弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

言論・行動をめぐるスタンスについて

2009年10月22日 | Weblog
 前々から、もうはるかに前々から気になっていたテーマについて書いてみる。うまくまとまる自信はないけれど、これ以上溜めていても自家中毒を起こしてしまいそうだから。
 ここでは僕のブログに寄せられる、いわゆる否定的なコメント、喧嘩腰のコメント、嫌がらせのコメントの中に、しばしば混じっている「あるパターン」について、いちいち個別に反論するのが面倒くさいので、まとめて書いておこうと思う。それがテーマ(全体)を考えるきっかけというほどでもなく、テーマについての一つの見解に過ぎないのだが。

 それは、僕がその仲間と目されている(笑)「サヨク」系の人物や団体が、何らかのスキャンダルを抱えているといった、よくある「チクリ」パターンのコメントである。たとえば、平和運動や人権問題に携わっていた人間が事件を起こしたとか、犯罪に手を染めているとか、怪しい団体から金をもらっているとか。最近コメントを取り上げた、「ジブリはお前がボイコットしているディズニーと提携している」「宮崎駿は実は兵器マニアだ」なんていうのも、まあまあこのパターンに含まれるだろう。この人なんかは、もう1年以上前から同じジブリネタでコメントをくり返し送りつけてきていた。アホらしいからいちいち読まずに削除していたのだが。
 要は、僕がこれは素晴らしい、大切なものだと評価する作品なり活動なりに対して、しかしその担い手が「実はこういう汚点がある」「こういう二面性がある」とイチャモンをつけたい。そして、それを見て見ぬふりをする偽善ぶり、二重基準を指摘すれば、このいけ好かないレイランダーという奴の評判を落とすことができる、その主張を信頼に値しないものとすることができる、と考えているらしい。

 こういう思考パターンというのは、もちろん大昔からある。世間のゴシップネタの氾濫を見れば、要するにそれと同じ発想が成功者に対するやっかみなどと結合して、あら捜しの欲求のベースを形作っているのだとわかる。ただ、ネットの匿名言論の気軽さを足場にして、その量と勢いがかつてなく増幅・膨張している社会というものがあって、僕のブログにもその波の一端が届いている、ということかも知れない。
 ちなみに、匿名の言論自体が悪いとは、僕はちっとも思っていない。僕自身ネット上ではハンドルネームを使っていて、決して今後も本名を出すつもりはないし、他人にそれを求める意志もない。本名なんて知ってどうする、と思っているくらいだから(理由はそれだけではないが・・・いつか書くかもしれない)。
 とにかく、そういうことではなく、別のことが引っかかっているのである。

 ある人物や組織などが、何かよからぬ問題を抱えている、という噂を、僕はしばしば見聞きする。そうした噂とまったく無縁である人間・組織というものを思い浮かべるのがほとんど困難なほど、しょっちゅう見聞きする。
 で、それらが噂の段階を通り越して、事実であることがわかった時、僕はどう思うか。
 「よくないな。是正してほしいな。」と思うのである。当たり前だけど。つまんなくてごめん・・・。

 もちろん、時には「是正」では済まないレベルの悪事が露呈することもある。しかしそんな場合、普通悪事の当事者はすでに警察の厄介になっているだろう。警察が当てになるかとか、なんでもかんでも警察権力におもねることの是非はさておき、世の中大体そうなってるよね、というだけの話だが。
 で、・・・だから何が心配なんだ?と思うわけである。

 ここで「人間誰しも欠点がある──完璧な人間などいない」なんていう手垢の付きまくった真理を、持ち出す必要はない。そんなことはもう、気絶しそうになるほど当たり前のことだ。たとえば僕がある人物の作品や活動を評価する際にだって、別にその人を「この人って完璧だよね!バンザイ!」と持ち上げたことはないし、そんな欲求を抱くことすらないのである(あ、当たり前だ・・・・)。
 ところが、前述のような、広い意味でのスキャンダル・ネタで揺さぶろうとする人達というのは、そんな僕のスタンスがまるで見えていないかのごとく、同じパターンのイチャモンで攻めてくるのみ。それが僕には不思議で仕方ないのである。いや、彼らからすれば、僕の方がよほど不思議なんだろうか?
 だとしたら、相手が悪かったというべきか。僕はある人間が「悪い奴」であるかどうかなど、大して気にしない男なのである。その人が「悪い奴」だから気に入らないのではなく、僕の気に入らないことをするから気に入らない、というタイプなのである(どういう説明だ)。

 昔からロックに馴染んできたことが、ここでも影響している気がする。僕が好きなロック・ミュージシャンで、いわゆる「善良な市民」タイプの人間はあまりいない。というか、大体一歩間違えれば犯罪者とか、ほんとに犯罪者であるタイプが多い。
 たとえば、酒井法子のファンであった人達は、彼女が麻薬で捕まったことをもって、二度と彼女の歌を聞きたくない、映像作品など見たくない、のであろうか。前述のイチャモン・パターンの人達ならそうだろう。そうでないと辻褄が合わない。
 だけど、たとえば70年代にアメリカのルー・リードというロック・シンガーは、ステージの上で、客の見ている前でヘロインを注射していたのである。そんなエピソードは、ロック方面では山ほどある。
 別に麻薬の害を見くびったり、まして麻薬を称揚するつもりはさらさらない。ただ、昔から僕が認識しているのは、どうあれルー・リードは素晴らしいアーチストであり、彼の(もっぱら若き日の)蛮行の数々をどんなに否定的に見ても、彼が世に送った楽曲の魅力は微塵も揺るがない、という事実である。うわあ、これも気絶しそうだ・・・。

