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クチヒゲノムラガニの生態

退職し晴耕雨読的研究生活に入った元水族館屋の雑感ブログ

入院はしないのが一番

2024-11-27 | 雑感
 昔から胃腸が弱かったので、これまで不安はあった。その上に最近軽い腹痛が続き、血便も出た。そこで、思い切って大腸の内視鏡検査をした。結果は正常、ただし複数のポリプが見つかり切除してもらった。ポリプは良性であった。

 とにもかくにも安心を得た次第であるが、術後経過を見るため1泊入院となった。泊まったのは4人部屋、私が入って満室。覚悟はしていたが、以下いろいろ困った。
・ネット環境がない:1日読書や音楽鑑賞ばかりでは飽きがきて退屈する。
・21時消灯:読書も出来なくなる。どうもスマホでの電子本は読みにくい。有料でテレビが見られるが、消灯時は視聴禁止。
・個体間距離が狭い:本来2人部屋なのに4人で使っている感じで、隣との距離がとても近い。隣はほぼ寝たきりであったが、うわごとや咳が多かったため、やたら耳に届く。向もほぼ寝たきりであったが、しょっちゅう「オイ!オイ!」と大声を張り上げて看護婦にアピールしていた。コールボタンがあるのに。この人は家庭でも暴君であったに違いない。これらの騒々しさのため、ずっとイヤホンが外せなかった。また、音だけでなく、おむつ替えの匂いも侵入してくる。こちらは防ぎようがなかった。

 私は1泊で済んだが、長期となると耐えられそうもない。しかしながら、個人部屋は高い。そもそも空きはなかろう。今後はくれぐれも病院の世話にならないよう、健康で暮らせることを切に願った2日間であった。

 かくして、自宅に戻り、さっそく大腸ケアのために、腸に最も良い乳酸飲料を調べている次第である。ただし、どのサイトも大手メーカーへの忖度ばかりで、「コレッ」と言う1本がみつからない。また、効能通りの効果を明白に断言しているサイトも無い。こうみると、単なる嗜好飲料のような気がしてくる。

紅葉とはあまり縁の無い土地であるが、今年は山がいつになくまだ青い。

ススキ恐るべし

2024-11-05 | 雑感
少し前に秋の到来を告げる花について書いたが、それらの花が終わった後、つまり秋のど真ん中に咲くのがセイタカアワダチソウである。北米由来の外来種ではあるが、本種の群落が織りなす山吹色のオブジェは美しく、この季節の楽しみの一つになっている。ところが、今秋、本種の濃密な群生地の一つが忽然と姿を消し、ススキ群落に置き換わってしまった。この変わり身の早さに驚嘆させられた。

セイタカアワダチソウは特別な化学物質を放出して他の植物の生長を阻害する(アレロパシー)植物として有名である。その力によって国内で猛威を振るってきた。ところが、どうやら在来種であるススキの繁殖力はそれを上回るようだ。

私の散歩道は自動車専用道路建設を契機に、この5年の間に水田が半減してしまった。その廃耕田に瞬く間に入り込んだのがセイタカアワダチソウであったが、この栄華もススキによって終わろうとしている。そのススキはセイタカアワダチソウが渡来した道とは反対に、今や侵略的外来種として北米で猛威をふるっているという。ススキ恐るべしである。


散歩道にある雰囲気の良い水田(2019年)、翌年には1/3に減反


廃耕田に急速に繁茂したセイタカアワダチソウ(2022年)


忽然と現れたススキ群落(2024年)


ススキ群落と現耕田(2024年)


ススキが入り衰え始めた近隣のセイタカアワダチソウ群落(2024年)

サメ襲来

2024-10-12 | 雑感



サメはサメでもスズキ目コバンザメの話。

先日石垣島沖水深10mの海底でサンゴ調査をしていると、突然1m程の2匹の大型魚が急接近し、体のそばを周回しだした。最初は鮫かと思ったが、すぐにコバンザメであることが分かった。



コバンザメは大型動物に吸着して生活し、単独で泳ぐことはまずない。瞬時に、この本来の巨大宿主が近くにいる可能性を考え、緊張してしばらく辺りを見渡したが、それは見られなかった。

