弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

ガザから始まるフラグメンツ(逆接の)

2009年02月17日 | パレスチナ/イスラエル


 ガザの情勢は一段落ついた、と思う。だけど、今こそガザについて書こうと思う。



 イスラエル軍とガザ武装組織の戦争は一応「停戦」になったかもしれない。だが、ガザに対する「一方的な戦争」は進行中である。
 兵糧攻めは「停戦」ではありません  (モジモジ君の日記。みたいな。より)


 村上氏のこと

村上春樹さんに「エルサレム賞」=スピーチでガザ侵攻を批判
2月16日6時47分配信 時事通信

 【エルサレム15日時事】作家の村上春樹さん(60)は15日、イスラエル最高の文学賞「エルサレム賞」を受賞し、エルサレム市内の会議場でスピーチを行った。村上さんは、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ侵攻を批判、日本で受賞をボイコットすべきだとの意見が出たことを紹介した。
 村上さんは例え話として、「高い壁」とそれにぶつかって割れる「卵」があり、いつも自分は「卵」の側に付くと言及。その上で、「爆弾犯や戦車、ロケット弾、白リン弾が高い壁で、卵は被害を受ける人々だ」と述べ、名指しは避けつつも、イスラエル軍やパレスチナ武装組織を非難した。

 もう少し詳しい要旨は下記に紹介されている。
 中国新聞・詳報
・・・・「壁の名前は、制度である。制度はわたしたちを守るはずのものだが、時に自己増殖してわたしたちを殺し、わたしたちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる」・・・・
 これもスピーチのオリジナル全文ではないので、本当の細かいニュアンスなどはわからないけれど、あくまでこれら現時点の要約記事を読む限りでの感想を書く。

 辞退を勧める日本国内の声に言及してくれたことは、素直に嬉しく思う。だが、しょせんこれだけなのだろうか、彼という「作家」は。
 結局エルサレムに赴いて賞を受け取るという行為自体が、「卵」の側につくこととどう整合するのか、という、最もあからさまな矛盾については、特に説明されていないようで・・・・普通に考えて、エルサレム賞こそが村上氏言うところの「制度」であり、賞を受けることはその制度と一体となることではないのか。
 村上氏は、いつも自分は「卵」の側に付く、と言う。だけど、ガザでの交戦双方の暴力を等価なものとして語るこうした言説、どこにもいない人に向けられているかのような、誰も傷つけることのない「苦言」の域を出ない言説によって、彼はむしろ見事にパレスチナを覆う無理解という「高く固い壁」の一部に成り果てた、と僕は思う。
彼が何であるかということは、彼が自分についてどう考えるかによって決まるのではない」(マルクス)

*村上氏の受賞スピーチについては次エントリーで取り上げ直しました(2/17)。



 「一方的な戦争」は「戦争」と呼べるのか。僕は呼べないと思う。リンチであり、虐殺であるものを、「戦争」と呼んでいいのだろうか。よくないと僕は思う。
 パレスチナにおける非対称は、「強い方と弱い方が戦っている」というレベルを超える、圧倒的なものだ。それはたとえば、イスラエル国民を対象にしたアンケート調査で、90%が空爆を支持したとされる(僕はその数字は誇大だと今でも思っているが、それはさておき)、そんなのん気なアンケートを戦争の最中にする余裕がある一方と、アンケートをするどころじゃなく、住民こぞって逃げ惑っている他方という、その状況を見ただけでわかろうものだ。
 圧倒的な非対称、その背後にある意味については稿をあらためて書きたい。


 ジャン・ジュネ「パレスチナの人たち」から
 村上氏の話を書いていて、昔古本屋で買った本の中の、ジャン・ジュネの文章を思い出した。その本は、第四次中東戦争(1974年)の後の75年に刊行された『パレスチナ PLO編集協力/三留理男報告』(現代史出版会)という、時代がかった本である。
 PLOが武闘路線イケイケだった頃の本だから、軍事教練に励むパレスチナ・コマンド(後方の少年・少女兵も含む)の写真などが多数収録されている。それら、今となっては痛々しい写真だけでなく、コラムやPLOの幹部たちの討論など、おしなべて「反動的暴力に対する回答は革命的暴力しかない」というトーンでまとめられているのは、正直今読むと遣る瀬無い気持ちにさせられる。
 そんな中で、ジャン・ジュネの書いたものには、そうした「革命的暴力」を肯定しながらも、それ以上の何かを見据えているような、冷ややかでいて、「人間」に対する信頼に満ちたまなざし(フランツ・ファノンにも通じるような)を感じたものだ。「パレスチナの人たち」と題されたその文章は、自身の現地での滞在記を交えた、半分紀行文・半分革命論、のような形を取っている。出典は不明だが、おそらくフランスの雑誌に掲載され、その後PLOの機関紙に転載されたようなものだろう。
 村上氏は「壊れやすい卵」「高い壁」などの言葉を用いることによって、作家の面目を果たしたつもりかも知れない。僕も実際、それらの言葉の持つ高い喚起力は一定程度評価できる。だが、パレスチナの現実と、それが現代人すべてに意味するものを喚起する、それが最上のイメージだとは思わない。僕には、ジュネが70年代の前半に書いた文章の方が、2008-09ガザ侵攻を迎えた現在も色褪せず、喚起するものが大きい。「個人の自由・尊厳をテーマに取り組む優れた作家」に送られるエルサレム賞は、ジャン・ジュネにこそふさわしかったかも知れない(が、もちろん委員会はジュネを選ばなかったし、万が一選ばれてもジュネは受けなかっただろう)。

・・・この闘争のもっとも鋭い焦点に浮かび上がってきたことは、この紛争が、もはやシオニズムと帝国主義にたいする闘争であるばかりでなく、暴圧的道徳、西欧の「諸価値」を生みだし、同時に人種主義、反ユダヤ主義、資本主義、各種各様の帝国主義にたいする闘争に転化したという意味で、自分自身をこえ出てしまったという事実であるように、私には思われる。それは暴圧的に自分自身をおしつける道徳なのである。第三世界における──そしてパレスチナにおける──今日の爆発のめざすものは、すべて、非難を表現するために用いられる言葉との対決であるように見える。なぜなら、この道徳は、まず言語を汚染することによって影響力を拡げはじめたからだ。[・・・・]
「自由世界にたいするメイヤー女史(*注)のよびかけ」(『フィガロ』紙、72年9月13日)──この見出しは、パレスチナが自由でないことを暴露するばかりではない。それはまた「自由世界」──イスラエルはその一部である──は、「自由世界」によって手足をがんじがらめにされ、さるぐつわをはめられ、衰弱させられ、強盗されている世界と絶対に混同してはならないということをも主張しているのだ。編集者は、自分でも気づかずに、ひとつの証拠を提供している──「自由世界」は、パレスチナの「すべてを喪失した状態」に対抗するために、その軍隊、その銀行、その監獄、その男根のような摩天楼等々を持っているのだという証拠を。
 (訳・武藤一羊、太字はレイランダー)

*注 メイヤー女史・・・当時のイスラエル首相、ゴルダ・メイア。

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