三宝寺池は石神井池より小さいが、自然本来の「池」の環境をより多く保っている、貴重な場所だということは、素人目にもわかる。生き物も当然ながら石神井池より多く、多様である。
僕は都内、特に西半分のいろいろな公園を訪れているつもりだけど、この三宝寺池ほど清冽な、「自然に任せた」感の強い場所はまず見たことがない。都内というより、高原のリゾート地にある池や湖を髣髴とさせる雰囲気がある。もちろんそれよりはるかに小さいのだが、その小ささを感じさせないくらい、密度の濃い自然がある。たぶん、ここの基本的な雰囲気は江戸時代あたりと変わっていないだろう。
池の真ん中が中の島のような湿地になっていて(写真左手)、様々な野鳥が羽を休めたり、ねぐらにしていたり。もちろん鳥だけでなく、カメもカエルも蛇も虫もいるが、そろそろ冬も近いので、そうした者たちは姿を隠してしまって、動き回るのは鳥ばかりという感じになっている。
いつも同じ場所の草の陰で、ゴイサギがじっとしているのを見かける。夜行性の鳥なので、昼間はもっぱら寝ているそうだが、それでも目を開けている状態しか見たことがなかった。が、この日は本当に目を閉じているところに出くわした。
下から上にまぶたが閉じるのだと、初めて知った。サギ類は全部そうなのか?ニワトリはそうじゃなかったと記憶しているが。(注)
それにしても、遊歩道から2、3メートル手前にこんな大きな生き物がいるのに、鳥に興味がない人は通り過ぎてもまるで気がつかない。草陰にカメラを向けている僕を、不思議そうにチラッと見るだけだ。でも、一年前までの僕も、通り過ぎる方の人だったのだ。
しかしそんな人ですら、アオサギくらい大きいやつが樹の枝に止まっていれば、さすがに気がつく。今年の夏に行った時(写真下)がそうだった。
通りすがりのおばさんが、「あれはツルですか?」と尋ねてきた。確かに、知らなきゃそうも見える。
池の周囲を回って反対側は、僕が勝手にタルコフスキー・ゾーンと呼んでいる風景が見られる。
ここだけで一冊写真集が作れそうなくらい、イイ感じの風景が続く。
タルコフスキー・ゾーンから斜面を上がった丘の上に公園があって、ここの野良猫たちに忘れず会いに行くことにしている。なんとなく、無事を確認しておきたいので。
左:猫の目線で撮ってみた。
右:この猫は前回会った時、両耳の裏と前足に血だらけの皮膚むき出しの傷を負っていた。猫同士か、カラスとでも喧嘩したのではないかと思ったが、わからない。今回会ったら、傷は完治していた。
ちなみに、この公園はカラスも多い。公園横の森が集団営巣地になっているようだ。二つのブランコに一羽ずつ、カラスが乗っているのを見たことがある。子どもが遊んでいるのを見たことはない。カラスと猫のための公園みたいでおかしい。
公園から下って、池に戻る。三宝寺池は場所によって植生が変わる。公園出口に近いあたりには一面蓮で埋め尽くされる場所があるが、今は秋なのでもう花はない。橋を挟んだ反対側は、葦が茂る一角である。バンはこういう辺りを好む。
また、遊歩道を挟んで池とつながっている、小さな湿地がある。貴重な自生の水生植物が慎重に管理されている。ここではコサギが、足を踏み揺らして獲物を追い出しながら歩いている姿をよく見る。
この湿地内の池に突き立ててある木の上には、しばしばカワセミがとまりに来る。その正面の遊歩道は、いつもカメラを構えた人が数人、多い時には10人以上も待ち構えている。カワセミだけが目当てというわけではない僕は、そこまでする気にはなれなかったが、この日はたまたま帰り際にその場面に遭遇できた。
ただ、普通のカワセミはもっと警戒心が強くて、こんなに人に観られるがままになっているものではない。ここのカワセミは、どうも写真を撮る人に慣れてしまっているような気がする。やっぱり綺麗は綺麗なんだけど、ちょっと興がそがれる、と言ったら贅沢だろうか。
一方、たくさんの人がシャッターを切っているカワセミの場所から、横に続いている茂みの中に、敏捷に動き回る小鳥の気配を感じたので、そこに目を集中してみた。
ウグイスだった。春じゃないからホーホケキョと鳴くこともなく、秋の三宝寺池の濃いメンバーの中では地味な存在だが、僕的にはこの日一番得したような気分にさせられた。