どうやら、この2匹は何らかの事故で宿主からはぐれたらしい。そして、盛んに色目(?)を使い、私に吸着したい強い意志を伝えてくる。



こんなのに着かれたらたまらないので、カメラを振り回して追い払うが、とてもしつこい。

仕方がないのでサンゴ礁のクレパスに隠れ、しばらくそこで作業を続けて表に出たら、彼らはもういなかった。

潜水を始めて50年近くになり、これまで様々な物と遭遇して来たが、コバンザメの襲来を受けたのは初体験。まだまだ新たな出会いは続く。

国際宇宙ステーションを観望する

2024-09-11 | 雑感
今日は人工衛星(国際宇宙ステーションISS)を見るのに最適とのニュースに接し、さっそく観に行ってきた。

場所は本州最南端の潮岬、雲が心配されたが、運良く快晴であった。

ISSは19:03分頃に南西沖から出現し、月の右横を上って真上近くを駆け抜け、19:05分頃には東の彼方に消え去った。

あっという間の出来事であったが、わたし的には久々の天体ショーであり感動を覚えた。それにしても、とても明るいのには驚いた。金星程度とはいかないまでもそれに近く、月が出ているのに全く観察に支障はなかった。

しかしながら、本州で最も観望に適したこの観光地において、見に来ていたのは我々夫婦のみであったのはもったいないことだ。

以下は観望のほんの証拠までにデジカメ・手持ちで撮った画像を載せておく。


月の右側を上っていくISS(画像右上)。


ISSの航跡(短い棒状)。


東の彼方に消えつつあるISSの航跡(右上の3つの点状のもの)。

秋告花とサンゴの白化

2024-09-08 | 雑感


今日、いつもと道を少し変えて散歩したら、この花に出会ってしまった。いくら暑くてもこの花が咲いたら季節は秋である。


秋告花はヒガンバナだけではない。初秋には様々な種が咲き誇るのであるが、この花ほど印象的で、小心な私を「どきり」とさせ、秋の決心をさせる花は他にない。


散歩道の代表的な秋告花。上から順にヒガンバナ、クズ、ヌスビトハギ、センニンソウ、ボタンヅル、クサギ。


8月は暑かった。海の中もお湯のようで、泳いでも爽快感が皆無であった。沖縄のように、串本も深刻なサンゴの白化が懸念されたが、幸いその被害は軽微で済んだようである。ヒガンバナのお告げのように、季節は確実に秋に向かうので、白化も落ち着いていく。


9月5日に撮影した串本の海中景観。サンゴは白化したが、夏バテ程度で済んだようである。ただし、イソギンチャクは恒例ではあるが純白となり、クマノミはまぶしそう。

転居と思い出の歌

2024-09-03 | 雑感
前回は子供の頃の不思議な体験を書いたが、この時に「そういえば、彼の地からの転居時にあの歌が流行っていたな~」とそのメロディーが頭の中に浮かんだ。そこで、転居に結びついた思い出の歌を紹介したい。

人は一生の内で3回は転居するそうであるが、父親が転勤族であったのも相俟ってこれまでに人の6倍は転居した。北は北海道から南は八重山諸島まで、1カ所の居住期間は最短6ヶ月から最長15年まで、なかなかの旅ガラスであったが、おそらく6年前に建てた今の家がやっと終の住処となろう。

さて、この度重なる転居人生の中で、転居に結びついた思い出の歌が2曲ある。1つは、小五の夏休み、埼玉の入間から千葉の市川に転居する際に流行っていた”タイガースの花の首飾り”である。当時、親友であったM君と毎日のように入間川に通じる鬱蒼とした木立の長いトンネルを、「花咲く娘たちは~」と二人で口ずさみながら自転車で通っていた。あの寂しげなメロディーと親友との別れの悲しさがマッチして、記憶に残ったのであろう。

他の1つは、中三の夏休み、東京の練馬から文京に移る際に、貨物車の助手席で聞いた”吉田拓郎の旅の宿”である。拓郎は特にファンでは無かったし、この曲は確か前年に流行ったはずであるが、なぜかこの時の転居とセットになって頭の片隅に残っている。なお、当時の拓郎の人気は異常であった。こんなに爆発的に若者に受けた歌手を日本では他に知らない。

