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■雑談ネタにもならない雑学 ♯02ーA

2023-06-04 21:00:00 | 日記

 ■食のタブー

 食のタブーとは、飲食において宗教、文化上の理由でタブー(禁忌)とされる特定の食材や食べ方である。

 特定の食材がタブーとされる理由としては、大別して

 1 宗教上、文化上、法律上食べることが禁止されている
 2 心理的な背徳感から食べることができない
 3 食材と考えられていないから食べない
   の3種が挙げられる。

 世に知られる食慣習やタブーには、すでに形骸化し意味を持たなくなっている場合もある。
 たとえばインドなどアジアの多くの地域で妊娠中から授乳期にかけて妊婦に非常に多くの食の禁忌が定められ、欧米の栄養学者から問題視されている。
 しかし、同様の禁忌のあるマラヤで実際に妊婦たちが食べている食品を調査したところ、表向き食べてはいけない多くの食品がとられていた。
 他文化の食のタブーを考えるときは、簡単に無知や非合理ととらえず、その禁忌が成立した背景や実態にも目を向ける必要がある。
 なお、純粋に医学的な理由から、ある特定の食材を避ける必要がある人もいる。
 一例としては食物アレルギーを有する人の場合、特定の食材がアレルギー症状(場合によってはアナフィラキシーとなり、生命にも関わる)を引き起こすために、該当する食材を避けなければならない。

 ▼文化による違い

 《宗教

 宗教によっては、特定の食肉の摂取を禁じている例が少なくない。
 たとえば、ユダヤ教はカシュルート(適正食品規定)と呼ばれる食べてよいものと、いけないものに関する厳しい規則を定めている。食肉がカシュルートに適うためには、シェヒーターと呼ばれる屠畜法を用いなければならず、後半身からは座骨神経を取り除かなければならない。ヨム・キプル(贖罪の日)には飲食が禁じられる。イスラム教ではハラールな食品のみ摂取が許される。 
 イスラムで禁忌とされる食材はユダヤ教の規定より品目が少ないものの、摂取が許される食肉についても特定の儀礼によって屠殺されることが必須とされる。 
 さらにイスラム教徒の義務としてラマダーンという断食の習慣も遵守されている。ユダヤ教とイスラム教では、狩猟によって得られるジビエも禁忌とされる。
 ユダヤ教より発したキリスト教ではパウロが規制撤廃を主張し、エルサレム会議にてわずかな規定を残して食物規制を廃止した。残った規制も、特に西方においてはその後に有名無実となった。
 ヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教(戒律の五戒で初期仏教の三種の浄肉以外)は肉食を禁止しているため、これらの宗教の信者は今でも多くが菜食主義者であり、精進料理を調理し食べる習慣がある。

 ラスタファリ運動も菜食を奨励する。キリスト教のセブンスデー・アドベンチスト教会では、ユダヤ教の戒律に準じた食品の摂取と菜食主義を奨励している。
 キリスト教文化においては、かつて金曜日はキリスト受難の日として肉食を避けるべき日とされ、魚を食べる習慣があった。
 現在でもポーランド、南ドイツなどのカトリック勢力の強い国あるいは地域では、この習慣が残っている。
 一例として大学の食堂(メンザ)では、一週間の献立において、金曜日には魚料理を選べるように設定されている。
 なお、正教会では今日でも、水曜日(キリストが裏切られた日)と金曜日には肉、魚、卵、乳製品、植物油、酒類を摂取しない習慣がある。
 ただし、カトリックにおける小斎、大斎、正教会における斎(特定の日に特定の食物の摂取を控えること)は、厳密な意味の食のタブーではない。
 実際、ローマ教皇庁は金曜日に肉を食べてはいけないとの公表はしていない。正教会の場合、斎の実行は、個人の自由意志に基づくものとしている。 道教の道士は肉や魚、ニラやニンニクの類などの五辛を禁じられていた[4]。また、長生きするためには火を使った料理を食べてはいけないと説かれていた。

 ▼心理的な背徳感によるタブー

 特定の食材が心理的な背徳感を喚起するため、食用とすることができない。
 役畜(ウシやウマなど)、ペット動物(イヌ、ネコ、ウサギ)、高い知能を持つと考えられている動物(クジラなどの哺乳類)、絶滅危惧種など、社会で高い価値が認められている動物や植物がこれにあたる。これらに対するタブーは立法化されることが多い。
 また、一般に食用と考えられている動物でも、ペットとして接することによって特定の個体が擬人化され、食材とみなすことができなくなる場合もある。社会価値の変遷により、何をタブーとするかは同じ社会においても急速に変化する可能性がある。
 また多くの文化は同族同類である人の肉を食することを道徳上・宗教上・衛生上の理由によりタブーとしてきた。
 また、栄養価上や衛生上および習慣上の見地から単に人間用の食材と考えられていないためにタブーとなる例もある。一部地域を除く多くの文化にとっては多くの無脊椎動物(昆虫類)やネズミなどがこれに該当するが、これらに対するタブーが立法化される例は、高い価値が認められている生物の例よりも少ない。
 今後は昆虫食のように品種改良や食糧危機、宇宙開発において限られたスペースでの効率的な栄養摂取できる生物の養殖などの理由でタブーが変容する可能性がある。

