没落屋

吉田太郎です。没落にこだわっています。世界各地の持続可能な社会への転換の情報を提供しています。

中世化する世界~ロシアから愛を込めて(2)

2012年10月14日 10時59分13秒 | 有機農業
食料危機の切り札ダーチャ

 ロシアの経済事情は決してよくはない。2008年以来、300万人のロシア人が失業し、失業率は10%以上となっている。だが、歴史的に困難な時期には、ロシア人たちは熱心に園芸に励むことで切り抜けてきた。

 例えば、20年前のソ連崩壊以降に数多くの家族を餓死から救ったのは家庭庭園だった。統計資料を得ることは困難だが、例えば、社会地理学者、ロシア科学アカデミー地理学研究所のセルゲイ・アルトボレフスキー(Sergey Artobolevsky)社会経済地理部長が引用する1990年代初期の研究によれば、典型的な小都市、オリョール(Oryol)とガガーリン(Gagarin)では住民の消費食料の実に60%はダーチャと家庭菜園が得られていた。政府は統計数値を公表しなかったが、専門家によれば、ソ連後期時代には、肉や乳製品の多くはもちろん、生鮮野菜に至っては90%がダーチャからもたらされていたと言う。

 ロシアのガーデナーのための専門紙『あなたの600㎡』(Vashi 6 Sotok))のアンドレイ・トゥマーノフ(Andrei Tumanov) 編集長は言う。

「ソ連指導部には、光り輝くアイデアを持っていました。自給させるために人民に土地を提供したのです。それ以来、私たちは、深刻な一連の危機を経験してきました。もしも西側諸国でそれが起きれば、革命を引き起こしていたでしょう。ですが、ロシアでは、人民が小さな畑を持ち、そこで、食料を生産できたので、自給し続けられたのです。そして、このシステムはいまも機能しています」(1)

なんてったって、ダーチャ

 公式統計によれば、1999年には人口の71%、3500万家族、1億500万人がダーチャ等を所有して、800万haを耕している。これは、ロシアの農地や農業生産の40%以上に相当し、ジャガイモの92%、野菜の77%、ベリーや果実の87%、肉の59.4%、ミルクの49.2%はダーチャから供給されていた。

 国内農業に占めるシェア率は1992年の32%から2000年には50%以上まで増えた。2004年には、菜園での産出量は総農業生産の51%に達した。金額的には3840億ルーブル(約140億USドル)で、GDPの2.3%に相当するが、これは、発電産業(3170億ルーブル)、林業・木材加工・パルプ製紙業(1800億ルーブル)よりも大きい。しかも、エネルギー産業石炭(540億ルーブル)、天然ガス(630億ルーブル)、石油精製(880億ルーブル)よりも大きいのだ(2)

 もちろん、ロシア経済は2000年のウラジーミル・プーチンの大統領選勝利以降、プーチンが引退する2008年まで、経済は危機を脱して大きく成長した。アルトボレフスキー社会経済地理部長によれば、「プーチンの時代」として知られるこの過去約十年の繁栄で、多くの都市居住者はダーチャを週末にレジャー空間として使うことが可能となり、モスクワのような都市周囲では、ダーチャからはジャガイモ畑が消え失せて、花他の観賞植物に変わったという(1)

 もともと、ダーチャはリゾート空間だった。ダーチャが始まったのはピョートル大帝の時代で、ダーチャのアイデアは、ロシアの19世紀の暮らしを描いたアントン・チェーホフ(Anton Chekhov)の物語でよく知られている(1)。だが、ダーチャが労働者の保養施設として都市近郊に整備されていったのは、ソ連時代になってからだ。野菜、ハーブ、果物等の生産が脆弱な部門を都市住民自らが生産するように、フルチチョフ(N.S.Khrushchov)が1960年代に市民に大都市周辺に600㎡の土地を集団的に賃貸し始め、ダーチャが広まったのは1970年代以降のことなのだ(1,2)