転居とは関係ないが、30年ほど前の夏に船を命がけで和歌山から八重山に回航したことがあった。その終盤、宮古島の炎天下の港で給油車を待っている間、漁港放送が”HISの夜空の誓い”を流していた。歌謡曲でもなく演歌でもない不思議なこの歌は、当該漁港には場違いではあったが、なぜか真夏の蜃気楼のように心を揺さぶり、脳皮に刻まれた。だいぶ後に曲名とユニットの驚くべきメンバーが判明し、さっそくCDを購入してしまった。そのメンバーとは忌野清志郎、細野晴臣、坂本冬美である。清志郎の凄さに拍手を送ると共に冥福を祈りたい。


「今、最も気になっている動物」
最近、港でよく見かけるカモメ類。老成しているせいかボロボロで、種の判別も難しい。いつも漁港の片隅にたたずみ、おそらく漁師から餌をもらえるのをひたすら待っている。この暑い夏は越せまいと思っていたが、8月はなんとか乗り切った。

子供時代に体験した不思議な話

2024-08-04 | 雑感
50以上経った今でも不思議に思う、子供時代に体験した出来事が2つある。

 1つは小学2年生頃、場所は北海道千歳市、時は秋の運動会。小さい頃から団体行動や学校がきらいで、運動会の最中、つまらなそうに抜けるような快晴の青い空をぼんやりと眺めていた。すると、日中なのにキラキラと明るく輝く星を発見した。場所を変えずに光っているので飛行機ではない。それを見つけ、感心してしばらく見つめていたのであるが、周りで気が付いた人はいなかった。
 最近になり、もしかしたら「アレ」は新星もしくは超新星の爆発ではなかったかと思い当たった。そこで、1965年頃に観測された超新生爆発の観測記録をググってみたのであるが、肉眼でも分かるようなノーバの記録は見出せなかった。「アレ」はいったいなんだったんであろうか。

 もう1つはそれから2年後、場所は大きく変わって埼玉県入間市、夏休みのある日。家から徒歩30分ほどの入間川に川遊びに行ったら、土手の護岸上に巨大(30cm位)なトカゲが日光浴していた。ここにはこんなものがいるんだと不思議に思わずに、近くにいた家族を呼びに行き、「ソレ」がいた場所に戻ったのであるが、「ソレ」はもう姿を消していた。家族にはそんなものがいるはずないと、嘘つき呼ばわりされてしまった。汚名を晴らそうと、再三その場所を訪れたが、2度と「ソレ」を見つけることはできなかった。後日、その正体を図鑑で調べたら、オーストラリア特産のマツカサトカゲ(類?)であることが分かった。今でこそ入手は比較的容易に行え、外来種として現れる可能性が十分に考えられるが、50年前は一般人が飼育するのは不可能であったに違いない。不思議な体験である。
 ところで、当時は近くに広大な米軍基地(ジョンソン基地)とそのハイツがあった。年に一度、あるカーニバルで地域住民が基地内に入り、アメリカ文化を体感することができた。1ドル360円であった時代。あるいは、「ソレ」は、米兵の家族がペットとして飼っていたものを転勤の際に河原に捨てていった、ものなのかもしれない。


一昨年、瀕死の月下美人をレスキューしたら、この夏、6つも同時に咲いてくれました。そのお祝いにBQしながら花を愛でました。

ハンゲショウも見納めか

2024-07-22 | 雑感



 前前報で、「変わらぬ自然」は奇跡であると述べたが、「変わる自然」は日常茶飯事である。

 毎日の散歩で利用するくじの川道(熊野古道大辺路)の私にとっての1つの目玉が、橋杭峠の麓にあるちょっとした規模の湿原である。ガマ、ハンゲショウ、ミソハギ等、ここでは季節の花々が楽しめた。この湿原は侵入する樹木を、管理者が伐採することで保たれていたのであるが、自動車専用道路建設のための搬入道が通ることが決まってから、伐採がなくなり、林化が進んでいた。そして、最近、隣接する山が突然大規模に削られ、いよいよ湿原の埋め立てが始まった。ここのハンゲショウも見納めか。

