CPNN(平和の文化ニュースネットワーク):国連の「世界の子どもたちのための平和と非暴力の文化国際10年」(2001~2010)

生命尊重・非暴力・助け合い・良く聞く・地球環境・寛容と連帯・男女平等・民主主義の記事を配信します。

自然とともに生きるフィンランド

2006-06-16 07:54:47 | ニュース
レポーター:綾子

フィンランド国家の環境に対する姿勢は他の国とは少し変わったすばらしさがある。フィンランドには多くの自然公園や保護区域があるが、国民は公私有地を問わず森の中に入って自然に親しむ権利があると同時に、その自然を守る義務があるというのだ。国民の意識も間違いなく高く、雑誌で見た廃品を利用したエコ商品は、とてもおしゃれでシンプルかつ機能的である。少し値は張るが、良いものを長く使いたいというのがフィンランド人の考え方であるという。
フィンランドの自然はとても厳しい。冬は長く、雪は深い。時には死に直面する場合も決して少なくない。夏には一晩中日が落ちない「白夜」があり、逆に、冬はほとんど日が顔を見せない。だから、フィンランドの人々は太陽の光に当たれることの喜びをかみ締め、その時々を大切にするのだそうだ。自然の驚異や偉大さを、フィンランド人は毎日その肌で感じているのだ。どの森にでも入って、自然と親しみ、暖かい恩恵をうけ、自然を敬い、その逆に、その驚異的な力も日々感じさせられる毎日を送っている彼らは、自分たちは自然に生かされ、また共に生きている、と考えているのである。そういう考え方は日本にいてはあまり感じ得ない。私も自然と共に生きているのだと時々意識してみようと思った。

モデレーターのコメント
 学力が世界一で話題のフィンランドを別の視点から指摘した文章で、フィンランドが本来持っていた素晴らしさを教えてくれますね。日本では「使い捨て」文化が横行し、物を大切にするということが忘れられています。「自然に生かされている」「共に生きている」ということをあらためて気づかされました。

ピースキー:(1)生命の尊重 (5)環境保護

宗教対立を描く映画『ボンベイ』

2006-06-16 07:52:00 | ニュース
レポーター:祐子

『ボンベイ』は、ジャーナリスト志望の青年が、妹の友人にひとめぼれ。青年はヒンズー教徒。娘はイスラム教徒。異教徒同士の恋はご法度で、親たちは決して結婚を許そうとしなかった。そこでふたりは駆け落ちして大都市ボンベイで新生活を始める。そんな中、1992年、ヒンズー教の聖地アヨドヤでヒンズー教徒により、イスラムモスクが破壊されたのがきっかけで、ナイフや銃、火を持ち出し、激しい衝突が起きてしまう。警官隊もその衝突を銃を使って鎮圧し、それによりたくさんの死者が出てしまい、ボンベイの街中が混乱に陥る。
その場面で流れた歌「ここは母なる母国 人はなぜ血を流す 宿命じゃない ただの裏切り行為 闘いをやめろ 流血をやめろ ヒンドゥーかムスリムか そんな問いは無意味 流れる血は同じ 我々はみな同じインド人」という歌詞は、すごく印象的だ。
子供もが生まれ幸福な日々を送っていた主人公夫婦も、この紛争に巻き込まれていく。お互いの親たちも息子と娘の無事を気にし、ボンベイに駆けつける。そんな混乱状態の中、やがて故郷の親たちも2人の関係に理解を示すようになる。はじめは反発しあっていた双方の父親が、騒乱の中で互いを理解し、心を開いていく。
この映画の監督は、インド・パキスタンの平和的解決を願ってこの映画を作ったのだろう。でも実際は、まだ解決が見えない状態だ。戦争や争いは始めるときより、終わらせることの方が圧倒的に難しい。一度戦争が始まってしまえば、身内や友の命を奪われたことに対しての、憎しみ、復讐心が生まれてしまう。それを抑えるのは本当にむずかしい。だから一度戦争が始まってしまうと、その憎悪の連鎖が加速してしまう。
しかし、夫妻双方の両親は、宗教の違いから、息子や娘の結婚を絶対に認めようとはしなかった。でも、聖地アヨドヤで起きたヒンズー教徒によるイスラム寺院(モスク)爆破事件によって、ボンベイも紛争状態に陥ってしまい、息子達の安否を心配した故郷の親たちがボンベイにやってきて、はじめはあんなに宗教的な違いから反発しあっていた双方の親が、騒乱の中で宗教を超えて、お互いを認め合い、理解していく場面をみて、異なる価値観を理解し、認めようとする努力、こうしたひとりひとりの意識がインドとパキスタンの和解解決をも可能にするのではないか・・・という希望の光をみせてくれたような気がした。
誰しも愛するものを殺し合いなんかで失いたくないし、愛する土地を破壊されたくない。だから、そんな醜い戦争や争いをみんな正しいとなんて思っていないと信じたい。根本的に人の思いは変らないと思いたい。私も、監督のように、「インド・パキスタン」が平和的解決の道があると信じているし、きっとできると信じている。そして、インド・パキスタン以外でも同じように争っている地域が平和的に解決してくれる日がくることを信じたい。そのためにも、平和のために自分ができることを見つけて、取り組んでいけたらと思った。

