没落屋

吉田太郎です。没落にこだわっています。世界各地の持続可能な社会への転換の情報を提供しています。

深海の使者

2012年08月17日 01時45分41秒 | 崩壊論


 故吉村昭氏の第二次世界大戦中の潜水艦を通じた日独の情報技術交流を描いた『深海の使者』文春文庫(1976)は名著である。当時の潜水艦はディーゼル燃料で動いていた。だが、海中では酸素が得られない。敵と遭遇し、海中深く潜航するときには、ため込んでいた電池の動力で生きるしかない。上からいつ爆弾がふってくるかわからないわ、酸素が減って息はできなくなるわ、閉所恐怖症の人には文字を追うだけで、文字通り息が詰まるような苦闘シーンが登場する。

 このディーゼル型―石油エネルギー―潜水艦が持つ欠点を抜本から解消したのが、1954年に登場した原発潜水艦「ノーチラス」である。原発エンジンならば稼働中に酸素はいらない。したがって、通常の石油型潜水艦のような航続距離の制約や頻繁な燃料補給の手間もなく、艦内の人員に必要な酸素も豊富な電力で海水から電気分解によって作り出せるため、数カ月間も浮上しなくても可能なのだ。ここに原発の威力がある。

 ちなみにグレゴリー・ペックが主演した映画『渚にて』(1959年)は、第三次世界大戦が勃発し、核による放射能汚染で北半球が全滅し、生き残った米海軍潜水艦スコーピオン号が、モールス信号を受信し、「さては生存者が!」と期待に胸を膨らませたところ、実は無人となった地球でコーラの瓶が風にあおられてモールス信号を叩いていたというシーンが登場する。ちなみに、ペックたちが生きのびれたのもスコーピオン号が原潜だったからだ。放射能におおわれて息すらが出来なくなった地球の中を原発だからこそ生き延びられた。なんという快適な世界であろう。ここに原発の魅力がある。

 そして、私どもがいま生きている世界も映画とさして変わらない。福島沖の地震でいつ4号機が倒れるかわからないわ、活断層が動くことで稼働中の大飯原発がはじけるかわからないわ、放射能恐怖症の人には新聞やテレビでは決して報じてくれないであろう、そして、真実かもしれない、ネットの文字を追うだけで、文字通り息が詰まるような日常生活の中を生きなければならない。ここに原発の魅力がある。

 さて、前段はさておき、今日の話題、深海の魅力へと移ろう。

 深海には人類が手を付けていない途方もない資源が眠っている。マンガンやメタンハイドレードといきたいところだが、今回は温度だ。そう。さんさんと光輝くソーラー・レイによって熱せられた海面の海水とひんやりとした海底の海水との温度差だ。

人類初の海洋温度差発電キューバで成功

 海洋温度差発電(OTEC=Ocean Thermal Energy Conversion)とは、海洋表層の温水と深海の冷水の温度差を利用して発電を行う仕組みである。そして、人類が初めてこの海底に眠る膨大な資源の開発に成功したのが、キューバなのだ。ソ連崩壊で輸入石油が激減。原発建設も頓挫し、スペシャル・ピリオドと言われるエネルギー危機に突入したあのキューバだ。そして、キューバは熱い熱帯の海に四方を囲まれた海洋エネルギー大国でもある。キューバならいかにもやりそうなことだ。さもありなん、と思われるではないか。事実、この快挙は、日本の新聞記事にも掲載されており、ネット上ですぐに読むことができる。
 