 なお、自動車専用道路(すさみ串本道路)は大阪万博に合わせて2025年度に開通予定であったが、種種問題が生じ、開通時期の見通しは立っていない。



今年の7月初めのハンゲショウ群落

伐採されなくなり成長が進む湿原中の樹木(2022年)


成長し林化した樹木(今年)


突然切り開かれた隣接する山


搬入道敷設工事開始(現在)

洞川温泉に泊まる

2024-06-26 | 雑感


 兄が紀伊半島を旅行したいというので、龍神、洞川(どろがわ)、十津川の3銘泉巡りを計画し宿を取っていたのであるが、都合によりキャンセルとなった。そのため、旅行に出る意味は無くなってしまったが、洞川はまだ行ったことがなかったので、ここだけ妻と行ってきた。

 洞川温泉は紀伊半島中央、奈良県に位置する。半島南端にある我が家からはいくつかルートがあるが、北山・大台ルートは閉鎖されており、また、山越えは難路ばかりであるので、無難に和歌山市から京奈和道を利用した。途中かつらぎ町で下り、道の駅をリレーしてつまみ食いを楽しみながら赴いた。

 洞川は標高800m程の、洞川沿いの高地にポツンと集まった山里にある。そのルーツは、1300年も前に近くの大峰山を開山した役行者にあり、爾来、山伏の修行の聖地として、また、役行者を崇拝する大峰講の信者の宿場町として発展を遂げた。そのため、旅館街は昭和以前の古い面影や大峰講との関わりを色濃く残しており、この異色さが当該温泉街の特徴となっている。ちなみに、洞川周辺の地質は主に石灰岩より成り、そのため大小様々な鍾乳洞のあるカルスト地形が形成されている。洞川の名は「鍾乳洞から出流る川」に由来する。

 当該温泉街の特色は上述したが、さらに特異なものがある。それは、各家々が提灯等でノスタルジックに電飾を施すことである。その幻想的な美しさこそ、この街の最大の売りであり、ここに泊まらなければその良さは分からない。全ての物が消え去るのが定めのこの世にあって、この異世界は末永く残って欲しいと思った。


洞川集落


洞川温泉街の昼の顔


洞川温泉街の夜の顔




山伏の持薬として古来より伝わる伝統胃腸薬「陀羅尼助丸」専門の店が何軒もある。漢方薬の類いである。さすがは、歴史ある大峰講の里。さっそく買い求めたので、適宜試してみたい。


自動販売機で売られているステッカー。パクリだがほほえましい。


近くにある鍾乳洞「蟷螂の岩屋」。山伏の修行地となっている。


山伏の根本道場。早朝に散歩していたら、ホラ貝とドラが鳴り響いてきた。今も山岳信仰が残っていることを実感した。


さすがは吉野杉の産地。枝打ちが行き届いている。

ハンカイソウの季節

2024-06-09 | 雑感


 私が毎朝歩く散歩道(串本町くじの川道:熊野古道大辺路)近くではハンカイソウの花が満開である。

 ハンカイソウは川沿いの山地に群生する大形のキク類で、東アジアの固有種。高さは1mを超え、花は10cm程になり、たいへんよく目立つ。和名はその姿を、漢の劉邦を支えた猛将「樊噲(はんかい)」に例えたもの。昔の和名の発想力にはいつも感嘆させられる。命名は牧野さんか?

 さて、今年もハンカイソウの花の季節がやってきた。この花は私の散歩における重要な風物詩の一つ。梅雨に入った頃に咲くが、今年は梅雨がまだ来ない。

 この花は散歩道のよく日が当たる川沿いでも見られるが、いつもの散歩道から林道を分け入った薄暗い小川沿いにとっておきの群落があり、毎年、そのひっそりとした、私だけの花園を訪れるのを楽しみにしている。

 今年もその健在な姿を眺められて、一安心。この時代、「変わらぬ自然」というものが奇跡であるから。




花に来た虫:上段はカゲロウ類、下段はモンキアゲハ