 同時に、ロシア帝国崩壊以降のロシア史を見れば、わずか100年で、農村では繰り返し土地が没収されてきたことがわかる。ロシア農民、すなわち、農村に住む人々が市民権を受けたのも1970年代末以降のことだ。そして、不運なことに、人々がよりよい生活を求める都市へ移動するにつれ、これはロシアの至る所での何千もの村の破壊と放棄につながった(3)。にもかかわらず、過去1世紀の大きな都市化と産業化にもかかわらず、今も、人々はダーチャを捨てず、夏になれば、自分たちの自動車に、シャベル、鍬他の園芸用具を載せダーチャに向かうのだ(1)

 そして、1990年代にはダーチャはサバイバル手段へと変わった。人々は、アマチュアのガーデナーよりも農民に似て、ほとんどの人たちにとって、ダーチャは、野菜、果物、ベリーを栽培する場所となった。だが、経済状況の変化によって、徐々に、ダーチャは休息のための場へと再び戻った(2)。だが、アルトボレフスキー社会経済地理部長はこう続ける。

「人々はマネーや消費経済を信じ始めました。ですが、今、このプロセスはゆっくりとなりました。誰も不景気がいつ終わるのかわからないからです」

 トゥマーノフ編集長によれば、2008年には、種子の販売が40%、ジャガイモに至っては、200%も上昇した。

「人民が多くのジャガイモを作付するほど、ロシアの状況は悪いわけです。それは実際に統計法則です」

 モスクワのパブリック・オピニオン基金(Public Opinion Fund)の2008年の調査によれば、ロシアの都市住民の56%が、ダーチャや農村に「家庭菜園」を所有し、そこで生産される果物や野菜にロシア人の4分の1はいまだ依存しているという(1)

 ロシア人たちは、伝統的に自然や大地と強いつながりを持つ。産業化、技術的進歩と現在の「市場経済」の後でさえ、このつながりは失われてはいない。そのうえ、この魅力には実用的意義がある。ロシアの何千万もの人たちは、キッチンと果樹園を備えた小さな夏コテージおよび別荘を持つ。短い夏季の間、多くの人たちは、主な仕事をしながら、年間を通じて家族の食事用の野菜と果物を栽培している。したがって、ロシアでは、無農薬無化学肥料で、堆肥による良質のジャガイモやニンジン、あらゆる種類のジャムやピクルスが作られていることは驚くべきことではない。さらに、ロシアの大規模農場も伝統的に有機肥料や天然肥料を使うことを好み、化学薬品を使用しない傾向があるのだ(4)。そして、後述するように、ますます多くのロシア人たちがエコビレッジ運動に参加しているため、この数値は高まり増えている。

 2003年には、ロシアの大統領は、ロシア市民が無料で国から土地を受け取れる「私有菜園地法」に調印した。土地の規模は1~3haで、相続も可能なうえ、こうした土地で栽培された生産物には税金がかからない。そして、さらに園芸用の農地取得を推進するため、2006年6月にも新たな法律が可決された。

 アグロフォレストリーの研究者レオニード・シャラシュキン(Leonid Sharashkin)博士は、このガーデニング運動のインパクトについてこう語る。

「誰しもに十分な食を保証するには、GMO、産業型農場他の技術はいらない。本質的に、ロシアのガーデナーたちがやっていることは、ガーデナーによって世界を養えることを実証することなのです。どの工業国よりも大がかりな小規模による食料生産の実践です。ロシアが年間110日しか栽培時期がないことを念頭においてください。国家経済全体への園芸の貢献を見れば、それはさらに驚くほどすごいことなのです」

 それ以外のどのような国が、これほど持続可能で、有機農業で、かつ、非GMOの生産様式で大量の食料を生産しているであろうか。ロシアは明らかに持続可能で健全な方向へと動くわずかな国のひとつであるように思える。ロシアの小規模農業のこの素晴らしい復活の背景にはいったい何があるのであろうか(2)