モデレーターのコメント
 宗教の対立を愛で乗り越えていく感動的な映画ですね。人間はもともと暴力的ではないことをユネスコが1989年に採択した「セビリア声明」で確認していますが、まさにそれを映像で示してくれる映画といえますね。
ピースキー:(1)生命の尊重  (2)非暴力  (6)寛容と連帯 

『魔王』伊坂幸太郎(講談社 2005)

2006-06-16 07:49:09 | 
レポーター:平田萌美

 この作品は表題作「魔王」とその続編にあたる「呼吸」の2作品が収録されている。伊坂幸太郎の作品には変わった人物とおかしな能力が登場することが多いが、この『魔王』においては主人公が「他者に自分の思ったことを言わせる」腹話術を手に入れる。独裁的な政治家を受け入れる不穏な雰囲気の日本の政治に疑問を抱く主人公は「考えろ、考えろ」と念じ続けながらたった一人、孤独でも戦うことを決意する。時期は衆議院選。小説発表時、現実でもちょうど選挙が被りより世の中は小説とシ
ンクロをした。
 「考えろ考えろ」という口癖は昔の海外ドラマ「冒険野郎 マクガイバー」からの流用。しかし、その言葉は全編をわたって私たちの中に入り込んでくる。私たちは、考えているのか?
 読者である私たちは主人公の主張「でたらめでもいいから、自分の考えを信じて、対決していけば 世界が変わる。」をどう捉えるべきなのか。日本が大きな流れの中に埋もれてしまって、強い権力に押しつぶれされようというのを「個人」でも立ち向かおうとするその姿は、日常私たちが切り捨ててしまう「個人」の力を思い知らされる。
 ひとりが変わったからといって、世界は変わらない。それでも私たちはそんな「個人」を描いた作品に感動する。政治を描いた作品だが、その実その裏にあるひとりの人間の行動に私たちは釘付けになる。未来に望むものは、流されるままに過ごすのではなく、無力な個人が「考える」ことから始まるのだと告げている。
 
モデレーターのコメント
 社会を良い意味で変えること、そして良い意味で社会を守ること、そのためには一人一人が考えて行動しなければなりません。『魔王』では「考える」ことを強調し、「流されるままに過ごすのではなく無力な個人が『考える』こと」で社会を良い方向へ推し進めていくことを示しているのでしょうか。今の日本には重要な指摘ですね。