 さっそく、引用してみよう。

海水発電に成功、五百燭光の電球四十個に点火、キューバ島で研究

 久しくキューバ島のメタンザスにあって研究を続けていたジョルジュ・クロード教授は最近遂に海水中より電力を得る事に成功し過般フランス科学学士院に於て発表した、右は全長二哩に及ぶ大鋼管を縦に海中に沈め海水の表面と深海部の温度の差を利用して発電せしめんとするものであるが鋼管の沈下が第一の難工程であって昨年九月に至って遂に成功翌月五百燭光の電球四十個に点火する事が出来た、クロード教授の方法は海面の比較的に温度高き海水を真空にしたボイラー内にひき入れる、然る時は同ボイラーが真空の為めに容易に気化しこうして出来た蒸気をタービンに誘導して之をして発電機を運転せしめ電力を発生せしめんとするものである、蒸気がタービンを通過すればその蒸気は液化房に入り深海部からポンプで汲み上げた冷い水で之を冷却再び液化せしめるのである、同時に液化房には蒸気の液化によって真空が生じその真空が空気ポンプとなってタービンを通じてボイラー内の気圧を低下せしめて海面部の温水を導入之を気化せしめるという操作をズット繰返す様になっているのである。素よりこの方法も氏独自の創案でなく工学界に大家として知られたる故オーギュスト・ラトー教授が考案されたものであるが尚お完成までに至っていなかったのである(1)

はへ

 いささか文体がおかしいではないか。それに、メタンザスじゃなくて、マタンサスだってば。自然エネルギーといってもメタンガスをあつかっているわけじゃあるまいし。

 だが、それもそのはず。日本の新聞といっても、國民新聞(注:徳富蘇峰が明治23年に創刊した日刊新聞である。現在の東京新聞の前身の一つ)の1932年6月29日(昭和7年)版なのだ。出典元は神戸大学図書館。こんな情報が掲載されているのも、日本に唯一、海事科学部を持っている大学だからではあるまいか。

 すなわち、海洋温度差発電は最新技術のように思われがちだが、新しいものではなく、1881年にフランスの物理学者ジャック=アルセーヌ・ダルソンバール(Jacques-Arsène d'Arsonval)が提案し、この教え子、ジョルジュ・クロード(Georges Claude、1870~1960年)が、1930年にキューバにおいて、低圧タービンを使った最初のOTECプラントを建設し22kWの電力を作り出していたのである。いまから80年も昔のことだ。

 日本の新聞は、母国語とはいえ、その変化が著しく、すんなりと脳にイメージを浮かべることが難しい。だが、この世界初の海洋温度差発電プロジェクトを扱った「Popular Mechanics誌」(1930年12月号)の巻頭記事「Power from the Sea」が読める。

 こちらの方が、人類初の海洋温度差発電が、実に600mの深海と地上とをパイプでつなぎ、現在の真空式温水ヒーターと組み合わせて発電したことがよくわかる。では、さっそく読んでみよう。

 クロード氏は手を湾の海流に少し浸す。水は温かい。海面では100℃だが、山の上では80℃で沸騰する。その結果は蒸気の力だ。このシンプルなステップから、クロード教授は、5年の努力の後、熱帯の水でエネルギーを利用することに成功した。それは500wの電球40に明りを灯すほど十分なのだ。

 マタンサス湾の端にあるラボラトリーから、10月1日に彼は、タービンが20馬力以上を産み出したと報告する。翌日、ポピュラー・メカニックス・マガジンへの外電で表現された彼の熱狂ぶりが見出される。

 『昨日、私どもは初めて、海底の限りなき熱エネルギーを発電が求めることを目にいたしました。私どもの期待が正当だとされました。逆境下で、つつましい20Kwがいま生み出されていますが、それは、すでに期待されるパワフルな導入へのプレリュードなのです。そして、人類の産業がいつの日にか、それを動かす機械エネルギーの不足のために滅びないことを保証しているのです』