帰農運動からエコビレッジへ

 実は、これまでのダーチャの伝統は、公有地1haを各ロシア家族を与える「kin’s domain」という概念によって大きく広がっている。2007年10月4日、政府系の主要日刊紙『ロシースカヤ・ガゼータ(Rossiyskaya Gazeta)』で記者、Tatiana Burdakovaは、簡単に農民となる「kin’s domain」という概念にスポットライトを当てた。「kin’s domain」とは、ディベロッパーによる土地開発でもなく、都会人の高級住宅開発でもなく、ましてや既存専業農家のための住宅でもない。それぞれの家族が与えられた土地でパーマカルチャーを用いて自給しつつ、工芸や地元生産に基づくエコビレッジへと地域を組織化することにある。

 ディミトリ・メドベージェフ(Dimitri Medvedev)大統領も、エコビレッジの概念を熱心に支援し、2007年3月5日には、TVチャンネル「Vesti-24」でこう述べた。

「人民の心理も変わっています。人民はまったく違うやり方で自分を感じています」

 大統領は政治的運動が既に進行中のウクライナ国境の近くのベルゴロド州(Belgorod Oblast)の地区のことを話す。

「ベルゴロド州では、10000~15000ルーブル(300~400ドル)前後と土地価格が高くないのです。今日のロシアからすれば、この土地価格は奇妙に思えます。ですから、人民はそうした土地を得られます。ですが、5年以内には、そこには家が建てられなければならず、3年は、暴利を得られないよう転売できないのです」(5) 。ロシアの腐敗はおびただしく、土地登記プロセスのために賄賂が徴収されることが多い(3)。だが、全体としてのシステムは土地投機を防いでいる。

 ああっ。なんということであろう。偉大なる我らが日本国の宗主国、米国が住宅投機のバブルを引き起こしたのとまるで正反対ではないか。

 政府の後押しもあって、現時点でも、ロシアでは、何百ものエコビレッジ・プロジェクトが計画段階にあり、いくらかは既に確立されている。その一例を紹介しよう(3)

 例えば、この写真を見ていただきたい。ロシア政府は新たな居住区として、コウチャフ(Kovcheg)・エコビレッジを承認したのだ。ロシア連邦政府規則2009年8月20日N 684は、カルガ地域の立法府は、カルガ地域マロヤロスラベツ(Maloyaroslavets)小区域に創設された村を「コウチャフ」と命名するとした。これは、2009年8月25日に公布、2009年9月2日発効したが、これを決定できるのはロシア連邦政府プーチン議長のサインでのみ可能なのだ(7)

エコヴィレッジの誕生

 コウチャフ・エコヴィレッジは、モスクワ南西140km、カルガ(Kaluga region)地域に位置する(3,4)。現在、では通年で40家族(約120人)と、夏期だけだが80家族(約200人)が住み、この土地では15人の子ども生まれている。コウチャフはロシアで最も成功したエコビレッジとされ、英語版でも紹介され、月に1万5000人がウェブサイトを訪れている(3)
動画はここでもみることができるし、英語版ニュースの紹介もここで見ることができる。

 コウチャフの創立者の一人は、子どものために都会から移住した元成功したビジネスマンで、現在は、養蜂家とガーデナーとして働いている。それ以外の居住者には、元レスラー、元ドイツのファッションモデル、元国会の有力候補者、元オペラ歌手等がいる(3)

 例えば、現在は住民となった心理学者、Natalia Strelnikovaさんはこう語る。

「私にとって、ここに移り住むことは、ショックでも大きなチェンジでもなかったのです。私には、それが3人の子どもたちにどれほど素晴らしいかがわかっていました。そして、モスクワから出られて、私はうれしかったのです。実際、私は、大都市での生活にエキサイトしていませんでした」