ピースキー:(3)助け合い (8)民主主義

『AI』という映画

2006-06-16 07:47:57 | 映画・ビデオ
レポーター:紙谷奈保子

私は「AI」という映画を紹介します。
 最愛の一人息子が不治の病で倒れ、治療方法が確立されるのを待つ夫妻の元へ、感情を持つ人間の子どもそっくりなロボットのデヴィッドが贈られた。両親への愛をインプットされたデヴィッドは一途に母を愛したのですが、実の息子が治癒し自宅に帰ったことで、デヴィッドは一転、邪魔者になってしまいます。インプットされた愛の呪縛から逃れることのできないデヴィッドは、ピノキオの物語に倣って、本物の人間になり母の愛を得るために、ブルーフェアリーを探す旅に出るという話です。
 この話は生命の尊重にかかわってくる問題だと思い、取り上げました。ロボットとはいえ知能をもっているわけだから簡単に殺したりするのは許せないことだと私は思います。またそういうロボットを大量に生産したりすることで命の価値がどんどん下がってしまうことは恐ろしいことだと思います。近い将来、人間がこのようなロボットを作るようになるのは十分可能なことだと思いますが、命の重さ、大切さは決して忘れてはいけないと思いました。

モデレーターのコメント
 安易にロボットを人間の代わりにすることの問題を指摘した映画ですね。そして人間にとってはどんな障害を持って生まれても自分の子どもであり、また自分の親であるということを教えてくれる映画ですね。命の重さ、大切さを学べる映画です。

ピースキー:
(1)生命の尊重  (4)傾聴  

「ガンダム」プラモデルを通じて

2006-06-16 07:45:10 | ニュース

レポーター:酒井健輔

 物心ついた時からガンダムが好きだった。理由は単純に「かっこいい」から。アニメは見ていなかったけど、プラモデルに熱中していた。ガンダムはキャラクターだが同時に兵器である。戦争の道具でありながら、かっこいいのである。兵器にかっこよさは必要なのか。これは、ガンダムに関わらず、現行の兵器にも共通して言えることである。使うなら、かっこいいほうがいいかもしれない。だが、それによって誰かが殺されている。
 兵器には少なからず魅力がある。それは確かだ。自分の頭の片隅にある湾岸戦争の記憶。緑色の光が暗闇を貫いていく。その光景がどういうものなのか理解はできていなかったが、とても綺麗に見えた。その14年後にアフガニスタンでのピンポイント爆撃、クラスター爆弾によるじゅうたん爆撃の様子がニュースで流れる。同じ気持ちで見ることはできない。時代が経つにつれますます兵器は高性能化している。誰か一人の意思で、多くの人が死ぬ状況が生まれている。いつかは、ガンダムのようなロボットが戦場を駆け抜け、ビームやレーザーが飛びかう時代が来るのだろうか。
 兵器がかっこ悪ければ、もしかしたら戦争はなくなるかもしれない、なんて浅はかなことを考える。「来たるべき未来のために」かっこいいのは、アニメの中とプラモデルだけでいい。

モデレーターのコメント
 俗に言う戦争おもちゃが日本では野放しの状態です。世界各地で戦争を起こしているアメリカでも、子どもたちのおもちゃにはもっと気を遣っています。憲法9条で戦争をしないことを宣言していることで多少の戦争おもちゃがあっても問題になりませんが、もし変えられるようだと「ガンダム」も「アニメの中とプラモデルだけでいい」と言っていられないかもしれません。おもちゃと戦争をうまく結びつけてまとめていただきました。

ピースキー:(1)生命の尊重  (2)非暴力  

現実と向き合う世界

2006-06-16 07:42:22 | ニュース
レポーター:永浜 恵里

今、遺伝子の世界はとても発展している。遺伝子に対して我々の誤解が身近に考えられるのは、いわゆる遺伝子組み換え植物ではないだろうか。これは、農薬散布を減らせる、食物自身が自ら虫に対する耐性を持つように作り変えられたというものだ。スーパーなどでよくよく見かけるようになった、「遺伝子組み換え大豆や遺伝子組み換えトウモロコシは使用していません。」という表記、これは遺伝子組み換え作物を安易に危険物のように感じさせてしまっている。だが遺伝子組み換え作物は安全なものとして我々消費者の手が出せるものとなっている。
 日本人でいる限りはほぼ自由に食品を選べる環境といえる。しかし、他国の援助において成り立つ国では、この遺伝子組み換え作物のひとつが大いに命を救うこととなっている。いわゆるビタミン不足問題だが、これで多くの子供たちが亡くなっている。稲の中にこれを生み出す遺伝子を組み込ませるものであるが、ある学者は一方的に、援助物質にこのようなものを使うべきではないと主張した。だがもし自分の子供が同じ状況下におわれたらそのような事は言えなくなるだろう。我々は自分のおかれる状況が直接的危機におかされるまで安易な考えで生きてしまえることを痛感させられた。      

