これは僕が5月の晴れた日に携帯で撮った森の写真。この森は「淵の森」といい、僕が毎日通勤の際に通る道の途中にある。こぢんまりとした、「森」というより「雑木林」程度の大きさだけど、地元の人達がこまめに手入れしているおかげで、四季を通じて生き生きとしていて、風情がある。そして、この森の保全運動の会長は、誰あろうあの宮崎駿なのである。
毎年2月頃に、森の一斉清掃と下草刈りが行われる。テレビのニュースなどで見たことのある人もいるだろうが、必ず宮崎氏はこの行事に参加する。
また、それ以外の時にも時折来ているようだ。僕は一度だけ、霧の深い晩秋の朝早く、森の出口から脇の歩道に出てきた氏と、ばったり会ったことがある。氏は丸首のセーターにジャケット、頭にニット帽のいでたちで、片手にくず拾い用のはさみ(あれ名前なんていうんだっけ?)を持っていた。僕は自転車で正面から氏の脇を通り過ぎたのだが、すれ違う瞬間まで氏だとは気づかなかった。
というわけで、運が良ければ宮崎駿がゴミを拾っているのに出くわすかもしれないという、世界的にも貴重な森なのである。
冗談はさておき、今この淵の森がピンチなのだ。
今の森は宅地開発の危機にさらされていた時に、宮崎氏と支援者の募金によって地主から買い取って公有地になったそうなのだが、今度は川を挟んだ対岸の緑地の開発計画が持ち上がっている。そこを宅地化されると、カワセミの巣が壊されるほか、両岸で一つながりの自然を形成している淵の森側にも影響が出る。何より川の生命力が損なわれるだろう(下写真右手が淵の森・左手が宅地予定地)。
この川は柳瀬川といって、「北多摩」方面の人なら誰もが知っている川だが、昔、僕が子供の頃は、ドブ川のイメージしかなかった。場所によっては橋を通る時など、においで「オエッ」となったものである。当時「釣りキチ三平」のファンだった僕は、「釣りに行く」といえば釣り堀か、電車で1時間以上もゆられていかなければ、釣りのできる場所などなかった。家から歩いて清流に出かける三平が、うらやましくてならかった。僕の生活圏内にあるのは、この柳瀬川にしてももう一つの「空掘川」という川にしても、ハエや蚊が飛んでいるだけの「ドブ」でしかなかった。
それが今では、(放流されたものだけど)鯉が20匹以上も泳いでいるのを、橋の上から見ることができる。去年は天然のアユが俎上しているのが発見されたという。
だからいって「清流」とは程遠いのだけど、少なくとも復元する方向には向いているのだ。昔を知っている者からすれば、それだけで快挙に近い。水質が改善されたのだろうし、それが沿岸の緑地にも活力を与える。そして森が活力を持てば、川に還ってくる養分も増えるという、好循環が起こり始める。川と森は、もともと一体のものだ。
そういうわけで、淵の森保全連絡協議会は、なんとか対岸の緑地も公有地化するために、募金を募っている(第一次の集計は5月末だったが、6月現在も続行中)。興味を持たれた方は、ぜひ上記サイトをのぞいてみてほしい。
もちろん募金云々は、何より地元の人がなんとかすべき問題だし、宮崎駿という強力なバックアップがついているのでなんとかなりそう、な気もする。ただ全国津々浦々、観光名所とかいった発想とは違うところで“地元”を守っていく、そのモデル・ケースの一つとして参考になることもあろうかと思う。
それに、この淵の森のケースがうまく運んだからといって、この地域の緑地環境は良好この上なし、というわけでもない。
たとえばこの川の少し上流部、僕の家により近いところでは、対岸に同じような雑木林があったのだけど、つい先月、何かの施設を作るためとかで切り倒された。そこの樹々も結構愛着があったので、僕的にはショックだった。相変わらずそういう事態は近在各所で進行している。また、流量もさほどでないこの川は、近郊の他の川同様、いつでも「瀬切れ」(流量が足らず、川が途中で分断されてしまうこと)の危険にもさらされている。すでに近所の別の川では数箇所、そういう場所が見られる。いずれも、必要性のわからない護岸工事を施された場所だが。
テレビのニュースで、宮崎氏が淵の森のことを「ここがなくなったら、このあたりはほんっとうにみじめな事になる」と言っていた、そんな怒気を込めた言い方をする背景には、楽観的になりようがない現実がある。すでに半分以上みじめな気持ちになっている僕は、毎日のようにそれを目の当たりにして知っている。そうだからこそ、自分の地元以外で起きている環境破壊にも痛みを覚えるという面があるのかも知れない。