 一方、コンピュータ・プログラマーである住民Alexey Kanischevは、それは徐々のチェンジだったと言う。

「村に住むため、まずモスクワからカレリア(Karelia)へ移りました。その後、村に通いやっとここに来たのです」

 Andrey Gabovは音楽家だ。

「私は自分の魂にしたがってここにたどり着きました。私は、息子が村で育ち、草の上で走り、自然に囲まれて川で泳ぐことを望みました。お金を稼ぐため、私は週に一度モスクワへ行きそこで上演していますが、私は、いま必要とするすべてを持っています」(6)

 こうした発言からわかるように、移住者たちの共通テーマは、家族のためにさらに多くの時間をさけ、都市生活でかかる経費やマネー志向から逃れ、愛のあふれたコミュニティ、より清潔な空気やきれいな水、安全性とセキュリティ感覚が持てるところに住むというのが理由だ(3)。実際、コウチャフ創設の背後にある思想は現代文明から生じた。ウェブサイトはこう述べている。

「私たちは、センスなき環境破壊を通じて愚かにも自分たちの天然資源を浪費する社会で暮らしている。将来世代のためには、エコロジー的に健全な方向へと私たちの成長や進歩の方向を変えることが必要だ。

 私たちの居住区は、家族に所有された土地に基づく。そこでは、各家族が1haの土地を世代を超えて維持していく。森、果樹、菜園、小さな池を備えた1haは生活必需品のすべてを家族に提供できる。将来世代のために地球を守るという文脈で、大地を耕し、収穫するやり方というこれまでずっと無視されてきたやり方を用いることで、この土地は、家族に十分に余裕のある生産をするするであろう。農業に加え、人々のニーズに見合ったクラフト製品も開発できる。多くの人たちは食料や住宅を買うための金を稼ぐため、毎日約10時間を費やしている。実際に自分の有用な時間のすべてを占めるのだ。

 一方、木材を活用すれば、近代建築よりもはるかに質が高く、廉価で実際的な住宅を構築できる。菜園で栽培された食べ物は店で購入されたものよりも健康で味がいい。自分のニーズをより効率的に満たし、芸術を探究し、発明を追求し、自己研鑽のために余分な時間を費やせる。こうしたアイデアを実施すれば、健康は著しく改良され、犯罪は減り、家族関係が強化され、調和した自己開発につながる。テクノロジーと関連するカタストロフィーを減らし、工業生産のための天然資源の枯渇を徹底的に減らし、さらに交通も削減し、環境再建のために重点を注げる」(7)

 さらに、メンバーはこうも主張する。

「私たちは、大地の上で生きることが人間にとって自然でノーマルな状態だと信じている。というのも、大地とその周囲の環境だけが、仲介者や複雑な技術システムなくして、私たちにとって最も重要なニーズである水、空気、食べ物、そして、暖かい住宅を直接担保できるからだ。そうした環境は、人の健康、未来への確信、強さと楽観論をもたらす。私たちは進歩を支援するが、人間や自然を傷つけることには反対する。私たちのよき友達は、ビレッジで一週すごした後にこう述べた。「皆さん方を『ダウンシフター』と呼ぶことはおかしい。都市生活と比較して明らかに『アップシフティング』だ」と。私たちは、この見解に全面的に賛同する」(4)

 エコビレッジは、2001年の春に、こうした思想を持つエコロジストたちが、カルガ地域のマロヤロスラベツ地区(Maloyaroslavets)の管理長に対してエコビレッジ設立のアイデアを持ちかけたことにはじまる。当然のことながら、最初は理解されなかったが、グループは、ビレッジの設立よりもエコロジーという言葉を強調した。その結果、管理長は「近代技術を備えた古いロシアのコミュニティーに似ている」と理解した(4)。その結果、政府から無料で49年間、土地が貸し付けられるとの制度の下、4家族が(3)以前には農地であった120haの土地が提供され、2001年にプロジェクトが始まった(3,4)。ビレッジの土地は、300年前には賑やかだったが、今はゴーストタウンとなった村の近くに位置し(6)、幹線道路からかなり離れ、約400haの森が圃場を取り囲み、ビレッジの北部境界近くには小さな川が流れる自然に恵まれた土地だった(4)

