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クチヒゲノムラガニの生態

退職し晴耕雨読的研究生活に入った元水族館屋の雑感ブログ

続 ウスコモンサンゴの話

2019-05-25 | 雑感
 少し前にコモンサンゴ類の中で最も古い種はMontipora foliosa (Pallas, 1766)で、この学名にはこれまでウスコモンサンゴの和名が充てられていたが、この和名を担う種は別にいて、それには新しい学名が与えられるかもしれないと述べた。
 本日、葉状群体を形成するコモンサンゴ類の整理が一通り済んだ。これまで記載された種のチェックも行ったのであるが、ありました、ありました、ウスコモンサンゴと確実に実体を共有する学名が。それも3つ。それらは、
Montipora pulcherima Bernard, 1897(Macclesfield, South China Sea)
Montipora undans Crossland, 1952(Great Barrier Reef)
Montipora sulcata Crossland, 1952(GBR)
 従って、ウスコモンサンゴに対応する学名は最も提唱年の古い①ということになる。しかしながら、コモンサンゴ類分類の父であるバーナード博士はさすがである。ちゃんと、M. foliosaとウスコモンサンゴを識別し、記載してくれていた。一方、クロスランド博士はロンドン自然史博物館にあるバーナード博士の標本を調べたはずであるが、本種の形態変異に幻惑されてしまったようである。
 ところで、ベロン博士とワレス博士はグレートバリアリーフのモノグラフ(Veron & Wallace, 1984)の中で、ウスコモンサンゴに対しM. foliosaの学名を用いる見解を最初に示したのであるが、その記載の中で上記の3学名を含めた15もの学名をシノニム(同物異名)として扱った。ただし、これらの多くは有効名として復活されるべきものであり、なんとも荒っぽい仕事であったことか。しかも、この中には敬愛するバーナード博士に作られたものが7つもある。いつか、日の目を見させてあげたい。


Montipora pulcherima Bernard, 1897(ウスコモンサンゴ)のタイプ標本:Bernard(1897)の図版を複写


Montipora pulcherima Bernard, 1897(ウスコモンサンゴ)のタイプ標本:タイプ標本を実写


Montipora undans Crossland, 1952:Crossland(1952)の図版を複写


Montipora sulcata Crossland, 1952:Crossland(1952)の図版を複写

鳴門渦潮観望記

2019-05-21 | 雑感
 娘のいる大阪を基点に自動車で日帰りの家族旅行を企画した。金剛山、出石そば、天橋立、淡路島と候補が出、当日は大潮という渦潮観望に絶好の機会である事から、旅行は淡路島となった。
 今回の旅行に際して、遅まきながら2つの新たな、心強いツールを導入した。1つはETC、他の1つはドライブレコーダーである。ETCは使ってみてその便利さにびっくり。これまで避けてきたのが悔やまれた。DRは前方のみの格安品を購入したが、写りも機能も良い。いざという時には役立ちそうだ。

 さて、この日曜、朝早く大阪を発ち、苦手な環状線を通り尼崎・神戸を経由して明石海峡を渡る。初淡路にふさわしい長く堂々とした立派な橋、年甲斐もなく興奮する。
 早朝のためか、道はすいていて、2時間で最初の目的地である淡路島南端に到着する。早速自販機で渦潮クルーズ船のチケットを購入し、出港まで時間があったので鳴門海峡を見に行く。初徳島入りは今回はもったいないので、淡路側からの観望に止める。眺めはさすがに素晴らしい。わずか1時間の間に明石海峡大橋と大鳴門橋という日本を代表する大橋を見てしまうのをもったいなく感じるのは、貧乏性のせいか。あっけなさ過ぎて、少し盛り上がりに欠ける。家族はこの展望所のある道の駅で、目的の1つである名物の玉葱が入ったソフトを賞味する。
 港で新タマ等のお土産を買い、いよいよ出港。船は500人乗りと大きく、船酔いが心配な家族には安心。満員。デッキで眺めるが、沖は恐らく観覧限界の強風。それでも天気は良い。海峡に出るとうねりが出て歓声(悲鳴?)が上がり、大橋真下の観望ポイントで船が渦に入り大きく揺らぐとさらに大きな歓声(悲鳴?)が上がる。航海はたっぷり1時間、渦はまあまあ見られた。
 家族は酔うことなく率直に渦潮クルーズを喜んでくれたが、私の気分はあまり高揚しなかった。理由は多数ある。渦が思いの外小さかったこと(逆風で渦が押さえられたかもしれない)、大橋はりっぱなオブジェにはなっているが自然景観を大きく損なってしまっていること(渦潮は世界自然遺産に申請中であるが難しいかもしれない)、現場で出会わせた別の小型の水中観潮船がとてもダイナミックな航跡を描いていたこと(単純に渦潮を楽しむなら絶対こちらだ。ただし、家族には無理そう)。。。
 ともかく、この後、「イングランドの丘」でのんびりとし、名物の淡路島バーガーを堪能し、海岸線をゆっくり走り、さらに名物の淡路島牛丼を堪能し、淡路島をそれなりに満喫して疲労と共に無事帰還できた。