そんな風に石神井公園の、特に三宝寺池とその周辺(周辺には他にも見所があるのだけど、割愛した)は、行くたびに予想外の出会いや発見を与えてくれる。
注:友人からのメールで、「鳥の瞼はみんな下からじゃない?」と指摘を受け、調べてみたらその通りでした。そういえばインコやサクラ文鳥もそうだったよな・・・ニワトリ云々は単なる思い過ごしですm__m。
ついでに、「瞬膜」という、透明な瞼も併せて持っていて、まばたきはこの瞬膜でやっているということも初めて知りました。生き物は奥が深いっす。
http://www.birdfan.net/bw/hint/anzai/036.html
僕は都内、特に西半分のいろいろな公園を訪れているつもりだけど、この三宝寺池ほど清冽な、「自然に任せた」感の強い場所はまず見たことがない。都内というより、高原のリゾート地にある池や湖を髣髴とさせる雰囲気がある。もちろんそれよりはるかに小さいのだが、その小ささを感じさせないくらい、密度の濃い自然がある。たぶん、ここの基本的な雰囲気は江戸時代あたりと変わっていないだろう。
池の真ん中が中の島のような湿地になっていて(写真左手)、様々な野鳥が羽を休めたり、ねぐらにしていたり。もちろん鳥だけでなく、カメもカエルも蛇も虫もいるが、そろそろ冬も近いので、そうした者たちは姿を隠してしまって、動き回るのは鳥ばかりという感じになっている。
いつも同じ場所の草の陰で、ゴイサギがじっとしているのを見かける。夜行性の鳥なので、昼間はもっぱら寝ているそうだが、それでも目を開けている状態しか見たことがなかった。が、この日は本当に目を閉じているところに出くわした。
下から上にまぶたが閉じるのだと、初めて知った。
それにしても、遊歩道から2、3メートル手前にこんな大きな生き物がいるのに、鳥に興味がない人は通り過ぎてもまるで気がつかない。草陰にカメラを向けている僕を、不思議そうにチラッと見るだけだ。でも、一年前までの僕も、通り過ぎる方の人だったのだ。
しかしそんな人ですら、アオサギくらい大きいやつが樹の枝に止まっていれば、さすがに気がつく。今年の夏に行った時(写真下)がそうだった。
通りすがりのおばさんが、「あれはツルですか?」と尋ねてきた。確かに、知らなきゃそうも見える。
池の周囲を回って反対側は、僕が勝手にタルコフスキー・ゾーンと呼んでいる風景が見られる。
ここだけで一冊写真集が作れそうなくらい、イイ感じの風景が続く。
タルコフスキー・ゾーンから斜面を上がった丘の上に公園があって、ここの野良猫たちに忘れず会いに行くことにしている。なんとなく、無事を確認しておきたいので。
左:猫の目線で撮ってみた。
右:この猫は前回会った時、両耳の裏と前足に血だらけの皮膚むき出しの傷を負っていた。猫同士か、カラスとでも喧嘩したのではないかと思ったが、わからない。今回会ったら、傷は完治していた。
ちなみに、この公園はカラスも多い。公園横の森が集団営巣地になっているようだ。二つのブランコに一羽ずつ、カラスが乗っているのを見たことがある。子どもが遊んでいるのを見たことはない。カラスと猫のための公園みたいでおかしい。
公園から下って、池に戻る。三宝寺池は場所によって植生が変わる。公園出口に近いあたりには一面蓮で埋め尽くされる場所があるが、今は秋なのでもう花はない。橋を挟んだ反対側は、葦が茂る一角である。バンはこういう辺りを好む。
また、遊歩道を挟んで池とつながっている、小さな湿地がある。貴重な自生の水生植物が慎重に管理されている。ここではコサギが、足を踏み揺らして獲物を追い出しながら歩いている姿をよく見る。
この湿地内の池に突き立ててある木の上には、しばしばカワセミがとまりに来る。その正面の遊歩道は、いつもカメラを構えた人が数人、多い時には10人以上も待ち構えている。カワセミだけが目当てというわけではない僕は、そこまでする気にはなれなかったが、この日はたまたま帰り際にその場面に遭遇できた。