ビレッジの建設と村民のグリーンなルール

 メンバーは、土地を1haづつ79に分割し、中心の8haをコミュニティ活動のために残し、約20haの残りの土地を幅広い道がつなぐよう計画した。初年度には、コミュニティーを支えるため、コミュニティハウスが共有地に建てられた。それは、ミーティング、招待された専門家による講義、学校、役立つアートや工芸に関する学習のために使用された。2階も自分たちの個人宅を建てている人たちのための生活空間として使用された(4)

 だが、メンバーは個々の1haの土地に自分たちの家を建て始め、わずか8年で、100軒以上の家が建設された(3,4)。ほぼ独力で年12~20軒の割合で家が建てられたのだ(3)。それも、地元の木工場を使用し、地元の丸木から建てられている。

「私たちは悪い樹木を記録し、それらを取り去ります」

 村の共同創立者で生物学者であるFedor Lazutin氏は言う。

「潅木と小さな木は成長し続けます。そこで、森林は回復できます。多くの木が、ますます暑くなる夏にはよく適合しません。ですから、私たちは、森林を保存するために病気の木を伐採しているのです」(6)

 住宅は、復元可能な地元産の安い資材、一般に伐木が使われ、その耐用年数の後に完全に再利用可能となるため、彼らのエコロジー的理想と完全に一致している(7)

 ビレッジでは、間伐材を加工利用する木工機械を持つ(4,7)。森林を伐採することで、きれいにし、新たな木を植え、違法な木材伐採を止め、自分たち自身の製材工場と木工所を操作している(3)。木工のワークショップで、床板、梁等が生産され、住宅建設の促進に役立った(4,7)。また、木製の扉、窓、テーブル、ベンチ、書棚他の木製備品が作成されている(4)

 しかも、早く家が建てられたのは、シンプルなスキルで組み立てることが簡単で、粘土と藁を配合した木枠と壁を用いたことがある。家はよく断暖房費は典型的な一般住宅よりもかなり安く、冬の寒さも防げて暖かく、非常にシンプルで経済的なのだ(3,7)。ビレッジには、始めから専門の建築家が参加していた。そして、ワークショップを通じて、多くのメンバーが建築家にもなった。ビレッジでは、エコ的暮らしの経験をわかちあうため、様々な3日間のセミナーが催されたが、最初の最も一般的なセミナーはエコ住宅建設だった(4)。こうしたスキルを学ぶため、2005年には、教育ビデオ「軽粘土と藁で暖冬ホームの建て方(How to Build a Warm Winter Home with Light Clay-Straw)」を制作した(3)

 ビレッジでは現在、通常の電気を用いているが、安全でエコロジー的に無害なオルタナティブエネルギー源を探索している。また、リサイクルは、堆肥穴と他の手段の使用による自分の土地で各家族によってなされている。自然にリサイクルできない材料を使わないあらゆる努力がなされている(7)

村の統治と助け合い

 創設メンバーの一人Fedor Lazutin氏は、ビレッジの開発の中で学ばれた洞察として、最優先されることが、コミュニティの根拠となるビジョンとプリンシプル、ゆっくりとした発展だと述べている。

第一は、急がずにビジョンに同意し、うまが合う人々が集まることだ。
第二は、共通基金使用の透明性だ。
第三は、一人のリーダーではなく、メンバー全員で責任をわかちあい、もし、やり方が好ましくなければ、否定するのではなく、改善策を示すことだ(3)

 ビレッジには多くの規則はないが、メンバーは、コミュニティをガバナンスするための明瞭なガイドラインを策定した(3,4)。エコビレッジの重要な問題は、年に4~5回開催されるタウンミーティングで議論され(7)、75%の多数票をもって決定される(3,4)。それ以外のさほど重要ではない問題は、簡単な過半数で決定される(7)

