今年もまた5月29日がやってきました。 68年前の今日、米軍の大空襲により横浜は壊滅したのです。 そんな歴史を風化させないために、横浜の各地で横浜大空襲に関するイベントが開催されています。 5月25日、仕事先の根岸方面へ向かう途中、本牧の集会所において「横浜大空襲と学童疎開」という講演会が行われたので寄ってきました。 戦時中のものが会場内に展示されています。 これは焼夷弾の筒。 焼夷弾の構造。 千人針。 防空頭巾。 タバコ巻き器。 軍隊手帳。 鉄カブト。 講演会に先立って行われた、神奈川フィルのメンバーによる演奏。 コントラバスとビオラという、珍しいデュエットでした。 伊波新之助の「紙芝居を使った講演会」。 1935年生まれの伊波氏は学童疎開の体験者です。 疎開先の箱根まで、母親が食べ物を持って面会に来たときの話では、当時のつらく悲しい思い出がよみがえってきたのか、言葉に詰まり涙をこらえているようでした。 根岸湾に浮かぶ飛行艇。 左端に見えている岬は本牧でしょうか。 一方こちらは中図書館。 こんな写真展を開催しています。 書籍の中で見たことのあるものばかりですが、こうしてパネルになった写真を眺めるのはまた格別ですね。 説明文がついているのもありがたい。 本牧小港での撮影。 焼け跡にバラック小屋を建てたのでしょうか。 写真展は6月3日まで。 参考 2008年にアップした横浜大空襲の記事は…こちらからどうぞ。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
機銃掃射を受けたんですか!
大変な体験ですね。
それに対して投石というのも凄い!!
北北西に進路をとれ
興味深い記事でした。
ありがとうございます。
都会人など当時土地を所有していない者は自身の食べ物を確保するため、道端でもなんでも空き地を無断で耕していました。
自分ら家族の食糧確保のためです、ある日、空襲警報を知らせる半鐘を叩く音が鳴り響きましたが、構わず土地を掘り起こしていました。
間も無く艦載機が飛んできていきなり拙に対し、かなりの低空飛行でバリバリ射撃をしてきました。
円を描くように7~8回ぐらいヒツッコク射撃するんです。
拙は地面の石を拾って投げつけるしか抵抗できませんでしたが、敵のパイロットの顔をハッキリではないですが、今でも覚えています。
http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10135611665.html
お参りに行かれたんですね。
えらいなぁ。
お年寄りの話を聞くのはいいですね。
又聞きさせてください。
今年も阪橋の平和記念碑にお参りに行き、その足で普門院の慰霊の法要に参加してきました。
本日ご訪問した88歳のお婆様が、御所山の空襲の様子をお話してくださいました。
写真展、行こうと思いますよ~
歴史の授業は古代からやって、
年度末にはいつも時間切れ。
だから近代史を知らずに終わってしまう。
そのように仕組んでいるのでしょうか。
皆さんの体験談をお聞きして驚くばかりです。
私はバラック住宅を見たことはありません。
写真でしか知らないのですが、すごい体験をされているんですね。
それでも都営住宅に住める方は良い方で大概、トタン板を何とか組み合わせて寝ていました。
5銭、10銭にはそういう意味がねぇ…
ためになる情報です。
後に千人針の布に、虎は千里走って千里帰るの謂れから虎の模様の布が使われて居ました。