明石海峡大橋(淡路島側からの眺望)



大鳴門橋(淡路側からの眺望、対岸は徳島県鳴門市)


名産品の玉葱をあしらったベンチ(大変出来が良い)


淡路発渦潮クルーズ船(咸臨丸と日本丸とがあり写真は日本丸であるが乗ったのは咸臨丸)



鳴門の渦潮(残念ながら聞きしに勝る程ではなかった)


海峡部では小滝のような段差が生じる



大橋と渦潮と鳴門発小型海中観潮船


名産の玉葱をふんだんに使ったハンバーガーの島内パンフ(協賛店と自慢の商品が紹介されている)



同様名物の牛丼パンフ

今日はモンキーズの日

2019-05-15 | 雑感


 研究がとりあえず一段落したら、今日はなぜかモンキーズが聴きたくなった。ほぼ全曲そろっているCD4枚組輸入盤の「The Monkees music box」を昼から流しっぱなし。
 今やモンキーズを知る人は少ないであろうが、1960年代後半は全米一番のバンドで、1966年~1967年にかけて出した4枚のアルバム全てがビルボード1位を記録したほどである。彼らの大ヒット曲「デイドリーム」は様々なミュージシャンにカバーされ、国内でも忌野清志郎の持ち歌になっていたので耳にした人は多いはずだ。
 私の母親は浅草育ちの生粋の江戸っ子、ハイカラで好きなミュージシャンはグレンミラー、フランクシナトラ、アンディウイリアムス、プレスリーそれにスパイダース。モンキーズも母親の影響で聴き出し、と言おうか、テレビの「ザモンキーズショウ」に夢中になり、ファンクラブにも入っていたほどだ。私の音楽歴はスパイダースから始まるが、アルバムを自分のお金で買い、とことんはまった最初のミュージシャンがモンキーズであった。彼らは私の音楽の原点であり、今でも数年間隔で聴きたくなる。
 自他共にモンキーズブームが去った1970年代=私の中学生時代、が始まると、一気に音楽の視野が広がる。ビートルズ(かろうじて現役)、サイモンとガーファンクル、カーペンターズ、CCR、スリードッグナイト・・・、ビルボードのトップ10に一喜一憂し、やがて衝撃のレッドツッペリンに出会う。
 さて、私がモンキーズにはまったのは単にブームに乗ったからではない。楽曲の質の高さだ。まるで音楽の玉手箱、美しいメロディーが泉のように次から次と湧きだしてくる。また、メンバーのマイクネスミスもかっこいい。
 実はモンキーズはビートルズに負けっ放しのアメリカ音楽業界がそれに対抗するべく作り出したバンドで、メンバーはオーデションで選ばれた。そして全米のもの凄い作曲人が彼らの音楽を手がける。ボビー・ハート&トミー・ボイス、キャロル・キング&ジェリー・ゴフィン夫妻、ニール・ダイアモンド、ジョン・ステュアート、バリー・マン&シンシア・ウェイル、ハリー・ニルソン、ビル・チャドウィック、ポール・ウィリアムス、ジェフ・バリー、キャロル・ベイヤー・セイガー、ニール・セダカ・・・。音楽が素晴らしい訳である。
 また、さらに凄いのはメンバーの中で唯一の真のミュージシャンであるマイクネスミスが、最も多くモンキーズの曲を出がけでいることだ。その作曲数は全体の2割に当たる20曲を越える。さらに彼は他のメンバーと違って、モンキーズ脱退後もカントリーブルースのミュージシャンとして成功を収める。彼のファーストナショナルバンド時代の「ひとりぽっちのライオン(The Crippled Lion)」は大好きな曲だ。


これが愛するモンキーズ。マイクネスミスは右端。



Daydream Believer /The Monkees(Official Music Video)
https://www.youtube.com/watch?v=xvqeSJlgaNk



デイドリーム・ビリーバー/清志郎 with タイマーズ
https://www.youtube.com/watch?v=x8PK6dPH14c



The Crippled Lion/Michael Nesmith & The First National Band
https://www.youtube.com/watch?v=-1hjB5-97eU



