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CTNRX的事件File. ♯004−G

2023-06-26 21:00:00 | 千思万考

■オウム真理教という怪物

 コンピュータ事業

 マハーポーシャ
 国内:東京南青山・秋葉原・大阪でんでんタウン・京都・名古屋大須商店街・札幌など6店舗 海外:中華民国台北市「大繁栄(マハーポーシャ)」。
 オーストラリアの西オーストラリア州やウクライナに支社があった。

 APC名古屋
  CPUバンク
 真愛、ヴァンクール
 コンピュータソフトウェア企画設計

 ポセイドン - PCショップ「トライサル」
 PC部品卸会社「ハイバーシティ」を経営。
 なお、「ハイパーシティー」は地下鉄サリン事件遺族高橋シズヱの住むマンションに店舗があった。

 オリエントエンジニアリング
 PCショップ「PCバンク」「PC REVO」を経営。
 ナスカ - 広告代理業、情報処理サービス。

 麻原らが逮捕された後の1995年11月からは「トライサル」「グレイスフル」「PCバンク」「PC REVO」「ソルブレインズ」「ネットバンク」と名称を変えコンピューター事業を継続した。
 2000年3月には、オウムとの関連を隠したシステム開発企業が、警視庁や自衛隊を含む官公庁や大手企業のシステム開発を安価で受注していたことが発覚した(オウム真理教ソフト開発業務受注問題)。

 飲食業

 オウムのお弁当屋さん
 うまかろう安かろう亭
 うまかっちゃん
 運命の時

 飲食店で勤務していた元信者によれば、12時間勤務で、朝5時まで働き、店の床に段ボールを敷いて寝たこともあったし、別の日には、夜9時に寮に帰ると、朝4時まで修行で、売り上げノルマを達成していないと修行時間を追加された。
 毎日の睡眠時間は3時間ほどで、慢性の睡眠不足で考えることができなくなっていったという。

 出版

 オウム出版-
 麻原の著書、機関誌のほか、幹部らの著書も出版した。 青山吉伸は1990年から『真理の弁護士』シリーズを出版、元日本共産党員でもあった青山は、91年の『理想社会(一)共産党宣言から真理へ』 では、マルクスの共産党宣言を批判的に検討し、オウムで超克しようとした。
 早川紀代秀は「ルソーから真理へ -市民ユートピアの原理- 」を1991年に出版。 林、中川らの医師班は「ホイホイ アレルギー解消法」 (Oh!ミラクルの本―人生逆転シリーズ) 「麻原彰晃のあっ!ガンが消えた」「高血圧は治る―麻原彰晃の奇跡のヨーガ秘法公開!」(91年)などで、現代医学の薬なしで治す新治療法の施術を称した。

 なあぷる
 オウムとの関係を否定し滝本太郎に抗議した。
 巧人館

 風俗店

 ドンファン - テレクラ
 マハーサンパッティ
 1992年1月24日設立。

 宝石屋、弁当屋、テレクラを経営。

 人材派遣

 アルファ企画家庭教師派遣グループ
 セシン - 建設業の人材派遣
 マイトリーバ・ベビーシッター
 ベビーシッター派遣会社。
 二ノ宮耕一が代表
 この他、オウムの在家信者が社長を務める非破壊検査会社(1995年解散)が信者を化学プラントのほか、原発にも派遣していた。
 福島第一・福島第二原発や浜岡原発などで作業した元信者によれば、各原発には5 - 10人の信者が入っていて、原発占拠や原発の爆破などは可能だったが、原発が教団に攻撃されなかったのは麻原が攻撃計画としてたまたま気がつかなかったためではないかと述べている。
 若い真面目な信者は人手不足の原発で重宝され、業務のために内部の極秘情報なども容易に持ち出しせたという。