モデレーターのコメント
 遺伝子組み換え食品についてはまだまだ誤解と課題があるように思います。日本の食料自給率は50%をはるかに割っていますから、他の国から食料品が入ってこないと食べるものがなくなってしまいます。何が大切なのか十分に検討する必要がありますね。

ピースキー:(1)生命の尊重  (3)助け合い (5)環境保護

『ワールドカップが日本にもたらしたもの』

2006-06-16 07:40:03 | ニュース
レポーター:根本章子

 私もサッカー観戦が好きです。でも、FIFA(国際サッカ-連盟)に登録されている国の数が、国連に加盟している国の数をこえているというのは知りませんでした。これは、ただ登録されている国の数を書くよりも、サッカーというスポーツが世界に広がっているということがわかりやすく表されていると思います。すごく印象的でした。
 私が世界のサッカーのニュースで特に印象に残っているのは、イラクの代表選手のことです。日本は2004年2月12日に東京の国立競技場でイラク代表と国際親善試合を行いました。イラクの戦後復興を支援している日本サッカー協会が招き、外務省と国際交流基金が渡航費用として約1000万円を助成しました。出来るだけ多くのイラク国民がこの試合を観戦できるようにと、イラク・メディア・ネットワーク(IMN)による同時中継放送も支援されました。この頃のニュースだったと思います。イラクは大変混乱していてテロも毎日のように起き、グラウンドも戦車に占領されたりで荒れてしまい使える状態ではないということでした。
 このニュースを見た時とても悲しい気持ちになりました。サッカーはイラクで最も愛されているスポーツだそうです。そのサッカーの国の代表の活躍は国民に勇気を与えると思います。スポーツは、オリンピックやワールドカップなど平和の象徴であり国同士の文化などの国際交流でもあると思います。そのスポーツが戦争やテロといったものに侵食されていくのはとても悲しいことです。
 この試合は2-0で日本が勝ちましたが、イラクはその後アテネオリンピックでは準決勝まで進むなど活躍しています。荒れたグラウンドにナイターもエアコンもシャワーも無い施設でイラク代表選手は頑張っています。サッカーを愛する心と、自分たちの活躍を待っている国民というものが彼らの力になっているのだと思います。国際的な支援にはスポーツの援助も必要だと思いました。

モデレーターのコメント
 スポーツには国境もないのですね。スポーツ交流が広がることにって平和な世界を築くことに繋がることも確かです。日本はこのようなスポーツの援助を通して国際的な平和をめざすことが憲法9条の精神でもあると思います。

ピースキー:(1)生命の尊重  (2)非暴力   (3)助け合い  


拉致問題

2006-06-16 07:37:41 | ニュース
レポーター:優子

 私は、拉致被害者家族の横田滋さん早紀江さん夫妻の近所に住んでいる。夫妻の所にテレビ中継車が停まっているのをよく見る。また、同じバスに乗ることも度々である。その度に私と同じような生活をしている一般人が何十年もの間娘のために国に訴えて続けているのかと思うと本当に涙がでそうになる。そして、北朝鮮が拉致問題を外交の切り札のように扱っていることが腹ただしくなる。 
 先月、横浜で開かれていた横田めぐみさんの写真展に行ってきた。幼い頃のめぐみさんと遊ぶ笑顔の夫妻の写真、弟達と手を繋いでいるめぐみさん、彼女の成長ぶりと家族の幸せが目にみえるようだった。しかし、それが13歳で突然途切れてしまうのだ。その後に続く写真は拉致発覚当時の夫妻の写真、北朝鮮から届いた横田めぐみさんだとされる写真、蓮池・地村夫妻が帰ってきた当時の写真と続いていた。めぐみさんが拉致される少し前の写真と拉致発覚当時の写真とにはあまりにも長い時間が経っていた。
私が協力できるのは署名・募金など数少ない。一刻も早く拉致問題が全面解決することを願っている。

