goo blog サービス終了のお知らせ 

クチヒゲノムラガニの生態

退職し晴耕雨読的研究生活に入った元水族館屋の雑感ブログ

違和感のある風景

2020-01-22 | 雑感



 椎間板ヘルニアのリハビリと体力維持を兼ねて90分ほど、約8000歩のウオーキングを日課としている。良く歩くのが熊野古道を通って橋杭岩に抜け、海岸でフィッシュ&バードウオッチングしながら戻るコースである。昨日もこのコースを歩いていたら、インバウンドで賑わう観光地にしては異質な光景に出くわした。名勝「橋杭岩」の沖に5隻ほどの軍艦が集結している。軍事演習か、それとも何かのトラブルか。マニアならたまらないところであろうが。

今も残る古熊野神社

2020-01-05 | 雑感
 昨年末の話。妻から「地域テレビの番組で小口(新宮奥)に苔むしたきれいな高倉神社という所があるのを見たので行ってみたい」との提案があった。調べると高倉神社は新宮に限らず串本町も含め県外にもいくつもある。小口周辺だけでも7つもあり、妻情報では小口奥とだけであったので、番組に登場した場所に行き着くまでは行けるところは全部行ってみるつもりで出発した。
 さて、小口自然の家を過ぎると道幅は急に狭くなり、片側は山、片側はガードレールなしの谷底となり、対向車が来るのがとても恐ろしいが、年末なので行き交う車はほとんどない。最初の2つの神社はすぐに分かった。鳥居と社殿があり、一般的な形式を備えていたが、目指す場所ではなかった。3つ目からは何回も道を間違え探索は難航した。3つ目はスマホに記載がないもので、対岸から鳥居だけ見えたので近くに車を止めて訪れた。驚いたことに案内表示も神社名の表示もなく、管理も十分ではなかったが、一応の社殿はあった。残念ながらこちらも目指す所ではなかった。時間的に今回は次で最後にしようと決め、スマホが使える小口まで戻って場所を確認して再度探索を始めた。今度の小道はこれまでで一番谷底が深く、危険度は高いが期待感が持てる。小口から出発して車で20分ほどでカーナビは目的地を示したが案内表示が全くない。川に下りる道を探し出し、川に着くと対岸の集落跡に渡る橋は朽ち果て、行き止まりとなる。たぶん神社は対岸であろうと見当を付け、苦労して河原に下りると、対岸にはそれらしいものは見えない。あきらめて戻ろうとした矢先、妻が川端から続く山道を発見した。木製の階段や手すりは全て朽ちていたが、急傾斜のりっぱな石段が伸びている。ここかもしれないと喜び、滑り落ちないように注意しながら階段を登りきると、そこには厳かな「神社」があった。
 鳥居も社殿もない。正面にいくつかの石を積んだ石祠のようなものが並んでいるが、木製の厨子のようなものはない。そして、一切の表示がない。ただし、つい最近、神事が行われたようで、石段の上には白紙が敷かれ、石段の横には真新しい榊が立てられていた。
 元々、熊野信仰は山なり、巨岩なり、滝なりの自然物を神として崇拝した。神は自然に存在するため、社殿も鳥居も必要ない。そして、この高倉神社は熊野信仰の古形態を今にとどめ、地域のみの信仰として脈々と受け継がれてきたのである。
 今ある多くの熊野神社は、人が想像した神を祭る形態に改変されたが、その中間が社殿や鳥居がある一部の高倉神社なのであろう。なお、最も原始的な4番目の高倉神社に、神社名も案内表示もなかったのは、よそ者の参詣を望まないためである。我々はここに来てはいけなかったのかもしれない。ここで土地の人に出会わないでよかった。なお、この神社も妻の目指す場所ではなかったようで、探索は年越しとなった。
車道から見下ろした谷底。美しい清流が続く。
車道から川に下りる参詣道。趣のある苔むす道。
集落を結んだかつての橋跡。
隠れるようにあった参詣道。急勾配の石段。
熊野信仰の原始的形態を止める高倉神社。鳥居も社殿もない。
いろいろな苔が見られました。さすがは熊野の山奥。その一部を紹介。