 健康開発

 日本健康クラブ
 化粧品・医薬品・食料品販売
 ファインウォーター
 浄水器販売
 スーパースターアカデミー(SSA)
 エアロビクス教室。鹿島とも子が校長
 ヴァジラクマーラの会
 美人信者による修行教室
 ヴァジラクマーラの会
 美人信者による修行教室
 エ・ヴェーユ
 大阪に設立した能力開発塾。派手な化粧をした女性信者で勧誘していた。

 偽装サークル

 偽装サークルを各大学に設立し、学生を教団へ勧誘した。1993年以降、東大、早稲田などの学園祭で偽装サークルがコーナーを作った。
 「後日占いの結果を教えるから」と学生の住所や電話番号を聞き出し、東大OBを自称する代表から電話、ヨガ教室に誘われるなどして、入信した学生も多かった。
 オウム系サークルは学園祭以外でも活動、大学構内にチラシを貼り、学生たちを勧誘した。
 ヨガ・気功のサークル「アシュラム'94」のビラを見て連絡した学生は、連絡先の家(日本印度化計画と同一人物)に行くと、尾崎豊は米国による日本崩壊のシナリオを見抜いたためにCIAから殺されたというビデオ(オウムの名前は出ない)を見せられた後、四泊五日の合宿に勧誘された。
 当初オウム系サークルは教団名を隠さなかったが、やがて教団名を隠すようになり、勧誘マニュアルでは「狂気の救済者になれ」と知人・友人をリストアップし、電話で主導権を取って会う約束を取り付け、悩みを聞いたり、不安感を煽りながら、徐々に誘い込めと書かれ、勧誘に成功した者にはイニシエーション、数珠、教祖の一曲などが授与される。
 このような勧誘方法は、統一教会のFF(ファミリー・フレンド)伝道との類似が指摘される。

 日本印度化計画 - 1994年の早稲田大学学園祭に出店。チャイや揚げパイを売ったり、占い店を出した。占いでは「今の自分に満足していますか。今の自分を変えてみたいと思いますか」と質問した。  
 筋肉少女帯の同名の曲や日本シャンバラ化計画との関係は不明

 近未来研究所、ヨーガ同好会、中国武術研究会、インド化計画―カレー研究会 -1994年設立の大学ダミーサークル
 
 ※アクエリアスプロジェクト21、マイブーム研究会 - 東京大学

 ダミー会社
   
 薬品・武器関連のダミー会社

 長谷川ケミカル
 1993年4月2日設立。長谷川茂之が社長。サリンなどの原料の調達が目的

 株式会社ベル・エポック
 1993年8月4日設立。社長・目的は長谷川ケミカルと同じ

 ベック株式会社
 下村化学

 ぶれーめん
 井上嘉浩が役員。パイナップル加工会社とのことだったが実際には細菌プラントをつくろうとしていた

 オウムプロテクト
 ロシアに設立した警備会社
 サンプラン
 薬品を隠す倉庫を借りていた

 不動産取得目的のダミー会社

 株式会社オウム
 オウム神仙の会設立の年である1984年の5月28日に設立。出版業の他、ヨガ教室を開催したりしていた。土地購入のダミー会社としても使用し、これが松本サリン事件の一因となる。

 ジェービーテレコム有限会社
 世界統一通商産業
 早川紀代秀が代表

 海外事業

 ロシアでは輸入会社などを設立した。早川はロシア、ウクライナの他、北朝鮮にも出入りして兵器貿易を計画していたとの見方もあるが、早川は北朝鮮に出入りしたことはないと逮捕後に語っている。
 他にもスリランカの紅茶園などを経営していた。
 1992年のスリランカツアーでは仏跡は訪問せず、買収する工場の見学ばかりしていたという。

 その他

 ドゥプニールミリオネール
 ロシア射撃ツアーを企画。越川真一が代表。
 後に株式会社アレフとなる(びっくりドンキーを経営するアレフとは無関係)神聖真理発展社 - 資産隠し目的

