昔から僕は、「北方領土」の問題について、ロシアとの共有、もしくは国連信託統治によるロシア、日本の共同管理みたいなやり方ができればいいんじゃないか、という意見を持ってました。国際法上は日本の領土であるという主張がおおむね正しい、ということを認めたうえで、です。
でも、正しいからと言って日本のものだ、返せ!と言い張るだけ、というのはどうなのかなと。だって、あそこは元はアイヌ系の人たちが先住民として暮らしていて、江戸後期以降日本人が奪った(松前藩による統治。当初「明治以降」と記述したのは誤りでした。訂正します)──そのあとソ連人が奪った、わけです。一番正しい、というか、少なくとも「日本」の領有よりもっと正しいのはアイヌ先住民の領有のはずです。
そのアイヌ系の人は、今は日本とロシア沿海州の両方にまたがって生きています。だからそういう意味でも、近代国家の領有権の建前としてはロシアと日本の共有、だけど何よりそこにルーツのある人達の権利を最大限尊重して、というゆるい枠組みの領有を実現できたらいいのにな、と思っていたのです。またこの案は単に日露間の問題解決としてだけでなく、各地の領土問題で紛糾する世界にとってお手本になる解決なので、実現したらそれは日本人としてとても胸を張れることなのにな、と。
北方領土に比べると、竹島や尖閣諸島の問題なんてまだしも楽だな、と思ってました。というのは、竹島や尖閣には人が住んでいないので、すでに住んでしまっている人をどうするかという問題を考えなくていいからです。
居住者の問題が絡んでいないとすると、あとは島の周辺の資源をめぐる問題がほとんどということになるでしょう。
結論から言えば、これも僕は「共有」で乗り切れる、いや乗り切ってもらいたいという希望を抱いていました。ただしこちらは、「資源を獲らない共有」というようなスタイルがベターだと僕は思うのです。
この両地域では、まず漁業権を巡る対立が問題になっています。ということは、日本の主張が通れば日本が、韓国・中国の主張が通ればそれらの国が、思う存分魚を獲っていいことになります。ですが僕は、それはどっちに転んでも良いことだとは思えません。世界の漁業資源は年々貧弱なものになりつつあって、日本近海も例外ではないことはずいぶん前からわかっているからです。
たとえばここ
http://www.greenpeace.org/japan/ja/campaign/ocean/
もちろん漁師さんたちも経験を重ね、資源を獲り尽くさないように漁業を続けるにはどうすべきか、いろいろ知恵をひねっておられます。ですが、その努力とは別に、どうせ二つの国の間の領有をめぐって微妙な位置にある場所なら、いっそそこを禁漁区にする国際的な取り決めをしてしまったらどうか、と思うのです。島の周囲を禁漁区にしてしまえば、その周囲の漁業資源の保全・育成につながって、双方の漁業にとって得なことになるのではないでしょうか。
資源を使わない共有、というのはそういうことです。まず島を共同管理区域にする。そして島の周囲数海里のうち、たとえば日本側の数海里は相手国の保安船が、相手側の数海里は日本の保安船が監視を担当する、みたいにすれば、ズルが防げるのではないかと思います。
尖閣の場合は漁業だけでなく、海底資源の開発が絡んでる、そっちはどうするんだと言われるかも知れませんが、基本的にはそれも「開発はしない」前提の「共有」にしてもらいたいです。うちも使わないからそっちも我慢しなよ、というふうに交渉してほしいのです。
で、そんなの無理だ、やっぱり使いたいというのであれば、それも共同開発で、漁場の汚染なんかを引き起こさないようにゆっくりと、慎重に、経費も利益も折半でやっていけばいいと思います(これからの世の中、化石燃料の開発なんかに大金投じるのは元が取れるのかな、という気もしますが・・・)。
ちなみに、竹島・尖閣についても、国際法上のことから言えば、日本に理がある、少なくとも日本はそれほど理不尽な主張はしていない、と僕は考える者です。おおまかなイメージで言うと、北方領土が7:3くらいで日本の領有権主張に理があるとしたら、竹島は5:5、尖閣は9:1で日本に理がある、だろうと(いろいろ聞きかじったことを総合して、素人判断でそう思うのですが、異論がある人は情報教えてください)※注。