モデレーターのコメント
 拉致は個人が何らかの理由でできるようなことではなく、大きな組織が背景にあることは言うまでもありませんね。そして既に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は事実としては認めていますので、できるだけ真実を知らせてほしいですね。横田さん夫妻の想いが一刻も早く実現するためにできるところからやりましょう。ただし過度に敵対心をあおるようなことは避けたいですね。

ピースキー:(1)生命の尊重  (2)非暴力 (6)寛容と連帯 


『あなたが世界を変える日』

2006-06-09 03:51:37 | 
レポーター:真也

この本には1992年6月11日、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた国連の地球環境サミットで、カナダ人の12歳の少女が世界各国のリーダーたちを前にした6分間のスピーチの内容が書かれています。スピーチの内容は、とても12歳と思えないものです。感動します。
この本を読むと、大人たちは一体何をしてきたのだろう、と思わされます。子供たちが自分たちの住む世界のこと、地球のことをこんなにも真剣に考えているのに。
私たち大人は、世界のために、地球のために何か行動をおこしているでしょうか?世界の子供たちのために何かしているでしょうか?私たち大人は、未来の子供たちのために何をしてあげられるのでしょうか?そんなことを考えさせられる本です。
環境運動をするということは、自分一人のためではなく、世界の子供たちのため、そして未来の子供たちのために行動するものだと思います。こんなにも大切なことを、「大人」の私は忘れていました。
この本を読むと、「大切なこと」を思い出し、ハッ!とさせられます。

モデレーターのコメント
 「子どもの権利条約」が国連総会で採択されたのが1989年です。それ以後世界は子どもの発言にできるだけ耳を傾けるようになりました。この本に登場するカナダの12歳の少女の発言はそうした背景で生まれてきます。子どもも大人もそれぞれの立場から社会の問題を考えていることを投稿者は教えてくれています。

ピースキー:
(4)傾聴   (5)環境保護

柴田淳「未成年」

2006-06-09 03:41:35 | ニュース
レポーター:千鶴

 柴田淳という歌手をご存知だろうか。私が彼女を初めて知ったのは深夜にやっていた音楽番組でのことなのだが、ピアノを弾きながら透明感のある美しい声で歌う彼女の姿に釘付けになったのを今でも覚えている。今回はそんな彼女の「未成年」という曲をご紹介したい。
「ぼくらはただ 気づいて欲しかっただけで 誰も何も 壊すつもりはなかった」そんな歌詞から始まるこの歌は、タイトルのとおり、「未成年」について歌った歌で、愛されたいという願望が満たされずに心が歪んでいく様を描いている。この曲の中で「大人」はどう描かれているかというと、「耳を塞いでいる 固く目を閉じている ぼくらを受け止められず 逃げ出した弱虫よ」「愛しさを知らない 愛し方を知らない ぼくらに怯えている 出来損ないの背中よ」など、批判的だ。これについては子どもの非行の原因を大人にばかり押し付けていると感じる人もいるかもしれない。たしかにそのような考え方もあるだろう。だが、感じ方が人それぞれだからこそ、この曲を聴いて欲しいと思うのだ。   
そして、この曲に共感を示す「未成年」がいるのだということを知って欲しい。「今時の若者は何を考えているのかわからない」と、関心を示さない言い訳をつくるよりも、彼らの持つ文化に触れてみるのはどうだろうか。自分の子どもがどんなものが好きで、どんな音楽を聴いているのか。それを知ることから新しく何かが始まるのではないかと私は考えている。

モデレーターのコメント
 日本はあまりにも子どもを特別扱いしている。大人と同じ権利を持つ人格として受け止めることができないから、いつまでたっても子どものままにしておきます。日本政府も「子どもの権利条約」を批准しながら「子どもは権利ばかり主張する」として、国連の勧告を無視し続けています。学校の教員の中にも「子どもの権利条約なんか子どもに知らせたら指導ができない」などとして否定的な対応をしています。こうしたことの反映として投稿者のような問題提起があることを位置づける必要がありますね。