淵の森についてはホームページのコラムでも書いたことがあるので、そちらもよろしく。
毎年2月頃に、森の一斉清掃と下草刈りが行われる。テレビのニュースなどで見たことのある人もいるだろうが、必ず宮崎氏はこの行事に参加する。
また、それ以外の時にも時折来ているようだ。僕は一度だけ、霧の深い晩秋の朝早く、森の出口から脇の歩道に出てきた氏と、ばったり会ったことがある。氏は丸首のセーターにジャケット、頭にニット帽のいでたちで、片手にくず拾い用のはさみ(あれ名前なんていうんだっけ?)を持っていた。僕は自転車で正面から氏の脇を通り過ぎたのだが、すれ違う瞬間まで氏だとは気づかなかった。
というわけで、運が良ければ宮崎駿がゴミを拾っているのに出くわすかもしれないという、世界的にも貴重な森なのである。
冗談はさておき、今この淵の森がピンチなのだ。
今の森は宅地開発の危機にさらされていた時に、宮崎氏と支援者の募金によって地主から買い取って公有地になったそうなのだが、今度は川を挟んだ対岸の緑地の開発計画が持ち上がっている。そこを宅地化されると、カワセミの巣が壊されるほか、両岸で一つながりの自然を形成している淵の森側にも影響が出る。何より川の生命力が損なわれるだろう(下写真右手が淵の森・左手が宅地予定地)。
この川は柳瀬川といって、「北多摩」方面の人なら誰もが知っている川だが、昔、僕が子供の頃は、ドブ川のイメージしかなかった。場所によっては橋を通る時など、においで「オエッ」となったものである。当時「釣りキチ三平」のファンだった僕は、「釣りに行く」といえば釣り堀か、電車で1時間以上もゆられていかなければ、釣りのできる場所などなかった。家から歩いて清流に出かける三平が、うらやましくてならかった。僕の生活圏内にあるのは、この柳瀬川にしてももう一つの「空掘川」という川にしても、ハエや蚊が飛んでいるだけの「ドブ」でしかなかった。
それが今では、(放流されたものだけど)鯉が20匹以上も泳いでいるのを、橋の上から見ることができる。去年は天然のアユが俎上しているのが発見されたという。
だからいって「清流」とは程遠いのだけど、少なくとも復元する方向には向いているのだ。昔を知っている者からすれば、それだけで快挙に近い。水質が改善されたのだろうし、それが沿岸の緑地にも活力を与える。そして森が活力を持てば、川に還ってくる養分も増えるという、好循環が起こり始める。川と森は、もともと一体のものだ。
そういうわけで、淵の森保全連絡協議会は、なんとか対岸の緑地も公有地化するために、募金を募っている(第一次の集計は5月末だったが、6月現在も続行中)。興味を持たれた方は、ぜひ上記サイトをのぞいてみてほしい。
もちろん募金云々は、何より地元の人がなんとかすべき問題だし、宮崎駿という強力なバックアップがついているのでなんとかなりそう、な気もする。ただ全国津々浦々、観光名所とかいった発想とは違うところで“地元”を守っていく、そのモデル・ケースの一つとして参考になることもあろうかと思う。
それに、この淵の森のケースがうまく運んだからといって、この地域の緑地環境は良好この上なし、というわけでもない。
たとえばこの川の少し上流部、僕の家により近いところでは、対岸に同じような雑木林があったのだけど、つい先月、何かの施設を作るためとかで切り倒された。そこの樹々も結構愛着があったので、僕的にはショックだった。相変わらずそういう事態は近在各所で進行している。また、流量もさほどでないこの川は、近郊の他の川同様、いつでも「瀬切れ」(流量が足らず、川が途中で分断されてしまうこと)の危険にもさらされている。すでに近所の別の川では数箇所、そういう場所が見られる。いずれも、必要性のわからない護岸工事を施された場所だが。
テレビのニュースで、宮崎氏が淵の森のことを「ここがなくなったら、このあたりはほんっとうにみじめな事になる」と言っていた、そんな怒気を込めた言い方をする背景には、楽観的になりようがない現実がある。すでに半分以上みじめな気持ちになっている僕は、毎日のようにそれを目の当たりにして知っている。そうだからこそ、自分の地元以外で起きている環境破壊にも痛みを覚えるという面があるのかも知れない。
淵の森についてはホームページのコラムでも書いたことがあるので、そちらもよろしく。