つまり尖閣はもちろん、竹島でも日本は充分領有を主張していいのだと僕は思っています。だけど、だからといってこれからの時代、ただ俺のだ!とったぞ!やったー!で済むのだろうか。日中韓だけでなく、世界のどこであっても、そういう「解決」よりベターな解決を考える時が来ているのではないだろうか。あえて法律上の所有権の「理」(*)を脇に置いてでも、お互いの子孫の未来のための「利」を第一に考えた時に何ができるか、ではないだろうか。
(*)実際国家領有の「理」は自然科学現象のような絶対の「理」として最初からあるわけではなく、個別の歴史的な経緯、政治的な力関係などが入り混じった化合物であることは言うまでもない。だからこそ中国首脳部などは、昔のようには乗り遅れまいと、今のパワー・バランスを頼みにして、わずかな根拠をブン回してでも取れるものは取っておけ、という強気の姿勢に出るのでしょう。
なぜそういう方向で話が進まないのか、と思うのです。僕には不思議でなりません。それで誰も損なんかしないのに(*1)。むしろ得をするうえ、世界に対してよい見本を示すことになり、とても意義深く、当事者国民としては誇らしいばかりなのに。
いやもっとはっきり言うなら、それ以外にここまでこじれた領土問題の出口などあるはずがない、とあらゆるキレイごとを排した上で/排するがゆえに、思うのです。
こういう話を書くと、すぐさま「国際関係の厳しさをわかってない、甘い」とせせら笑う知ったかぶりが登場しますが、そういう人の主張するやり方は常に結局のところ力による「正々堂々とした」解決です。力と言っても日本の場合は、経済力を盾にやんわりと恫喝し、それでも「力」が足りないとなると、アメリカの力を当てにしたりするわけです。ですがいずれにしろその後、日本の願いどおりに事態が好転したことなど、いつどこであったのか。「甘い」と言う人は、甘くないやり方を日本がいつどこで実行したか、実行した結果がどうなったかまでを、例をあげて説明してほしいものです(*2)。こちらは前例のないことをやるべきだと主張していますが、前例のないことを提案するのが一律「甘い」のなら、謹んで甘い考えをこれからも提案していきたいと腹をくくっています。
(*1)隣国とのあつれきによって立場が強くなる利害関係者、たとえば防衛関係者などには損だろう。
(*2)ただ、日本が国際司法裁判所に竹島の件を共同提訴しないかと韓国に持ちかけたことは、韓国が誘いを蹴ったにしても、とてもナイスな判断だったと僕は思います。実際に提訴しても勝てたかどうか、国際司法裁判所も万能ではないという話もありますが、本気で提訴しようとした、その姿勢を世界に示したのはいいことでした。その実績を事実として提示しながら、他の提案、決して相手を恫喝するような形でない、両者にとって損にならない提案を持ちかけていけばいいからです。
日本人に対してのみ言うのでありません。韓国人に対しても中国人に対しても、同じようにそれを言いたいのです。
確かにこの両国は戦争で日本に侵略された過去を持ち、「領土」とか「領有」に関して敏感に反応せざるを得ない、まして日本相手には特別な感情が沸き起こりやすいのは当然かもしれません。それでも、竹島をめぐる韓国人の一連のパフォーマンスや、尖閣で日本の巡視船を挑発する中国の漁民、ほとんど官製の「反日デモ」なんかくり広げる能天気な連中などは、まったく自分の国のことしか見えていないという点で、日本の嫌韓・嫌中の輩の同類にしか見えません。一言で言って恥ずかしい。日中韓の問題というのを超えて、何か人類全体を貶められたような疲労感を覚えます。
それが相手国だけにいる存在なら、悪口を言って済ませるのもいいでしょうが、自分の周りに同類を山ほど抱えている現状があっては、「怒り」が萎えて「疲れ」に変わっていくのに時間がかからないのです。今度のことでよくわかりました。領土問題をめぐって、自分の国の旗なんかを振り回す連中というのは、日本であれ中国であれ韓国であれ、その他どの国の人間であれ、おおむねクソであるということが。ええ、どんなに真面目で背筋の伸びたパフォーマンスであっても、クソはクソです。
それとは別に、みのもんたはクソです。クソのなかのクソです。ですが、この話は省略します。
もちろん日本人のみんながみんな領土問題をめぐる報道に煽られる間抜けでないのと同様に、韓国・中国にもプロパガンダに踊らされない冷静な人たちがちゃんといることは間違いありません。国旗を振り回すことなく、協力して何ができるかを摸索するオトナの人たちとのつながりを絶やしてはいけないと思います。
☆余談
尖閣諸島と環境の問題ということで言えば、この話はどれくらい知られているのだろうか?