 まあロック・ミュージシャンの場合、元々カタギとは言いにくい存在だったりするので、それと品行方正を売りにしている政治家や、いわゆる「マジメな」活動をしている運動家などを同列で語るのは乱暴というか、脱線した話かも知れない。そういう人達はルー・リードより、酒井法子に近い存在かも知れないから(この喩え自体が乱暴だという話も・・・)*。
 それでも、僕の基本的スタンスは変わらない。人間が善良であるかどうかより、やっていることが面白いか、考え方が参考になるか、そこにある願いを共有できるか、といったあたりを自然と重視する。重視しようと思うまでもなく、そうなってしまう。

 逆に、何らかのスキャンダル的なものを抱えていたらその人物の仕事や主張はオール・アウトということなら、じゃあそのルールに合致する完璧な人物がどこかにいるのか?という話になる。
 たとえば、僕が評価するサヨクの何某はかくかくしかじかの汚点がある、ゆえに胡散臭い。ならば、それを指摘するあなたの好きなウヨクの何某は、あるいは中間派の(?)何某は、汚点ゼロなのか?
 どう考えたって、そんなわけがない。権力は必ず腐敗する・絶対権力は絶対的に腐敗する、の金言どおり。誰だってそれに薄々感づいている。僕が日頃批判したり揶揄したりする対象は、だから自動的に「そっち側の人達」=権力者になってしまうことが多い。それを、「サヨク」の言いがかりは信用できないと怒る人達は、しかし真っ向から反論することが稀で、おまえの好きな○○だって実は・・・というパターンのイチャモンに終始する。それは、実は彼らも権力側の問題について、とてもじゃないが擁護し切れないとわかっているからなんだろう。だから、彼らは誰も本当には信じているわけではないのかも知れない。

 ちょっとでも汚点があったら、もう信じることはできない。だからワタシは信じるものがない。それが現実。
 ところがここにレイランダーという、誰かを信じている奴がいる。よーし、いたぶってやれ・・・・という発想なのだろうが、あいにく僕も別に「信じて」なんかいない。信じるものがなくたって、これはいいなと評価できることはたくさんあるから、それを書いているだけ。信じるものがなくたって、少しは何かを信じたいなという心の基層のようなところで、現実に何かに感動できるのだから、それに感謝しているだけ。信じるものがなくて不安だけれど、不安なままでも結構酒がうまいから、酔っぱらっているだけ。
 それ以上何を望むというんだろう?贅沢は敵だ(笑)。

 「人間は究極のところ、自身の問題を体現する存在だ」(G・カナファーニー)、という言葉がある。人物の善良さに疑問符を付けることによって、その人物の主張を丸ごと潰せると思う人達というのは、自身が日頃「善良でなくてはならない」という社会の圧力に過度に怯えながら生きているのでないだろうか。
 その前に、本当にまともに人と付き合えているのだろうか?ネットにおける、人物のあら探しに身をやつすふるまいを見るにつけ、生身の人間のリアリティが欠落している寒々しさをまず感じてしまう。
 「○○には二面性がある」と言われても、「それが何か?俺なんか(自覚しているだけで)6、7面性くらいありますけど」と応えてしまう。僕はそういう男だ。
 この話にはヴァリエーションが多く、これだけが結論というわけでもない。また書く。

*あとで気づいたが、一般的にこういう話の例としては、ルー・リードなどより、サッカーのディエゴ・マラドーナを挙げた方がわかりやすかったかも知れない。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
同感です (ところ)
2009-10-23 20:43:20
最近は傷つきやすい人が多くなっているんでしょうか。ちょっとしたミスを指摘しただけで落ち込んだり逆切れしたり、或いは些細なミスをしただけで部下の存在を全否定する上司がいたり…。

ナイーヴなのはその人の性格だとは思いますが、度が過ぎて周りの意見に耳を貸さなくなると致命的なミスを犯しがちになることに気づいて欲しい。完璧を求めるってことは現在の北朝鮮や戦前の日本と何ら変わりはないのだから。

レイランダーさん(や好意的なコメントを載せている人間など)を攻撃しようとする人は「つっこみ力」をもっと鍛えてこいと言いたい。正直単なる反対意見や正論の垂れ流しは詰まらないんですよ。
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見た? (月の子)
2009-10-26 13:10:01
「パイレーツ・ロック」とゆう映画を見ました。まあまあ面白かったけれど、ちょっと「よゐこ」な映画で、まだまだ「ウエインズ・ワールド」や「スクール・オブ・ロック」には追いつかないな……というのが感想です。
レイランダーさんのブログと全く関係のないことを書いてますね、わたくし…。
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Unknown (レイランダー)
2009-11-05 18:26:08
お二方、レス遅れに遅れてごめんなさい。そのうちそのうち、って思ってるうちに忘れちゃって。

>ところさん
まあね、内容に関してここは違うとか適宜指摘してくれる人は、良心的と思える時もあればウザイと思う時もあって。それは受け取るこちらの度量にも関係することなんで、偉そうなことは言えないんですが。
「続反社会学講座」、面白いですねえ。一作目以上に傑作じゃないかと、個人的には思います。

>月の子さん
「パイレーツ・ロック」、筋だけは面白そうかなと思ってたんですが…がんばって観に行くのはやめておこうかな。後の二つは全然知らんです。調べておきます。
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