ただ、普通のカワセミはもっと警戒心が強くて、こんなに人に観られるがままになっているものではない。ここのカワセミは、どうも写真を撮る人に慣れてしまっているような気がする。やっぱり綺麗は綺麗なんだけど、ちょっと興がそがれる、と言ったら贅沢だろうか。
一方、たくさんの人がシャッターを切っているカワセミの場所から、横に続いている茂みの中に、敏捷に動き回る小鳥の気配を感じたので、そこに目を集中してみた。
ウグイスだった。春じゃないからホーホケキョと鳴くこともなく、秋の三宝寺池の濃いメンバーの中では地味な存在だが、僕的にはこの日一番得したような気分にさせられた。
そんな風に石神井公園の、特に三宝寺池とその周辺(周辺には他にも見所があるのだけど、割愛した)は、行くたびに予想外の出会いや発見を与えてくれる。
注:友人からのメールで、「鳥の瞼はみんな下からじゃない?」と指摘を受け、調べてみたらその通りでした。そういえばインコやサクラ文鳥もそうだったよな・・・ニワトリ云々は単なる思い過ごしですm__m。
ついでに、「瞬膜」という、透明な瞼も併せて持っていて、まばたきはこの瞬膜でやっているということも初めて知りました。生き物は奥が深いっす。
http://www.birdfan.net/bw/hint/anzai/036.html
答えるのが大変難しい質問です。僕は放射能の専門家でも何でもなく、もっぱらインターネットを通じて得た各方面からのデータを基に推測しているだけの一般市民です。
それをご承知で、個人的な推測でいいから聞きたいというのであれば、以下のような感じです。
・西武池袋線沿線(東京西部・北多摩地区)は、同じ都内の東部に比べて、空間線量は低い。
・石神井公園のあたりが、近辺の他の場所(駅前や、住宅街など)と比べて、特に線量が高いという情報には、今のところ接していない。それを言うなら、石神井だけでなく、水辺やほこり、ゴミのふきだまるような場所は、関東のどこであれ同じように「他の場所と比べてやや高い」のでは。
*これについては、僕が知っているものでは、たとえば以下のサイトで石神井近辺を調べてみるのはどうでしょう。
測ってガイガー http://hakatte.jp/
ただしこれは一般の人による調査結果で、機器の精度による差や、測定方法の不完全さなどは割り引かないといけない。
・家族構成によって、「危ない」の基準はだいぶ変わってくる。たとえばお子さんがいて心配なら、「なるべく水辺では遊ばせない」という方針を立てても、第三者が「大げさだ」と笑うことはできない。
ただ個人的には、都内西部の空間線量は心配するほどではなく、むしろ居住地域に関わらず、食品等からの内部被曝の蓄積が心配。石神井池で取れた魚を毎日食べるというのでもない限り(そんな魚は売ってないが)、石神井公園の近くだからどうこう、という心配はあまり意味がないのでは。
大体こんな感じです。あくまで素人の個人的意見ということで、参考にしてください。
>農業用の溜め池になるとまた違ってくるのかもしれませんが
夏頃に、埼玉の2箇所の溜め池を見てきました。川越の伊佐沼ってとこと、東松山の大沼ってとこ。
伊佐沼は周り全部コンクリートの護岸で、石神井みたいに小さくても自然の岸辺みたいな部分がないのが残念でしたけど、池の周辺は田んぼだらけで、鳥も多かった。大沼も基本的には似たようなもんでしたが、近くには小高い山もあるから、より自然豊富な感じでした。
ただ三宝寺池みたいに、思索を誘うような風情がなぜか足りないんですよね。・・・あくまで僕にとっては、ですが。スケールが小さくても、そういう風情に僕はこだわってしまうらしい。
ここで紹介されていたこともあって久しぶりに石神井公園に行ってきました。
都会の真ん中だけれどもそれほど人が多くないところが良かったです。
池は過度に人の手が加わってなくて落ち着いた感じが良かったですね。
山が好きなので湖に行くことも多いのですが、川が流れ出すあるいは流れ込む湖というのはやはり人の手が加わりすぎているという印象は否めません。小さくてもまた都会にあっても自然が感じられるという点で池は好ましいと思います。
関西のように農業用の溜め池になるとまた違ってくるのかもしれませんが。