ピースキー:
(4)傾聴  (6)寛容と連帯  (8)民主主義

真の国際化について

2006-06-09 03:28:37 | ニュース
レポーター:瑛介

この前の授業で慰安婦の記念館について調べた。慰安婦とはどういう人たちだったのかおおよそではあったが知っていた。しかし、記念館のホームページを見ていてその悲惨さに目を覆いたくなるような記述や写真が多数あった。当時の慰安婦だった方々にさぞ心身共におおきな被害を被ったに違いない。戦争がもたらした傷跡はこんなところにもあったのだ。しかし、日本政府はその償いを過去のものとして割り切っているのではないだろうか。
今日、中国に駐在している日本人男性が殺されたというニュースを耳にした。その以前にも日本人が強盗に遭っている。現地に住む約3000人の日本人たちは震えあがっている。この一連の事件は日本政府の今までの行いに対する報復と考えられなくはないだろうか。北朝鮮の拉致問題も大きな問題だが日本政府にも過去に起こした問題は消えることはないがもう少し償うべきところがあるのではないだろうか。

モデレーターのコメント
 「慰安婦」という言葉も何となくオブラートに包んだ言葉になっていますが、まさに「性の奴隷」です。戦争に名を借りた犯罪を国家ぐるみで犯していたのがこの問題です。当然被害者にはそれ相当の謝罪と保障が必要なわけですが、日本政府はそれを拒否していますね。このような姿勢がアジアにおける日本への反感を再生産しています。これをあらためることが今日本には求められていますね。投稿記事はその点を鋭く指摘しています。

ピースキー:
(1)生命の尊重  (2)非暴力   (7)男女の平等

映画「プラトーン」について

2006-06-09 03:16:39 | 映画・ビデオ
レポーター:悠

 この映画はベトナム戦争を題材とした映画です。監督であるオリバー・ストーンはベトナム戦争の帰還兵で、実体験に基づきこの映画を製作しました。この作品によりアメリカでは「ベトナム戦争映画ブーム」を巻き起こしました。(ベトナム映画ブームはこれで二度目で最初のブームは「地獄の黙示録」で起こりました。)
 ぼくは戦争映画のなかでこの作品が一番好きです。他の戦争映画ではあまり語られることのない人間の心の中の葛藤や心情がうまく表現されていると思います。他の映画では「敵は敵、味方は味方。」という考えが普通であるところを(ヒドイところだと愛国心などを必要以上に強調する作品なんかもあるが…)この作品では「敵=敵、味方=味方」という絶対的な位置づけがありません。一個小隊のなかの隊員が罪を犯しそれに反対する派閥の隊員が軍法会議にかけようとするが、ベトナム兵との交戦のさなかで味方に暗殺されてしまうという場面があります。実際の戦争ではこういった事実が多々あったのではないのだろうかと考えさせられる作品です。

モデレーターのコメント
 私もこの映画を観て、戦争というのは敵も見方もなく人間性を壊していくものだと実感させられました。アメリカにおいてベトナムの反戦運動が盛り上がり、最終的にアメリカ大統領に戦争を断念させたものは、ベトナムの戦場でアメリカ軍が行っていた非情な虐殺事件の報道でした。

ピースキー:
(1)生命の尊重  (2)非暴力   

you are the world

2006-06-08 20:25:20 | ニュース
レポーター:恵

私の好きな歌詞がある。you are the worldという小室哲也のファミリーで世界のチャリティーのために作った歌がある。「you are the world ゆずれない存在・・・」世界が今お互いに助け合っていくことで、生きていくんだということ。世界は、あなたがいることであり、またあなたが、世界に何かを・・・世界が今お金を必要としています。それで飢餓や文房具が買えたり、世界の人々が一人でも多く安心できる安定した生活を送れるようにと作った曲だと思います。
少なくとも私は、そう思います。世界の平和がよくなるように、人一人を死なせたくありません。
人口も減ってきているし、これからの世界をみんなで助け合い、平和にしていこう。