 海に潜れば温度差があることは共通知識である。マタンサス湾では、クロードは海面水が26~30℃であることに気づいた。だが、600mかそれ以下では温度は一定で4.4℃だった。蒸気エンジンでは、燃やす燃料が水を蒸気へと変える。だが、クロードは、別の原則を利用した。すなわち、暖水を真空で蒸気にするのだ。もし、大気圧が十分に落ちれば、水は室温でも沸騰する。蒸気を生み出すやり方を見出せば、彼はタービンを動かせる。だが、コンスタントな真空を得るには、蒸気を濃縮し、そのボリュームを減らすやり方を見つけなければならない。やかんの蒸気に冷たいガラスをかぶせればどうなるか誰もわかっている。それが、クロードの手がかりだった。

 もし、冷水と蒸気とを混ぜれば、濃縮が続く。それが彼がプロセスに冷水を持ち込んだ理由だ。これが働くやり方だ。表面水と600m以下の水が海岸の発電所に持ち込まれる。ポンプが表面水を低圧ボイラーに入れ、そこでは26℃で沸騰する。蒸気が産み出されてタービンを回す。その余りは、チャンバーに行き、そこで600mからの水がそれを濃縮し、真空を永続させていく。この真空が水が26℃で沸騰することを可能にし、そのプロセスが続いていく。
 クロードは、マタンサスの発電所は、いま捨てられているエネルギーでやれることの単なる始まりにすぎない、と言う」(以下略)(2)

高すぎた深海の使者

 だが、上述の記事で「難工事」「クロード教授は5年の努力の後」という言葉が見られるようにたった20KWの電力を得るための努力は尋常なものではなかったのである。

 例えば、クロードは、机上での研究を信じない活動家で、キューバで実施することを決めた後も、適切なサイトを見つけるため、自ら所有するヨット「ジャマイカ号」を用いて1927年に実施調査を行っている。そして、この調査から、キューバ周囲の一般的な地形の特徴が明らかになった。陸から約20~30mの深さまでは緩斜面だが、そこからは100~200mの切り立った崖が海中へと没していたのだ。これでは、簡単にパイプを設置できない。しかも、パイプが流されないためには、なるべく沿岸流が弱い場所も選択しなければならない。そこで、クロードはハバナ100km東部、マタンサスから10kmの沿岸に発電所を設置することに決めた。そこでは、着実に海流が半ノット以下だったからである。

 発電所、そして、深海から冷水を送るパイプ、そして、海岸から発電所までパイプの陸上部分を埋設して保護するための50m長のトレンチの建設は早くも1929年に始まった。マタンサス税関に厚さ2mm、2mのパイプ用の鋼鉄板がフランスから届く。これを22m長に現地で溶接した。

 パイプの長さは2000mもある。そこで、パイプの部品を現場から2Km離れた波止場に格納した。海に浮かべ、そこで、つなげる予定だったのである。この工事の最終段階は、穏やかな天候の数日間で予定していた。だが、キューバはハリケーンが常襲する。当時は気象予報も十分ではない。想定外の海の荒れ模様で、数百mのパイプは破損した。
そこで、クロードは、パイプの組み立て場をマタンサス湾へと流れ込むリオ・カミナル(Rio Canimar)に変更することを余儀なくされた。工事は、河口を妨げていた幅250mの砂州を浚渫することから始まった。次に、22m長のパイプをひとつずつ輸送し、牽引していったのである。

 1929年8月末、ようやくパイプの組み立て工事が完成し、河口から7km離れた湾の発電所建設地まで牽引する準備ができていた。

 そして、パイプをタグボートが引っ張っていく。だが、ここでまた事故が起きた。パイプの一部が、河口の砂州の非浚渫な場所の浅瀬に乗り上げ、後部がアコーディオンのように折り重なってしまったのだった。パイプは、満潮時を選び、引き揚げられたが、ひどく破損していた。クロードが得ていた予算は底をついた。

 だが、クロードはそれでくじけるような人物ではなかった。三番目のパイプの建設と導入を自費で支出することを決意する。キューバ側の技師「セニョール・バスケス」の示唆の下、クロードは新たな手順を取り入れる。それは、小さなワゴンでパイプの部分を組み立て、巻き上げ機で海にそれを引いていくことだった。ちなみに、これは現在ガス・パイプラインで用いられているのと同じノウハウである。