 ビレッジのメンバーはコミュニティを去って、土地を売却することができるが、売却にあたっては、コミュニティの承認が必要だ。また、新メンバーとなるためには、「あなたはこの家族を隣人と考えたいですか」と問われ、75%の多数票でオーケーがでれば新メンバーが認められる(3)

 ビレッジの原則はシンプルだが、村のメンバーとなる必要条件は次のようなものだ。
(1) 2年以内にずっと暮らさなければならない
(2) 自然再生
 エコロジー的に有害な製造は村では許可されない(7)。また、すべての家族あるいは全メンバーは、自分の「Kin Domain」を作るために自分の土地(1ha)を持つが、こうした土地では、パーマカルチャーにとって重要なため、少なくとも土地の30%は木が植えられる。このため、何万もの木および潅木が既に植えられている(4)。また、家以外は景観を損なうものは認められない。このため、電線も地下に埋設されている(6)
(3)有機農業でのガーデニング
どの土地にも多くの果樹と有機菜園があるが(4)、理想的にはパーマカルチャーの原則を用いることとなっている(3)。コンポストトイレを用い、伝統農業も歓迎される(4)
(4)肉用家畜飼育の禁止
食料や他の用途のために肉用家畜の飼育は禁止されている(4,7)。ベジタリアンは歓迎される(4)
(5)現場での禁煙と飲酒(3,4)
(6)土地の間の壁やフェンスを立てないこと(3,4)

 また、コミュニティのルールをメンバーが続けて破れば、共有地や共同施設の使用禁止の制裁が下されるが、これまでのところ、このケースはない(3)

 ビレッジでは、わかちあいと協力と助け合いが原則となっている(4)。例えば、2台のトラクターと1台のトラック(7)、掘削機、グレーダー等の大型機械も共有され(3)、教育、対政府関係、機械類のオペレーション、除雪等、様々な人々がコミュニティー生活での様々なタスクに責任を負っている(4)。インフラと関係するコミュニティー・プロジェクトは、無料のゆい方式でコミュニティメンバーによって実施され、必要なときにだけ専門家が雇用される(5)。また、メンバーは、語学のクラスであれ音楽のクラスであれ、自分の持つ専門スキルを提供することでコミュニティに貢献しなければならない(6)

 ビレッジでは、道路、井戸、集会所、10の伝統的なロシアのサウナ、学校、ビデオ・ライブラリー等の共通のインフラをわかちあう(3,4)。ビレッジでは子どもも産まれ、ますます子どもが増えたため、2007年には学校が作られた。多くのエネルギーが子どもたちや学校のために注がれ、2008年には、さらに3部屋が学校教育のためにコミュニティハウスに加えられた(4)

文化的な暮らし

 ビレッジの経済基礎は、森林資源、建設、農業、養蜂、そして、ハンドクラフトである(4,7)。経済は一部はクラフトによって支えられている(6)。また、砂糖や薬品も使わずに、持続可能で自然な養蜂が出来るよう、養蜂セミナーが実施され、地元の蜂を用いて伝統的なミツバチの巣箱を用いた飼育がされている(3,4)。だが、エコビレッジの弱点は経済だ。当初目的がいまだに実現されず、居住地の開発が望まれたほど進んでいないのは、主には資金不足のためだ(7)。前述したように、ビレッジの住民には、プログラマ、科学者、音楽家等がいる。彼らは、前の仕事を続けながら外貨を稼いでいる(4,7)。ほとんどの人々は必要に応じて、月に一日か二日都市へと通勤している(6)

