弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

反対派はどっちだ

2007年07月30日 | 言葉/表現
 辺野古での阻止行動中に命の危険に見舞われた平良牧師が、ネット上に出回っている事件の「証拠映像」について、それが問題の瞬間を捉えたものだという確証はない旨、声明を発表しているのはすでに多くの人が知っていることだろう。
 一応このブログでも、7月23日のエントリーで、琉球朝日放送のニュース・クリップのリンクを貼ったりしているので、何がしかの誤解を招く面もあったかも知れない。とはいっても、そのクリップではもともと誰が誰だかよくわからない「もみあい」の短いシーンで、ニュースの解説としても、これが「バルブを閉めた」問題の瞬間だと言っているわけではない。そういう意味では別に「誤報」を伝えたわけではないのだけど、平良牧師の声明は単に「誤報」への注意を呼びかける以上の、考えさせられる要素があると感じたので、遅ればせながら(本当に遅くて、「緊急」の要件を満たしてないけど)ここでも転載させてもらうことにした。
緊急声明「バルブ事件に関して」

 被害を訴えている平良夏芽です。多くの方々にご心配をいただいておりますが元気です。様々な情報が飛び交っておりますので、事実と、私の思いを公にしたいと思います。
 ことは、7月21日(土)午後12時30分頃に起きました。順を追って説明します。パッシブ・ソナーという機材を海底に固定するための台座の杭の打ち直し作業が行われようとしていました。作業ダイバーたちがタンクを背負って海に入ったので、私もタンクを背負って潜りました。14リットルのタンクに満タン(200)を確認し、バルブを全開にしてから半回転戻すという基本操作をして潜りました。
 皆さんに知っていただきたいのは、作業ダイバーが作業を強行する時もお互いの安全確認がなされていたということです。この日もダイバーのリーダーは、海底で何度も何度も私の安否を問うてきました。私が押しつぶされるたびに、私の目の前にOKサインを出して確認して来たのです。私のタンクがはずれた時に背負い直す手伝いをしてくれたのもダイバーのリーダーであり、急浮上した私を介助してくれたのもダイバーのリーダーです。
 それゆえにエアーが止まって急浮上した時、私はバルブが閉められたとは夢にも思いませんでした。船上にあがって落ち着いた私は、作業ダイバーが乗っている船に阻止船を近づけてもらって「助けてくれてありがとう。エアーがゼロになってしまったみたい」と告げているぐらいです。
 ダイバーがそんなことするはずがないという思いと、海底でかなり息が荒れていたのでエアーの消費が激しかったのだと判断した私は、原因を確かめることもせずにお礼を言いに行ったのです。
 しかし一緒にいた仲間たちから「バルブをさわっていたようだが閉められていないか」と確認され、改めて確認してみたらバルブが閉まっており、エアーの残量も150もあったのです。船上の仲間たちはもちろんバルブをさわっていません。状況として作業ダイバーがさわったとしか言えないというのがはっきりと言える事実です。更にこれを補完する資料として映像があります。前日に購入したばかりの防水ビデオカメラに現場の映像が映っていますが、じっくりと見ないと分かりにくい映像です。
 現在、ブログ等で出回ってしまっているくっきり写っている写真は、バルブが閉められた瞬間のものではありません。確かにバルブに手が伸びており、半回転ほど回っているようですが、閉めたとも言えますが開いているのを確認したとも言える映像です。ですから、この部分の映像や写真を現場写真として使用することは止めてください。関係のないダイバーを巻き込むことになります。
 もう一つ大切なことは、辺野古の闘いは「相手との関係性を大事にして来た」ということです。基地建設計画が白紙撤回されたとき、作業をしていた人たちと酒を飲めるような、そんな阻止行動を目指してきました。現実は厳しいもので、なかなかそのようにはいきませんが、目指していたのはそのような関係性です。バルブを閉めた本人は、その責任を負わなければなりません。しかし、必要以上にその個人を責めるのではなく、現場の作業員をそのような精神状態に追い込んでしまった権力にこそ、その矛先を向けて欲しいのです。
 施設局は、これまで多くの怪我人を出してきました。気を失って救急搬送された仲間もいました。どんなに危険な状況が生じても、一切の責任を負わず、ノルマだけを業者に押しつけ続ける施設局こそが糾弾されるべきです。これが「防衛」という言葉を使っている人々の実態です。現在は現場に責任者もおかず、すべての責任を業者だけに負わせる体制をとっています。全国の皆様、このことをこそ問うてください。絶対に許してはならないことです。お願いします。
 壊れてしまった信頼関係を回復することは非常に困難です。しかし、この困難を克服しない限り本当の平和を創り出して行くことは不可能だと思っています。
 基地建設に繋がる作業の強行がなされないように厳しく対峙しながら、個々人を追い込まない方法を模索しています。どうぞ現場の思いを理解し、ご協力をよろしくお願いいたします。