 全長2000m、400トンもある3番目のパイプ製造は1930年3月に始まった。リスクを最小にするため、部品は、陸上で掘削した穴から18mの深さまでの150mセクション(A)、崖が始まり海が深くなる1750mのセクション(C)、そして、両者を浅水でつなぐセクション(B)と三つにわけられた。ちなみに、クロードが冷水パイプ設置用に掘削したセクション(A)の部分は、「クロードのプール」として知られ、いま、地元のマタンサス湾の小学生たちのお気に入りの水泳スポットとなっている。

 セクション(A)は1930年6月8日に設置され、陸上部分が波力でダメージを受けることを避けるため、トレンチはコンクリートで満たされた。一方、これから17日後、海では12隻のタグボートがパイプを牽引し、うまくケーブルと接続した。そして、最終的な操縦は、海に向けて設置している浮遊物の空気を抜くことで、陸からゆっくりとパイプを沈下させることだった。だが、ここでまた事故が起こる。当時、クロードには、携帯無線ラジオもなく、コミュニケーションはガホンでしなければならず、オペレーションでミスが生じても、修正指示が難しかったのだ。

 クロードは、また財産を失った。

 だが、クロードはまだあきらめなかった。再びパイプが製造され、1930年9月7日に海に引かれ、セクション(B)でつなげられるべき正しい場所に沈められた。

 こうして、やっと冷水が沿岸に毎時の4?の速度でポンプで送られはじめた。タービンはゆっくりとパワーをあげ最大22kWまで増えて走行した。この実験の成功でクロードは自らの信念を強め「サンチアゴ・デ・クーバ付近」でさらに25 MWのプラント建設を提唱した。だが、この25MWの発電所は実現しなかった。クロードは建設に必要な資金を集められなかったのである(3)

 その理由は経済学だった。ジョン・マイクル・グリアは言う。

「19世紀と20世紀前半のソーラーの先駆者たちが直面した基本的な限界の多くは、技術的な改良の条件ではない。というのは、それらが、拡散されたエネルギーと濃縮されたエネルギーとの違いから展開しているからだ(略)。同じことが、海洋温度差発電においても言える。その時代が来るといつも言われながら、決してやってこないまた別のこうしたアイデアである(略)。たしかに、このパワーではヒートエンジンを動かせる。とはいえ、冷たい水を深いところからもたらすポンプを稼働するために発電所が産み出せるパワーの約3分の2がとられてしまう。これは、発電コストを計算に入れる前でさえ、この発電所が0.33程度の純エネルギーしか持たないことを意味している。実際面でそれが意味することは、政府の補助金で発電所に資金提供するか、あるいは、無一文になるかということなのだ」(4)

 海洋温度差発電は理論上は魅力的である。だが、パイプの建設、パイプの設置、波浪等による破損、それに伴う経費はいかばかりのものか。その結果として、原潜ノーチラス号や歩く原発、鉄腕アトムの如き10万馬力の出力が得られるのならばまだいい。膨大な努力をしたあげく、クロードが手にしたものは、「五百燭光の電球四十個に点火」、すなわち、500wの電球をたった40灯すだけの電力でしかなかったのである。深海の使者はあまりにも高すぎたのである。

【引用文献】
(1) 人類初の海洋温度差発電キューバで成功
(2) Power from the sea, Popular Mechanics Magazine,vol.54 No.6,December,1930.
(3) Martin G. Brown, Michel GAUTHIER, Jean-Marc Meurville, George Claude's Cuban OTEC Experiment: a Lesson of Tenacity for Entrepreneurs.
(4) John Michael Greer, The Wealth of Nature: Economics as if Survival Mattered, New Society Publishers, May 31, 2011.

発電機の写真は文献(2)から
パイプの写真は文献(3)から


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