 ▼立法

 食のタブーが法律によって強制力を持つ例もある。これは異なる食文化への迫害や、人権蹂躙であると主張される可能性がある。たとえば香港では中華人民共和国に主権が返還されたが、イギリス植民地時代に定められた犬肉・猫肉の供給を禁じる法令が撤回されないままになっており、同じ文化圏に属する広東省の食文化との食い違いが見られる。

 ▼合食禁

 特定の食物の組み合わせが禁忌となる場合があり、これを合食禁と呼ぶ。たとえばユダヤ教のカシュルートでは、魚と卵を除く動物から得られた食品と乳や乳製品を食べ合わせることを禁じており、この2つを食べる場合は地域にもよるが、1時間から数時間の間隔を置かなければならない。これは聖書の『申命記』にある「(動物の)母の乳でその子を煮てはならない」という記述に基づく(厳密にはこれは「母の乳で子を煮込めば悲しみで雨が降るだろう」という考えに基づいたまじないの儀式のことであり、「実際に食べてはならない」というよりは偶像崇拝やまじないを禁じた記述である)。
 厳格なユダヤ教徒は食器から食器洗い機にいたるまで、肉用と乳製品用のものを別にしている。
 そのため、一例として「チーズバーガー」は食べられない。 また、アジアや北アメリカでは、陸生動物と海棲動物を同じ鍋で同時に調理してはいけないというタブーが普遍的に見られる。
 ただし、両方を同時に食べることに制限はない。
 日本の武家の料理である式正料理は膳の左側に山のもの、右側に海のものを盛りつけ、食べるときもまず山のものを食べ、次に海のものを食べ、最後に里のものを食べるという順序が決まっていた。
 大林太良によれば、こうした和食の配膳や作法は宇宙の秩序に従ってものを食べなければならないという考えの現れであるという。

 ▼多文化主義・世俗主義と食のタブー

 多文化主義が浸透している社会では、特定の宗教や信条によって課せられている食のタブーに配慮した食事を選べるようにすることが普通になっている。
 宗教や医学的な背景から、多くの国籍(宗教)の人の利用が想定される国際線航空便の機内食の場合、会社にもよるが、出発24~48時間前までに申し込めば、イスラム教やユダヤ教、菜食主義者など特定の宗教や信条に対応した料理や、低脂肪、低塩分、低(高)タンパク質などの料理といった、特別な機内食が配られる体制を持っている会社が多い。
 このほか、学校や病院の給食でも同様の対応が見られる。
 宗教による食のタブーはステレオタイプに理解されがちだが、どの程度遵守あるいは違反を許容するかは、地域・集団や個人による。ほかの集団との交流が一般的な現代の都市生活では厳格すぎる規律は支障が多いため、実態としては多様化の傾向にある。
 たとえばカシュルートで知られるユダヤ教徒の中でも、合理的に考えて納得できない規範はあえて無視する改革派のラビや、タブーをまったく意に介さない世俗派と呼ばれるユダヤ教徒が現れている。
 ユダヤ教徒が多いイスラエルのテルアビブでは豚骨ラーメン店が増えており、ある来店客は「世俗派なので豚肉を食べる」と話している。
 イスラム世界では禁止される酒の製造・販売や飲酒が、人目を避けて行われている国も多い。
 一方で、自らが信じる食のタブーを基準に、他者を非難・攻撃し、時には殺害に及ぶ者もいる。

 ▼文化が人に食へのタブーを課すのはなぜか

 イギリスの文化人類学者、メアリー・ダグラスの『汚穢と禁忌』によれば、食の禁忌は分類上の落ちこぼれが持つ中途半端な属性がケガレとされたことに理由があるとされている。
 たとえば牛やヤギは四足で蹄が割れており反芻胃を持つのに対し、豚は蹄が割れているが反芻をせず、また兎は反芻はするが蹄が割れていないなど、分類上中途半端であるがゆえに禁忌とされたことになる。
 マーヴィン・ハリスは、宗教上の禁忌食の多くはコストとベネフィットの関係から、不経済な食料獲得を戒めたことに端を発した可能性を指摘している。
 たとえば、レビ記ではブタを食べることを禁じているが、森林開発が盛んだった紀元前1200年ごろのパレスチナでは、森を利用する養豚は非常にコストのかかる事業だったことによるという。
 ほかの禁断の動物も、人間の生活に有用な駄獣や、労力に見合わない狩猟の獲物がそのほとんどを占めている。
 また、ヴェーダ期のインドではウシは一般的な食物であり、牛肉は権力を維持するために民衆へ振る舞われる授与物だったが、急激な人口の増加によって紀元前600年ごろに供給が追いつかなくなり、バラモン層は菜食を呼びかけるようになった。
 ウシは農耕用の駄獣として不可欠な存在であったため、民衆がそれを食べる誘惑を断つためにヒンドゥー教では牛が聖獣と見做されるようになったという。
 健康上の理由が禁忌につながった可能性もある。
 たとえば、未調理の豚肉を食べることは旋毛虫症、E型肝炎に罹患する恐れがあり、多くの海産物も食中毒の恐れが高いとされる場合があるが、これらの考え方は俗説にすぎないという批判もある。
 また中世日本においてしばしばフグ食の禁止令が出されたが、これは中毒死に対する対策であり健康上の理由による食のタブーと言える。これは現代においても(日本に限らず)資格を持たずに提供することを禁じる法律として残っている。

   〔ウィキペディアより引用〕