2007年7月26日

うふざと教会牧師
平和市民連絡会共同代表  平良夏芽

 僕としては正直なところ、「バルブを閉めた本人[・・・・]必要以上にその個人を責めるのではなく、現場の作業員をそのような精神状態に追い込んでしまった権力にこそ、その矛先を向けて欲しい」というのは、大きな前提として正しいのはわかるのだけど、理想論で済ませてしまってもいけないのでは、という気がする。一見ダイバー同士のモラルに従い、衝突を避けて礼儀正しく事を運んでいるかに見える民間人の中に、ともすれば(魔が差して)人殺しも辞さない、というような人間が紛れ込んでいた。それはその作業ダイバー集団がたまたまそうであったという話でなく、まさに権力というものの素顔そのものではないだろうか。普段は猫なで声で懐柔を続け、ある時突如牙を剥く、という素顔。リーダーの人が結構いい人だとか、そういうことが何ら慰めにならない話である。
 現地で実際に作業員達と向き合っているわけでもない者が、こんなことを言うのは生意気もいいところだろう。しかし「関係性」を大事に闘ってきた辺野古の人々の思いが、本当に作業員達に通じているのなら、今回の事件やそれに先立つ暴力沙汰はあったろうか、という疑念が湧いてくる。それは平良牧師たちの片思いに近いものではないだろうか。それがなければ「本当の平和を創り出して行くことは不可能」だとしても、そのために彼らがこうした代価を払い続けねばならないということが、心情的に納得できない。あくまで、遠く離れたところにいる者の「心情」としてだけど。もし僕が現地にいて参加している身だったら、また別の感触を持つとは思うのだけど。

 それにしても、平良牧師が書いた上の声明を読んでいて、ややもすると忘れそうになる、あることを思い出したのだ。
 それはとても単純なことだ。なんで自分も含めて、辺野古の海を守りたいと思っている人間が、「反対派」と呼ばれなければならないのか?ということである。
 僕らは確かに基地に反対している。だがそれは、何かをよこせとか、自分らを法的に優遇せよとかいったことを「要求」しているのではない。すでにそこにある美しいもの、かけがえのないものを、ただ守りたい。それのどこが「反対派」なのだろう?
 むしろその美しいもの、かけがえのないものを汚して、破壊して、戦争や金儲けの道具にしようという連中こそが、自然とともに生きる文明(人類の未来はそこにしかないことは最早自明となっている)の行く末に反対している反対派であり、過激派であり、テロ団体ではないか。
 とても単純なことで、今さらなことなのだけど、うっかりすると忘れそうになる──テーマによっては、メディアで支配的な用語の使い方にノセられてしまって、自分達で「反対派」を自称してしまう場面もあったりする。だが少なくとも現在、辺野古や高江で米軍基地の移設(増設かも)から地元を守ろうとしている人達、原子力発電所の停止~核エネルギーからの脱却を求めている人達などを、「反対派」と呼ぶのはおかしい。彼らに「反対派」というレッテルを貼ろうとする者こそが、この国と世界の未来に反対している、本当の「反対派」なのだと思う。

 選挙結果のことはまたそのうち書こう。


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2 コメント

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TBありがとうございました。 (suyap)
2007-07-31 21:26:54
この件について何か書こうと思いながら、状況についていってません。
現場の水深が5mくらいとどこかで読んだのですが、もしそうなら、経験を積んだダイバーなら難なく緊急浮上できる水深です。だからといってバルブを閉めるという行為の非が正当化されるものではありませんが、「殺人行為」という強い言い方は、問題の本質を惑わせる危険があります。そういうこともあって、今回の平良牧師の声明は適切であったと思います。

人員的に厳しいのかもしれませんが、スクーバで入る場合は、やはり阻止側もバディ・システム(2人1組)を取ることが必要のように思います。阻止行動も、水中でてんでばらばらにではなく、1人が作業阻止、もう1人がその監視というシステムです。
現場を見ていないので、ほんとうは何を言っていいのかわからないのですが。
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>suyapさん (レイランダー)
2007-08-01 18:15:19
お初にコメントいただき、ありがとうございます。
かなり古い記事にTBしてしまって、すいませんでした。リンク先の「なごなく雑記」さんの書かれたことと合わせて、内容的にとても共感しましたので・・・。

ご指摘の件については、僕はダイビングに関してはまったく無知な者ですが、「辺野古より緊急情報」その他のブログで、「水深3~4mなら危険ではない、ということはない」と強い調子で書かれていたのを記憶しています。死なないまでも、肺に障害が残ったりすることもあるとか。

そこで、「死ななかった」のは結果としてそうでも、「死ぬ可能性がある」ことを承知で行った行為に対して、これを「殺人行為」「殺人未遂」と呼ぶこと自体は不適当ではない、と僕は考えます。
ただ「問題の本質」はそうした行為のあるなし以前に、基地建設という政府公認の違法行為にあるのであって、今度のような事件が起きた「から」問題が発生した、わけではない。「殺人」云々という物騒な言葉でヒステリックに騒ぎ立てることによって、その「本質」をぼかしてしまう、という意味では、お書きいただいた懸念は全く理解できます。

それは承知しつつも、このような事件は、単なるアクシデントというのではないだろう、権力とそれに追随する人間集団の中にあらかじめ内包されている暴力的な本質が露呈しただけだろう、という、そっちの「本質」を強調したかった面もありました。
とはいえ、僕のそんな強調の仕方は、勢いに任せて言葉のインパクトに頼っているだけのところもあり、自分でも不注意だな、と気がつくこともあるんですが・・・今後とも、遠慮なくご指摘いただければと思います。
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