左からキャロル・キング&ジェリー・ゴフィン元夫妻、ニールセダカ:余談であるが、モンキーズの作曲人に加わった偉大なミュージシャンであるニールセダカとキャロルキングは関係が深い。セダカの代表曲であるオーキャロルはなんとキャロルキングのこととか。世の中は繋がっているのね。


モンキーズのお気に入りの曲をピックアップ。曲はアルファベット順、リストは曲名と作曲者。

極めて普通に見られるというチヂミウスコモンサンゴは普通ではなかった話

2019-05-14 | 雑感

Montipora aequituberculata(宮古島産)

 薄い葉状群体を形成し太い縦筋を持たない代表種にチヂミウスコモンサンゴ Montipora aequituberculata があり、一般的なサンゴ同定のバイブルである日本の造礁サンゴ類(西平・Veron, 1995)とCorals of the World (Veron, 2000) には普通種と書かれている。特に前書には「礁池では群落を形成し極めて普通に見ることができる」とある。ところが、沖縄ではめったに本種には出会えない。
 オニヒトデの大発生によって八重山諸島からサンゴが消失した1980年代以前には、確かに、私が学生時代からフィールドにしていた黒島の礁池にも葉状コモンサンゴ類の幻想的な純群落が見られた。これがチヂミウスコモンサンゴであったかもしれないが、以降、沖縄でこのような極相群落に遭遇したことがない。それでは、本種に出会えないのは少なくなったためかというと、そればかりではない。
 コモンサンゴ類の研究課程で、葉状形をなし太い縦筋を持たなものは、国内に少なくとも5種以上いることがつかめたが、これらを整理する上で障壁となったのが核となるチヂミウスコモンサンゴの正体が確かめられないことであった。というのは、原記載(Bernard, 1897)に図が掲載されていなかったからである。後にタイプ標本を直接調べる機会を持ったが、残念ながらタイプ標本は6cmほどの小破片、しかもゴツゴツ・ガサガサとしていてイメージしていたものとは大きく異なった。それでもなんとか形態で関連標本の整理を付けて遺伝子解析を行って検証したところ、チヂミウスコモンサンゴに同定した標本群は大まかに3つの系統に分かれてしまった。そのため、どの系統が真のチヂミウスコモンサンゴであるかの検討を余儀なくされたが、この課題は優先順位の関係で先送りされ長期休眠状態となっていた。
 前回も触れたが、今、葉状型コモンサンゴの見直しを進めており、冬眠していたチヂミウスコモンサンゴ種群も1週間程前に満を持しての登場となった。その再検討作業が、多くの所属不明標本を残しながらも昨日片付いた。結果は以下の通り。
①本種は沖縄方面では稀、小笠原諸島では普通。西平・Veron(1995)で「極めて普通」とあったのは、複数種を混同したせいかもしれない。
②本種の最大の特徴は、個体が接着管状をなして前方に傾斜し、個体後背部から微小突起が庇状に長く伸びて個体を被うこと。学名「aeque(等しい)+tuberculum(微小突起)」の通り、一部を除いて微小突起の太さはほぼ等しい。
③Veron & Wallace(1985)とVeron(2000)のM. aequituberculataはOKとする。
④西平・Veron(1995)のM. aequituberculataは、上段と下段の写真は別種(たぶんM. delicatula)、中段は微妙。
⑤チヂミウスコモンサンゴの和名を担うのはM. aequituberculataではなく別種(たぶん未記載種)であり、M. aequituberculataには新たな和名が必要。


Montipora aequituberculata(小笠原母島産:典型的な渦巻状群体)


Montipora aequituberculata(母島産:不規則な群体)




Montipora aequituberculata(母島産):個体と付属突起の様子。個体は横を向きしかも突起に被われるため表面には見えない。


Montipora aequituberculata(小笠原父島):二見岩前水深20mで見られた極相群落


上の写真撮影時に遭遇したシロワニの大物。ラッキーでした。



チヂミウスコモンサンゴの和名を担う標本(黒島産、日本ウミガメ協議会黒島研究所所蔵):和名の提唱は内田・福田(1989)。この標本は表面の構造が滑らかで、M. aequituberculataの特徴が見当たらない。既知種では該当するものがない。



カカンコモンサンゴ(未記載種:小笠原父島産):チヂミウスコモンサンゴに最も近いのはこの種。小笠原諸島の固有種だと思っていたが、チヂミウスコモンサンゴと同種となると、黒島の標本を調査しなければならない。