 また、ビレッジでは、当初自由なレジャー時間が増えることを想定していた。だが、建設活動やワークショップがあるためにメンバーたちの余暇時間はさほどない。典型的な楽しみには、年に2、3回、コミュニティーのメンバー全員が参加するパーティがある。夜には、大きなかがり火がたかれ、親しみのある歌を真夜中まで歌う。ゲーム、冗談、歌唱、ダンス等が催されるが、誰もが大きな家族を持つ幸せの感覚をいだくという。そして、イベントは、少しづつ伝統化されている(7)。コミュニティの建物内でメンバーは伝統的なロシアの服で祝うのだ(3)

 ビレッジの「都市的アメニティ」は比較的乏しいが、住民のほとんどは、シンプルで簡素な暮らしを望んでいる(4)。エコビレッジの人々は、地場で有機栽培された食品を食べ、地元の燃料の暖房を享受し、都会の子どもよりはるかにスローなペースで暮らしている(6)

 ビレッジでは、2005年、2008年、2009年と世界に向けエコビレッジの集いを主催した(3,4)。2005年には、12のエコヴィレッジがここで集い(4)、2009年2月には4日間のワークショップが開催されたが、ロシアや旧ソ連の6カ国から25のエコビレッジから60人が参加するまで発展した(3,4)

 パーマカルチャーの教師とデザイナー、アンドリュー・ジョーンズ(Andrew Jones)は、「エコビレッジ・モデルを作成するロシア他の旧ソ連の国々での経験は、すべてのエコビレッジのパイオニアが学べる価値ある教訓と洞察に寄与すると信じている。うまくいけば、こうした物語は、西側でより広く知られるようになるであろう」とまで評価する(3)。(続)

【引用文献】
(1) Fred Weir, Russia's dacha gardens feed body and soul, The Christian Science Monitor, June25, 2009.
(2) In 1999, 35 million small family plots produced 90% of Russia’s potatoes, 77% of vegetables, 87% of fruits, 59% of meat, 49% of milk, the bovine, Aug9, 2009.
(3) Andrew Jones,From Russia with Love, Nov/Dec 2009.
(4) Ecovillage Living in Russia, No. 63 Permaculture Magazine, Spring 2010.
(5) William H. Kotke, Russia to become an eco-village nation?, Idaho Observer, February 2008.
(6) Eco community enjoys organic life outside Moscow, TV-Novosti, 29 March, 2012.
(7)Ecovillage "Kovcheg" のウェブサイト

写真は文献(7)より


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2 コメント

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Unknown (kanzan)
2012-10-29 19:31:03
 ダーチャとは都市住民が郊外にもつ別荘と菜園のようですが、イメージ的にはクラインガルテンのようなものでしょうか。
 ソ連時代、集団農場では小麦とか大豆などの基幹的な作物が作られ、野菜や果物など商品作物的なものはむしろダーチャによって供給されていたということですね。たしかに集団農場では小回りはききそうにありません。ダーチャは共産主義的農業に対するカウンターであり、同時に相補的なものでもあったというところが興味深いですね。

 ソ連崩壊で集団農場は解体されて農業法人や専業農家に払い下げられたのでしょうが、一方でダーチャのほうが主要な農作物の提供元として重要性を増した。そしてダーチャの延長線上にエコビレッジがあるということですね。

 エコビレッジはなかなか魅力的な考え方で、日本にそういうものがあれば私も手をあげたいような気もします。しかし、よく考えるといくつかひっかかる点もでてきます。たとえば土地に対する考え方です。所有するのか借りるだけなのか。1haの土地を無償で借り受け、その代りに一生管理する責任を負う感じなのか。土地の相続はどうなるのか。根本的に考え方を整理する必要があるようにも感じます。実際やってみるといろいろ運営上の問題もでてきそうな気もしますし。

 ロシアという国は共産主義だっただけあって、他人とものを共有することについては抵抗感がないのかもしれませんね。ソ連時代の集団農場などは、ひどく陳腐な感じがしますが、その反動として生まれた個人的小農業のダーチャやそれが緩く連携したエコビレッジが時代の先端となっているのが面白いと思います。
Unknown (よし)
2012-11-04 02:40:28
ロシアの事情は興味深いですね。

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