1970年代に日本の右翼団体が領有権主張の既成事実作りのために、与那国島からヤギを持ち込んで放した。その後ヤギは野生化して増え、1990年代の段階で約300頭。食害によって島内24種の樹木が絶滅し、島は岩だらけの裸地になった。このことは台湾ではくり返し新聞等で報道されてきたという。(「決定版 日本の外来生物」平凡社より)
最近はどんな様子なんだろう。
注※ その後いろいろ調べた結果、この自分の中の割合はだいぶ変わってしまい、最近(2013年現在)では竹島3:7、尖閣6:4くらいに思うようになった。しかし、本文の論旨には変わる所はない。
でも、正しいからと言って日本のものだ、返せ!と言い張るだけ、というのはどうなのかなと。だって、あそこは元はアイヌ系の人たちが先住民として暮らしていて、江戸後期以降日本人が奪った(松前藩による統治。当初「明治以降」と記述したのは誤りでした。訂正します)──そのあとソ連人が奪った、わけです。一番正しい、というか、少なくとも「日本」の領有よりもっと正しいのはアイヌ先住民の領有のはずです。
そのアイヌ系の人は、今は日本とロシア沿海州の両方にまたがって生きています。だからそういう意味でも、近代国家の領有権の建前としてはロシアと日本の共有、だけど何よりそこにルーツのある人達の権利を最大限尊重して、というゆるい枠組みの領有を実現できたらいいのにな、と思っていたのです。またこの案は単に日露間の問題解決としてだけでなく、各地の領土問題で紛糾する世界にとってお手本になる解決なので、実現したらそれは日本人としてとても胸を張れることなのにな、と。
北方領土に比べると、竹島や尖閣諸島の問題なんてまだしも楽だな、と思ってました。というのは、竹島や尖閣には人が住んでいないので、すでに住んでしまっている人をどうするかという問題を考えなくていいからです。
居住者の問題が絡んでいないとすると、あとは島の周辺の資源をめぐる問題がほとんどということになるでしょう。
結論から言えば、これも僕は「共有」で乗り切れる、いや乗り切ってもらいたいという希望を抱いていました。ただしこちらは、「資源を獲らない共有」というようなスタイルがベターだと僕は思うのです。
この両地域では、まず漁業権を巡る対立が問題になっています。ということは、日本の主張が通れば日本が、韓国・中国の主張が通ればそれらの国が、思う存分魚を獲っていいことになります。ですが僕は、それはどっちに転んでも良いことだとは思えません。世界の漁業資源は年々貧弱なものになりつつあって、日本近海も例外ではないことはずいぶん前からわかっているからです。
たとえばここ
http://www.greenpeace.org/japan/ja/campaign/ocean/
もちろん漁師さんたちも経験を重ね、資源を獲り尽くさないように漁業を続けるにはどうすべきか、いろいろ知恵をひねっておられます。ですが、その努力とは別に、どうせ二つの国の間の領有をめぐって微妙な位置にある場所なら、いっそそこを禁漁区にする国際的な取り決めをしてしまったらどうか、と思うのです。島の周囲を禁漁区にしてしまえば、その周囲の漁業資源の保全・育成につながって、双方の漁業にとって得なことになるのではないでしょうか。
資源を使わない共有、というのはそういうことです。まず島を共同管理区域にする。そして島の周囲数海里のうち、たとえば日本側の数海里は相手国の保安船が、相手側の数海里は日本の保安船が監視を担当する、みたいにすれば、ズルが防げるのではないかと思います。
尖閣の場合は漁業だけでなく、海底資源の開発が絡んでる、そっちはどうするんだと言われるかも知れませんが、基本的にはそれも「開発はしない」前提の「共有」にしてもらいたいです。うちも使わないからそっちも我慢しなよ、というふうに交渉してほしいのです。
で、そんなの無理だ、やっぱり使いたいというのであれば、それも共同開発で、漁場の汚染なんかを引き起こさないようにゆっくりと、慎重に、経費も利益も折半でやっていけばいいと思います(これからの世の中、化石燃料の開発なんかに大金投じるのは元が取れるのかな、という気もしますが・・・)。
