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銭の花《商魂》 ♯003

2023-06-28 21:00:00 | 日記

 ■ガリガリ君

 ガリガリ君(ガリガリくん)は赤城乳業が製造、販売する氷菓。
 同社の登録商標(第2604431号ほか)。

 〔概要

 1981年に販売開始。
 以来、赤城乳業の看板商品となり、日本の氷菓の人気商品の一つとして有名となる。 製造方法は「薄いアイスキャンディーの膜(シェル)を作り、その中にかき氷(コア)を入れる」という手法を採用。中に入れるかき氷は同社において「ガリガリ氷」と呼称され、当初大きな粒であったが、年々技術向上によって小さな粒に変更されたことや、2002年には「安心・安全」を打ち出して増粘安定剤を天然ペクチンに変更し着色料は合成品の使用を一切止めるなど、その方針に沿った食品添加物を使用したことにより、ソフトな食感に変移している。
 製造本数は年々右肩上がりで、2013年度の総販個数は史上最高の4億7500万本を記録。
 日経BPコンサルティング「ブランド・ジャパン2014」ではコンシューマー部門(BtoC編)総合第14位、総合力上昇ランキング8位にランクインした。 売上は基本的に夏高冬低傾向となっており、年間通じて7月が一番が多くて2月が一番少なくなっている。
 ガリガリ君の知名度を押し上げる一因となった特徴的なCMソング「ガリガリ君のうた」はポカスカジャンが作詞・作曲し、歌も担当しており、2003年8月20日にはCD化された。

 ▼歴史

 1970年代後期、赤城乳業は第二次オイルショックによるコスト高を吸収するため各種商品を値上げしたが、大手メーカーは値上げを見合わせた影響により、当時主力商品であった「赤城しぐれ」を始めとする同社商品の売上は低迷し、工場ラインも停止するなど会社設立以来初めて危機的状況に陥り、このピンチを打破するために新商品の開発が行われた。
 開発陣から苦悩の末に「赤城しぐれ」をワンハンドで食べられるようにするというアイデアが捻出され、それを具体化してガリガリ君の源流となった商品、ゼリーでかき氷を固めた棒スティックタイプのアイスを1980年に発売、売上を伸ばした一方でアイスが袋の中でバラバラになってしまうクレームも多発、総合的には失敗に終わった。
 これらの反省点を元に、商品コンセプト「遊びに夢中の子供が片手で食べられるかき氷」にて開発が進められ、それに伴いかき氷を使用しながらも型崩れしない棒アイスの構造・製造方法が模索された。 そして、「薄いアイスキャンディーの膜(シェル)を作って、その中にかき氷(コア)を入れる」という製造方法が編み出された事により、問題点が克服された。
 商品名は氷をかじった時の擬音から「ガリガリ」でほぼ決まりかけていたが、スタッフ一同物足りなさを感じていたところ、社長(当時)が「じゃあ、『君』を付けようよ」と提案し採用され『ガリガリ君』となった。
 キャラクターも欲しいとの要望があり、名前に見合ったものが社内でデザインされ、当時は「“昭和30年代のガキ大将”をモチーフにした中学3年生」の設定だった(リニューアル後「小学生」に変更)。

 1981年、当たり付きアイスキャンディーとして『ガリガリ君』を発売、価格は1本50円、当初のフレーバーはソーダ・コーラ・グレープフルーツ。1980年代前半、アイスキャンディー売り上げの60%を駄菓子屋などの一般小売店が占め、その売り場の大部分を大手メーカーが抑えており、ガリガリ君は置き場所の確保も困難だったことから売上が苦戦していたが、販路を当時数を増やしつつあったコンビニエンスストアを販売ルートのメインとする展開を行い、各チェーンの名を冠した「ガリガリ君」を販売したり、季節限定商品を投入するなど、コンビニエンスストアの販売促進を強化した結果、ガリガリ君のコンビニエンスストアにおける販売金額は10年間で約3倍にまで伸びた。
 1990年、同業他社のアイス商品が10円値上げされたが、過去の経験からガリガリ君は値上げを保留し、1年後の1991年に50円から60円に値上げを実施したが売上は落ちず、1990年代前半には年4回コンビニ用フレーバーを投入するなどの要因により、1994年には当時の過去最高販売本数6600万本を達成。
 1995年以降、他社からガリガリ君と同様のアイスが発売されたことにより競争が激化、1997年には7本入りのマルチパックを発売してスーパーマーケットへと販路拡大、1990年代後半にて売上は右肩上がりだったものの勢いはなく緩やかになっており更に鈍化傾向が見られたことから、状況打開するには何が必要か知るため、1999年に数万人規模の大掛かりな消費者調査を行い、その結果、商品キャラクターのガリガリ君が全体的に不評、特に若い女性層には全否定に近い意見が多勢を占めるなど、同社にとって衝撃の事実が判明した。

