ)、小道具、また慣習などに違いがある。同名の演目でも舞台となる地名を変えたり、サゲが同じでも途中の演出を変えたりする場合がある。上方落語だけに使われる道具として「見台」・「小拍子」・「膝隠」がある。見台とは演者が前に置く小型の机、小拍子とは小さな拍子木、膝隠しは低い衝立である。小拍子で見台を打ち鳴らすことによって場面転換をおこなったりする。また、上方落語独特の演出方法に「はめもの」があり、これは、噺の途中に入れる一種の効果音である。江戸・上方相互の交流は古くからさかんであった反面、地域性もまた現在に至るまで根強くのこっている。 世界的には、中国の話芸である「相声」のうち単口相声に形態が類似している。
    〔ウィキペディアより引用〕

TV 番組 カムバック Vol.04

2023-04-27 21:00:00 | 出来事/備忘録

 『ワーズワースの冒険』
(ワーズワースのぼうけん)
1994年4月3日から1997年3月23日まで
 フジテレビ系列局で放送されたフジテレビ制作の教養・情報番組。全143回。大人の趣味・道楽がテーマ。タイトルのワーズワースはイギリスのロマン派詩人ウィリアム・ワーズワースにちなむ。


ワーズワースの庭で1993年4月9日から1994年3月25日まで『ワーズワースの庭で』と題して、金曜深夜の45分番組で放送。番組提供は複数社。「知的趣味情報トーク番組」として、歌舞伎役者・坂東八十助とアナウンサーの河野景子が、各回のテーマ(例:紅茶、南仏プロバンス、居酒屋、銀座のバーなど)にふさわしいゲストを迎え、ビデオ録画をはさみながらトークを行うスタイルであった。
 1994年4月、『ワーズワースの冒険』へ改題。「料理の鉄人」と放送枠を交換する形で、日曜放送の30分番組になり、同時に三菱電機の一社提供になった。 ナレーション中心に、各回のテーマをゲスト(案内人)が紹介する進行形式になった。前番組のレギュラーが案内人として出演(共演)する回もあった。また、後に映画監督になった源孝志、井上春生、片岡Kらが演出を手がけた回がある。 1997年3月23日をもって、通算4年間の放送に幕を閉じた。
 ★シャ・リオン(歌:河井英里、作曲:大島ミチル) - シングルCD内に、どこの国か特定できないようにとスタッフと作った造語で歌ったと書いてある。大島ミチルは自身のブログで、英語の詩を逆から読んで歌詞にしたこと、第98回放送の番組総集編ではウィリアム・ワーズワースの、とある詩を逆さまから読んで歌詞にしたことを明かしている。

   〔ウィキペディアより引用〕



CTNRX的文化人類学 ー 善悪の基準 ー

2023-04-26 21:00:00 | 自由研究

 物事には、個々に基準があります。自分を知る上でも大切な事。
 コレは許して良い事なのか、許してはいけない事なのか。或はコレは言って良いものなのか、言ってはいけないものか。判断力も試されます。
 他人(個人的)に依っても、許して良い悪い、言って良い悪いがあります。言って良いにしても言葉を選ばなければならない場合だってあり、難しいところです。
 さて、ココでちょっと、こんな話をしてみます。


 嵐に遭遇して一隻の船が沈没した。

 その船に乗っていた人たちの中で、運良く5人が二隻の救命ボートに乗ることができた。
 一隻のボートには水夫と若い女性と老人の3人が、もう一隻には若い女性のフィアンセとその親友の2人が乗りあわせた。悪天候のもとで波に揺られるあいだに二隻のボートは別れ別れになってしまった。
 若い女性の乗ったボートが、ある島にたどりついた。フィアンセと離ればなれになった 彼女は、フィアンセが生存している手がかりをつかもうとしてもう一隻のボートを探したが、何の手がかりも得られなかった。
 翌日になって天候が回復したが、相変わらずフィアンセの行方は分からなかった。彼女がなおも諦めきれずに見ていると、海のかなた遠くにひとつの島かげを見つけた。彼女は 矢もたてもたまらず、フィアンセを探したい一心で水夫に「ボートを修理して、あの島に連れて行って下さい」と頼んだ。水夫は彼女の願いに応じてもよいと言ったが、一つ条件を持ち出した。
 それは彼女と一夜を共にするということだった。
 がっかりし、困り果てた彼女は、老人に「私はどうしたらいいか、何かよい方法を教えて下さい」と相談をもちかけた。 老人は「何があなたにとって正しいのか、あるいは何が間違っているのか、私は言うことができません。あなたの心にきいて、それに従いなさい」と言うだけだった。
 彼女は悩み苦しんだ挙げ句、結局水夫の言う通りにした。
 翌朝、水夫はボートを修理して彼女をその島に連れて行った。
 フィアンセの姿を遠くから見つけた彼女は、浜辺に着くとボートから飛び出し、そこにいるフィアンセの腕に抱かれた。フィアンセのあたたかい腕の中で彼女は昨夜のことを話そうかどうか迷いましたが、結局思い切って打ち明けることにした。
 それをきいたフィアンセは怒り狂い、彼女に「もう二度と顔を見たくない!」と叫びながら走り去った。
 泣きながら彼女はひとり浜辺に降りていった。彼女を見たフィアンセの親友は彼女のところに行き、肩に手をかけて「君たち二人がケンカをしたことは僕にもよく分かる。フィアンセに話をしてあげよう。それでしばらくの間、私があなたの世話をしてあげよう」と話した。

  先ず、“若い女性” “水夫” “老人” “フィアンセ” “親友(フィアンセの親友)”
 この5人の登場人物について自分が理解できる、こいつはまだ許せる順に順番をつけてみます。 そして、どうしてその順番にするのか?なぜ、まだ許せると思えるのか?と考えてみて下さい。
 それが端的ではありますが、あなたの“善悪の基準”だと思います。