ちなみに、竹島・尖閣についても、国際法上のことから言えば、日本に理がある、少なくとも日本はそれほど理不尽な主張はしていない、と僕は考える者です。おおまかなイメージで言うと、北方領土が7:3くらいで日本の領有権主張に理があるとしたら、竹島は5:5、尖閣は9:1で日本に理がある、だろうと(いろいろ聞きかじったことを総合して、素人判断でそう思うのですが、異論がある人は情報教えてください)※注。
つまり尖閣はもちろん、竹島でも日本は充分領有を主張していいのだと僕は思っています。だけど、だからといってこれからの時代、ただ俺のだ!とったぞ!やったー!で済むのだろうか。日中韓だけでなく、世界のどこであっても、そういう「解決」よりベターな解決を考える時が来ているのではないだろうか。あえて法律上の所有権の「理」(*)を脇に置いてでも、お互いの子孫の未来のための「利」を第一に考えた時に何ができるか、ではないだろうか。
(*)実際国家領有の「理」は自然科学現象のような絶対の「理」として最初からあるわけではなく、個別の歴史的な経緯、政治的な力関係などが入り混じった化合物であることは言うまでもない。だからこそ中国首脳部などは、昔のようには乗り遅れまいと、今のパワー・バランスを頼みにして、わずかな根拠をブン回してでも取れるものは取っておけ、という強気の姿勢に出るのでしょう。
なぜそういう方向で話が進まないのか、と思うのです。僕には不思議でなりません。それで誰も損なんかしないのに(*1)。むしろ得をするうえ、世界に対してよい見本を示すことになり、とても意義深く、当事者国民としては誇らしいばかりなのに。
いやもっとはっきり言うなら、それ以外にここまでこじれた領土問題の出口などあるはずがない、とあらゆるキレイごとを排した上で/排するがゆえに、思うのです。
こういう話を書くと、すぐさま「国際関係の厳しさをわかってない、甘い」とせせら笑う知ったかぶりが登場しますが、そういう人の主張するやり方は常に結局のところ力による「正々堂々とした」解決です。力と言っても日本の場合は、経済力を盾にやんわりと恫喝し、それでも「力」が足りないとなると、アメリカの力を当てにしたりするわけです。ですがいずれにしろその後、日本の願いどおりに事態が好転したことなど、いつどこであったのか。「甘い」と言う人は、甘くないやり方を日本がいつどこで実行したか、実行した結果がどうなったかまでを、例をあげて説明してほしいものです(*2)。こちらは前例のないことをやるべきだと主張していますが、前例のないことを提案するのが一律「甘い」のなら、謹んで甘い考えをこれからも提案していきたいと腹をくくっています。
(*1)隣国とのあつれきによって立場が強くなる利害関係者、たとえば防衛関係者などには損だろう。
(*2)ただ、日本が国際司法裁判所に竹島の件を共同提訴しないかと韓国に持ちかけたことは、韓国が誘いを蹴ったにしても、とてもナイスな判断だったと僕は思います。実際に提訴しても勝てたかどうか、国際司法裁判所も万能ではないという話もありますが、本気で提訴しようとした、その姿勢を世界に示したのはいいことでした。その実績を事実として提示しながら、他の提案、決して相手を恫喝するような形でない、両者にとって損にならない提案を持ちかけていけばいいからです。
日本人に対してのみ言うのでありません。韓国人に対しても中国人に対しても、同じようにそれを言いたいのです。
確かにこの両国は戦争で日本に侵略された過去を持ち、「領土」とか「領有」に関して敏感に反応せざるを得ない、まして日本相手には特別な感情が沸き起こりやすいのは当然かもしれません。それでも、竹島をめぐる韓国人の一連のパフォーマンスや、尖閣で日本の巡視船を挑発する中国の漁民、ほとんど官製の「反日デモ」なんかくり広げる能天気な連中などは、まったく自分の国のことしか見えていないという点で、日本の嫌韓・嫌中の輩の同類にしか見えません。一言で言って恥ずかしい。日中韓の問題というのを超えて、何か人類全体を貶められたような疲労感を覚えます。