 2000年春、消費者調査の結果を分析して全面リニューアル、不評のキャラクターデザインは外部のデザイナーを起用し3D化、年齢設定を中学生から小学生に変更、
 初めてテレビCMを実施し「ガリガリ君」を連呼する内容が評判となって認知度が上がったことから西日本のスーパーマーケットチェーンにも販路を拡大、これらの効果などから同年の販売本数は1億本を突破。
 更にシーズンごとに新フレーバーを出す戦略でガリガリ君の年間商材化に成功、2004年には1億4,800万本を達成。  しかし、同年にキャラクター調査を行った雑誌において「ガリガリ君」が、嫌いなキャラクター第4位に選出されているのを同社マーケティング担当者が発見してしまったが、同じページに「商品や企業自体は嫌いではない」という調査結果もあったことから、ガリガリ君のキャラクターイメージアップのため、商品自体に対して持たれていたプラスのイメージを活用し、キャラクターを中心にさまざまな話題を提供しアイス売り場に客を集め、その接点をもっと楽しく演出する展開が行われ、そのひとつに複数種類のフレーバーを虹のように並べた企画「レインボー売り場」が2005年には7種類、2006年には10種類に拡大して行われて親子層の興味を強く惹きつけた。

 2005年より、費用対効果と話題性が高い他業界とのコラボレーション企画を展開し、「ガリガリ君」アイテムの文具や玩具、ガリガリ君主人公漫画の雑誌掲載、ガリガリ君登場のゲームソフト制作、箱根小涌園で期間限定「ガリガリ君温泉」などを実施。
 2006年にガリガリ君は25周年を迎え、ガリガリ君の世界観「元気で、楽しく、くだらない」をより多方面に拡大するためのプロモーションを頻繁に実施、ファンクラブ「ガリガリ部」設立、同社側も意識的に口コミを活用開始、新フレーバー投入頻度が年4回から2カ月ごとに変更、冬季販売強化対策に新ラインナップとしてガリ子ちゃんやリッチシリーズが新たに加わるなど、精力的な展開を行った。
 2007年には、コンビニなどの人気によるガリガリ君需要増により、自社工場を24時間操業したり同業他社の工場に生産委託しなければ供給が追いつかない現状の対策として、同社は埼玉県本庄市に冷果工場を新設して増産対応を決定(2010年2月より「本庄千本さくら『5S』工場」として稼動開始)。
 これらの要因から販売本数実績は、2008年に2億5500万本と過去最高を達成し、2009年は日照不足による天候不順の影響で2億4500万本と前年比減であったが、「ガリガリ君」は日本一売れているアイスキャンディーとなっている(2009年時点)。
 2010年夏、猛暑の影響でガリガリ君の販売数量は通常を大きく上回る状況が続き、品薄状態となったため同社公式サイトで『「ガリガリ君」(各種)品薄状態についてのお詫び』を同年8月3日発表した。
 その後、増産体制が整い各種品薄状態が徐々に解消し、最後に残ったソーダについても品薄状態を解消し安定供給の目処がたったため、2010年9月28日より積極的な販売を再開した。
 2012年9月4日、リッチシリーズの新作として異色のフレーバー「コーンポタージュ味」を9月 - 10月に期間限定で発売。  
 発売後、インターネット上などで話題を呼び、ブログや情報サイトで食べ方・調理・実験などが取り上げられたり、味に関して肯定・否定の意見が飛び交っていた。

