ある秋の夕暮れ

　先週末、大型台風が去り、その吹き返しもすっかり治まった夕暮れ。仕事を終えて、職場から駅に向かう途中、住宅街の酒屋さんの前の自動販売機で缶ビールを買った。恥ずかしいことに、うちに帰るまで待てず、途中で飲んでしまう癖がついてしまっている。
　夕闇の中、ビールを持って歩き出したら、すぐ先の建物の補修工事現場のあたりで、酒屋のおばさんが工事のおじさんたちにビールを配っているのに出くわした。
　このおばさんは気前のいい人で、僕も何度かおつりをまけてもらったり、サービスで一本別の酒をつけてもらったりしたことがある。わたしも飲兵衛でさあ、くも膜下出血やらかしちゃって、医者からはほどほどにしとけって言われてんだけど、だめなのよ、飲んじゃうのよ、頭悪いからさ、バカだからさ、しょうがないのよ、・・・・などというおしゃべりに付き合わされるのが嫌なわけではなく、しょっちゅうまけてもらうのが申し訳ないから、普段は自販機の方で買うのだけど。
　この日の工事現場のおじさんたちも、なんでいきなり酒をくれるのか、ちょっと面食らってるみたいで、どうも、すいません・・・と口々に言いながら受け取っていた。おばさんは相変わらず、いいのよお、ご苦労さんだからさあ、あたしバカだからさあ、・・・・などといつものノリでいた。僕はその後ろをそっと通り過ぎて、駅に向かった。

　少し歩いたところで、大きな蛾ぐらいの大きさの、黒いひらひらしたものが頭上を舞っているのに気がついた。
　コウモリだった。二匹で、まだ暗くなりきっていない夕闇の空を、僕のすぐ頭の上、手を伸ばしてジャンプすればタッチできるかもしれないくらいの高さまで、羽虫を追って勢い良く滑空している。詳しくはないので、これが何コウモリというのか知らないが、昔は東京の都心の方、渋谷の駅前あたりでも見られたという話を聞いたことがある。僕の職場はそれよりはずっと田舎なので、時々こういう光景に出くわす。しかし道行く人は、僕以外誰も頭上を見上げていない。せっかくの見ものなのに・・・気づかないのか、それともこの近所の人は見慣れてるのか？前者ならもったいないな、と思った。

　駅前まで来ると、今度はチュルリチュルリと、ずいぶん綺麗な鳥の鳴き声が聴こえてきた。それも一羽でなく、3羽か４羽くらいが鳴き交わしている声だ。目を凝らしてみると、街路樹とその周囲を、白くて尾羽のやや長い鳥が飛び交っている。
　そのうちの一羽が聴き慣れた「チキキキッツ」という甲高い声で鳴いたので、ハクセキレイだとわかった。ハクセキレイは本来川原の鳥だが、人工的な空間が結構好きで、駐車場などでよく見かけるし、街路樹に群れで泊まって夜を明かすこともあるというから、こいつらもそれだだろう。
　それにしても、車の行き交うビル街でも良く通る透き通った声で、街灯に照らされながら派手に元気に飛び交っているのに、周囲の人は誰も気がついていない──あるいは気にしていない。コンビニの前でたむろっている女子高生たちも、座り込んで携帯で話している若い男も、仕事帰りのおっさんたちも、ＯＬたちも、誰一人頭上を見上げようとしない。
　もったいないな、という考えが、再びほろ酔い加減の頭の中に浮かんでいた。

　みんな、明日からの３連休のことで頭がいっぱいなのだろうか。どこぞの飲み会にくり出そう、どこぞのデート・スポットにくり出そう、そういうことに──僕だって、時にはそういうことを気にしている。でも特別な場所に行かなくたって、祝祭は目の前でくり広げられているじゃないか。世界は祝祭で満ちているじゃないか、常に。・・・・そんなことを言うと、「あなたは詩人ですねえ」などと皮肉られそうだが、ちょっと違う。僕は酒屋のおばさんと大して変わらないことを感じているだけだ。秋の夕暮れに心を寄り添わせて、誰かを、あるいは何かを、ねぎらいたいだけ。
　なーんて思った。