それが相手国だけにいる存在なら、悪口を言って済ませるのもいいでしょうが、自分の周りに同類を山ほど抱えている現状があっては、「怒り」が萎えて「疲れ」に変わっていくのに時間がかからないのです。今度のことでよくわかりました。領土問題をめぐって、自分の国の旗なんかを振り回す連中というのは、日本であれ中国であれ韓国であれ、その他どの国の人間であれ、おおむねクソであるということが。ええ、どんなに真面目で背筋の伸びたパフォーマンスであっても、クソはクソです。
それとは別に、みのもんたはクソです。クソのなかのクソです。ですが、この話は省略します。
もちろん日本人のみんながみんな領土問題をめぐる報道に煽られる間抜けでないのと同様に、韓国・中国にもプロパガンダに踊らされない冷静な人たちがちゃんといることは間違いありません。国旗を振り回すことなく、協力して何ができるかを摸索するオトナの人たちとのつながりを絶やしてはいけないと思います。
☆余談
尖閣諸島と環境の問題ということで言えば、この話はどれくらい知られているのだろうか?
1970年代に日本の右翼団体が領有権主張の既成事実作りのために、与那国島からヤギを持ち込んで放した。その後ヤギは野生化して増え、1990年代の段階で約300頭。食害によって島内24種の樹木が絶滅し、島は岩だらけの裸地になった。このことは台湾ではくり返し新聞等で報道されてきたという。(「決定版 日本の外来生物」平凡社より)
最近はどんな様子なんだろう。
注※ その後いろいろ調べた結果、この自分の中の割合はだいぶ変わってしまい、最近(2013年現在)では竹島3:7、尖閣6:4くらいに思うようになった。しかし、本文の論旨には変わる所はない。
私も、そんなに自分の領土にすることにこだわらない方がいいと思います。
これからの時代、他国との関係をもっと良くしていかなくてはいけないですし、
領土領土と騒いでる場合ではないと思います。
「だって元はと言えば日本の領土だもん」とか、
「日本が取った領土なんだ」
とか主張する人は、よく考えて欲しいです。そんなに領土にこだわるなんて、人間だけです。どの土地も地球のものなのに。
戦争は終わりました。
他国はもう敵ではないんです。
私だったら、自分の大切な物を友達や家族に欲しいと言われたら、一緒に使おう、と言います(大切じゃなかったらあげます)が、皆さんは違うのでしょうか。
お互いに協力して共有して欲しいのです。
実際に北方領土現地のロシア人は、日本人を歓迎しています。それは行ってみないとわからないですが、行ったことのある友人の話による現地のロシア人は、とてもいい方々のようでした。
そこのロシア人を追い出すなんて、あまりにむごいことです。ロシアがしたことと同じになってしまいます。
やられたらやり返すの時代は、終わったのです。
でも日本人も譲れないものがあるのはわかります。
だから、共有が平和だと思うのです。
ですがここ数十年間で、そのような考えが出なかったとは思えませんから、なんらかの大きな理由で共有はできないとされたのだと思っています。
できるのならもうしているんじゃないかと、思うのです。
やはり、私は勉強不足なのでわかりません。
案さえ出ていないのか、
できるのにやらないのか、
やろうとしないのか、
やったけどできなかったのか、
全然知らないので、どなたか教えて欲しいです。
ただ、長年解決できずに自分の領土だと言い張るのは、あまりに幼いと思ってしまいます。
幼いのは、私なのでしょうか。
他国の反日思想がこれ以上高まらないように、早く解決して欲しいと願っています。
領土問題なんて関わるのもおっくうで、何を言ったところで低級な政治言説に絡め取られそうで嫌だったのですが、それでみっともない姿をさらすとしても、あえて根本的なことを真顔で言わなきゃならない。そんなときもあるよな、と思って書いたのが上の文章です。内容にいちいち賛同できなくても、読んだ人それぞれの核にある「思い」を呼び覚ます形になってくれたら、何よりだと思ってます。