 アルス総合建築事務所
 M24 - スーパーマーケット
 シーディーコレクター
 真理学園建設計画を文部省に出しており、小学生を2、3年間教育すれば東京大学に入学できるほどの学力がつくと信者に宣伝した。
 黎明
 世田谷区の占い店で、大宇宙占星学6000円、西洋占星学5000円、算命学、姓名判断、紫微斗数、星座、血液型占いなどをおこなった。

 海外での活動

 ロシア

 1991年(平成3年)には、麻原彰晃がロシア(当時はソビエト連邦)を初訪問した。
 当時のモスクワ放送もこの模様を伝え、クレムリン宮殿で宗教劇の上演が行われたことやアナトリー・ルキヤノフ最高会議議長と会談したことを報じた。モスクワにおいて麻原は、当時ロシア副大統領だったアレクサンドル・ルツコイやロシア連邦首相のヴィクトル・チェルノムイルジン、モスクワ市長のユーリ・ルシコフ等、ロシア政界の上層部と接触。翌年には後に安全保障会議書記となるオレグ・ロボフが来日し麻原から資金援助の申し出を受けるなど、オウムのロシア進出に拍車がかかった。
 モスクワ放送(現:ロシアの声)の時間枠を買い取って「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」(御国の福音)というラジオ番組が1992年4月1日から1995年3月23日まで放送された。日本からロシアの施設での射撃訓練ツアーがオウム関連の旅行会社によって主催されたり、他にもロシアからヘリコプターなどが輸入されている。
 またロシアに数か所の支部を開設。ソビエト連邦の崩壊後に精神的支柱が揺らいでいた当時、ロシアの多くの若者がオウム真理教に惹きつけられた。 オウム事件後、オウムはロシアや北朝鮮のスパイだという陰謀説がまことしやかに語られるようになった。
 しかし一連の捜査・裁判により、化学兵器は土谷正実が中心となり自力でつくったことが発覚した。新アメリカ安全保障センターも、オウムのサリン合成プロセスはロシアで主流の方法ではなくナチス・ドイツの方法に由来していると分析している。
 また上祐史浩は「麻原は自分が一番であり、利用することはあっても配下になるタイプではない」とし、ロシア・北朝鮮陰謀説は「(オウム事件を陰謀としたい)Alephを助長している」と批判している。

 オーストラリア

 マハーポーシャ・オーストラリアでは、1993年7月に50万エーカーの牧場(バンジャワーンステーション)を約50万オーストラリア・ドル(約3000万円)で購入した。
 オーストラリア連邦警察の調査で土壌からサリン分解生成物のメチルホスホン酸(MPA)が発見されたことで、教団が薬品類を持ち込み、化学物質を製造し、羊に対する毒性の実験を行っていたことが分かった。
 しかし、CNASは、サリンが存在したと決定づけるにはメチルホスホン酸イソプロピル (IMPA) が検出される必要があり、メチルホスホン酸(MPA)は自然分解生成物が吸収された場合でも検出されること、そしてオウム幹部でオーストラリアにおける実験を証言した者がいないことに注目すべきであるとする。

 訴訟・嫌がらせ

 教団には弁護士青山吉伸がおり、批判に対し多数の訴訟を乱発していた。毎日新聞、西日本新聞、熊本日日新聞など初期からオウム報道をしていたマスコミも訴訟のターゲットとなり、事件発覚までマスコミがオウムへの追及を敬遠する一因となった。
 さらに敵対者や脱会活動に対しては、

 ビラまき
 毎日新聞社の入るビルを25分の間にビラで埋め尽くしたこともあった

 通勤経路にオウムのポスターを貼る   
 車を並べる・街宣・オウム真理教の音楽を流す・無言電話・いたずら電話・盗聴
 梵字による仄めかしなどの嫌がらせを行い、これらはエスカレートし数々の襲撃事件に至った。

     〔ウィキペディアより引用〕