 しかし、ソーダ味の2倍売れるという予測を大幅に上回る販売数量に製造が間に合わずわずか2日で販売休止になり、2013年3月26日に再開した。 2014年5月17日、タイ王国で発売開始。
 2014年には「ナポリタン味」を発売し、話題にはなったが当初の計画ほどは売れず、約3億円の損失を出す。同年、初めて売上が2桁ダウンを記録した。
 2016年4月1日より、ガリガリ君を含む赤城乳業製品の値上げにより、税別希望小売価格は25年ぶりに10円値上げされ70円となった。
 また、同日と翌2日限定で、本社工場前に役員と社員が登場し、25年も価格を据え置きにしてきたが、値上げに踏み切ったことを深々と一礼して謝罪するCMが放映された。BGMにはその名の通り「値上げ」(歌:高田渡)を使用し、あたかも役員と社員の気持ちを代弁しているかのような仕上がりとなった。
 この年、3年ぶりに売上が盛り返し、販売本数が4億1500万本に回復した[34]。 また開発当時、カップアイスしかなかった氷菓において、棒付きのアイスキャンデーを開発し販売したとして、同年度のグッドデザイン賞を受賞した。
 2017年には「地域貢献」「社会貢献」をテーマに、2月に山梨県とコラボした「ガリガリ君リッチ 黒みつきなこ味」を、3月に熊本県のマスコット・くまモンとコラボした「ガリガリ君 九州みかん味」を投入し、どちらも好評であった。  2019年6月21日、第24回日本緩和医療学会学術大会にて、緩和医療を受ける患者の食の維持に貢献したとして、「最優秀緩和ケア食の維持賞」を受賞した。
 2023年3月、ガリガリ君ソーダ、コーラ、グレープフルーツの3種類を約20年ぶりにリニューアル。かき氷の部分の純氷を従来よりも荒く削り、大きい氷の割合を増やしてより爽やかな後味になるよう調整された。

 ▼関連項目 ー 赤城乳業 ー

 赤城乳業株式会社
(あかぎにゅうぎょう、英称:Akagi Nyugyo Company Limited)


 埼玉県深谷市に本社を置くアイスクリーム専業メーカーである。安価な氷菓の代表的商品「ガリガリ君」の製造メーカーとしてその名を知られている。

 社名には「乳業」と入っているが、乳業メーカーではなく、創業以来生産・発売した乳製品はアイスクリームのみに限られている。 コーポレート・スローガンは「あそびましょ。」。

 ▼社名の由来

 「赤城」は赤城山からとったもので、噴火しなければ富士山よりも裾野が広かったと言われている赤城山のその裾野のような、大衆のための商品を作りたいと思って「赤城」と付けた。

 「乳業」の部分に関しては

 ・将来、牛乳を使った商品を作りたいという思いがあって、氷菓の会社が乳業ってつけたということにしておいてください - 同社常務取締役開発本部長
 ・創業当時、大手の「〇〇乳業」に早く近づきたい、追いつきたい、という思いから - 同社お客さまセンター
 ・社名を付けた当時(1960年)、社名に“乳業”と付けるのがはやっていたとか、いずれは乳製品を作りたい、という希望を込めて付けたとも言われております - マーケティング部などの説がある。

 ▼沿革

 ・1931年(昭和6の年)10月22日、合名会社広瀬屋商店として創業。
 ・1960年(昭和35年) - 合名会社赤城乳業に商号変更。
 ・1961年(昭和36年)12月20日 - 株式会社に組織変更。
 ・1963年(昭和38年) - 商号を赤城乳業株式会社に変更。
 ・1964年(昭和39年) - 赤城しぐれ発売
 ・1976年(昭和51年) 深谷市都市計
画に基づき本社工場移転 新工場完成(当時は東洋一の規模の工場)

 ・1981年(昭和56年)ガリガリ君発売(50円)
 ・1984年(昭和59年)ラーメンアイス発売
 ・1985年(昭和60年) スーパーソフト発売 /ソフト君発売。
 ・1987年(昭和62年)株式会社ラケーリジャポーネ(ジェラートショップ)設立
 ・1991年(平成3年) - ガリガリ君60円に値上げ
 ・1995年(平成7年) - カジロー君発売
 ・1996年(平成8年)ガリガリ君15周年の大型キャンペーン
       イクラ丼アイス発売
 ・1998年(平成10年)ガツン、とみかん発売
 ・1999年(平成11年)HACCP(総合衛生管理製造過程)認証を取得
 ・2000年(平成12年) - ガリガリ君CM開始、年間発売本数1億本突破
 ・2005年(平成17年) シャリシャリ君発売
 ガリガリ君年間販売本数15億本突破
 ・2006年(平成18年) - 25周年記念ガリガリ部創部
 ・2009年(平成21年)ラケーリジャポーネをラケーリ事業部とする。
 ・2016年(平成28年)ガリガリ君70円に値上げ。
 ・2019年(平成31年)120円以上の商品値上げ(商品により10円又は20円)、100円及び70円商品は除外。

   〔ウィキペディアより引用〕