モデレーターのコメント
 日本の人口は減りつつありますが、アジアやアフリカの国々では人口が増えています。しかし食べるものがない地域もたくさんありますね。今から20年前に「We Are the World」という歌をアメリカの多くのアーティストが歌い、その売り上げをアフリカの飢餓難民のために使っています。日本ではまだまだそうした動きは少ないですが、一流といわれる人々こそこうした動きをして欲しいですね。 

ピースキー:
(1)生命の尊重 (3)助け合い 

『“It”と呼ばれた子 』

2006-06-08 20:14:15 | ニュース
レポーター:紗織

この本は著者・デイヴ・ペルザー(Dave Pelzer)が幼い頃に実体験し語られたお話です。デイビットは州史上ワースト3を記録する 児童虐待を母親からうけてきた。それは信じがたいものばかり。食べ物は滅多にあたえてもらえず、こっそり食べて見つかれば吐かされる。暴力をふるわれしまいには、オーブンの火であぶられアンモニアを飲まされたり塩素ガスをすわされたりした。
『なんで僕だけ?前の優しいお母さんはどこに行ったの?』こんな虐待をうけながらもデイビットは母親を信じたかった。だが名前さえ呼んでもらえなくなった・・・That Boy(あの子)からやがてIt(それ)と呼ばれるように。父親にも助けてもらえない。そんな孤独の中で虐待にたえ生きようと頑張っているデイビットに心うたれます。こんな事が実際にあるなんて・・・なぜこのような事がおこってしまったのか?現在でもおこりうる虐待問題を考えなおさせられる本だと思います。
著者デイヴ・ペルザーは「生き抜く勇気の尊さを、子どもたちにも知ってほしい」と思いこの本を書いたそうです。その後の彼の生い立ちが書かれた少年期(ロストボーイ)・青春期 ・完結編(さよならIt)もでていますので是非読んでほしいと思います。

モデレーターのコメント
 人間にとって関心をもたれないことがもっともつらいことです。マザーテレサもノーベル平和賞の受賞式でそのことを強調しています。特に身内にある人からの無関心や虐待は、人間の心をすさんだものにしていきます。そうした環境の中で人間はどこまで人間性を保つことができるのかをこの作品は考えさせてくれるようですね。

ピースキー:
(1)生命の尊重  (2)非暴力  

フィリピンで

2006-06-08 19:48:49 | ニュース
レポーター:若菜

私は中学1年の時に旅行でフィリピンに行ったのですが、初めての海外旅行だったし、現地の方にも『危ないところがありますので、そこには行かないように。』と言われて怖い印象を持ちました。夜、外のレストランで食事をし、ホテルに帰る途中であまり人気のないお土産屋さんに立ち寄りました。一通り見終えてお店から出て車に乗ろうとした瞬間、私よりはるかに幼い子ども達が5,6人ワーっと押し寄せてきました。いわゆるストリートチルドレンと言われる子どもたちです。運転手でもある現地のホテルスタッフさんが、私たちを車に押し込めてその場を跡にしましたが、ポケットに入れてあった、フィリピンのお金が少しとられていました。
お金がとられたことよりも、年の差は少しあるにしても私と同じ子どもが貧しくて、生きていくために犯罪に手を染めているという現実を目の当たりにした時、中学生だった私でも子どもながらにショックを受けました。このような格差が広がりすぎている世の中はおかしい。だけど、お金だけを援助するだけでは根本的に解決しない。地球というひとつの国と考えて政治や経済をまず、良い方向へ向けなければ格差は広がったままになってしまうと思いました。

モデレーターのコメント
 フィリピンだけでなく、まだまだ世界の少なくない国で同じような状態があります。あるいはもっと厳しい状況に置かれているところもあります。何が原因なのか、どうすれば良いのか、世界中で関心を持っていますが、事態はなかなか改善されません。地球を一つと考える人々がもっと多くなることが鍵ですね。

ピースキー:
(3)助け合い  (6)寛容と連帯