
2,3年前から、なかなか中華街へ行けなくなっているのだが、今年はさらに新型コロナ感染拡大という状況が生じ、年間を通して20回行ったかどうか……、このブログを立ち上げて最低の訪問数かもしれない。 そんな中で過去に集めた昭和31年の地図をひっくり返して眺め始めたら止まらなくなり、とりあえず中華料理から離れてしばらくは「銭湯」を取り上げようと思う。 町中から銭湯が消えて久しい。公衆浴場に入ったことがないという若い人も多いようだ。まさに『銭湯を知らない子供たち』だね。 ということで、第1回は中華街にあった「中将湯」。冒頭の地図の左中ほどにあるのが、それだ。 中将湯といえば、ツムラの婦人薬 中将湯を思い出す。これとか実母散などの生薬を入れた銭湯が、昔は普通にあったよね。ここは銭湯名からして、おそらく生薬が入っていたのだろうと思う。 ただ、別の時代の地図を見ると「ひながた湯」とか「山元湯」と書かれていることも。銭湯の名前はけっこう変わることがあるから、書き間違いではなくそうだったんだろうね。 さて、私はこのお風呂に入ったことがないし、同時代に街を歩いたこともないので、昔の様子に関しては何も知らないが、地図を見て感じたことで話を進めたいと思う。 ここから地図を拡大してもらおうかね。クリックすると別窓に大きなサイズで見られるからね。 ↓ ![]() 銭湯の前の路地が現在の香港路である。昔は「風呂屋通り」と呼ばれていたそうだ。左端には現在の中山路。この二つの通りにはバー・クラブが軒を連ねていたことが分かる。これらを利用していたのは外国船員とかアメリカ兵だったという。 そんなことから、とくに中山路の方はハッピーアベニューと呼ばれていた。 風呂屋通りにはホテルもあったんだね。ここでは「明華ホテル」と書かれているけど、これって、もしかしたら「明蘭ホテル」じゃないのかな。 ![]() 昭和47年の地図。ほらね、「明蘭ホテル」となっているでしょ。昔の住宅地図っていうのは、たしか経済地図社というとこがやっていたと思うんだけど、初期の頃は社員が歩き回って手書きで情報を収集していたんだって。だから結構、書き間違いが多かったという話だよ。 この明蘭ホテルのあとにできたのが「明蘭餐庁」という中華料理店だったのね。ここはよく利用させてもらったなぁ……。 そして、「中将湯」が「山元湯」になっている。妙だよね。「山元湯」というのは山元町にあるんだけど……。銭湯名の変遷についても調べたくなってきたけど、今はやめておこう。 ここで大きな地図に戻って中華街大通りを眺めてみよう。左から「パチンコ有楽」、「産婦人科」、「スポーツマンクラブ」、「均元ベーカリー」、「服部牛肉店(服新牛肉店と書いてあるのは間違い)」、「青果信濃屋」、「松田書店」……。おもしろい通りだったんだねぇ。 市場通りもゆっくり眺めていただきたいと思う。いろいろな発見があるからね。 ということで、昭和31年に存在していた銭湯巡りを始めてしまった……(大丈夫か) 横浜全区は無理なので、中区だけにしようと思っているが、当時は30軒以上あったからどうなることか。 次回は同じ中華街の中に今もあるもう一軒についてアップしようかな。 ![]() |
洋裁店の奥にある「陳売春」というのは
なんですか? 気になる名前……。
売春ではなく買春ですね。
人の名前だと思いますが、
消すのを忘れていました。
明蘭ホテルに泊まってみたかったです。
雀荘「大三元」でも打ってみたかった。
パチンコ「有楽」にも入ってみたかった。
2軒並びのおでん屋にも行ってみたかった。
バーにも入ってみたかった……。
それより、なにより「山元湯」に浸かってみたかった。
元旦の銭湯は行ったことがありません。
朝日が差し込む中での長湯…いいですね。
明日やっていたら行ってみるかなぁ。
中国人、朝鮮の人、日本人等国際色豊でしたよ。
帰りに隣りのおでん屋さんで風呂上がりの一杯
(牛乳)がお決まりのコースでした。
おでん屋さんはおばあちゃんが2人で切り盛りしてて
おばあちゃんの隙をみてタマゴを盗み食いしてた中華学校の生徒も居たね。店舗はボロボロの古民家でした。
おでん屋さんと駄菓子屋さんを併設してたかなぁ?
後、安記が徐さん、2枚目の地図が安記ですね。
そう言えば、海員閣さんの自宅が安記の隣りてした。
真向かいと言う感じでしたね。
おでん屋のあった場所が焼鳥「一平」だったのかな。
おでん屋には入ったことなかったですが、
「一平」にはよく行きました。
よく食べに行きました。他の地区の友達と行くと店内にビックリして食欲が湧かなかったみたいです。店内が薄っ暗くボロボロの家屋でしたから。
焼き鳥屋さんは覚えて無いですね。
おでん屋さんの後ですかね?
私は見た事がないですが。
あと、ミントンの側の恵比寿湯さんにも行きましたよ。ビルに成る前は木の塀て囲まれた木造のお風呂屋さんでした。
何故か?女湯の側の塀が目の大きさにくり抜いて有りました。笑)
懐かしく成り30代の頃に行ったら身体中色の付いた方々が沢山居ました。
中華街のヤ○ザ屋さん達でした。
親分でしょうか?3人掛りでその人の体を流してましたよ。
子供の頃関内のお風呂屋さんにもお祖母さん、母、私で横浜公園を通って行った記憶が今甦りました。
「一平」は銭湯の隣でした。
上の地図でいうと「軽食おでん」と書いてある場所です。
すごい店でした。
https://blog.goo.ne.jp/chuka-champ/e/0337af06e6384e934230ab04225d01ec
一平の地図と写真が載っています。